就職戦線異状なし
過酷な夏として記憶に残る夏がある。
1991年。大学4年の夏は就職活動のためにアルバイトに区切りをつけていた。バブル経済は既に崩壊していたが、就職戦線はまだその余熱の中にあった。
槇原敬之の「どんなときも。」は映画「就職戦線異状なし」(1991年6月公開。金子修介監督・織田裕二主演)の主題歌で、テレビの映画宣伝や音楽番組などで大量に流され、街で耳にすることも多かった。映画の公開時期と自らの就職活動が重なっていたため、映画そのものの評価はさておき、自分にとってはセンチメンタルな気分になる歌であり映画であることに間違いない。
当時の就職解禁日が8月1日だった。今日から27年前。一流大学の学生や優秀な学生は内定先から拘束を受けていた。就職解禁日という仕組みは形骸化していた。「ニュースステーション」のキャスター・久米宏氏が、その就職戦線について冷めたコメントをしていた。普段、何も語らない父が珍しく「うちにも大学4年生がいるが、どうなっている」と言った。
自分が夢を追った就職活動は失敗した。しかし、その活動が評価され、地元の優良企業に内定を得た。
その夏はお盆を過ぎた頃に東京へ戻り、人生で最も怠惰な毎日を過ごした。たまに鳴る電話の大半はアルバイト先の係長からだった。就職戦線から帰還した自分は、何一つやる気を無くしていた。後期の授業が始まるまでのひと月近くをクーラーのない部屋で昼夜逆転の生活を送った。扇風機は熱風で役に立たず、小型冷蔵庫の扉を開けて涼み、一日に何回もシャワーを浴びて凌いだ。
今年は間違いなく「最も暑い夏」なのだが、「最も過酷な夏」はあの夏だ。
今年の就職戦線はどうなのか。しかしもう二度と「就職氷河期」はやってこないだろう。売り手市場が永遠に続くのではないか。そして、氷河期世代がバブル期世代を一方的に敵視する確執や誤解も、やがて解けるだろう。
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