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カテゴリー「浜田省吾」の15件の記事

2018年7月14日 (土)

絵画としてのバンダナ

20180707_3 ようやく「浜田島」のバンダナを額装。田島照久氏のツィッターで観た銀色のスチール製のフレームがイメージにあったものの、実際はブラウンの木製。

 浜田省吾グッズの定番であるバンダナ史の中で、歴史に残る名品だろう。

2018年3月30日 (金)

Down by the Mainstreet

 15歳の夏は長い夏だった。6月の中旬に部活を引退した後、夏休みまでひと月あった。夏休み直前、仲間4~5人で夜の学校のプールに忍び込み泳いだことがあった。翌日、そのプールでいつものように水泳部が練習している光景が不思議だった。昨日泳いだ夜のプールとはまるで違う場所のように思えた。違うのは時間だけなのに。

 夏休みはたいして受験勉強もせず、9月に行われる体育祭の準備に忙しく過ごした。仲間の何人かは違う何かに興味を持ち始めていた。夏休みを境に、それぞれが歩く人生の方角に視線が向いていた。わずかひと月かふた月前までは体育館でバスケットボールをパスしあい、ドリブルしているだけで、時は流れたが、もうその時計は動かないようだった。

 半年が経ち、春は短い春だった。ちょうど今頃の季節だ。卒業式のあと、別れを惜しむように友達と何度も会った。部活の仲間とは距離ができ、同じクラスの仲間たちと会うことが多くなっていた。

Mainstreet 浜田省吾のアルバム「Down by the Mainstreet」に収録されている「Edge of the knife」では、真夜中の高校のプールに忍び込んだ男女が、水着もつけずに泳ぐシーンが描かれている。 

 自分の年齢と浜田省吾のオリジナルアルバムを併記してみる。

 13歳 愛の世代の前に 14歳 PROMISED LAND 16歳 Down by the Mainstreet 18歳 J.BOY 20歳 FATHER'S SON 22歳 誰がために鐘は鳴る 25歳 その永遠の一秒に 28歳 青空の扉 33歳 SAVE OUR SHIP 37歳 My First Love 47歳 Journey of a Songwriter

 16歳で聴いた「Down by the Mainstreet」は地方の中小都市で生まれた少年たちが主人公だった。最も多感な時期だったからか、詩の中の少年と自分を重ねていた。金属の柵を越えて中学校のプールで泳いだのは1983年だ。「Down by the Mainstreet」は翌年の1984年に発表された。彼は「少年たちが金網を越えてプールに入ること」を知っていた。そして、その場面を歌詞として切り取ることができる。浜田省吾の能力や魅力はそういうところにある。

 彼のアルバムを順位付けすることはできないが「自分の人格形成に最も影響を受けたレコード(CD)」といえば、この「Down by the Mainstreet」になる。「Edge of the knife」は夏の歌で、夜のプールも夏の記憶なのに、自分にとっての「Down by the Mainstreet」は春のちょうど今頃のイメージで記憶されている。

 毎日顔を合わせていたクラスメイトとは卒業を機に会わなくなった。何人かは通学の電車で顔を合わせることがあったが、会話することもなくなっていった。

 あの春休みから34年の歳月が過ぎた。あの日以来、1度も会っていない友人もいる。友人は知人になり、今ではもう他人かもしれない。

2018年2月25日 (日)

Favorite composition

 昨日の続き

 「レイト・フォー・ザ・スカイ」は1974年9月13日に発表されたジャクソン・ブラウンのレコードアルバム(左)

 「タクシードライバー」は1976年2月8日に公開されたマーティン・スコセッシ監督のアメリカ映画(中)

 「愛の世代の前に」は1981年9月21日に発表された浜田省吾のレコードアルバム(右)

 この構図、デザインは自分のストライクゾーン。もちろん、音楽と映画も。

Late_for_the_skyTaxi_driverShamada

2018年1月 9日 (火)

HAMADA ISLAND Ⅴ

200907Hamadaisland_5 2009年7月 横浜の赤レンガ倉庫で第1回が開催された「浜田島」。会場の広場にあったディスプレイの写真が1枚だけ残っていた。

 2018年1月 今回、5会場目の開催で、この試みは一段落と伝えられている(画像はHPから)。昨日が最終日だった。時間はあったが、足が向かなかった。

 この間、8年6ヶ月 = 102ヶ月 = 442週 = 3,100日 = 74,400時間

 自分は、彼の時間に、自分を重ねてみることで、自分の位置を確認してきたような人生だった。彼の弛(たゆ)まぬ足取りは、一時も途絶えることがない。年齢を重ねるほど、そのことがどれだけ難しいことかを知る。

2017年9月23日 (土)

The Moonlight Cats Radio Show

Whats_going_on 浜田省吾と彼のツアーバンドメンバー(The J.S. Inspirations)が、R&Bの名曲をカバーしたアルバム「The Moonlight Cats Radio Show Vol. 1 ・ Vol. 2」が9月6日に発売された。同日、Vol. 1最後の曲「What’s Going on」のミュージックビデオが公開された。   https://youtu.be/vaywEzsviuU

 マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)の代表作のカバーはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が提供する難民の写真が使われている。映像を観て、このカバーアルバムがベテランミュージシャンと共に肩の力を抜いて作られたという形式を取りながらも、骨太な意味を併せ持っていることに気づかされる。

 浜田省吾はシンガーソングライターであるが、彼の本質は詩人であること。そして、ジャーナリスティックな視点を持っていることだと思う。彼は近年、UNHCRとその啓蒙活動に力を貸している。UNHCRは紛争や迫害により難民や避難民となった人々を支援し、その問題解決に向けて活動している国連機関。紛争や迫害を逃れ、家を追われた人の数、移動を強いられた人の数=難民(refugees)は前年比30万人増加し6,560万人いる。その数は過去最多を更新し続けている。

 彼のファンは100%、良識ある人々だ。彼は音楽を通じて、良識ある人々の心を揺さぶることで難民救済を働きかけている。難民問題と無縁ではいられないことを見通しているからだ。

The Moonlight Cats Radio Show Vol. 1

 1. Soulful Strut(Instrumental)  2. My Cherie Amour  3. Mercy, Mercy, Mercy  4. You’ve Really Got a Hold on Me  5. Will You Still Love Me Tomorrow  6. What’s Going on

The Moonlight Cats Radio Show Vol. 2

 1. The in Crowd(Instrumental)  2. My Girl  3. The Supremes Medley(Stop! In the Name of Love~You can’t Hurry Love)  4. Crazy Love  5. This Boy  6. Ain’t No Mountain High Enough

2017年4月29日 (土)

「誓い」という出合い

Dsc_0438 一昨年、2015年(平成27年)4月29日にリリースされた、浜田省吾10年振りのオリジナルアルバム「Journey of a Songwriter ~旅するソングライター~」

 最後の17曲目にある「誓い」

最後まで諦めずに闘った友を 小雪舞う初冬の朝 仲間と見送る 陽気な男だった 涙は似合わない 飲もうグラスに無邪気な思い出満たして 弾こうギターに敬う心を託して そして再会の時を今ここに誓う

最後まで案じてたこの国のゆくえ 愚かさの果てにある 悲劇を見据え 遺した志は 世代が引き継ぐ 飲もうグラスに不屈の希望を満たして 弾こうギターに朽ちない理想を託して そして再生の時を今ここに誓う

海に漕ぎ出そう 生まれたところへと 長く短い旅の終わりを祝って 飲もう グラスに無邪気な思い出満たして 弾こうギターに敬う心を託して そして再生の時を今ここに集う すべての心ある仲間と誓う

 人は人生で多くの人と出会い影響を受ける。

 人は人生で多くの本と出会い影響を受ける。

 人は人生で多くの歌と出会い影響を受ける。

 当時、この曲と出合ったことで、決断の詩(うた)になった。

2016年11月11日 (金)

急性声帯炎を案じる

Mainimg13_2 1週間前の金曜日にメール配信された「浜田省吾ツアー 公演延期のお知らせ」に驚いた。「11月5日(土)、6日(日) マリンメッセ福岡にて予定しておりました『ON THE ROAD 2016 “Journey of a Songwriter” since 1976 』は、本人の急性声帯炎、急性咽頭喉頭炎の為、公演を延期させていただくこととなりました」というもの。

 彼は1952年12月生まれ。来月には64歳になる。ライブ・ツアーを活動の根幹とし、少々のことではライブに穴を空けない。そのことは40年のキャリアが証明している。だからこそ、長年のファンは心配する。

 彼が「ライブは一期一会」と口癖のように言うこと。昨年、“Journey of a Songwriter”のリリースがオリジナルアルバムとしては前作“MY FIRST LOVE”から10年経過していたことについて、「自分の音楽を記録するために必要な時間だった」と語ったこと。ファンに対し「僕の歌を人生のバックグラウンドミュージックに選んでくれてありがとう」と話すこと。「千里の馬」(下記リンク)のようなエピソードを記していること。

 枚挙にいとまがないが、つまり、彼は“誠実”なのだ。

 これまで、人生の様々なシーンで、彼と彼の歌に励まされたり、癒されたり、気づかされたりしてきたのは、彼がシンガーソングライターであり、詩人であり、更には“ジャーナリスティックな視線”を持っているから。

 多くのファンが彼を想い、慕い、信じてきた。来週、横浜アリーナでのライブが予定されている。横浜で、あるいは次の名古屋で復帰することを願っています。しかし、「声帯、咽頭、喉頭」それぞれの炎症を軽く扱わないで欲しい。

 私と同じように、多くのファンの人生の傍らには、常に、彼のレコードやCDがあった。これからもずっと、彼に存在し続けて欲しいから。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/09/post-b87c.html

【追記】本日、延期された福岡公演の開催日程がメール配信された。「横浜で復帰」に前進している証拠と受けとめたい。

2016年11月10日 (木)

J.BOY 30th Anniversary

W002 浜田省吾「J.BOY 30th Anniversary Box/Edition」がリリースされた。奇しくも、11月9日にリリースされたことで、再び、強く記憶に残ることになった。

 「J.BOY」には“国”という言葉が出て来る。そして、「AMERICA」という曲もある。アメリカ合衆国の新たな大統領に、評論家・学者・ジャーナリスト・アナリスト等、識者のほとんどが予想できなかった人物が就任することが決まった日。

 「J.BOY」が発売された1986年9月4日。俺は高校3年生だった。夏休みが終わってすぐ。あの頃、「J.BOY」を聴いて育った世代が、社会で影響力を持ち、組織で決定権を持つような世代になった。

 世の中では、「山のような仕事を抱え“逝った彼女”」が、社会の病巣をあぶり出した。「頼りなく豊かなこの国」の本質は、何も変わっていない。「J.BOY」のメッセージを、次の世代にも繋げていきたいと思う。

 ※今日のブログ内容は一部変更して“Journey of a Songwriter” since 1976 ツアーサイトのAfter Showに11/10投稿

2016年10月25日 (火)

陽が当たらない文学へ

 浜田省吾はデビュー曲「路地裏の少年」(1976年)の中で、“古ぼけたフォークギター 窓にもたれ覚えたての「風に吹かれて」 狭い部屋で仲間と夢描いた いつかはこの国 目を覚すと”と歌った。そして、30年経った「初恋」(2005年)では、歌詞として"Bob Dylan" "The Young Rascals" "The Beach Boys"と歌っている。

 彼に限らず、ソングライターに限らず、ボブ・ディランに影響を受けた人は無数にいる。ボブ・ディランが「新しい詩の表現を創造した」との理由で歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した。ノーベルアカデミー(選考委員)は古代ギリシャの吟遊詩人・ホメーロスや女性詩人・サッポーに比肩するとも語っている。

Bob_dylan アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明し「死の商人」と呼ばれた一面を持つ。彼の死後、残された莫大な遺産でノーベル賞が創設された。ノーベル賞のうち、化学賞、物理学賞、生理学医学賞は科学分野の最も権威ある賞として定着している。一方、平和賞、経済学賞、文学賞は選考するノーベルアカデミーの意向、思想・イデオロギーが反映される。

 賞には「授賞と受賞」2つの側面がある。更に授賞側には「受賞者の功績を讃える」という本質的な意味合いとともに、「賞の価値を高めること」という意味もある(これはノーベル賞に限ったことではない)。一方、受賞側は簡単。「欲しいか」「欲しくないか」。日本の叙勲制度のように“立候補”かどうか。

 今回、ノーベルアカデミーは、文学賞の環(対象者)の拡大に挑み、“ボブ・ディランの名前を借りて”そのことを高らかに宣言したように思える。反戦・反核、反権力の大詩人であるボブ・ディランが歓喜して受賞すると考えたのだろうか。

 これまでの文学賞の範疇で受賞者を選考した時、該当する文学者はいなかったのか。誰も選べなかったのか。その枠組を造り替えてでも、ボブ・ディランに授賞する意味は何なのか。彼の功績はすでに讃えられており、また、立候補するとは到底考えられない。文学賞の環を拡大したいとする「授賞側の論理」、選考委員のおごりが透けて見える気がする。

 陽の光が当たらない文学に光を照射することはできなかっただろうか。そのことが受賞側の名声と授賞側の権威を上げたのではないか。ボブ・ディランは、すでに金も名誉も得ている。30年以上「ネバー・エンディング・ツアー」を続ける彼は、この先もずっと歌い続けるだろう。本物の吟遊詩人だ。

 1964年、フランスの実存主義哲学者 ジャン・ポール・サルトルはノーベル文学賞を辞退している。現在、ボブ・ディランは受賞の意思を明らかにしていない。辞退するのか、受け取るのか。ありきたりだが、その「答えは風に吹かれている」ということになる。

【追記】ノーベル財団が10/28(日本時間10/29)発表。ボブ・ディラン氏はスウェーデン・アカデミーに賞を受け入れる意向を示し、「栄誉に感謝する」と伝えた。

2016年9月19日 (月)

ON THE ROAD 2016

Shogo20160918 浜田省吾 ON THE ROAD 2016 “Journey of a Songwriter” Since 1976 TOUR

  9月18日ビッグハット(長野市多目的スポーツアリーナ)2日目に参加。

 「デビュー40年」を迎えた彼は、とても63歳とは思えない。

 14歳、中学2年でファンになってから、自分を彼に投影することで、人生の確認作業のようなことをしてきたと思う。現在48歳の自分を、彼の48歳当時の姿に投影してみる。そして、63歳の自分は何をしているだろうとも想う。彼の音楽は、常に人を感傷的にさせる。それだから、また聴きたくなる。

   以下は蛇足。「ライブに参加」、「ライブを鑑賞」、「ライブを観覧」。ここまでが正しい日本語。「ライブに参戦」と表現する人がかなりいるが、とても違和感のある嫌いな表現だ。バブル期の香りがする。昔の人、古い人だなと。

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 ツアートラック みんな記念写真を撮っていた。  長野ビッグハット 開場時間はかなり強い雨だったが、ファンは整然と並ぶ常識人ばかり。

 以下はON THE ROAD 2016 ツアーサイト「After Show」に投稿 

 強く降った雨がライブ終了の頃には上がって、ビッグハットの外は心地よい風が吹いていました。自分よりも、かなりはしゃいでいた妻は「ハマショー、カッコよかったねー」と言った後、すぐに寝てしまったので、2時間半くらい一人でドライブして帰宅しました。ライブは「セラーから熟成された芳醇なワインを取り出して振る舞ってくれた」そんな印象です。近年、自分と自分の周囲に様々な出来事が起こりましたが、やはり、こうしてライブに出掛けると、浜田さんが太陽や月のように足元を照らしたり、自分の位置を確かめさせてくれます。「かけがえのない存在」に感謝します。

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