「ドライブ・マイ・カー」
最優秀主演男優賞を受賞した俳優が、プレゼンター役のコメディアンを平手打ちするという、歴史に残る出来事があった第94回アカデミー賞で、日本映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)が国際長編映画賞を受賞した。
いつもなら(「いつも」とは、過去に同じ賞を受賞した「おくりびと」や、カンヌ映画祭で最高賞を受賞した「万引き家族」など)映画館に足を運ぶことはなかったが、この映画のいくつかのプロフィールを知って、足が動いた。つまり、心が惹(ひ)かれた。
「ドライブ・マイ・カー」とは、「ドライブ・マイ・ハート」であり、「ドライブ・マイ・ライフ」ということなのだろう。そのこと自体は、それほど珍しいものではなく、むしろ、ありきたりなテーマ。これは決して批判的な感想ではなく、それはそれでよい。充分だ。
この映画を観て、多少の重さと多少の嫌悪を覚える人はいるだろう(PG-12指定:Parental Guidance)が、鑑賞後には清涼感さえ漂う。
言葉の言い回しが文学的なのは原作者の世界観であるし、そのことも含めて、綿密な設計が施された映画だった。
原作【HARUKI MURAKAMI】 は、おそらく世界中で翻訳本が出版されている数少ない日本人作家。
主要な舞台【HIROSHIMA】 は、おそらく世界中で知られている日本の都市。
ある意味“主役”である「マイ・カー」【SAAB】は、車を製造するどの国の観客にも公平だ(SAABは、かつてスウェーデンに存在した自動車メーカー。自動車製造部門は2011年に破産)。
そして、最も綿密で、挑戦的、核心的、かつ、確信的な設計は「アジアの宥和」だった。
「ヘイト・スピーチ」に代表される、アジアに漂う不穏な空気感。この国に蔓延し、定着した感もある嫌韓。そうなってから、10年、15年以上になるだろうか。この映画の中では、異なる国の人たちが協力・協業したことで、見事な作品が制作されている。映画のエンドロールではまるで日韓、あるいは日本・アジアの合作映画のように、アジア人俳優・スタッフのクレジットが流れる。
「ドライブ・マイ・カー」とは、「ドライブ・マイ・ハート」であり、「ドライブ・マイ・ライフ」であり、「ドライブ・マイ・カントリー」という意味だろう。
「この国、日本は、極東の、この場所で生きていくしかない」というメッセージを受け取った。
過大な解釈だろうか。