彼は「戦後レジーム」を抜け出せなかった
7月8日。安倍元首相がテロリストの銃弾によって命を奪われた。犯人の犯行動機の聴取が進み、事件の背景が明らかになるにつれ、当初、想像されたこととは別の方向へと世論の関心が移っている。つまり、追悼一色ではなくなった。
自民党と“疑似的”な宗教団体(実態は集金団体)との長く強固な互恵関係の歴史。それが徐々にあぶりだされてきた。しかし、そのことが何かを変えるということには期待していない。多少の浄化にはつながるだろうが、それはあくまでも浄化であって、池の中の濁った水が多少キレイになる程度だろう。水は入れ替わらない。
安倍氏はよく言っていた。「戦後レジームからの脱却」と。彼はその言葉を錦の御旗として特定秘密保護法、国家安全保障会議設置、平和安全法制、その他、多くの改革=改悪に取り組んだ。
しかし、自身の戦後レジームからは抜け出せなかった。
それはなぜか。
1960年代、彼の祖父に端を発し、父から自身へ脈々と継承されてきた「岸家=安倍家」の闇。だが、安倍氏にとってのそれは裏でも闇でもなく、表であり、最大の既得権であり、安倍氏の権力を支えた本質だったからだろう。
翻って、この国の政治の中枢はもう何年も「連立」政権だ。政権の「与党」は自由民主党と公明党によって構成される。公明党の支持母体は仏教系宗教団体。同党と同団体は表裏一体。
マスコミやジャーナリストにジャーナリズムの魂が残っているのなら、政教分離の闘いを挑んで欲しい。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(日本国憲法第20条)
これが我々のルールだ。
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