東向きの窓辺
3連休は奥さんが毎年恒例の旅行に出掛けた。今日は競馬場に出掛けるつもりだったが、色々と気になることがあって気分が乗らない。今日はとりやめた。
時間を持て余し、クローゼットの棚から4年前に買ったレコードプレーヤーを取り出して、昔のレコードを聴いた。
尾崎豊「17歳の地図」(1983年)、浜田省吾「J.BOY」(1986年)。
この部屋はブログ名のとおり西向きに面している。窓の外は旧国道で多少うるさい。窓を開ければ心地よい風が入るが、車の音で音楽を愉しむことが難しくなる。
初めてレコードプレーヤーを持った部屋は東向きだった。その部屋もバス通りに面していて、信号で停まるバスやトラックの騒音で、度々、音がかき消された。時には大型車の振動でレコードプレーヤーの針が跳ぶこともあった。
あの頃、いつか自分が住む家は、住宅街の中か、あるいは郊外や農村部がいいと考えていた。余計な車の音に悩まされたり、車を駐車するのに毎月お金がかかったり、何より、暮らしていく上で人様に気を遣わなくてもいいような環境に住みたいと考えていた。それなのに現実は真逆になった。
レコードプレーヤーに載っているレコードの盤面が歪んでいる。35年前のレコードだ。35年前の休日も、こうして部屋でレコードを聴いていた。音は耳で聴いていたが、歌詞の意味は心で聴いた。
東向きの窓は西向きになったが、自分の人生はあの頃の延長線上にある。あの頃、描いていた理想の部屋には住めなかったが、それは大きな後悔や大きな損失ではない。人生は決して順調ではないが、それほど悪くもない。
持て余した時間を使って、古いレコードを買いに出掛けよう。
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