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カテゴリー「雑感」の250件の記事

2022年3月30日 (水)

「ドライブ・マイ・カー」

 最優秀主演男優賞を受賞した俳優が、プレゼンター役のコメディアンを平手打ちするという、歴史に残る出来事があった第94回アカデミー賞で、日本映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)が国際長編映画賞を受賞した。

 いつもなら(「いつも」とは、過去に同じ賞を受賞した「おくりびと」や、カンヌ映画祭で最高賞を受賞した「万引き家族」など)映画館に足を運ぶことはなかったが、この映画のいくつかのプロフィールを知って、足が動いた。つまり、心が惹(ひ)かれた。

 「ドライブ・マイ・カー」とは、「ドライブ・マイ・ハート」であり、「ドライブ・マイ・ライフ」ということなのだろう。そのこと自体は、それほど珍しいものではなく、むしろ、ありきたりなテーマ。これは決して批判的な感想ではなく、それはそれでよい。充分だ。

 この映画を観て、多少の重さと多少の嫌悪を覚える人はいるだろう(PG-12指定:Parental Guidance)が、鑑賞後には清涼感さえ漂う。

 言葉の言い回しが文学的なのは原作者の世界観であるし、そのことも含めて、綿密な設計が施された映画だった。

 原作【HARUKI MURAKAMI】 は、おそらく世界中で翻訳本が出版されている数少ない日本人作家。

 主要な舞台【HIROSHIMA】 は、おそらく世界中で知られている日本の都市。

 ある意味“主役”である「マイ・カー」【SAAB】は、車を製造するどの国の観客にも公平だ(SAABは、かつてスウェーデンに存在した自動車メーカー。自動車製造部門は2011年に破産)。

 そして、最も綿密で、挑戦的、核心的、かつ、確信的な設計は「アジアの宥和」だった。

 「ヘイト・スピーチ」に代表される、アジアに漂う不穏な空気感。この国に蔓延し、定着した感もある嫌韓。そうなってから、10年、15年以上になるだろうか。この映画の中では、異なる国の人たちが協力・協業したことで、見事な作品が制作されている。映画のエンドロールではまるで日韓、あるいは日本・アジアの合作映画のように、アジア人俳優・スタッフのクレジットが流れる。

 「ドライブ・マイ・カー」とは、「ドライブ・マイ・ハート」であり、「ドライブ・マイ・ライフ」であり、「ドライブ・マイ・カントリー」という意味だろう。

 「この国、日本は、極東の、この場所で生きていくしかない」というメッセージを受け取った。

 過大な解釈だろうか。

2022年2月 8日 (火)

アクムノマスク

 2020年に新型コロナウイルス対策として配布された、いわゆる「アベノマスク」。この布製マスク(不織布製よりも感染防止効果が薄いとされる)の在庫が約8300万枚ある。この大量在庫を無償配布する計画が持ち上がり、その費用が10億円と試算された。

 これを受けて担当大臣は「配布コストをある程度かけても、国としては廃棄コスト以上のコストをかけてならないという理屈ではない」と「配送費の国費負担」を容認する姿勢を示した。

 無恥な安倍氏を許容しない学者や評論家は彼の経済政策「アベノミクス」を「アホノミクス」と揶揄・批評した。自分は以前、このブログで「アベノミクス」とは「アクムノミクス」だと記した。それらをなぞって「アベノマスク」は「アホノマスク」であり、「アクムノマスク」だと言える。この布製マスクの調達には国費400億円以上が投入され、在庫処分(配布費用)に約10億円を要し、廃棄処分した場合の費用は約6000万円と試算されているからだ。

 1976年に田中角栄元首相が収賄等の疑いで逮捕された「ロッキード事件」で、田中が収受した“賄賂(わいろ)”は5億円だった(1995年に最高裁で5億円収受を認定した有罪判決が確定)。もちろん、この比較には何の意味もない。しかし、田中は自身の私腹を肥やすことだけに囚われていた訳ではない(ロッキード事件は田中角栄の石油政策が原点とする中曽根康弘元首相の著書を信用)。

 「アクムノマスク」の教訓は「ロッキード事件」のそれよりも重いと、個人的には考えている。

2021年12月 5日 (日)

斜めの心

 いわゆる「あおり運転」の映像がワイドショー番組で流されていた。他者の運転に腹が立ったためにクラクションを鳴らしたり、幅寄せをしたり、車間を詰めて走行する等の行為は「妨害運転罪」として処罰されることもある犯罪行為。近年はドライブレコーダーの普及によって、その犯罪行為が記録されることが珍しくない。

 その映像は犯罪行為の記録映像であるから、悪質で嫌悪感を覚えると同時に、「自分ならどうやって対応できたか」と考え、また、どこかでは「自分でなくてよかった」と思うことが多い。そしてもうひとつ、必ず思い浮かぶ感情がある。それは「本当にあおった側だけに責任があるのかな」という感情だ。

 今回の映像では映像の提供者である被害者がインタビューにも答えていた。要約すれば、「(この映像を広く認知することで)加害者には反省と再犯防止を誓って欲しい」との内容だった。極めて模範的な被害者だ。

 被害者に落ち度はないが、映像を番組で取り上げ、放送する側(製作者、取材者)には大きな過失があるように思う。

 公共の電波を使って番組のコンテンツとして使用するのであれば、その目的は、被害者の言う「加害者の更生と再発防止」にとどまらず、「犯罪=妨害運転の抑制」につなげたいという目的が加わるはずだ。そうなった時、取材者は被害者に質問しなければなないことがある。

 それは「なぜ加害者はあおり運転を始めたと思いますか?あおり運転のきっかけとなった出来事はありましたか?」と。

 もちろん、その類の加害者は理由もなく「あおる輩(やから)」もいるだろう。しかし、そのきっかけが何だったのかを突きとめなければ、あおり運転の全容は明らかにならない。火薬は自分からは発火しないはずだ。

 あおり運転の加害者は映像に残る音声でこう言っていた。「1番に頼ってんじゃねーよ」。被害者の好青年(のように見えた)は、車のナンバーに「1」を使用しているようだった。つまり加害者は、被害者の車両ナンバーが「1」であることにも(他の理由と併せて)腹を立てたのだ。

 この加害者の音声を聴いた時、この妨害運転罪のジャッジが自分の中で少し変化した。「被害者ゼロ、加害者100」から、「被害者0.1、加害者99.9」くらいだろうか。

 自分には「1番に頼ってんじゃねーよ」の心が、かすかにわかる気がしたからだ。犯罪者を擁護するつもりはこれっぽっちもない。この感覚がわかるのは、「斜めの心」を持った人たちだけだろう。

2021年9月 3日 (金)

駕籠に乗る人 担ぐ人

 9月3日 菅義偉総理大臣は今月実施される自民党総裁選に立候補しないことを表明した。真っ先に反応したのが株式市場。3日の日経平均株価は584円急騰し、その後も株価は上昇基調に転じている。マーケットの参加者は、次の首相とその政策に期待という先取りに動いているのだが、一国の首相が経済の重しになっていたという受け止め方もできる。

 菅首相の選択については驚きもあったが、最近の表情や言動から、意外性や衝撃性はなかったように思う。田中角栄元首相(1918-1993)の秘書を長く務めた早坂茂三氏(1930-2004)に「駕籠(かご)に乗る人 担(かつ)ぐ人」という著書がある。菅氏は安倍前首相の駕籠をうまく担いだ人。駕籠に乗る人ではなかった。伊藤正義氏(1913-1994)のように、首相の椅子を固辞(1980年、1989年)した人もいる。

 菅首相は長くはない在任期間の全てを新型コロナウイルス対策に追われた。その対応に批判の声もあったが、他の誰がやっても大差なかっただろう。そして、2020東京オリンピック・パラリンピック開催時の首相として長く映像記録に残されるだろう。

 次期総裁選には7人前後の名前が取り沙汰されている。どの人物も「小粒」に感じるのは、自分が年をとったからなのか。

2021年8月11日 (水)

蝉、コオロギ、オニヤンマ

 東京オリンピックは真夏の競技大会だったが、閉会式は立秋(8月7日)の翌日だった。その東京オリンピックの閉会を待っていたかのように、台風10号が来た。強風はベランダの草木の鉢を転がした。久しぶりに降った雨と風が収まった夜、コオロギの鳴き声を聞いた。まだ蝉も鳴いている。週間の天気予報は傘マークが並び、最高気温が30度に届かない日もある。今朝は街を走る車の数が激減していた。オリンピック対応の休日変更がなければ、今日11日が「海の日」。海の日から15日までが一般的な企業の夏休みだからだろう。今日は立派なオニヤンマを見た。羽音をブルブルといわせ、体色は芸術作品のようだ。通勤路には蝉が腹をみせて転がっている。人の足音や気配を感じると、彼らの多くは息を吹き返し、「俺はまだ生きていること」を誇示するかのように、蛇行する。秋が近い。

2021年1月31日 (日)

言葉と刃物

 人間の社会は、長い間、暴力に支配されていた。現在、そこから解き放たれたと仮定して、そこから解放後の時間は、あまりにも短い。

 人間の歴史、人類のほとんどの時間は、暴力・武力によって支配されてきた。

 暴力が支配していた時代が、ついこの前まであった。それは暴力が肯定されていた時代。

 やがて、暴力が否定される時代になり、言葉が力を持つ時代へと変わった。その文明的な世界では、暴力は肯定されず、正当化もされない。暴力は何も解決しない。

 しかし、世界はどうか。依然として、紛争地では暴力と武力が人々を支配し続けている。力を持たないはずの、何も解決しない、意味がないはずの暴力が、そこでは意味を持っている。

 我々の国では「きれいごと」が通用しているに過ぎない。 

 言葉はどうか。ようやく社会では、パワハラ・セクハラ・モラハラと、多数のハラスメントが犯罪として認定されるようになった。力を持った言葉が、言葉の暴力という力を持った。言葉によって人は傷つき、死を選択する人もいる。

 人は武器を言葉に替えたはずだが、人は言葉を武器に変えた。

 さて、およそ民主的な方法で選出されたとは言い難い現在の首相に対し、国会で野党の女性議員が投げかけた言葉が「失礼だ」と批判・避難されている。首相自身も女性議員の言動に対し「失礼だ」と答弁した。

 今国会は与党議員の無責任な行動を問いただす場だった。議論が白熱し、論調がヒートアップすることは当然ではないか。

 なぜなら、その言葉は「異議申立ての言葉」だったからだ。

 異議申立ての言葉が、刃物のような鋭さや重さ、そして強さを持たなければ、何も変わらないのではないか。

 パワハラ・セクハラ・モラハラ等々、言葉は暴力だと認定されている。

 言葉は暴力であり、刃物だということに疑いの余地はない。言葉は紛れもない武器なのだ。

2021年1月26日 (火)

人が人にできるたったひとつのこと

 それは「とことんつきあうこと」、「ずっと寄り添うこと」。それだけと思う。

2020年4月23日 (木)

在宅勤務

 新型コロナウイルスの感染拡大防止の一環で、人生初の在宅勤務になった。

 システム、セキュリティ上の準備が整わず「テレワーク」も叶わず。在宅勤務=自宅待機状態。

2020年3月19日 (木)

仕事と体形

 人は体形を持っている。単純に区分すれば、やせ型、標準型、ぽっちゃり型やがっちり型ということになる。

 背の高さによるバランスにもよるし、年齢、性別、職業などの影響も受ける。

 当然、先天的・遺伝的な理由があり、後天的には、食べることや飲むことが好きだとか、体が必要とする以上にたくさん食べることなどが体形に影響する。

 体形は、その人のキャラクターに成り得る。ぼっちゃり型の方が、キャラクターになりやすい。やせている人気キャラはいない。

 欧米などの企業では、太っていることが自己管理力の欠如と捉えられることがあるという。この考え方には、先述した先天的なものの要因があるので全面的には賛成できない。

 しかし、その人の「仕事そのもの」を目の当たりにした時、その評価基準として、体形が一つの参考になり得る。

 ぽっちゃり型とか、がっちり型とかいうのでなく、明らかに巨体・巨漢の人(100キロとか120キロとか。もちろんスポーツ系の人物は除く)がいる。

 そういう人は、食べ物や飲み物の過剰摂取や運動不足という理由もあるが、最大に過剰摂取しているものは「甘え」だと思う。

 「組織の甘い汁を吸っている人物」。自分はそう考えている。

2020年3月12日 (木)

パンデミックと聖火式

 3月12日の出来事。世界史や日本史の1ページになるような出来事ばかり。

 1.WHOは新型コロナウイルスが「パンデミック」(世界的な大流行)であると宣言した。

 2.ギリシャのオリンピア遺跡のヘラ神殿跡では東京オリンピックの聖火採火式が無観客の中で行われた。

 3.日本では「緊急事態宣言」を可能にする新型インフルエンザ等対策特別措置法改正案が衆院を通過した。「私権制限」を可能とする法案だ。

 4.アメリカのトランプ大統領は新型コロナウイルスの感染拡大防止措置として、英国を除く欧州から米国への入国を30日間停止すると発表した。

 聖火は20日に、日本に到着する。聖火は東日本大震災の被災地を巡った後、国内をリレーされる。聖なる火が国内を回る頃、感染者数を示すグラフが減少に転じることを願うばかり。しかし、現実的にはオリンピックの開催は難しいだろう。

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