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2024年10月20日 (日)

失われた「時間」と「自分」を取り返す

 テレビのバラエティ番組で自分の家以外に仕事部屋を持つという芸人たちを特集していた。パソコンや衣装や小道具の資材など、確かに仕事部屋の要素はあるのだが、ある共通点があった。そこはあたかも彼らそれぞれの「少年時代のミュージアム」のようだったことだ。当時のマンガ雑誌やゲーム機・ゲームソフトなどのコレクション。あの頃(少年だった頃)、欲しくても手に入らなかったり、買いたくても変えなかったものを、経済的に潤った今、改めて収集し、仕事部屋に飾っていた。

 振り返って自分はどうか。さすがに自家とは別の仕事部屋は持てていないが、自分の部屋はある。その6畳程度のスペースにあるおおよそ500冊の本と100枚程度のCD・DVDが自分にとってのコレクションだ。

 しかし、芸人たちと相違する点が1点ある。それは「時期」。彼らと自分はほぼ5年から10年程度の世代差がある。少年時代というと時間があいまいになる。明確に中学生・高校生時代に限定した話とすれば、ゲームというのは少し時間差がある。自分の世代にゲームといえば、ゲームセンターで遊ぶことを指したし、家でやるボードゲームの方がしっくりくる。一方、芸人たちがコレクションするのは家庭用ゲーム機(いわゆる任天堂ファミコンシリーズ等)であるから、彼らとの5年の世代差は、いわゆるジェネレーションギャップの範疇に入る。

 話を「時期」に戻す。彼らは少年時代に手に入れられなかったものをコレクションし、ミュージアム化していた。自分がコレクションしているものは、完全に大人になってから、20代・30代のものがほとんどだ。なぜそうなったのか。

 少年時代は金銭的な理由や親の養育期間(管理監督下と言っては申し訳ないが)にある時代。そこには我慢と限界があった。マンガ雑誌やゲーム等は我慢と限界を超えた自分への精神的なノスタルジーが反映されると思われる。人は失われた時を懐かしみ、後回しにせざるを得なかったモノを愛おしく思う。

 思い返せば自分の20代、30代は、仕事に没頭せざるを得なかった時代。言い換えれば会社の養育期間、管理監督下(これは正々堂々と使う)にあった時代。我慢と限界、忍従と極限があった時代。人は失われた時間と、失われた自分を取り返そうとするのだろう。

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