斜めの心
いわゆる「あおり運転」の映像がワイドショー番組で流されていた。他者の運転に腹が立ったためにクラクションを鳴らしたり、幅寄せをしたり、車間を詰めて走行する等の行為は「妨害運転罪」として処罰されることもある犯罪行為。近年はドライブレコーダーの普及によって、その犯罪行為が記録されることが珍しくない。
その映像は犯罪行為の記録映像であるから、悪質で嫌悪感を覚えると同時に、「自分ならどうやって対応できたか」と考え、また、どこかでは「自分でなくてよかった」と思うことが多い。そしてもうひとつ、必ず思い浮かぶ感情がある。それは「本当にあおった側だけに責任があるのかな」という感情だ。
今回の映像では映像の提供者である被害者がインタビューにも答えていた。要約すれば、「(この映像を広く認知することで)加害者には反省と再犯防止を誓って欲しい」との内容だった。極めて模範的な被害者だ。
被害者に落ち度はないが、映像を番組で取り上げ、放送する側(製作者、取材者)には大きな過失があるように思う。
公共の電波を使って番組のコンテンツとして使用するのであれば、その目的は、被害者の言う「加害者の更生と再発防止」にとどまらず、「犯罪=妨害運転の抑制」につなげたいという目的が加わるはずだ。そうなった時、取材者は被害者に質問しなければなないことがある。
それは「なぜ加害者はあおり運転を始めたと思いますか?あおり運転のきっかけとなった出来事はありましたか?」と。
もちろん、その類の加害者は理由もなく「あおる輩(やから)」もいるだろう。しかし、そのきっかけが何だったのかを突きとめなければ、あおり運転の全容は明らかにならない。火薬は自分からは発火しないはずだ。
あおり運転の加害者は映像に残る音声でこう言っていた。「1番に頼ってんじゃねーよ」。被害者の好青年(のように見えた)は、車のナンバーに「1」を使用しているようだった。つまり加害者は、被害者の車両ナンバーが「1」であることにも(他の理由と併せて)腹を立てたのだ。
この加害者の音声を聴いた時、この妨害運転罪のジャッジが自分の中で少し変化した。「被害者ゼロ、加害者100」から、「被害者0.1、加害者99.9」くらいだろうか。
自分には「1番に頼ってんじゃねーよ」の心が、かすかにわかる気がしたからだ。犯罪者を擁護するつもりはこれっぽっちもない。この感覚がわかるのは、「斜めの心」を持った人たちだけだろう。