腰痛と便秘
腰痛と便秘には因果関係があるという。腹筋など筋肉の機能低下が、腰痛であり、便秘を引き起こす。
老化であり、劣化。この大きな影に対峙しようとは思わない。長生きをしようとは思わないからだ。
しかし、生きているうちは健やかでいたい。健やかでないことは、何にも増して周囲に迷惑をかける。
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腰痛と便秘には因果関係があるという。腹筋など筋肉の機能低下が、腰痛であり、便秘を引き起こす。
老化であり、劣化。この大きな影に対峙しようとは思わない。長生きをしようとは思わないからだ。
しかし、生きているうちは健やかでいたい。健やかでないことは、何にも増して周囲に迷惑をかける。
もう15年近く前、「ADSL」、「ブロードバンド」と呼ばれるインターネット接続サービスが始まった頃、部内で真っ先に導入し、同僚から羨ましがられたことがあった。それ以来、新たな通信サービスには可能な限り対応してきた。それは羨ましがられる優越感からではなく、技術や機器の進歩、つまり、イノベーションを実感できるからだった。
しかし、その後、フレッツ光の時代から、光コラボレーションの時代になり、ドコモ光を利用、と通信サービスの名称は変わっても、通信面の技術進化を感じることはなくなっていた。長い間、日々のインターネット利用で、不便さ・不快さを感じていた。
集合住宅のフレッツ光の配線は「共同利用方式」の場合、①光配線方式 ②VDSL方式 ③LAN配線方式という3つの方式がある。誤解を恐れず言えば①の光配線方式以外は「なんちゃて光回線」だ。①光配線方式とは純粋に「光ファイバーを用いて」各戸まで接続する。一方、②VDSL方式は「電話配線を用いて」接続する。③LAN配線方式は構内の「LAN配線を用いて」接続する。
ようやく光回線工事が完了した。通信環境は大きく改善した。特に大容量の動画をダウンロードするスピードが大幅に改善した。集合住宅の既存設備が「ひと昔前」だったことが、これまで不便さ・不快さを感じてきた最大の要因ではある。しかし、「光」という名のもとに「なんちゃって光」環境を甘受せざるを得なかったことは、通信会社にも責任の一端があるように思う。理由は簡単。「光回線」も「なんちゃって光」も、料金が変わらないからだ。
ドイツのメルケル首相が任期満了する2021年に退任する意向を表明した。メルケル氏はドイツ国内で「永遠の首相」、欧州で「欧州の事実上の指導者」、世界で「最も影響力のある女性」と呼ばれてきた、21世紀初頭を代表する政治家。
ニュース解説によると、自らの退陣をスケジュール化することで政治や党内の混乱を収めようとする狙いがあるという。しかし、そんなことが上手くいくのだろうか。政治は権力闘争。先が見えた者を権力の座に座らせておくだろうか。退任までは3年近くある。
12月に行われるドイツキリスト教民主同盟(CDU)党首選で、反メルケル派が選出されることになれば、ポピュリストが台頭する潮流の中で「ドイツよお前もか」ということになる。また、連立する社会民主党(SPD)が連立を維持しないとなれば、世界の不透明感は一層強まる。
2021年は安倍首相の任期とも重なる。世界の枠組みや方向性が決定ずけられるのが2021年なのだろう。
週末の天気予報は雨だったが、まずまずの天気になった。新潟競馬場の秋開催が今日までだったので、通常立ち入ることができない芝コースを開放するイベントがあった。これに出掛けることも考えたが…。雨予報だったことが悔やまれる。
昨日のブログに記した天皇賞・秋 の予想が的中した。しかし、そのこと以上にレースそのものが素晴らしかった。やはり、出走する頭数はフルゲートである必要はない(1頭競走除外になり12頭で実施)。むしろ、おかしな流れや前が詰まるようなことがなく、レースの質は上がったのではないか。
今日のレースは今年のベストレース。強い4歳世代が1着から4着を占めた。勝ったレイデオロ(父キングカメハメハ)の走破時計1分56秒8も素晴らしい。日本レコードタイム1分56秒1が出た2011年のレース(勝馬 トーセンドョーダン 父ジャングルポケット)に匹敵する。
先行して3着に粘り込んだキセキ(父ルーラーシップ)が勝ってもおかしくなかった。それを上がり3ハロン最速で追い込んだサングレーザー(父ディープインパクト)が勝ったレースだった。しかし、先に抜け出していたレイデオロを捕らえることはできなかった。同じ父を持つドゥラメンテ(2015年の皐月賞・ダービー2冠馬)よりも強いかもしれない。
彼を2歳の夏から知っている。かなり高齢になったと思っていたが、彼はまだ5歳だ。
ロードクエスト(父マツリダゴッホ)は2015年のGⅢ新潟2歳ステークスの勝ち馬。今日のGⅡスワンステークスで、春のGⅠ安田記念を勝ち、単勝1.3倍の支持を集めていたモズアスコット(父フランケル)をハナ差で制した。
彼は2番人気だったので、決してダークホースではなかったが、伏兵馬や穴馬がなぜ「Dark」と称するのか不思議だった。Darkには「暗い、闇の、薄黒い」という意味のほか、「あいまい、わかりにくい」という意味を持つ。確かに有力馬や人気馬は誰の目にも明らかだし、注目されている。馬の調子や隠れた適性を見つけだしてこそダークホースになり得る。
今秋のGⅠレースは馬が競走しているというよりも、騎手が競走しているようなレースが続いている。有力騎手には有力馬への騎乗依頼が来るから、仕方ない面もあるが、騎手の稚拙が問われるようなレースは望まない。秋の東京競馬場開催は最もハイレベルで紛れの少ない競馬が繰り広げられる。特に明日の天皇賞・秋は近年の王道距離である2,000㍍。最も強く、最も速い馬に勝ってもらいたい。出走頭数13頭が少ないという見方もあるが、欧州などでは平気でひと桁の頭数でGⅠレースが行われている。
ダークホースについて触れたので、このレースのダークホースから。▲ステファノス(父ディープインパクト)。2015年のこのレースを2着。2016年に3着。2017年は極悪の馬場に泣き10着。高齢馬(7歳)にいいデータは残っていないが、近走は彼の鋭い末脚が戻っている。展開ひとつで馬券内があると思う。後は昨年の皐月賞馬アルアイン(父ディープインパクト)、ダービー馬レイデオロ(父キングカメハメハ)、菊花賞馬キセキ(父ルーラーシップ)が揃う4歳馬から、◎サングレーザー(父ディープインパクト)、○レイデオロ、△スワーヴリチャード(父ハーツクライ)。
旧優生保護法のもと、障害者などに不妊手術が繰り返された問題では、「旧」の文字が付されることで、あたかも古い問題であるかのように錯覚する。優性保護法は1948年から1996年まで存在した。ついこの前までの出来事だ。優生保護という法律も言葉も、この上なく破廉恥なのに、人々は「そういうものだ」と素通りして来た。そして、現在進行形で放置し続けている言葉が「非正規」ではないか。
非正規の友よ負けるなぼくはただ書類の整理ばかりしている
青空の下でミネラルウォーターの箱をひたすら積み上げている
うしろ手に携帯電話抜くときにガンマンになった気がする僕は
青空と発音するのが恥ずかしく なってきた二十三歳の僕
空だって泣きたいときもあるだろう葡萄のような大粒の雨
筍のように椅子から立ちあがる昔の僕のような少年
「歌集 滑走路」 を遺した萩原慎一郎氏は“非正規”の歌人。彼は「非正規雇用」の歌人。「逆境に負けず生きる希望を歌った」と評され、「彼の歌は心を射抜く」と評される。
しかし、彼は32歳で命を絶った。彼は逆境に負けたのだ。彼を敗者にする社会とは何だろう。そのこと自体が「非正規な社会」の証左だろう。
彼の歌が心を射抜くとは思わない。彼の歌は心にとどまり、そして、住みつく。それほどの力を持っている。
長い間、内戦下にあるシリアで拘束されていたフォトジャーナリストが解放された。3年4ヶ月ぶり。彼は抑圧された者に寄り添おうとした稀有なジャーナリスト。しかし、かよわい命を大事にしたいと願う者は、自分のかよわい命も粗末にしないだろう。
10/2にバブル後の最高値24,448円をつけた日経平均株価。今日の終値は21,268円。前日比▲822円値を下げた。この間、前日比▲915円、▲423円、▲604円の日がある等、荒い値動きになっている。アメリカの金利上昇。金利上昇に伴う住宅市場の伸び率の鈍化。アメリカと中国の貿易戦争の激化。サウジアラビアによるジャーナリスト殺害事件が産油国・中東情勢にも影響を及ぼしている。こんな時、株屋は必ず「業績好調な売られすぎ銘柄の買い時だ」と言うだろう。
冒頭の話を例えに使うなら、長い間、バブルの後遺症に喘(あえ)いだ日本経済は、ある意味「拘束」状態にあった。そして、アベノミクスによって解放された。しかし、アベノミクスはとうの昔に終わっている。「かよわい命=かよわい資産」を大事すべき。かけがえのない資産を粗末にしないこと。
世界は「自国至上主義」になってしまった。世界を牽引するリーダー達が、自国第一主義者たちで占められる現状は「第二次世界大戦前と酷似している」という指摘もある。
アメリカ、中国、ロシア、中東…それらの指導者たちを日本人は批判できない。経済において自国至上主義の引き金を引いたのは、この国の首相だった。彼を選び、彼を信任し続けている姿は、世界から自国第一主義の国と思われているはずだ。
発売されて間もない スバル フォレスター Advance を運転する機会があった。
フォレスターが鳴り物入りで登場したのが1997年。当時(今もそうだが)、車高の低い車に乗っていた自分は、隣の駐車スペースに停まっていたフォレスターの耐雪性、悪路走破性を羨ましく思ったものだった。
e-BOXER リチウムイオンバッテリー SI-DRIVE X-MODE アイサイト・ツーリングアシスト… 先進機能満載の機器は、ナビなどを含むとスイッチ類だけで50種類を超えているのではないか。
慣れれば便利なのは間違いないが、多機能性が情報過多にも繋がっていて、少し疲れてしまった。搭載している機能を1割も使いこなせないでいるスマホと似ている。自分の車を「高性能な電化製品」だと感じたのが2010年。2030年の車を運転できるのだろうか。
システマチックな人間 よりも エモーショナルな機械 の方が
メカニカルな人間 よりも ヒューマニティな機械 の方が
たぶん、いいと思う
薄暗いその店に買い物に行くのは決まって雨の日だった。
幼い頃、近所に警察署があった。その前には駅に行くバスの停留所があった。
そのバス停の脇に、間口は二間ほど、奥行き5㍍ほどの小さな平屋が建っていた。
平屋には老婆がいた。老婆は裸電球の灯りの下で傘を売っていた。傘は壁に吊され、何段にも立て掛けられ、上がり框の上にも積み上げられていた。
その店で初めての傘を買った。それから何度も傘を買った。
あの店は店舗としてあったのか、それとも住居を兼ねていたのだろうか。
明日からの天気予報が下降気味だったことを思い出し、傘を買った。使っている傘はコンビニで買ったもの。思いもよらず丈夫で長持ちした。どこかに忘れてくることもなかった。5年近く使った。
傘はまだ使えるが、骨組みの先端が錆びている。傘を閉じたときに雨水が錆びた骨を伝って滴り落ちてくる。先日はその薄い茶色の雨が、ワイシャツにシミを作った。
半世紀近くの時間が経過した。
今は、雨が降ってから傘を買いには行かない。雨が降る前に買いに行く。
俺は成長した。
2019年10月の消費税率引き上げ時に実施する税負担感の緩和策が検討されている。キャッシュレス決済時にポイントを還元する、商品券を配布する、現金を給付する等々の施策が検討されている。
1989年4月に導入された消費税は当初、税率は3%だった。1997年4月に5%、2014年4月に8%にそれぞれ引き上げられ、2019年10月から10%になる(予定)。
1989年は平成元年だから、30年をかけて税率10%とするのは、税制の導入速度からすれば遅々としたものかもしれないが、長い年月をかけて定着させたのは日本的で良かったと思う。バブル経済崩壊の後始末から、「結果的に30年かかった」というのが実態だが。
消費税の導入前は主に贅沢品や嗜好品に物品税が課せられていた。あの頃、劇的に変わったのが洋酒の値段だった。それまで高級と言われていた洋酒だったが、実は価格のほとんどが税金だった。当時は贈り物としてもよく見かけたが、現在ではお遣い物としての価値はかなり下がった。
「消費税の引き上げ」には、ずっと賛成だった。消費税の本質は2つあって、ひとつは税体系を世界標準に近づけること(税に占める間接税割合の適正化)。もうひとつは消費税収によって、国民福祉の負担をカバーすること。いずれも正論だからだ。
消費税が10%で打ち止めとはならないだろうが、延期・先送りしたからといって、いいことは何もない。平成時代は消費税の時代として改元され、2019年は「シャウプ勧告」から70年。「節目の年」であることに間違いない。
明日は競馬「クラシック三冠」最後の菊花賞。近年の競馬界では、2,000㍍、2,400㍍の世界標準距離のレースが重んじられ、3,000㍍の菊花賞は虐げられている状況にある。このことは競馬オールドファンほど納得できないと思う。
すべての3歳馬にとって菊花賞は未知の距離に挑むレース。春の実績馬が貫禄を示すか、夏に成長を見せた馬が巻き返すか、あるいは、夏の上がり馬が長距離適性を発揮するか、興味は尽きない。
今年は夏の新潟開催をステップに参戦する馬が4頭、新潟デビュー馬が3頭、計7頭いる。馬券は懲りずに「新潟馬券」を買う。
◎ブラストワンピース GⅢ新潟記念で古馬を圧倒。新潟記念を夏のローカル重賞から、新たな菊花賞路線として確立するためにも、この馬には好走以上の結果を期待。
○グロンディオーズ 夏の1000万条件・信濃川特別を快勝した。現地観戦していたが、2着以下を3馬身突き放したのには驚いた。相手は良血馬が揃っていた。ここまで4戦3勝。“遅れてきた大物”。
▲グローリーヴェイズ 夏の1600万条件・佐渡ステークスを勝っている。やや低調な相手だったが、準オープン勝ちという実績は軽視できない。
△ユーキャンスマイル 夏の1000万条件・阿賀野川特別を勝った。母の父がダンスインザダーク。
△タイムフライヤー 新潟デビューのGⅠ馬。
△オウケンムーン 新潟デビューの重賞馬。
△シャルドネゴールド 新潟デビュー馬。新潟の新馬戦の歴史上、この馬の新馬戦がベストメンバー。
【追記】 長距離レースは騎手の力量が占める割合が高いことを改めて痛感した。新潟馬券は発動しなかったが、3着~7着を△◎▲△△が占めた。これはこれで納得できる結果。来年も夏の新潟をステップに菊花賞に歩む馬が増えるといい。
長岡駅東口を出てすぐ。雨に濡れずに入店できる。店内は左奥に小上がり席。6人座れるテーブルが2つだが、4人ずつがいいところ。正面の厨房前にカウンター席。テーブル席が4つ。平日の昼だったが、ほぼ満席だった。
駅近という立地から、来店客はサラリーマン、学生、交通機関を利用する高齢者など。それに合わせるようにラーメンの種類も多様。少し迷ったが「背脂 塩らあめん中盛」(702円)を。中盛は無料。時間がなかったので写真を撮る時間がなかった。薄い緑色をしたクロレラ麺が特徴。だが、特に違和感はない。麺は細麺か太麺を選べる。塩をオーダーしたので細麺を選んだが、麺が細いとは感じない。自家製太麺はどんなものか興味が湧く。かなり昔、見附の天山本店で食べた時の印象は「ボリュームがある若者向けの店」だった。今回は量も質も二重丸◎の印象に変わった。
らあめん天山 長岡店 長岡市台町8-19 長岡市台町8-19 ℡0258-33-1315 営業時間:11時~24時(日・祝21時) 定休日:不定
蟋蟀は「キリギリス」 読めないし、書けない漢字。
今日からは七十二候の「蟋蟀在戸」(きりぎりす戸にあり。キリギリスが戸口で鳴く時期)
窓を開け、耳を澄ますと、虫の声は一時期よりもかなり小さくなっている。冬の夜が静かなのは、夏の蝉や秋のコオロギや鈴虫、キリギリスなどの虫の鳴き声がしないからかと気づく。
夏物の衣類で過ごしていたが、それでは肌寒い。夏季の寝具で過ごしていたが、朝目覚めると上掛けにくるまっている。
猛暑の夏だったからこそ、いつもより寒い冬が、いつもより早く来るかもしれない。来週は霜降だが、朝霜はそれまで待てるだろうか。
妙高市杉野沢にある苗名滝(なえなたき)は日本の滝100選に選定される名瀑。その入口には食事処、茶屋などがあるが、一番大きな食事処が苗名滝苑。
流しそうめんの設備「竹とよ式」と「回転式」が常設されていて、これが最大の特徴。ほかに、そば、山菜、きのこなどの定番と、湧き水で育ったニジマスやマスなど、季節毎のメニューを楽しむことができる。
写真は「滝ますの唐揚げ御膳」(1,550円)。食べきれないほどの量。カウンターに数種類の漬け物が置いてあり、これだけでごはんのおかずになる。味・量ともに観光地の食事というよりも、地元の食事を食べさせてくれる良店。特筆すべきなのは店員の女性。流暢な英語を話していた。
もう1枚の写真は苗名滝ではなく「いもり池」。10月10日、 紅葉には少し早く、覗き込んで見た写生する人たちの絵の方が美しかった。
苗名滝苑 妙高市杉野沢2092 ℡0255-86-6536 営業時間:9時~17時 定休日:11月上旬~4月中旬クローズ
12週連続のGⅠ開催(※)はアーモンドアイ(父ロードカナロア)が2012年のジェンティルドンナ(父ディープインパクト)以来の“牝馬クラシック3冠”(史上5頭目)で幕開け。単勝1.3倍の圧倒的支持に応えた。新馬戦の時にはここまで強い馬になるとは想像できなかった。
何度も書いているとおり、アーモンドアイがデビューした2017年8月6日(新潟競馬場)は、1800㍍の新馬戦でロックディスタウンが勝ち、タイムフライヤーが2着。1400㍍の新馬戦でアーモンドアイが2着に敗れ、レパードステークスでエピカリスが3着に敗れた日。
以前、強い牝馬について記したことがあった。本当の価値や真価は次走・ジャパンカップと古馬になってからだが、“史上最強牝馬”となる可能性は高い(写真は2018.5 オークス)。
http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/11/post-f6e7.html
※今年は例年、地方開催されるJBCのスプリント、クラシック、レディスクラシックがJRA京都競馬場で開催される。但し、JBC各レースは「JPNⅠ」に区分される。
韓国・済州島で行われた国際観艦式で、韓国海軍が艦艇に李舜臣将軍の旗を掲げたという。ややこしいことをする国だ。
「旭日旗」の掲揚自粛を求められた海上自衛隊は、この観艦式への自衛艦派遣を断念していたが、観艦式に参加した10カ国のうち7カ国は軍艦旗を掲げ、残る3カ国は国旗=軍艦旗を掲げた。
「招く客に対し、公式な旗の掲揚を自粛するよう要請しておきながら、自国はそれらとは全く無関係の旗を掲揚する」。政府関係者は抗議したというが、抗議は不要。静観すべきだろう。
ところで李瞬臣とは誰か。豊臣秀吉の朝鮮侵略で豊臣軍を撃破した韓国の英雄だという。「自国のために闘った者は英雄」という視点だろう。それならばなぜ、日本が自国のために闘った者を英雄視することに反発するのか。
いっそのこと日本で李瞬臣の映画やドラマを作ってみてはどうか。もちろん英雄を英雄として描く。決して貶(おとし)めてはならない。日本では必ずしも勝者側の視点だけで映画やドラマや舞台や小説や、その他の文化的創作が行われている訳ではない。豊臣秀吉を「悪者」として描く自由が、日本にはあり、文化的・芸術的作品として受け入れる社会がある。
① 「ドン・キホーテ」(1605年・1615年)はスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説。「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」が冒険の旅に出かける物語。
② 1985年3月に発売された尾崎豊のセカンドアルバム「回帰線」。その2曲目に「Bow!」という曲が入っている。
否が応でも社会に飲み込まれてしまうものさ 若さにまかせ挑んでくドンキホーテ達は 世の中のモラルをひとつ飲み込んだだけで ひとつ崩れひとつ崩れすべて壊れてしまうものなのさ
あいつは言っていたねサラリーマンにはなりたかねえ 朝夕のラッシュアワー酒びたりの中年達 ちっぽけな金にしがみつきぶらさがってるだけじゃNO NO 救われないこれが俺達の明日ならば
午後4時の工場のサイレンが鳴る心の中の狼が叫ぶよ 鉄を喰え飢えた狼よ死んでもブタには喰いつくな
夢を語って過ごした夜が明けると逃げだせない渦が日の出と共にやってくる中卒・高卒・中退学歴がやけに目につく愛よりも夢よりも金で買える自由が欲しいのかい
午後4時の工場のサイレンが鳴る心の中の狼が叫ぶよ 鉄を喰え飢えた狼よ死んでもブタには喰いつくな
③ 1990年頃、住んでいた街にディスカウントショップがあった。商品ラインナップはホームセンターとは違う。必要か必要でないかで区分すれば、必要のない物を多数陳列しているような店だった。新聞の折り込み広告も驚くほど簡素で、いくつかの目玉商品だけが掲載されたものだった。何度となく、その目玉商品だけを買いに出掛けたことがある。その店の名前は「ドンキホーテ」といった。
④ 10月11日 ディスカウントストアの「ドンキホーテホールディングス」(以下、ドンキホーテ)は、総合スーパー「ユニー」を子会社化すると発表した。ユニー、ファミリーマート、ドンキホーテをあわせた売上高は約4兆7千億円となり、イオン、セブン&アイに次ぐ国内3位の流通グループとなる。ドンキホーテの社長は「(ユニー系列店を)5年で100店舗をめどに業態転換する」とした。残る90店舗は「アピタ」などの店名を維持する。従業員の雇用は維持され、既存店閉鎖の予定はないとした。
①の時代から400年。日本では「ドンキホーテ」は大型小売店のことを指すようになった。②の時代、③の時代から30年~35年。ほとんど“がらくた”のようなものを売っていたドンキホーテは、凋落する長崎屋やユニーに代わって、小売業界の中心企業になった。
30年は短いのか、長いのか。結果的には下剋上。物事を転換させていくのは人であり、時が物事を変えていくのではないが、「時の流れ」に抗(あらが)える人はいない。
世の中が「こうなる前」から、金融ジャーナリストの浪川攻氏は「毎日新聞 経済プレミア」で金融業界の異常性をレポートしていた。
(引用・抜粋) 採用活動が終盤戦を迎え、売り手市場が継続する中、地銀業界は苦戦を強いられている。「内定数が採用予定数に達しない。面接に訪れる学生が少ない」。「130人に内定を出したが(辞退者続出で)、現在では70人に減少し、再び、採用活動を本格化させた」。地銀はかつては優良企業とされ、優秀な学生が集まる、「狭き門」だった。地銀幹部は「地銀は将来、人口減少で苦戦し、将来ビジョンを描けないという報道が相次ぎ、学生たちの足が遠のいた」、「金融庁が複数の地銀が存続できない都道府県というシミュレーションを公表しているのだから」と恨めしげに語る。しかし、それだけが理由ではない。学生は先輩などから「過剰な営業目標を与えられる」という話や「入社数年で退社した」という情報も得ている。地銀の人気度はいや応なしに低下せざるを得ない。「県庁か地銀かの選択で悩むような学生を、率先して採用するような時代は終わったことを地銀は痛感していいのではないか」(金融庁幹部)。
浪川氏はレポートの最後にJPモルガン中興の祖・デニス・ウェザーストーン氏の名をあげ、「イギリス労働者階級出身のウェザーストーン氏は家庭の事情で大学へは行けず、JPモルガンの英国拠点に高卒で入社した。その人物が後年、この大銀行をよみがえらせた。地銀の皆さんはこの話をご存じだろうか」と結ぶ。
素晴らしい指摘だと思う。
文中の地銀幹部は未だにマスコミ報道や金融庁に「採用難」の責任をなすりつけている。
地銀は「オワコン」。マスコミ、金融庁、超異次元経済緩和政策(=政権)の責任は、それぞれ1%程度ではないだろうか。
ほぼ100%が自業自得だろう。
「よろずや平四郎活人剣」の再放送を見終わった。全10回なのであっという間だった。
同じ日、外国の有名な高視聴率ドラマを日本版にリメイクしたドラマを観たが、30分と観ていられなかった。
人それぞれに好みがあるので構わないが、現代劇に感情移入することが難しくなり、時代劇だと多少の粗(あら)も気にならない。
旗本・神名(かんな)家の末弟・神名平四郎は、兄である目付・神名監物とは腹違いの子。妾の子である平四郎は“冷や飯食い”の存在。 暮らしに窮した平四郎は裏店で「よろずもめごと仲裁つかまつり候」という看板を掲げる。世間知らずで楽天家の平四郎が巧みな「剣と口」で、よろずのもめ事を解決していく。神名平四郎は中村俊介、神名監物を内藤剛志が演じた。
とても清々しいドラマの影響で、「よろずや平四郎活人剣」(上・下)を読み返している。
裏店で「よろずもめごと仲裁つかまつり候」という看板を掲げた平四郎は、市井のもめごとに介入し、それを解決していく中で、自身の出自や生い立ちという境遇、そして自身に内在する劣等感という「もめごと」を同時に解決して行った。
たまたま読んだ10月7日の読売新聞1面「地球を読む」で、「民主政の危機 偏った民意が招く独裁」(細谷雄一慶応大学教授)を読んだ。
世界の民主政、民主主義に基づく世界各国の政治に巨大かつ重大な変化が生じているという内容。その変化に注目する著作が立て続けに刊行されており、1冊が「民主主義の死に方」(新潮社)、もう1冊が「民主政の終わり方」(日本未刊行)だと紹介されていた。
「民主主義の死に方」の版元の紹介文 「裁判所を抱き込み、メディアを手なずけ、憲法を変える。独裁者は合法的に民主主義を破壊する」。
彼は自らの任期延長のため、所属政党のルールを変え、「戦争をできる国が普通だ」として、戦争に続く道を舗装し続け、いよいよ憲法改定前夜にまで“進軍”してきた。
単にサラリーマンとしての成功者に過ぎない経済界の首領たちを、短期的な政策(彼らのほとんどは自らの任期中の成績にしか興味がない)で取り込み、資産家には株価による「濡れ手で粟」の甘い汁を吸わせ、庶民には些細な賃上げをもって「経済の再生」とした。
超異次元金融緩和施策という自爆装置を仕掛けた彼は、ペテン師であり、詐欺師であり、ある意味、催眠術師だ。しかし、彼の正体は「民主主義の破壊者」なのかもしれない。
世界に力を持つ政治家は多いが、“悪質”という意味では他の追随を許さない。
「裁判所を抱き込み、メディアを手なずけ、憲法を変える。独裁者は合法的に民主主義を破壊する」
やはり「最後の砦」は憲法だ。
自分が幼い頃、娯楽といえばテレビ以外にはなかった。当時、民放のテレビ局は2局しかなく、「野球と大相撲」はスポーツの100%を占めていた。野球は「長嶋と王」だったが、相撲は「貴ノ花と輪島」だった。
貴ノ花、北の湖、千代の富士が去り、輪島が逝った。
希代の勝負師たちは、一般人の平均寿命まで生きない。力士の身体を造り、横綱・大関となることの鍛錬は、最盛期においては強靱な肉体と精神を誇るが、決して寿命を伸ばすことには繋がらない。
横綱・輪島の思い出は、いつも傍らで一緒にテレビ観戦していた祖母の記憶と表裏一体だ。判官贔屓(はんがんびいき)は日本人の特徴だが、祖母が貴ノ花と輪島を応援していたことは、自分の人格形成で影響を受けたと思う。
横綱・輪島は、その人柄の良さから、引退後は苦労した。プロレスラーに転じ、テレビのバラエティ番組に出演して食い扶持を稼いだ。それだから、彼の死を悼む声は、相撲界よりもプロレス界、芸能界の方が多いような気がする。このことひとつをとってみても、現在の相撲界・相撲協会が、冷たい日本型の閉鎖的な企業体質であることを物語っている。
ほんのいくつかしかない祖母の思い出が、遠くに霞んでいく。
刈り入れの終わった田んぼを眺めていて、輪島がつけていた「黄金のまわし」は「稲穂色のまわし」だったのかと気づいた。
休日の朝だったが、少し暗い気分で起きた。その理由は、明け方にきっちりと叱られる夢を見たからだ。
叱られた内容は心当たりのあることばかり。自分の夢の中で自分が叱られるのは、自らの弱点・欠点、そして短所は、自分が一番良くわかっているからだろう。
よく「怒ること」と「叱ること」は違う、と言われる。これは明確に違う。怒ることは感情であり、叱ることは理性だ。そして「叱ること」の中にも2種類あり、1つは「現象を叱ること」。もう1つは「根本を叱ること」だ。
「人格を責めるのはよくない」と言われるが、実は叱られる出来事の根っこはほとんど人格にある。いちいち現象を叱っていても解決には繋がらない。そして、たいていの場合、根本を叱る人は「怒っている」と言われる。それは人格を叱っているからだろう。
叱ることも怒ることも、能力のひとつだと思う。人はなかなか怒れないし、なかなか叱れない。自分は「叱る人」と「怒る人」を「対象者」で区分している。「怒る」という感情を仕事上で発揮する人を軽蔑するが、多少は尊敬する。怒ることを恥ずかしいと感じない太い神経。そして、怒ることは少なからず自分を棚上げする必要があるが、その無神経さ。なかなか真似できない。
不思議なもので、怒る人は自分よりも下の者しか怒りの対象としない。弱い者には声を荒げるが、強い者の前では飼い犬のようなのだ。怒られた側はそのことを見透かしているから、更生する可能性は低くなる。むしろその感情に従わない方が、正しいのではないかとさえ思ってしまう。もちろん、叱る人も下の者しか叱ることの対象にしないが、上位者に対して進言や忠言するのは叱る人だ。
怒られること、叱られることは、その対象者にとってはスタートなのに対し、行為者にとってはゴールになっている。叱る・怒るの唯一、かつ、最終の目的であるはずの、「対象者の反省や成長、自己改革」につながっていくかどうかは、何とも言えない面がある。しかし、間違いなく言えることは、怒ること・叱ることは、その対象者よりも、むしろ行為者の人格が試されるということだ。
今朝、夢の中では「しっかりと叱られた」。「こっぴどく怒られた」ではない。少し気持ちに緩みがあるかなというのも自覚していたことだ。
夢で叱られたことは幸運だった。
沖縄知事選や相撲界の内紛など、心を揺さぶられるニュースがあってもブログ画面に向き合えないでいる。時間に余裕がないわけではないのに、気持ちが忙しく、何かに追われているような、切羽詰まったような感覚でいる。
「切羽詰まる」の切羽とは刀の鞘の部分にある楕円形金具のこと。この金具が詰まると刀を抜けなくなり、どうにも切り抜けられなくなることにこの言葉の成り立ちがある。
「切羽」は詰まっていないのに、詰まっているような感覚でいるのかもしれない。そこにいるのは「刀」を抜けない自分、抜かない自分。
そもそも、柄(つか)の先に刀がついているのか。ついていたとしてもそれは錆びて使い物にならないのではないか。
「切羽詰まった人」の姿とはそんなもの。つまり、自分もその中の一人。
会社での会話。 「先週、近所のショッピングセンターに向かう歩道で、リタイアした先輩とすれ違った。一瞬、目が合ったのに、先輩は無視して通り過ぎた。若い頃は二人で酒を飲む仲だったのに」。
この半ば愚痴や嘆きのような感情を自分なら言葉にしないだろう。決して人には話さない。なぜなら、それが「無視された」のではなく、自らが「無視した」可能性がゼロではないという心の迷いがあるからだ。厳密に言えば「互いに無視した」が正解ではないか。
ある程度の組織で、ある程度の地位にある人(あった人)の人間関係とは、会社関係であり仕事関係であることを知っている。だからこそ、多くの人は会社にしがみつき、地位にしがみつく。
人には事情がある。境遇があり、心の機微がある。同じ時間に同じ場所にいることがあるが、実はそれは「たまたま」なのだと思う。同じ会社の同じ部署にいたことと、同じショッピングセンターに向かう道ですれ違ったことの偶然には大きな差はないように思う。
お互いがリタイアした後に、また二人で飲みに行けばいい。その時にようやく、二人の関係が人間関係に昇華する(たぶん)。