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カテゴリー「映画・テレビ」の29件の記事

2018年12月 1日 (土)

朝まで生テレビ

 昨日の深夜に放送された「朝まで生テレビ」の録画を見終わった。それこそ学生の頃は、本当に朝まで見ていた。もう30年近く前になる。

 今回のテーマは「激論!外国人労働者問題と日本の未来」。このテーマは「30年前と一緒だな」と思っていたら、番組HPにそのことが記されていた。

 「朝まで生テレビ」では、1990年の入管法改正を前に「激論!開国 or 鎖国 どうする外国人労働者」(1989年10月)を放送しました。あれから約30年。果たして何がどう変わったのでしょうか。改めて、人口減少の実態、外国人労働者を受入れ、共生している自治体の実状を含め、外国人労働者問題と日本の将来について徹底討論する」(抜粋)

 つけ加えるなら「激論!外国人急増!ドーするニッポン」(1992年1月)の記憶も残っている。

 在日外国人は約264万人(法務省)。これは都道府県人口13位の京都府の人口よりも多い。外国人労働者は約128万人(厚労省)。これは同じく31位の青森県の人口を凌ぐ。長岡のような田舎でも、外国人労働者を見かけることが珍しくなくなった。

 外国人労働者の受入れや処遇、そして外国人の移民問題の本質は、日本の少子高齢・人口減少の問題。彼ら、彼女らの力を借りなければ、この国は生き延びて行くことはできず、国が成り立たない。

 政府が入国管理法の改正を急ぐ大きな理由が、経済界・産業界との“バーター取引”であることは容易に想像がつく。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/06/post-feb3.html

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/11/post-06f8.html

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/11/2-c9e3.html

2018年11月25日 (日)

ぶらり途中下車のラーメン

 テレビ新潟(TeNY)で毎週日曜11時40分から放送されている「新潟一番サンデープラス」。この番組で定期的に特集・放送されるシリーズ「ぶらり途中下車のラーメン」を楽しみにしている。

 県内のローカル線を丹念に巡り(本当に乗車しているかは不明)、土地土地(駅々)のラーメン店を紹介していく。これまで信越本線編や弥彦線編が放送され、今日は飯山線の3回目だった。

 ラーメンの紹介は各地のミニコミ紙や雑誌、ラーメンを特集した本やクーポン券が付属しているもの等、様々ある。しかし、ラーメンの温度、店や店主の雰囲気などの情報は映像でなければなかなか伝わらない。

 番組で取り上げられる店、ラーメンは誰もが知っているような有名店ばかりではない。家族経営の零細店舗、地道な料理人、“ラーメン職人”たちの姿などが映され、ラーメンを取り上げているようで、実は「人」を描き出している。

 全てのラーメンには、土地の食文化があり、食べてもらうためのアイデアがあり、作り手の歴史と想いがある。少々大げさだが、このシリーズを見ていると食欲よりも幸福感を感じる。

    番組のHP https://www.teny.co.jp/1ban/

2018年9月11日 (火)

峠 最後のサムライ

 越後長岡藩の家老・河井継之助(1827年-1868年)の生涯を描いた小説「峠」(司馬遼太郎 1968年刊)が映画化され、2020年に公開される。「峠」はそれまで名前を知られていなかった河井継之助を世間に広めた作品。発刊以来54年間の累計発行部数は300万部以上にのぼるという。

 映画の監督・脚本は、数々の黒澤明監督作品に携わり、監督としても名作を撮っている小泉堯史氏。河井継之助を演じるのは役所広司。彼は2011年公開の映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」で山本五十六を演じている。

 キャストは他に(役所広司と師弟関係の)仲代達也、田中泯、香川京子ら。そして永山絢斗、渡辺大、東出昌大という“新潟県にゆかりある”若手俳優もキャスティングされている。

 河井継之助を紹介する文に「惻隠」(そくいん)という言葉が出てくる。「かわいそうに思うこと、同情すること」の意味を持つ言葉。この映画の制作が決定されたのは嬉しいニュースだが、今年公開とならなかったのは残念ことでもある。それは今年が戊辰戦争終結後150年、河井継之助没後150年、「峠」刊行後50年と節目がそろう年であることがひとつ。そして、「惻隠」とは真逆の思想が横行している世の中に問いかけることができただろうという思いがひとつ。

 惻隠の反対語は忖度(そんたく)ではないか?と思う。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/cat24082190/index.html

2018年8月15日 (水)

トラック野郎と沖縄

2018_bsugawara 終戦記念日

 先週8月8日、翁長(おなが)沖縄県知事が死去したニュースは「ニュース速報」として流された。これは推測だが、他県の知事が亡くなったとしても「速報」されないだろう。

 県民生活に寄り添い、保守政治家でありながら中央政府に敢然と立ち向かう姿が、度々、ニュースで伝えられていた。自らの死を伝える報道が、「未だ終戦を迎えていない沖縄」を照射した。

 知事死去の速報が流された夜、録画していた「トラック野郎 御意見無用」(1975年)を鑑賞し、本棚から雑誌「現代思想」2015年4月臨時増刊号を抜き出した。「トラック野郎」の主演は菅原文太、「現代思想」の特集は「菅原文太 反骨の肖像」。

 菅原文太(1933年・昭和8年8月16日-2014年・平成26年11月28日)という俳優がいた。芸名のような名前は本名で、「仁義なき戦い」や「トラック野郎」という大ヒットシリーズの主役を張った。

 彼が亡くなる数ヶ月前に沖縄知事選(2014年)で翁長氏の応援演説をする姿を思い出した。

 「沖縄の風土も本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです」。“「トラック野郎と沖縄”は決して無関係ではなかった。

 彼の映画の数々が優れた娯楽作品だったことは言うまでもない。しかし、映画の中の彼がアウトローやアナーキーなヒーローを“完全に演じていただけ”だと知ったのは彼が俳優をセミリタイアした頃だった。自分は“演じていない彼”に興味を持った。

 名優は数多くいる。政治的、主義主張を発言する俳優も少なからずいる。しかし、たいていの場合、彼らは、自分は安全な場所にいることが多い。彼らの言葉が刺さらないのに比べて、菅原文太氏の言葉は腑に落ちた。

 「本来、人の命を養うための営みが、利益や効率を追い求めて、いつの間にか商業や工業のようになってしまった」 

 「暴力映画に出てきた私が言うのもなんですが、命を賭けて戦争に反対しましょう」

 「土そのものが、土を育てる。土に何を与えるかが重要だ」

 そして、この言葉が一番有名だ。

 「政治の役割は二つある。一つは国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。“絶対に戦争をしないこと”」

 明日16日は菅原文太氏が生きていれば、85歳の誕生日になる。

2018年8月 1日 (水)

就職戦線異状なし

 過酷な夏として記憶に残る夏がある。

 1991年。大学4年の夏は就職活動のためにアルバイトに区切りをつけていた。バブル経済は既に崩壊していたが、就職戦線はまだその余熱の中にあった。

 槇原敬之の「どんなときも。」は映画「就職戦線異状なし」(1991年6月公開。金子修介監督・織田裕二主演)の主題歌で、テレビの映画宣伝や音楽番組などで大量に流され、街で耳にすることも多かった。映画の公開時期と自らの就職活動が重なっていたため、映画そのものの評価はさておき、自分にとってはセンチメンタルな気分になる歌であり映画であることに間違いない。

 当時の就職解禁日が8月1日だった。今日から27年前。一流大学の学生や優秀な学生は内定先から拘束を受けていた。就職解禁日という仕組みは形骸化していた。「ニュースステーション」のキャスター・久米宏氏が、その就職戦線について冷めたコメントをしていた。普段、何も語らない父が珍しく「うちにも大学4年生がいるが、どうなっている」と言った。

 自分が夢を追った就職活動は失敗した。しかし、その活動が評価され、地元の優良企業に内定を得た。

 その夏はお盆を過ぎた頃に東京へ戻り、人生で最も怠惰な毎日を過ごした。たまに鳴る電話の大半はアルバイト先の係長からだった。就職戦線から帰還した自分は、何一つやる気を無くしていた。後期の授業が始まるまでのひと月近くをクーラーのない部屋で昼夜逆転の生活を送った。扇風機は熱風で役に立たず、小型冷蔵庫の扉を開けて涼み、一日に何回もシャワーを浴びて凌いだ。

 今年は間違いなく「最も暑い夏」なのだが、「最も過酷な夏」はあの夏だ。

 今年の就職戦線はどうなのか。しかしもう二度と「就職氷河期」はやってこないだろう。売り手市場が永遠に続くのではないか。そして、氷河期世代がバブル期世代を一方的に敵視する確執や誤解も、やがて解けるだろう。

2018年6月17日 (日)

映像の世紀 独裁者 3人の狂気

 NHK BS 「映像の世紀プレミアム 9 独裁者 3人の“狂気”」を観た。

 「20世紀の世界を恐怖に陥れた3人の独裁者の素顔を描く。ファシズムを生み出し、ローマ帝国の復活を掲げて愛国心を煽ったムッソリーニの元には、全国からラブレターが殺到した。そのムッソリーニにあこがれて独裁政権を築いたヒトラーは他人を信じられず、忠実な青少年団ヒトラーユーゲントの育成と愛犬ブロンディの調教に力を注いだ。そして、ヒトラーと4000万人の犠牲者を出す独ソ戦を繰り広げたソビエトのスターリンは、実の息子が敵軍の捕虜となっても見捨てる冷酷な男だった。独裁者たちは「天使の顔」をして国民の前に現れ、やがて国民を弾圧する「悪魔の顔」をむき出しにした。3人の独裁者たちの“狂気”を描く」 (以上、番組案内から引用) 

 感想は「映像だから真実であるということはない」。

 映像は編集される。字幕は翻訳・意訳される。つまり、映像番組は意図された方向へと導かれる。

 20世紀を“代表”する3人の独裁者。その後の世界に独裁者が続いたことは番組の終盤で触れられた。ファシズムを理解し、憎悪し、人類にとって負の歴史を繰り返さないというメッセージはあった。しかし、その独裁体制は我々の身近にもあった。そのことには1㍉も触れられていない。それは記録番組として未完成だし、ジャーナリズムとしては空振り、歴史としては改竄(かいざん)に近い。

 今年は2018年。1945年に太平洋戦争・第二次世界大戦が終結してから73年が経過した。仮に歴史を1年に1%ずつ塗り替えようとしたら、今年で73%の歴史を塗り替えることが可能だ。もちろん、単純なたし算のような訳にはいかないが、このような映像や記録というのは後世に遺るもの。その意味で、歴史学者100人よりも、映像や記録の作り手1人の方が担う役割が大きいように思う。

2018年6月14日 (木)

映画「万引き家族」

20180614 CSの無料放送日をネット広告で見つけた。元々、麻雀やパチスロなどのギャンブルやVシネマ、雑多なエンタメ番組を放送しているチャンネルだ。数本のアメリカ映画(Vシネマ)を予約して、まとめて流し見するつもりだった。題名も内容も下品で下劣なのに、映画のテーマは夢を追いかける若者の純粋な姿や過去のトラウマに囚われた女性が立ち直っていく様を描いたり、すべての映画がハッピーエンドだった。流し見などできなかった。無料放送だからという意味とは別に、トクした気持ちになった。

 昨日は「手のひら返し」というタイトルをつけたが、今日は自分自身が「手のひら返し」、翻意してみる。同時に同意と祝意、そして賛意を。

 第71回カンヌ国際映画祭で是枝裕和氏が監督した「万引き家族」が最高賞「パルムドール」を受賞した。様々な形で祝意が寄せられる中、是枝氏は文部科学大臣からあった祝意の打診を辞退すると表明した。このことがしばらく波紋を広げていたようだ。

 是枝氏は自身のブログで「受賞を顕彰したいという問い合わせを頂きましたが、全てお断りさせて頂いております」と、それらのすべてを辞退していることを明らかにした上で「顕彰の意味や価値を否定するものではありません。しかし、かつて映画が国益や国策と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、このような平時においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」と記した。

 是枝氏の作品は確かテレビ放送で1本見ただけ。たいへんお恥ずかしいのだが配役(キャスト)に馴染めず、これまでは敬遠する映画監督だった。しかし、今回の明確な発信と発言は見事であり、一気に興味を抱かせる監督になった。

 映画監督は映画でこそ評価されるべきで、監督自身も今回の賞や、その後のひと騒動で評価されたり、イメージを持たれることは本意ではないと思う。しかし、自分がそうであるように、多くの人はこう考えるのではないか。「こういう考え方をする映画監督の作品が駄作であるはずはない」と。すでに日本アカデミー賞を受賞している名監督に対して失礼かもしれない。

 自分は「手のひら返し」したい。是枝氏の筋の通ったスタンスとコメントに同意する。これまでのイメージに囚われた思い込みを翻意し、今回の受賞に祝意を。そして、氏の「心の持ちよう」に賛意を示したい。

【追記】是枝氏は6月6日 日本外国特派員協会で行った会見の中で「海外の映画祭で、なぜ日本映画には社会と政治がないのかと言われた。それは、日本の配給会社がしてこなかったからです。日本映画の幅を狭くしている」と持論を展開した。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/03/a-few-good-men.html

2018年4月 9日 (月)

追憶 / The Way We Were

The_way_we_were_2■追憶(The Way We Were) 1973年アメリカ 

 この映画には5つの美しさがある。物語、映像、主演、主題歌、そして題名。

 物語は美しいラブストーリー。

 映像は時には絵画、時にはドキュメンタリーフィルムのよう。

 主演のバーブラ・ストライサンド(Barbra Streisand 1942年4月24日-)は誰も真似することができない個性を持っている。彼女だけが持つ個性的な美。この映画でロバート・レッドフォードは彼女の引き立て役に過ぎない。

 主題歌は本業は歌手であるバーブラが歌う「The Way We Were」。

 題名は「私たちのやり方」という直訳が「追憶」と意訳されている。日本で追憶という言葉を使う場合、「昔や過去の出来事や故人などを懐かしく思い出すこと」という言葉本来の意味よりも、映画「追憶」そのものを指すことが多いのではないか。

 映画は「もっと若い頃に観ていれば」とか「なぜもっと早く観なかったのか」ということがよく起こる。この「追憶」と自分が出会う年齢は、少し遅過ぎたかもしれないが、早すぎるよりも良かった。心の中を暖かすぎず冷たすぎない風が吹き抜けたのは、自分がこの映画を鑑賞する適正年齢だったからだろう。

 物語、映像、主演、主題歌、そして題名。5つの美が奇跡的に重なり合ったから、静かで激しく、穏やかで強い映画が生まれたのだと思う。

「The Way We Were」

 思い出が心の片隅を照らす 遠い日の思い出は霧がかった水彩画のよう 二人で過ごした日々

 散らばった写真には忘れてきた微笑と 見つめ合う二人が写っている 先の見えない二人が

 あんなに純粋にはしゃいでいたことは本当のことなの? それとも時が全てを書き換えてしまったの?

 ねえ私たちもう一度やり直すことが出来る? ねえできると思う?

 思い出は今も美しく輝いている 思い出すには辛すぎるもの 忘れないのはもっと辛い

 いつでも思い出せる あの頃の二人を あの頃の二人を

2018年3月22日 (木)

映画愚感

■明日に向かって撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid) 1969年アメリカ

 導入部の映像はセピア色。これが有名なラストシーンで効いてくる。西部劇のスリリングな流れの中で暴力性と喜劇性が描かれる。北野武監督の映画のよう。

 良質なアメリカ映画の多くは時代を描く。それは昔も今も変わらない。現在の日本映画の大多数はコミックの世界観を実写化して描く。そうなる理由は、大きな意味では観客の文化度。より現実的な意味では興業収入(経済・利益)だ。映画はその時代の観客が作る。それはこれまでもこれからも変わらない。 

■ラスト・ショー(The Last Picture Show) 1971年アメリカ

 「明日に向かって撃て」はカラーフィルムだったが、2年後に制作されたこの映画はモノクロフィルム。そういう手法がとられている。タイトルはテキサスの田舎町に住む若者たちの「青春の終わり」を閉館する映画館の最終上映に重ねている。

 日本の現代の少年たちは幼少期から莫大な情報に晒され、昔とは比べようもないほど大人に思える。一方で50年前の映画に描かれたアメリカの若者たちは老成している。その理由はつくられた映画の中の話だからではない。少年たちの暮らしにも社会の影が反映されているからだ。今、この国も暗闇だらけだが、この国の若者は「社会の影を踏まないように」と育てられる。しかし、それは無理なこと。その影は自分の影でもあるからだ。それなのに少年たちに被さる社会の影が映画化されることはない。コミックを実写化したハッピーエンドの物語だけが映画になる。

■普通の人々(Ordinary People) 1980年アメリカ

 この年のアカデミー賞作品賞はエレファント・マン(The Elephant Man)ではなく、この映画が受賞している。兄の死をきっかけに心を病む弟。深まる母との確執。形骸化した夫婦の関係。普通の家族が壊れていく物語。

■ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost) 1990年アメリカ

 ファンタジーやSF映画に感情移入できなくなったのは年をとったからだろうか。この映画は何度見てもそれほど心に響かない。相性が悪い。主題歌「アンチェインド・メロディ」はどんな映画のラストシーンで流れてもいい。

■ア・フュー・グッドメン(A Few Good Men) 1992年アメリカ

 ルール違反と知りながら自分の成績や保身のため、あるいは上司からの評価や上司への忖度など組織の論理を優先させる。それがいつの時代にも、どこの国でもあるのだと気づかされる。そういう人は決まって言う。「俺が組織を守ったのだ」と。しかし、たいていの場合、それは「自分だけを」守っている。

 トム・クルーズの主演映画には当たり外れ(好き嫌い)がある。この映画は当たりの1本。彼は映画史に残るハンサムスター。ほぼ全ての映画で相手役、またはコンビを組む美女と恋に落ちるストーリーになってしまう。この映画にはそのイチャついたシーンが無い。あの頃、映画界では法廷物と呼ばれる映画が流行った時代だったと懐かしい気分になった。

■ライフ・イズ・ビューティフル(Life is beautiful) 1997年イタリア

 舞台は第二次大戦の北イタリア。物語は喜劇映画のように観客を楽しませる。ユダヤ人である主人公と家族はナチスの迫害を受ける。強制収容所での暮らしも滑稽に描かれる。主人公である父に護られ、愛された少年は奇跡的に生還する。「いかなる状況であれ、生きる希望を忘れるな。人生は素晴らしい」というメッセージ。とても素敵な映画だが、本質はファンタジー。「多くの小石を拾い集めたが、大きな石はそのまま置き去り」という気になってしまう。無力であることの虚しさが残る。

■清須会議 2013年日本

 現実を補完するだけの映画。誰のための映画なのかわからない。金融商品のような映画。仮に30億円で制作して33億円で売れば3億円儲かる。

2018年3月17日 (土)

カサブランカ

■カサブランカ(Casablanca) 1942年アメリカ

 インターネットで「カサブランカ」と検索すると、①植物(ユリ科の花)、②モロッコの都市、③1942年の映画、という順に検索される。

 2013年の夏、長期勤続の休暇に旅行をした。パックツアーを探していると、日程が合いそうな旅行先の候補はイタリア、フランス、エジプト、モロッコだった。エジプトはテロ事件による渡航注意情報が出され候補から除外。イタリアかフランスでは、文化への興味度からフランスを除外した。大本命であるイタリアに対して、最後の候補にモロッコを残したのは、映画「カサブランカ」が脳裏に残っていたから。映画カサブランカは白黒映画だった。北大西洋に面し、本来は白と青であるはずのカサブランカを見てみたい気持ちがあった。

 20代前半、まだ社会人になってすぐの頃、仕事帰りにドーナツショップに寄ることがあった。今ほどコンビニの数がなく、商品も充実していない時代。一方で気軽に寄れる喫茶店も衰退し、駅前に飲み屋はあっても喫茶店はなかった。それに喫茶店は中途半端だった。仕事帰りのコーヒーでは物足りない。そうかといってナポリタンやピラフに手を出せば夕飯になってしまう。そのドーナツショップの少し奥まった席に、映画「カサブランカ」の大きな壁紙が貼ってあった。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが見つめ合い、有名な名セリフを語っている場面だ。

 「カサブランカ」は戦時下のラブストーリーと男のダンディズムが描かれた映画。ダンディズムとは外見的な美意識に加え、男の矜持や譲れない信念のことだと思う。そこには“強がりとやせ我慢”を内包している。恋心は障害があるほど強くなると言われる。ドイツの侵略によって親ドイツ政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカでは、ポルトガル経由でアメリカへ亡命を図ろうとする人で溢れていた。そんな究極の障害の中で、究極の強がりが描かれる。最後にその強がりを救うのはある登場人物の寛容な精神。「反枢軸国のプロパガンダ映画」の側面も持っている。

 ボギーの壁紙の前でダンディズムを気取るのは、戦時下の恋と同様かそれ以上に困難だ。そのドーナツショップのメニューに酒はなく、しかも禁煙。自分は甘党で、砂糖をかけて揚げた「ハニーディップ」と揚げたドーナツに粉砂糖を振りかけた「シュガーレイズド」が大好きだ。