感傷的な懐古
時の流れは止むことがない。時代はゆっくりと移り変わり、その変化を明確に感じる時、記憶の中にある“あの頃”と、まるで違う景色の中にいることがある。
見附の「レストラン志なの」(新町)が店を閉めたと聞いた。店の前を通ったら、確かにひっそりとした佇まい。特徴的だったオレンジのサイン看板とガラス戸の料理ディスプレイの灯りが消えていた。昭和40年代に見附で少年少女時代を過ごした人は、初めて食べた洋食が「志なの」であった人は多いと思う。写真は昨年、いつかブログに記したいと店構えを撮影したもの。
同じく「椿食堂」(学校町)も閉店したと聞いた。駅と市街地を結び、市役所と図書館や病院をつなぐ道が交差する場所にあった。遠い記憶の中では、最初の店は見附小学校の西門前、倉井家具店の前にあった。小学生の頃、町内の子供会で椿食堂のラーメン券をもらえたものだった。椿食堂と言えば出前。バイクの「おかもち」を、路面スレスレに疾走する姿が心象風景に残っている。
飲食店に限らず、商売は業績の良し悪しが事業存続の条件になるが、今では跡継ぎの有無が最大のポイントといってもいい。2代目、3代目への代替わりといった個人的な事業承継だけではなく、社会的に事業を継承していく仕組みが、もっと簡易に選択できるようになれば、先人が築いた食文化の遺産や意志を後に遺すことができると思うのだが…。単に感傷的な懐古に囚われているだけだろうか。
町並みが記憶の中にある“あの頃”と変わっても、あの場所に「志なの」があったこと、この場所に「椿食堂」があったことを忘れないでいようと思う。自分がこの世界の景色からいなくなるまでは。