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土曜の夜、日曜の朝は部屋に籠もって本を読む。休日の、おそらく最も自由な時間をそうやって過ごしているのだから、それが自分にとって「楽しい時間」で「幸福な時間」であることは間違いない。自分が“引き籠もる”要因がもうひとつある。それは「テレビがつまらないこと」。特段、楽しい番組を放送して欲しい訳ではないが、見ていて気分が悪くのであれば避けた方が良い。
SNSに非常識な動画を投稿する若者が後を絶たない。今日もマスコミは、それらの出来事を社会問題として取り上げている。彼らに同情したり、彼らの肩を持つコメンテーターは、ほぼいない。
不適切な行為を撮影し、SNSに投稿する人には共通点がある。それは「若者」であることと「アルバイト」であることだろう。人手不足・労働力不足のこの国では、「若者とアルバイト」には相応の比重(重荷、あるいは負担)がかかっている。そのことをマスコミは報道しない。もちろん、「負担があるから動画の投稿が許される」ことにはならない。
「働き方改革」で、正社員の負担軽減が図られつつある状況下。非正規雇用者やアルバイトのような「すそ野」(あるいは底辺)まで、労働条件改善の波は、どこまで波及しているだろうか。波及などしていない。
マスコミは「正しい者」の側に立っているが、「弱い者」や「少数派」の側には立っていない。それらの側に立った取材はされず、報道もされない。テレビはスポンサーで成り立っている。動画を上げたバイト店員達が勤務するスポンサー企業は軒並み大企業だ。それらの“下半身”の取材ができるはずもない。
現在の社会は若者たちが創ったのではない。現在の社会は大人たちが創った。若者たちは「大人たちが創った社会に入ってきた」だけだ。大人たちは「常識でわかるだろう」と言う。では彼らに常識を、いつ・誰が教えたのだろう。教えたとすれば、親や先生や社会を構成する大人たちだろう。教えなかったとすれば、親や先生や社会という大人たちだ。
常識のない若者に頼らざるえない世の中は、大人が創った。若者たちを嘲(あざけ)る大人たちの姿は、自分には滑稽に、かつ、不思議に思えてならない。なぜならそれは、鏡を見てそこに映る自分自身を嘲笑している姿だと思うからだ。