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カテゴリー「西向きの窓辺」の159件の記事

2022年11月18日 (金)

雪の重さを知る者は

 新潟県北部の都市で起きた性犯罪を含む凶悪事件に無期懲役の判決が下った。

 被告は既に別の事件で無期懲役の判決を受け服役中。本件は収監されていた刑務所で逮捕された。今回の裁判が注目されたのは憲法が定める「一事不再理の原則」が“壁”になったこと。憲法39条では「何人も、実行の時に適法であった行為またはすでに無罪とされた行為については刑事上の責任を問はれない。また、同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定されている。刑事訴訟法においても刑事裁判が確定した場合、当該事件について再び起訴することは許されていない。一方で「推定無罪」の大原則もある。本件では状況証拠の積み重ねでのみ犯罪を立証した。

 裁判は6名の一般市民が裁判員として関わる裁判員裁判として判決が下された。報道によれば「最後まで1名もかけることがなく」結審したと聞く。日常に重大凶悪事件を審議するという役割が加わり、裁判員諸氏の生活は一変したことだろう。

 今回の判決が極刑でなかったことには不満の声も多い。しかし、もし仮に自分が裁判員だったとしても、同じ判断を下したと思う。犯罪は感情ではなく法律でのみ裁かれる。

 犯罪の中には「已(や)むに已(や)まれぬ事情」を抱えるものがある。それだから、情状酌量や減刑といったものがある。しかし、本件には全く考慮されるべき事情がない。

 この凶悪事件は新潟県の北部で発生したが、被告は新潟出身者ではない。雪の重さを知っている者は、命の重さを知っている。

(裁判は検察側、被告側ともに控訴の方針との報道)

2022年8月13日 (土)

彼は「戦後レジーム」を抜け出せなかった

 7月8日。安倍元首相がテロリストの銃弾によって命を奪われた。犯人の犯行動機の聴取が進み、事件の背景が明らかになるにつれ、当初、想像されたこととは別の方向へと世論の関心が移っている。つまり、追悼一色ではなくなった。

 自民党と“疑似的”な宗教団体(実態は集金団体)との長く強固な互恵関係の歴史。それが徐々にあぶりだされてきた。しかし、そのことが何かを変えるということには期待していない。多少の浄化にはつながるだろうが、それはあくまでも浄化であって、池の中の濁った水が多少キレイになる程度だろう。水は入れ替わらない。

 安倍氏はよく言っていた。「戦後レジームからの脱却」と。彼はその言葉を錦の御旗として特定秘密保護法、国家安全保障会議設置、平和安全法制、その他、多くの改革=改悪に取り組んだ。

 しかし、自身の戦後レジームからは抜け出せなかった。

 それはなぜか。

 1960年代、彼の祖父に端を発し、父から自身へ脈々と継承されてきた「岸家=安倍家」の闇。だが、安倍氏にとってのそれは裏でも闇でもなく、表であり、最大の既得権であり、安倍氏の権力を支えた本質だったからだろう。

 翻って、この国の政治の中枢はもう何年も「連立」政権だ。政権の「与党」は自由民主党と公明党によって構成される。公明党の支持母体は仏教系宗教団体。同党と同団体は表裏一体。

 マスコミやジャーナリストにジャーナリズムの魂が残っているのなら、政教分離の闘いを挑んで欲しい。

 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(日本国憲法第20条)

 これが我々のルールだ。

2021年9月 1日 (水)

内橋克人氏の訃報

 経済評論家の内橋克人氏が亡くなった。数冊の本しか読んでいなかったが、喪失感に襲われた。

 内橋氏の訃報には代表作として「匠の時代」が報じられる。残念ながら、その代表作は自分の本棚にない。あるのは「誰のための改革か」、「もうひとつの日本は可能だ」、「悪魔のサイクル」。すべて2000年代前半に書かれたものだ。

 2000年代前半。小泉構造改革による規制改革万能論、そして竹中平蔵氏に代表される市場原理主義の強風が吹き荒れた頃。これに対し、冷静で論理的、かつ、物静かな態度で批判を続ける内橋氏の姿が脳裏に焼きついている。

 内橋氏は資本の自由化・規制緩和が(労働規制緩和による)非正社員化、(フラット税制改革による)所得の二極化=貧富の差の再拡大、企業の淘汰・合併、外資化を産んだとした。全くそのとおりだろう。また、金が金を産むバブルの発生においては、超金持ちが出現するが、失業率は低下しないことを指摘し、その泡が鎮まる時、経済事件の発生や政治の腐敗が進むこと、やがて地域・地方は荒廃し、共同体が破壊されることを指摘した。これも全くそのとおりになっている。

 時を経て、地方都市の商店は失われ、庶民の暮らし、地方零細中小企業の暮らしは巨大資本とその系列業者に牛耳られることになった。

 内橋氏は単に立場の違う政策を批判する経済評論家ではなかった。冷静な分析、現場取材、弱者への温かい眼差し。真のジャーナリストだった。

2021年7月 3日 (土)

良心の踏み絵

 森友学園に対する国有地売却を巡る疑惑。その闇、その核心に関わる過程を、当時、財務省近畿財務局の職員だった赤木氏がまとめた文書「赤木ファイル」。そのファイルが400カ所も黒塗りされた姿で開示された。

 赤木氏はファイルに「組織による具体的な文書改ざんの指示」を記述し、自死した。「これが財務官僚王国。最後は下部がしっぽを切られる」と遺して。

 この問題には、日本の戦後史に名を残すであろう首相とその夫人、財務大臣、財務官僚、そして日本的官僚・組織文化の暗闇が深く関わっている。

 誤解を恐れずに記せば「赤木氏は強い人」だと思う。2015年に自分も同じような立場に立たされたことがあった。しかし、自分は別の選択しかできなかった。赤木氏の公僕である国家公務員としての使命感、怒り、そして哀しみ。赤木氏の気持ちの一端は共有できる。

 亡き夫の遺志を継ぎ、訴えるため、赤木氏の夫人が地方新聞社などを精力的に訪問していることを知った。どんな形であれ、彼女を応援したい。

 思想・信条に関係なく、日本人の良識と人間の良心に従って。

 「赤木ファイル」は良識の踏み絵、良心の踏み絵だと思うから。

2021年6月 4日 (金)

赤と緑を混ぜると黒に

2021年6月3日付 新潟日報の記事から抜粋

「第四北越FG 統合の理念どこへ 本店移転に長岡経済界から反発の声」

 第四北越フィナンシャルグループ(FG)が本店所在地を長岡市から新潟市に移すことを巡り、現本店がある長岡の経済界から2日、反発する声が上がった。旧北越銀行本店があった長岡にFG本店を置くことを、旧第四銀と旧北越銀が経営統合で掲げた「対等の精神」の象徴と捉える地元企業や市民は少なくない。3年とたたないうちに本店を移すことを唐突だと受け止め、25日に開催される株主総会で関連定款変更の議案に否認する意向を示す株主も出ている。「FG本店を長岡にしたことは、両行の合併が第四による吸収ではなく、双方の良さを残し、新しい銀行をつくるという理念の表れだったはずだ」FGの株主企業で取引先の社長は憤る。前身の第六十九国立銀行の設立から約140年。旧第四銀との合併後も「面倒見の良さで知られた北越銀の企業文化が残ってほしい」と考えてきた。そこに突然、表面化した本店移転案。前出の社長は「親しみやすさといった北銀の行風が失われるのではないか。北銀出身行員の士気が心配だ」と語る。既に議決権行使の受け付けが始まっているオンライン上で、議案を否認する意志を明らかにした。昨年金融庁に認可された旧第四銀、旧北越銀の合併方式は、第四銀を存続会社とし、北越銀を消滅会社とする「吸収合併」だ。ただ両行は2017年春、「対等の精神」をうたって経営統合協議を始め、共同持株会社(FG)を18年10月に設立した経緯がある。その際、長岡市の旧北越銀本店をFG本店、新潟市中央区の旧第四銀本店を「主な本社機能所在地」とした。今年1月に両行の合併で誕生した第四北越銀行の本店は、旧第四銀本店に置いている。同FGは、本店を今回移す理由について、FGと第四北越銀の本社機能を新潟市に集約したことを挙げる。だが、FGの株主で長岡市の老舗企業の経営者は「根回しもなく、はしごを外された。今後『長岡のために』と言われても本心なのかと思ってしまう」と納得できずにいる。会員数約2500の長岡商工会議所の会頭には、過去に旧北越銀の頭取経験者3人が就いている。旧北越銀は、名実ともに地域経済のけん引役だった。現会頭は「いずれこうなると思っていたが、市民感情もある。取引先として考え直す顧客が出てくるかもしれない」とみる。長岡市の受け止めも厳しい。長岡市長は「顧客の信頼感を大切にする金融機関だと思っていたので残念だ」と語る。(抜粋して引用)

 

 旧第四は緑をバンクカラーとし、旧北越は朱色がかった赤がそれだった。店舗の看板にはそれらの色が使用されていた。2021年1月に合併して誕生した新銀行では青を基調としたデザインが採用されている。

 色の3原色の法則では、緑と赤を混ぜると茶色になるとされている。ただし、それは茶色を作ろうとした場合の話だ。新銀行は何色を目指したのだろうか。もし看板に偽りなく青を目指すなら、緑も赤も必要ないだろう。青は3原色のひとつであり、色を混ぜて作ることは困難だ。地域銀行でありながら、地域を蔑(ないがし)ろにする銀行では尚更だろう。

 地方銀行の経営環境が厳しいことは知られている。しかし、明治の時代から現在まで、地方銀行は地方で事業・商売をしてきたのだ。これまでの繁栄と蓄積、現在の苦境、そして、これからの未来も「企業としてここ(地方・地域)で生きていく」というビジネスモデルに変わりはないだろう。いや、変わりようがない。

 「地方銀行に独り勝ちはない」というのが持論だ。地方銀行は地方と一心同体であり、その呪縛から解き放たれることはない。

 およそ140年もの間、「地域から収益を上げていた」金融機関。その姿は紛れもなく「持つち持たれつ」だった。しかし、近年、その姿は「地域から利益を付け替える企業」に変容した。

 赤と緑を混ぜてできた茶色は、相当に黒に近いのではないか。そして、さらに懸念されるのは、その「ニア・ブラック」が、今回のFG本社移転方針だけにとどまるのだろうかということだ。

2021年1月 1日 (金)

2つの新銀行誕生

 2021年1月1日 新潟県に2つの新銀行が誕生した。

 ひとつは新潟市に本社を置き、地方銀行として最古の歴史を持つ第四銀行(だいしぎんこう)と、長岡市に本社を置き、県内2位の北越銀行(ほくえつぎんこう)が経営統合して誕生した第四北越銀行。

 既にFG(金融持株会社)として経営統合されているが、傘下銀行を統合して新銀行となった。

 ここからは事実誤認のおそれがあるが、「実質的に」もうひとつの新銀行が新潟県に誕生した。大光銀行(たいこうぎんこう)だ。

 大光銀行は統合した2つの地方銀行とは異なり、第二地銀だ。金融機関が乱立する新潟県には、新潟中央銀行という第二地銀もあった(つまり、地銀・第二地銀計4行が存在した)が、バブル期の過剰な不動産向け融資が不良債権化し、1999年に経営破綻した。

 形式的・実質的に第四北越銀行が誕生したことで、実質的に新たな大光銀行が誕生した。「対抗銀行」として。

 これまで同行は、県内3番目の銀行という立場が続いたが、役割や存在意義が大きく変化し、増大したといえる。

 圧倒的シェアを持つ地銀の対抗銀行として。長岡市に本社を置く地銀として。第四北越に弾かれた(あるいはそこから「名誉ある撤退」を選択した)中小・零細企業の受け皿として。

 天の邪鬼で判官びいきな自分は、大光銀行 ≒ 対抗銀行 を応援しない訳にはいかないと思っている。

2020年10月31日 (土)

こうのとりのゆりかご

コウノトリは「赤ちゃんを連れてくる」と言われる。鳥がゆりかごを口ばしにくわえている姿などが育児用品のイラストに使われたりする。コウノトリが多産な種なのか、一夫一婦の種なのか調べてみたが、そういう生態に言い伝えの起源がある訳ではなさそうだ。

10月25日、熊本県・慈恵病院理事長の蓮田太二理事長(84)が亡くなった。「こうのとりのゆりかご」、通称「赤ちゃんポスト」を設置した方。

「赤ちゃんポスト」は2007年5月に設置された後、2020年3月までに155人の赤ちゃんが預けられたという。育児放棄を助長する等、ポストの設置には批判的な行もあったが、蓮田氏の「捨てられる命を救う」強い理念が、赤ちゃんポストを「なくてはならないもの」にした。

コウノトリは赤ちゃんを運んで来た訳ではなく、コウノトリ(近似種)の営巣・出産・子育てを優しく見守った夫婦が子宝に恵まれた、という話が言い伝えになったものだという。

2007年5月から2020年3月は月数に換算すると155ヶ月。この間に預けられた赤ちゃんは155人。「毎月1人ずつ」、差出人のない命を預かり、宛先のない命を救った彼は、現代のコウノトリだった。

2020年7月 6日 (月)

映画音楽の巨匠、逝く

 「自分の葬式はできる限りシンプルに」と考えている。しかし、もしいくつかのワガママが許されるなら、音楽を流したい。

 世界的な映画音楽の巨匠・エンニオ・モリコーニ氏が7月6日に亡くなった。こうなって初めて、彼のプロフィールに触れた。ローマの国立アカデミーで12歳から作曲を学んだ天才であること。演奏活動、作曲・編曲家を経て、「荒野の用心棒」(1964)や「アンタッチャブル」(1987)などの作曲を手掛けたこと。そして同じイタリア出身のジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)を作曲した。「ニュー・シネマ・パラダイス」は彼の音楽なくしては成立しない。

 葬儀では自分の人生のバックグラウンド・ミュージックだった浜田省吾。そして、映画「追憶」のテーマ「The Way We Were」(バーブラ・ストライサンド)と、「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマを流したい。

 人生にはもう少し時間がありそうなので、選曲は変わるかもしれない。どうしても3曲と決めている訳ではないが、10曲も流すような葬儀は望まない。それではお経の時間と変わらない。

 もうひとつ。葬儀は参列者がいることを想定していない。音楽は「参列者に聞かせるため」に流すのではない。棺桶の中で「自分が聴くため」に。

 今夜は「ニュー・シネマ・パラダイス」のCDを聴いて、エンニオ・モリコーニ氏を追悼しよう。

 彼の音楽は、晴れの日にも雨の日にも、朝にも夜にも、夏でも冬でも、そして、若くても年老いていても、心に響く名曲だ。

2020年4月27日 (月)

山のようなイチゴ、たくさんの野菜

 4月7日に発令された緊急事態宣言下でのゴールデンウィークが始まった。ゴールデンウィークは小旅行に出掛けるのが恒例だが、今年はステイホーム・ウィークに徹しよう。

 自分のゴールデンウィークにはもう1つ、恒例のものがあった。毎年、大型連休の終わり頃になると山のようにイチゴをいただくことだ。

 そのイチゴは多少、小ぶりだが、イチゴ本来の甘味があって、とても美味しい。ただ、そのイチゴは足が早く、朝に摘まれたにもかかわらず、夜には変色し始める。クリスマスケーキに乗っているイチゴや、スーパーで見かける巨大なイチゴが、ムリヤリ作られた「工業製品」であるとすれば、このイチゴは「生き物」であることを強く意識させる。

 イチゴをもらった日は、自分が大人であることを忘れる。大きなザルにいっぱいのイチゴを誰に気がねすることもなく食べた。なぜなら、もう1つの大きなザルに、同じように溢れんばかりのイチゴが盛られていたからだ。

 唇と舌と、多少、Tシャツも赤く染めて、そのイチゴを食べた。「今日がイチゴにとって、人生最大の舞台であること」を知っていたから、何度もアンコールした。イチゴは鳴りやまないアンコールに応えてくれた。

 イチゴをくれたのは妻の親友で、イチゴを育ててくれたのはそのお母さん。

 冬になれば、たくさんの越冬野菜をいただいた。

 鈴なりのイチゴを魔法のように実らせる手のひらを、1度見てみたいと思っていたが、かなわなかった。

 たくさんの野菜と、山のようなイチゴを、ごちそうさまでした。

 合掌。

2020年3月21日 (土)

春の嵐

 今年は例年と比べて春の強風、暴風の日が多い。夜中の雷で目を覚ますこともあった。この風が収まると、桜が芽吹く。

 3月も下旬に入り、4月からの新年度に向けて人が動く話を聞く。噂も届く。

 この歳になると、卒業、入学という話よりも、異動、退職の話を耳にする。

 知人の何人かが退職するという話を聞き、その誰もが、2つの辞める理由を持っていることに気づく。

 「表と裏」。2つの理由だ。

 表の理由は「常に美しい」。やりたいことをやるため。新たな次のステージに進むため。子供や親、家族の理由。自分は辞めたくないが、辞めざるを得ない、という理由も美しい。

 一方で、裏の理由は「常に正しい」。人間関係に疲れて。やりがいのない仕事。組織、待遇等への不満。これらの理由は正しい。

 「何一つ手につかず、何のやる気も起きない」、「目標・ノルマのために寝汗をかく」。これらの理由も、辞める理由として正しい。

 今週、森友問題(近畿財務局が国有地を破格の金額で森友学園に払い下げた問題)で2018年3月に自殺した近畿財務局職員の遺書全文が公開された。

 手記の内容は読むに耐えない。彼が清廉・実直で、公僕としての使命感に溢れた人物であったことは容易に推測できる。

 彼は職を辞することで疑惑の責任を転嫁されたかもしれないが、死を回避することはできた。汚名挽回する機会は残されていたはずだ。

 しかし、それを声高に主張するのはよそう。闘う道を選ぶことは、死よりも苦痛かもしれないからだ。

 春の嵐の後に、桜は芽吹く。清廉な花が散った土壌からは清廉な花が咲くだろう。

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