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2018年7月20日 (金)

「たそがれ清兵衛」という名刺

20180620 藤沢周平氏原作の映画化作品が相次いでテレビ放映されている。

 映画「たそがれ清兵衛」(2002年 山田洋次監督)は短編小説集「たそがれ清兵衛」(8編収録)のうち「祝い人助八」と、これとは別の小説「竹光始末」を原作としている。

 日本人の心の揺さぶり方を熟知している山田監督は、この「たそがれ清兵衛」というキャッチーなタイトルを見逃さなかったのだろう。

 映画として「たそがれ清兵衛」が優れていることに異論はない。しかし、この映画がヒットしたことで、「たそがれ清兵衛」が藤沢氏の名刺になったことには大いに不満が残る。藤沢作品が原作の映画として「たそがれ清兵衛」は真っ先にあげられることが多い。しかし、藤沢氏の小説として「たそがれ清兵衛」があげられることはないからだ。

 ある宴席で、珍しく藤沢氏の話題になったことがある。その宴席で「藤沢周平?たそがれ清兵衛か」としたり顔をされた時はほろ酔い気分が一気に醒めた。

 自分にとって、映画「たそがれ清兵衛」のハイライト・シーンは清兵衛が家老らに余後善右ヱ門を討つことを命じられる場面だ。清兵衛は善右ヱ門を討つが、どちらが討たれてもおかしくはなかった。そして、どちらが勝っても、両者ともに敗者であり、ともに被害者ということもできる。その宴席で「藤沢周平?たそがれ清兵衛か」と言った人物は、自分にとって「家老」の1人だった。

 映画「たそがれ清兵衛」が問いかけているもの。山田監督がテーマとしたのはサイドストーリーとして描かれる淡く切ない恋などではない。身分社会や藩政という組織の論理が優先される世界で、下級武士や庶民はそれに翻弄され、自らの意志は黙殺される世の中と、現代との共通点をあぶり出して見せることではなかったか。また、藤沢周平氏の著作で執拗に訴え続けたもの。その作品の読者たちが清涼剤として求め続けたもの。それらとは全く対極にいて、それらの傷みの欠片も理解していない人物までもが「藤沢周平?たそがれ清兵衛か」と語るようになってしまった。

 映画「たそがれ清兵衛」は素晴らしい映画。しかし、藤沢周平の名刺としては偽りの名刺だ。

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