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カテゴリー「西向きの窓辺」の152件の記事

2020年7月 6日 (月)

映画音楽の巨匠、逝く

 「自分の葬式はできる限りシンプルに」と考えている。しかし、もしいくつかのワガママが許されるなら、音楽を流したい。

 世界的な映画音楽の巨匠・エンニオ・モリコーニ氏が7月6日に亡くなった。こうなって初めて、彼のプロフィールに触れた。ローマの国立アカデミーで12歳から作曲を学んだ天才であること。演奏活動、作曲・編曲家を経て、「荒野の用心棒」(1964)や「アンタッチャブル」(1987)などの作曲を手掛けたこと。そして同じイタリア出身のジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)を作曲した。「ニュー・シネマ・パラダイス」は彼の音楽なくしては成立しない。

 葬儀では自分の人生のバックグラウンド・ミュージックだった浜田省吾。そして、映画「追憶」のテーマ「The Way We Were」(バーブラ・ストライサンド)と、「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマを流したい。

 人生にはもう少し時間がありそうなので、選曲は変わるかもしれない。どうしても3曲と決めている訳ではないが、10曲も流すような葬儀は望まない。それではお経の時間と変わらない。

 もうひとつ。葬儀は参列者がいることを想定していない。音楽は「参列者に聞かせるため」に流すのではない。棺桶の中で「自分が聴くため」に。

 今夜は「ニュー・シネマ・パラダイス」のCDを聴いて、エンニオ・モリコーニ氏を追悼しよう。

 彼の音楽は、晴れの日にも雨の日にも、朝にも夜にも、夏でも冬でも、そして、若くても年老いていても、心に響く名曲だ。

2020年4月27日 (月)

山のようなイチゴ、たくさんの野菜

 4月7日に発令された緊急事態宣言下でのゴールデンウィークが始まった。ゴールデンウィークは小旅行に出掛けるのが恒例だが、今年はステイホーム・ウィークに徹しよう。

 自分のゴールデンウィークにはもう1つ、恒例のものがあった。毎年、大型連休の終わり頃になると山のようにイチゴをいただくことだ。

 そのイチゴは多少、小ぶりだが、イチゴ本来の甘味があって、とても美味しい。ただ、そのイチゴは足が早く、朝に摘まれたにもかかわらず、夜には変色し始める。クリスマスケーキに乗っているイチゴや、スーパーで見かける巨大なイチゴが、ムリヤリ作られた「工業製品」であるとすれば、このイチゴは「生き物」であることを強く意識させる。

 イチゴをもらった日は、自分が大人であることを忘れる。大きなザルにいっぱいのイチゴを誰に気がねすることもなく食べた。なぜなら、もう1つの大きなザルに、同じように溢れんばかりのイチゴが盛られていたからだ。

 唇と舌と、多少、Tシャツも赤く染めて、そのイチゴを食べた。「今日がイチゴにとって、人生最大の舞台であること」を知っていたから、何度もアンコールした。イチゴは鳴りやまないアンコールに応えてくれた。

 イチゴをくれたのは妻の親友で、イチゴを育ててくれたのはそのお母さん。

 冬になれば、たくさんの越冬野菜をいただいた。

 鈴なりのイチゴを魔法のように実らせる手のひらを、1度見てみたいと思っていたが、かなわなかった。

 たくさんの野菜と、山のようなイチゴを、ごちそうさまでした。

 合掌。

2020年3月21日 (土)

春の嵐

 今年は例年と比べて春の強風、暴風の日が多い。夜中の雷で目を覚ますこともあった。この風が収まると、桜が芽吹く。

 3月も下旬に入り、4月からの新年度に向けて人が動く話を聞く。噂も届く。

 この歳になると、卒業、入学という話よりも、異動、退職の話を耳にする。

 知人の何人かが退職するという話を聞き、その誰もが、2つの辞める理由を持っていることに気づく。

 「表と裏」。2つの理由だ。

 表の理由は「常に美しい」。やりたいことをやるため。新たな次のステージに進むため。子供や親、家族の理由。自分は辞めたくないが、辞めざるを得ない、という理由も美しい。

 一方で、裏の理由は「常に正しい」。人間関係に疲れて。やりがいのない仕事。組織、待遇等への不満。これらの理由は正しい。

 「何一つ手につかず、何のやる気も起きない」、「目標・ノルマのために寝汗をかく」。これらの理由も、辞める理由として正しい。

 今週、森友問題(近畿財務局が国有地を破格の金額で森友学園に払い下げた問題)で2018年3月に自殺した近畿財務局職員の遺書全文が公開された。

 手記の内容は読むに耐えない。彼が清廉・実直で、公僕としての使命感に溢れた人物であったことは容易に推測できる。

 彼は職を辞することで疑惑の責任を転嫁されたかもしれないが、死を回避することはできた。汚名挽回する機会は残されていたはずだ。

 しかし、それを声高に主張するのはよそう。闘う道を選ぶことは、死よりも苦痛かもしれないからだ。

 春の嵐の後に、桜は芽吹く。清廉な花が散った土壌からは清廉な花が咲くだろう。

2020年1月 9日 (木)

彼らは山火事を監視しないのか

 オーストラリアでは、昨年(2019年)9月ごろから、大規模な森林火災が続いている。火事による犠牲者は25人を超え、火事は鎮火のメドが立っていない。

 この時期、オーストラリアは「山火事シーズン」なのだという。火災は広大な森林を焼き尽くし、その焼失面積は北海道の面積を上回るという。近隣の都市では煙害が発生し、呼吸器系疾患の発症が危惧されている。

 そしてもうひとつ。有袋類など希少な動物たちが、森林火災の犠牲になっている。おびただしい数の動物たちの命が失われたと報道されている。

 多少、いや、かなり意地悪な感想だが、このような時、「シーシェパード」たちは何をしているのだろう。

 反捕鯨団体・シーシェパードやグリーンピースなど。彼らはこの山火事を監視していないのだろうか。彼らは日本の伝統的クジラ漁やイルカ漁を、漁船への体当たりなどを含む実力行使をもって抗議活動を展開してきた。

 クジラ漁やイルカ漁を、奴隷制度になぞらえるなどして批判してきた彼らの主張が、単にヒステリックなものではないことを証明するためにも、この森林火災の原因究明と責任追及、そして再発防止策を明示するよう活動して欲しい。

 自然科学的には、クジラやイルカよりもオーストラリアの森林に暮らす動物たちの方が希少種だろう。

2019年12月31日 (火)

畳の部屋を土足で歩いた男

 日産自動車の資金を不正に還流させたとして、会社法違反(特別背任)などで逮捕、起訴され、保釈中だった日産自動車前会長カルロス・ゴーン氏が、何らかの手段で日本を出国し、国籍のあるレバノンに入国したとフィナンシャルタイムズなどが報じた。

 東京地裁はゴーン氏の海外渡航禁止を保釈の条件としていた。海外渡航について弁護団は関知していないという。

 この事態を受け、保釈制度を含めた日本の司法制度の不備と検察等の連携不徹底などに非難の声が上がっている。当然、「最強・最高」といわれる弁護団への批判の声も聞こえる。しかし、そこに本質はない。

 カルロス・ゴーンという人物・人格に、遵法意識というものが絶望的にないことが本質だろう。

 日本では彼を崇めた時期があった。彼がやったという経営改革「日産リバイバルプラン」と、その成果・評価についても、日本人は再検証しなくてはならない。

 当時、彼が犠牲にしたもの。

 今回、彼が省みなかったもの。

 そこには確かな共通点がある。

 「彼は目的のためには手段を選ばない」。

 彼は日本という畳の国を、高級な革靴を脱ぐことなく、金銀財宝を持って走り去った。

2019年2月17日 (日)

若者の味方

 土曜の夜、日曜の朝は部屋に籠もって本を読む。休日の、おそらく最も自由な時間をそうやって過ごしているのだから、それが自分にとって「楽しい時間」で「幸福な時間」であることは間違いない。自分が“引き籠もる”要因がもうひとつある。それは「テレビがつまらないこと」。特段、楽しい番組を放送して欲しい訳ではないが、見ていて気分が悪くのであれば避けた方が良い。

 SNSに非常識な動画を投稿する若者が後を絶たない。今日もマスコミは、それらの出来事を社会問題として取り上げている。彼らに同情したり、彼らの肩を持つコメンテーターは、ほぼいない。

 不適切な行為を撮影し、SNSに投稿する人には共通点がある。それは「若者」であることと「アルバイト」であることだろう。人手不足・労働力不足のこの国では、「若者とアルバイト」には相応の比重(重荷、あるいは負担)がかかっている。そのことをマスコミは報道しない。もちろん、「負担があるから動画の投稿が許される」ことにはならない。

 「働き方改革」で、正社員の負担軽減が図られつつある状況下。非正規雇用者やアルバイトのような「すそ野」(あるいは底辺)まで、労働条件改善の波は、どこまで波及しているだろうか。波及などしていない。

 マスコミは「正しい者」の側に立っているが、「弱い者」や「少数派」の側には立っていない。それらの側に立った取材はされず、報道もされない。テレビはスポンサーで成り立っている。動画を上げたバイト店員達が勤務するスポンサー企業は軒並み大企業だ。それらの“下半身”の取材ができるはずもない。

 現在の社会は若者たちが創ったのではない。現在の社会は大人たちが創った。若者たちは「大人たちが創った社会に入ってきた」だけだ。大人たちは「常識でわかるだろう」と言う。では彼らに常識を、いつ・誰が教えたのだろう。教えたとすれば、親や先生や社会を構成する大人たちだろう。教えなかったとすれば、親や先生や社会という大人たちだ。

 常識のない若者に頼らざるえない世の中は、大人が創った。若者たちを嘲(あざけ)る大人たちの姿は、自分には滑稽に、かつ、不思議に思えてならない。なぜならそれは、鏡を見てそこに映る自分自身を嘲笑している姿だと思うからだ。

2018年12月23日 (日)

不穏な空気

 天皇誕生日。陛下は在位中で最後の誕生日となる23日を前に、自身の生涯と自身の御代「平成」を振り返られた。

 多くの叡智と思慮に満ちた言葉の数々。その中で次の一文が名言であり金言。

 「我が国の戦後の平和と繁栄が、多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」

 一方、週末に報じられたニュースの中には不穏な空気が漂っている。

 ①「国連予算の分担率で、日本はこれまで30年以上に渡ってアメリカに次ぐ2位の予算を負担してきたが、次年度から中国に抜かれ3位に後退する」という事実。これに対し、「日本の経済力の相対的低下と、世界第2位の経済力を持つ中国の成長を印象付けた」という報道。

 ②「政府はクジラ資源の管理を担うIWC(国際捕鯨委員会)から脱退する方針を固めた」という事実。これに対し、「日本の国際機関からの脱退は異例。国際社会から協調軽視との批判を浴びることは必至」という報道。

 ③「政府は韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に対して火器管制用レーダーを照射(ロックオン)したことに対し、韓国に抗議した」という事実。

 「アジアとの共生」、「世界との協調」は天皇陛下の“遺言”と受け取ったのだが。

2018年12月 4日 (火)

罪刑法定主義

 師走としては記録的な暖かさを記録した今日、お昼のワイドショーでは各局が「東名あおり事故」の裁判員裁判を取り上げていた。

 東名あおり事故 … 2017年6月、神奈川県の東名高速道路上で、あおり運転で停車させた車に大型トラックが追突。停車させられた車から降り、路上にいた夫婦を死なせたとして、26歳の男が危険運転致死傷罪などに問われている。

 ワイドショーの司会を務めるテレビタレントは被害者や遺族側に立ち、被告を厳罰に処すべきと世論を誘導している。世論もそちら側になびいている。

 「罪刑法定主義」 どのような行為が犯罪であるか、その犯罪に対してどのような刑が科せられるかは、あらかじめ法律によって定められることを要するとする原則。これには4つの派生原則 ① 慣習刑法の排除 ② 遡及処罰の禁止 ③ 絶対的不定期刑の禁止 ④ 類推解釈の禁止 がある。

 被告には厳罰を望む。しかし、それは「予め定められた法律の範囲内」で。

 感情で刑罰が決められる世の中は、恐ろしい世の中だ。

 被告は刑務所ではなく、実社会で罪を償うという道がある。そう考える理由は、被告にとってむしろその方が厳罰だと思うからだ。

2018年12月 3日 (月)

炭坑夫とジャーナリスト

 ロシアではジャーナリストの殺害が日常的に起こる。

 国際的な非営利団体「ジャーナリスト保護委員会」(Committee to Protect Journalists:CPJ)によれば、1992年以降、ロシアでは58人のジャーナリストが殺害されている。

 ロシアの新聞記者がインタビューで「炭坑夫が炭坑に入るように、警察官がパトロールに出掛けるように、我々は取材活動を行う」と語っていた。

 彼は炭坑夫と警察官に例えた真意は「ジャーナリストは、炭坑夫や警察官と同じように、その職を全うしようと思えば、命の危険が伴う職業だ」という矜持だ。

 日本の記者やジャーナリストは、新聞社やテレビ会社、メディアの社員という意識の他に「命を賭した仕事である」という認識を持つ人はどのくらいいるだろうか。自称“ジャーナリスト”が大半だろう。

2018年12月 2日 (日)

皇嗣の見識

 秋篠宮文仁親王(以下、親王)が53歳の誕生日を前にした記者会見(22日)の内容が公開され、皇室行事・大嘗祭(だいじょうさい)について、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べ、公費で賄うとする政府見解と異なる考えであることを示された。

 大嘗祭は、一世に一回の儀式で、新天皇が世の中の安寧と五穀豊穣を祈る儀式。前回、大嘗祭が行われ、公費支出された際にも「政教分離に反する」という批判が一部にあった。

 親王は来年5月に皇嗣(こうし)となる方。その方が「内廷費(皇室の私費)で賄うべきではないか」と、政府方針に疑義を呈したことが「異例だ」と報道されている。この会見で親王は、自身の家族の婚姻に関する報道についても真摯に穏やかに現状認識を示されていた。

 高いバランス感覚を持った、極めて優れた人物なのだと感心し、感嘆した。

 諸外国との皇室外交等で培われた国際感覚。官舎住まいだった后(きさき)を選ばれた庶民感覚。そして、考え方を異にする者たちへの“市民感覚”。

 今回の発言は異例でもなんでもなく、皇嗣の見識に、政府もマスコミも追いついていないだけだろう。

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