異邦人の生涯 1
「没後50年 藤田嗣治展」を観た(東京都美術館 7月31日~10月8日)。
彼の作品を眺めていると「芸術家は死なない」という言葉の意味が理解できる。身体は滅んでも。作品と作品に込められた思想が遺る。第10回帝展(1929年)、第27回二科展(1940年)に出品された作品など、世代を超えて、新たな人々に感動を与える。つまり、彼は死んでいない。良識的な創作家にとって、作品は命そのものなのだ。
彼は1920年代半ばにパリで絶頂期を迎えた。「おかっぱ頭、丸眼鏡、ちょび髭、ピアス」の風貌は、とても当時の日本で育った人物とは思えない。その自画像や残されている写真を見ると、古さを感じるどころか、未来感さえ感じる。完全に時を超越している。
彼か感銘を受けた絵は「私の部屋、目覚まし時計のある静物」(1921年)、「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」(1922年)、「争闘(猫)」(1940年)、「アッツ島玉砕」(1943年)、「カフェ」(1949年)。東京美術学校の卒業制作「自画像」(1910年)、「自画像」(1929年)もいい。美術的価値は他の作品にあるようだ。
写真と想像で描かれた「アッツ島玉砕」(1943年)は同年9月の「国民総力決戦美術展」の出品作品。「作戦記録画」への関与が仇となり、彼は追われるようにフランスへ戻る。彼の父は森鴎外の後任軍医だったと後で知った。「アッツ島玉砕」は自分には反戦画としか思えないのだが…。
生涯は旅だった。自らの意志で旅立ち、時には旅立たざるを得なかった。旅の影響を受け、旅とともにその作風は変遷した。天賦の才能を持つ彼は、場所や時、境遇を選ばず、優れた作品を産み続けた。
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