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http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/04/post-f33b.html
6月29日 安倍政権の重要法案「働き方改革」関連法が参院で可決・成立した。「1947年の労働基準法制定以来、約70年ぶりの労働法制の大改正」。
「働き方は自分で決められる」のが多様性の核心なのに、法案を審議する議員はサラリーマンでも非正規職員でもない。多くは代議士の二世か三世で、しかも高齢者だ。散々働き終えた年寄りが、これから散々働く若者たちの働き方を決定する。これは「働き方改革」ではなく「働かせ方の変更」。
【追記】 家電大手P社は社内の組織風土改革の一環として、社員が他社で一定期間働く「社外留職」制度を導入したと発表した。企業風土や経営手法、価値観の異なる他社での仕事を通じ、社員の視野を広げ、組織で身に付けにくい能力を学ぶ。
30年前の記事?
6月26日 人気ロックバンドの曲の歌詞が不適切だとしてライブの中止を求める抗議活動をしていた男が道交法違反(駐停車禁止)の疑いで現行犯逮捕された。この曲をめぐっては、歌詞への批判がSNS上にあふれ、作詞作曲した人物はツイッターで釈明する事態になっていた。
以前、このようなブログを記したことがある。
http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/09/post-ed47.html
歌詞の内容がどんなものであれ、主張のない音楽などあり得ない。
ここまでは擁護。自分は99%、作詞作曲者の味方であるものの、実際に歌詞を読み、曲を聴いてみる。
「消化」不良 若者には目新しく聞こえるであろう単語を用い、技巧的ではあるが、一体誰を鼓舞しているのか。
「昇華」不良 題名が先にインスパイアされたのではないか。歴史認識が脆弱。
「唱歌」不良 言葉を音として使用しているように感じた。
1%は道交法違反の男の肩を持つ。いや、10%かな。
通勤路に咲く花を、ほぼ毎日のようにスマホで撮っている。最近は偶然見かけた花を撮るのではなく、花を見つけているし、探している。
ビルと住宅が併存するその道は交通量が多い通りから1本入った裏道だが、高校生の通学路になっている。確かに駅から学校までの直線距離ではその道が最も近い。
頭上で「いってらっしゃい」という、か細い声がした。見上げると二階の窓から老婆が半身を乗り出し、手を振っている。銀色のアルミニウムの柵に腰を下ろした老婆の銀髪は揺れているが、風で揺れているのではない。一生懸命に手を振っているからだ。
老婆はもう一度「いってらっしゃい」と手を振った。それが前を歩く高校生に向けて発せられているのではないことはわかっている。老婆と目が合っている。
頭と脳、感情と理性ではない判断、それは一瞬の反射だった。自分は足を止め、立ち止まり、前を歩く高校生とほんの少し距離をとった。そして斜め上を見上げて言った。「いってきます」。
老婆は手を振って微笑んだ。
第59回宝塚記念(GI 阪神芝2200㍍)は、ミッキーロケット(父キングカメハメハ)が勝利した。珍しく予想が当たった。しかも、1年前から予想していた。
http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/06/post-6d73.html
上記のリンク先は「昨年(2017年)の宝塚記念でミッキーロケットの馬券を買ったこと」が記されている。つまり、今年の予想は外した。競馬は大好きなのに、予想は不得手。一方的な片思いのまま、30年過ぎた。
今年の宝塚記念は競馬が持ついくつかの魅力を再確認させたレースだった。
ひとつはミッキーロケットに騎乗した和田騎手が「17年ぶりの中央GI勝ち」をおさめこと。彼が前回中央GⅠレースを勝ったのが2001年にテイエムオペラオー(父オペラハウス)で天皇賞(春)を制して以来。そのテイエムオペラオーは今年5月に亡くなったばかり。和田騎手は「オペラオーに報告できます」と声を詰まらせた。
もうひとつは2着に香港からの遠征馬ワーザー(10番人気)が入ったこと。本来、ワーザーの戦歴は格上の評価もできたが、宝塚記念への外国馬の参戦自体珍しく、馬体重が前走比でマイナス27㌔減だったことが人気を落とした要因だった。マイナス27㌔減からの激走は記憶にない。
6月15日 山陽新幹線のぞみ176号が博多・小倉駅間を走行中に接触事故を起こし、1人が亡くなった(自殺と推定されている)。緊急停車し点検したところ、先頭車両の前頭連結器カバーが壊れ、内側から遺体の一部らしきものが見つかった。
① のぞみ176号の運転手 「ドン」という何かがぶつかる音を聞いたが運行を続けた
② 停車中に車両頭部の破損を確認した駅員 「違和感を感じたが異常とは思わなかった」
③ 記者会見した副社長 「(カバーはプラスチック素材で重量がなく)直ちに危険というわけではない」
JRは鉄道という輸送機器を定刻どおり運行する会社になってしまった。そのことが最大のサービスと考えているのだろう。おそらく、そのことが組織では大義、至上命題となっている風土や文化が垣間見える。運転手にも駅員にも組織上層部にもまるで危機感がない。
大義を語る者は、実は大義などはどうでも良く、自身の保身、自身の出世が第一義であることが多い。
乗客が札束か硬貨に見えている「危険な会社」。危険な会社の乗客にはなりたくない。
今年は田中角栄(1918年(大正7年)5月4日-1993年(平成5年)12月16日 第64・65代内閣総理大臣)氏の生誕100年、没後25年の節目の年。
田中氏は「功と罪」の大きな政治家だったが、近年は「功」とそれを成し遂げた彼の類い希な先見性と人間性が再評価されている。
写真は柏崎カントリークラブ(柏崎市 旧西山町)。多くのゴルフ場がそうであるようにバブル後の後始末(平成16年 民事再生法申請 平成20年 民事再生終結)はあったが、潮風を受け、海に向かってティーショットする圧倒的なロケーションに変わりはない。
この海に近い雑木林の丘を削ったのは田中氏だ。それは自身の代名詞にもなっている「利益誘導型」の政治手法の典型でもある。しかし、社交・娯楽・趣味の場所として、周辺農村部の就業先として、大きな役割を果たしたであろうこともまた明白だ。田中氏の先見性と人間性の産物でもある。
優良企業A社があるとする。
「A社はX地区では歴史ある優良企業かもしれない。しかし、Y地区、Z地区でA社を知っている者はいない」 そう話している取引先B社。
「B社はN県では歴史ある優良企業かもしれない。しかし、T都、O府でB社を知っている者はいない」 その話をしているのは取引先C社。
「C社はJ国では歴史ある優良企業かもしれない。しかし、U国、F国でB社を知っている者はいない」 つまり、キリがない。
地方で生き延びることとは、目の前のA社との取引関係を維持・向上させること。
FacebookやAmazon、AppleやNetflix、そしてGoogleを満足させる提案ができるはずもないからだ。
河井継之助記念館を紹介する文中に「惻隠」(そくいん)という言葉が出てくる。「かわいそうに思うこと、同情すること」の意味を持つ言葉。
記念館は長岡市の市制100周年と市町村合併記念事業として河井家の生家跡に整備された。幕末の長岡藩政を担い、逝った継之助が記した西国遊歴の旅日記「塵壺」(ちりつぼ)、彼が主人公として描かれた司馬遼太郎の小説「峠」の原稿などが展示されている。
河井継之助記念館は平成18年(2006年)12月27日に開館。継之助の死(1868年)から138年間を要した。福島県只見町の記念館よりも歴史が浅いのは、長岡の町と人にとって、継之助が後生に及ぼした「負の遺産」によるところが大きかったのだろう(写真は昨秋のもの)。
「惻隠」 とても良い言葉。
河井継之助記念館 長岡市長町1丁目甲1675-1 開館時間:10時~17時
オープンしてから半年。「草木万里野」はかなりの人気店になった。
http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/01/post-2df9.html
料理にハズレがないことがストロングポイント。それと両輪なのが静かに食事できるという点だろう。幼児や児童の入店について注意喚起の掲示が入口にある。素晴らしい。
ランチは女性客が9割か。いくらブース状、半個室の席が多数といっても、やはり多少の騒がしさは感じてしまう。店内は複数のゾーンに分かれている。一部は少人数利用に限定して運用していただくとありがたい。
最近は完全に「いい店」 = 「静かな店」という価値観になってしまった。スタッフのサービスも洗練されてきた。貴重な郊外型Restaurant
茶屋 草木万里野 長岡花園店 長岡市土合町25-17(原信花園店駐車場地内) ℡0258-86-8189 営業時間:11時~24時 定休日:なし
NHK BS 「映像の世紀プレミアム 9 独裁者 3人の“狂気”」を観た。
「20世紀の世界を恐怖に陥れた3人の独裁者の素顔を描く。ファシズムを生み出し、ローマ帝国の復活を掲げて愛国心を煽ったムッソリーニの元には、全国からラブレターが殺到した。そのムッソリーニにあこがれて独裁政権を築いたヒトラーは他人を信じられず、忠実な青少年団ヒトラーユーゲントの育成と愛犬ブロンディの調教に力を注いだ。そして、ヒトラーと4000万人の犠牲者を出す独ソ戦を繰り広げたソビエトのスターリンは、実の息子が敵軍の捕虜となっても見捨てる冷酷な男だった。独裁者たちは「天使の顔」をして国民の前に現れ、やがて国民を弾圧する「悪魔の顔」をむき出しにした。3人の独裁者たちの“狂気”を描く」 (以上、番組案内から引用)
感想は「映像だから真実であるということはない」。
映像は編集される。字幕は翻訳・意訳される。つまり、映像番組は意図された方向へと導かれる。
20世紀を“代表”する3人の独裁者。その後の世界に独裁者が続いたことは番組の終盤で触れられた。ファシズムを理解し、憎悪し、人類にとって負の歴史を繰り返さないというメッセージはあった。しかし、その独裁体制は我々の身近にもあった。そのことには1㍉も触れられていない。それは記録番組として未完成だし、ジャーナリズムとしては空振り、歴史としては改竄(かいざん)に近い。
今年は2018年。1945年に太平洋戦争・第二次世界大戦が終結してから73年が経過した。仮に歴史を1年に1%ずつ塗り替えようとしたら、今年で73%の歴史を塗り替えることが可能だ。もちろん、単純なたし算のような訳にはいかないが、このような映像や記録というのは後世に遺るもの。その意味で、歴史学者100人よりも、映像や記録の作り手1人の方が担う役割が大きいように思う。
「いきなりステーキ」を初めて利用。当地進出後、およそ半年。開店当初は物珍しさもあって相当な混みようと伝え聞いていた。現在は比較的スムースに入店できる。
システムに若干戸惑い、多少の違和感もあった。大前提として若者向けの店。ステーキをより身近に、よりカジュアルに、普段の食事の選択肢に、というのがコンセプトだろうから、些細な指摘は意味がない。
肝心のステーキは種類も多く、選ぶ楽しみがある。しかし、価格や味に決定的な差があるようには思わない。企業の戦略が的確なので、成長は続くだろうが、現在のところ、他のステーキ店と比較してアドバンテージがある訳ではない。価格相応の店。
いきなりステーキリバーサイド千秋店 長岡市リバーサイド千秋1階 ℡0258-94-9293 営業時間:11時~21時半LO 定休日:なし
CSの無料放送日をネット広告で見つけた。元々、麻雀やパチスロなどのギャンブルやVシネマ、雑多なエンタメ番組を放送しているチャンネルだ。数本のアメリカ映画(Vシネマ)を予約して、まとめて流し見するつもりだった。題名も内容も下品で下劣なのに、映画のテーマは夢を追いかける若者の純粋な姿や過去のトラウマに囚われた女性が立ち直っていく様を描いたり、すべての映画がハッピーエンドだった。流し見などできなかった。無料放送だからという意味とは別に、トクした気持ちになった。
昨日は「手のひら返し」というタイトルをつけたが、今日は自分自身が「手のひら返し」、翻意してみる。同時に同意と祝意、そして賛意を。
第71回カンヌ国際映画祭で是枝裕和氏が監督した「万引き家族」が最高賞「パルムドール」を受賞した。様々な形で祝意が寄せられる中、是枝氏は文部科学大臣からあった祝意の打診を辞退すると表明した。このことがしばらく波紋を広げていたようだ。
是枝氏は自身のブログで「受賞を顕彰したいという問い合わせを頂きましたが、全てお断りさせて頂いております」と、それらのすべてを辞退していることを明らかにした上で「顕彰の意味や価値を否定するものではありません。しかし、かつて映画が国益や国策と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、このような平時においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」と記した。
是枝氏の作品は確かテレビ放送で1本見ただけ。たいへんお恥ずかしいのだが配役(キャスト)に馴染めず、これまでは敬遠する映画監督だった。しかし、今回の明確な発信と発言は見事であり、一気に興味を抱かせる監督になった。
映画監督は映画でこそ評価されるべきで、監督自身も今回の賞や、その後のひと騒動で評価されたり、イメージを持たれることは本意ではないと思う。しかし、自分がそうであるように、多くの人はこう考えるのではないか。「こういう考え方をする映画監督の作品が駄作であるはずはない」と。すでに日本アカデミー賞を受賞している名監督に対して失礼かもしれない。
自分は「手のひら返し」したい。是枝氏の筋の通ったスタンスとコメントに同意する。これまでのイメージに囚われた思い込みを翻意し、今回の受賞に祝意を。そして、氏の「心の持ちよう」に賛意を示したい。
【追記】是枝氏は6月6日 日本外国特派員協会で行った会見の中で「海外の映画祭で、なぜ日本映画には社会と政治がないのかと言われた。それは、日本の配給会社がしてこなかったからです。日本映画の幅を狭くしている」と持論を展開した。
6月2日 金融庁は2018年3月期決算が7年ぶりに赤字となった福島銀行に対し、収益力の改善を求める業務改善命令を出した。
6月6日 金融庁は島根銀行に対し、収益力の改善につながる経営の立て直しを促す業務改善命令を出す方向で検討している。11年間トップの座にいた元頭取が退任後も取締役として経営に関与し続けてきたことを問題視。「元頭取の影響力を排除できずにいた体質」に問題があるとしてガバナンス(企業統治)の見直しを求める。
6月6日 スルガ銀行は公表済の2018年3月期決算を訂正すると発表。シェアハウス関連問題で判明している融資審査書類の改ざんなどの不正が、投資用不動産融資でも行われていた可能性が浮上した。貸倒引当金を約203億円積み増し、決算は大幅に下方修正される。
金融庁はスルガ銀行の高い収益力を賞賛していた。
2018年6月12日 今日のニュースは 「アメリカ・トランプ大統領と北朝鮮・金正恩委員長の首脳会談」一色。“歴史的な出来事”であるのは間違いないのに、物足りなさ(失望感)と同時に懐疑的な思いが残る。
物足りなさの理由は拉致問題に尽きる。会見で触れられていたものの、声明には盛り込まれなかった。懐疑的な理由はこれまで度々、裏切られて来たから。「今回だけは本気」というのは信じ難い。それは彼らのいつものやり方でもある。「今回だけは結果」を期待する。
個人的な思い出ではなく、社会的な出来事を日付や年月で覚えていることがいくつかある。
1991年8月にロシア(当時はソ連)で起こった「8月革命」は就職試験の面接日当日に起こった。「君はどう感じたかね?」という面接官の質問に驚いた。
1995年1月は「阪神・淡路大震災」が起き、同じ3月に「地下鉄サリン事件」があった。
21世紀に入った2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件」、2004年10月23日の「中越地震」、そして2011年3月11日の「東日本大震災」。
記憶されている月日の多くは事件や天災など「負の出来事」だ。
2018年6月 「アメリカ・北朝鮮首脳会談」は、後々まで記憶されることになるだろうか。奇人が偉人になることは歴史が証明しているが…。
【6/14 追記】 演劇、ミュージカル界において最も権威ある「トニー賞」の授賞式で、プレゼンターとして登壇したロバート・デ・ニーロが「くたばれ、トランプ」と発言した。その後、トランプ大統領はツィッターで反撃を試みているという。
「2人のうち、どちらが金持ちか」という1項目を除いて、トランプ大統領はデ・ニーロに敵わないだろう。デ・ニーロは今回の会談が「安い政治ショー」だったことを見抜いているのではないか。「下手な芝居を見せやがって」という名優の評価が、的外れだとは思わない。
6月9日 東海道線新幹線車内で男女3人が刃物で襲われ、そのうち男性(38)が死亡した。凶器は車内に平然と持ち込まれた「ナタ」と「ナイフ」だった。容疑者(22)は精神的な疾患を持つ人物で、昨年「措置入院」が見送られていた。死亡した男性は2人の女性を助けようとして犠牲になったとみられ、被害者には数十カ所の傷があった。
識者は新幹線の過密ダイヤと待機・待避場所がないことをあげ、飛行機に搭乗する際のように手荷物検査の時間をかけられない現状から、改札機に凶器となる刃物や爆発物等の危険物を検知するセンサーの開発が必要だと指摘している。
この構図が遅々として進まないアメリカの銃規制と酷似している。「銃と手荷物」、「規制と検査」の違いがあるだけだ。
http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/10/post-c8e0.html
銃規制が進まないアメリカの社会を擁護する気はサラサラないが、日本で手荷物検査導入が具体化しない社会の方が未成熟な印象を受ける。アメリカの「銃と自由」は表裏一体のような関係にある。一方、日本の手荷物検査を阻むものは何だろう。それは、「利益」であり、利便性や効率性などだ。
多少の安全性を犠牲にしても銃を手放さないアメリカの社会があり、多少の安全性を犠牲にしても利益や効率を手放さない日本の社会がある。
新潟県知事選が投開票された。自民・公明が推薦する候補が勝利。「原発再稼働慎重姿勢」が二枚舌ではないか監視が必要。
新潟にもこういう集落が残っていると知ったのは7~8年前だった。雪深い土地。冬が来る前に訪れようと思いながら、結局半年以上経過していた。十日町に行ったついでに立ち寄った。
朝靄(もや)、夕暮れ、真夏、稲穂の時季、そして雪景色など絵や写真になる風景。
茅葺きの家は宿泊施設になっているようだった。子ども連れに人気の「じょんのび村」が近く、教育的・学習的な存在意義は高い。ゆっくりと訪れたい場所ではあるが、なかなか難しい。敷居が高いというのではなく…。ハードルが高い。なかなか難しいなぁというのが正直な感想。
荻ノ島環状かやぶき集落 柏崎市高柳町荻ノ島 / 門出かやぶきの里 柏崎市高柳町門出
十日町の複合施設「クロス10」(クロステン)は、現在、道の駅に認定されているものの、かなり以前から、道の駅的な役割を果たしていた。現在ではこういった施設を持たない自治体は少ないが、地域産業の農産品などを展示・販売する先駆けの施設ではないか。 http://cross10.or.jp/shop/
偶然訪れた「manma and cafe ユキマツリ」。ここでの食事が「今年№1」に旨かった。
写真左 隣接する「越後妻有交流館キナーレ」 回廊型をした複合施設 普段、中央は水が張られている 写真中 「ユキマツリ」の外観 クロス10の1階にある 写真右 日替わり定食(980円)
manma and cafe ユキマツリ 十日町市本町六の一丁目71番地26 ℡025-752-6770 営業時間:10時~17時LO 定休日:水曜
2007年から2009年1月までおよそ1年半の間、ブログを記していた。その時のブログには「クールヘッド&ウォームハート」と名付けていた。
「冷静な頭脳、温かい心」。いま思うと、あざとい感じがする嫌な名前だ。その言葉がイギリスの“近代経済学の巨人”アルフレッド・マーシャル(1842年-1924年)のものであることすら知らずに使っていたのだから、浅はかでお粗末というほかない。
マーシャルは、19世紀から20世紀にかけて近代経済学の形成に大きな影響を与えた人。価格決定における需要と供給の理論を確立し、現在でもマーシャルの理論は経済学の根幹になっている。彼がケンブリッジ大学の学生に対し「冷静な頭脳と温かい心情を持って社会的苦悩に取り組む能力を進んで捧げよう」とした演説の引用が「クールヘッド&ウォームハート」。
2016年6月 「柏町9階 西向きの窓辺」とタイトルをつけて2度目のブログを書き始めた。前回のものとは一転、思いが込められた言葉は入っていない。全て状況を説明する言葉だ。
諸事情があって始めたブログ、諸事情があって辞めたブログ、そして諸事情があって再開したブログ。再開後のブログも今月で丸2年が経過した。諸事情というのは主に気持ちの上だけの諸事情で、簡単な話、ブログを「はけ口」にしてきた。コメントやトラックバックを閉じているのはこのせいだ。ブログを読んでもらって繋がりを持とうなどという気は毛頭無い。自分から滲み出る言葉をどこかに記録しておきたいという思いでしかない。
これまで日記風に「1日に1つ」のペースで記してきたが、今後は「週に1つ以上」に弛めることにした。理由はいくつかあるが、一番大きいのは「同じようなこと(愚痴)を何度も記している」と感じたから。
先週末、政府はフィギュアスケートで冬季五輪を連覇(2014年ソチ・2018年平昌)した羽生選手に国民栄誉賞を授与することを決定した。1977年に同賞が創設されて以来、最年少での受賞だという。
受賞理由は「修練と努力により、冬季五輪個人種目における日本人初、世界でも66年ぶりの連覇という、歴史に残る快挙を成し遂げ、国民に夢と感動、社会に希望と勇気を与えた」とされた。
国民栄誉賞の創設から41年。これを辞退した人が3人いるという。その中にイチローの名前があったが、彼は辞退なのだろうか。明確な引退後、あるいは米国の野球殿堂入りの頃に「延期」されたものと理解していたのだが。
国民栄誉賞第一号を王貞治選手が受賞した際は、国をあげての祝福ムードがあった。むしろ王選手を表彰するために、この賞が創設されたといっていい。羽生選手の実績は受賞理由のとおりなのだが。彼はまだ23歳だ。授賞に対する政治的な思惑も見え隠れする。
賞を辞退した残り2人は、プロ野球の盗塁王・福本豊氏(1947年(昭和22年)-)と作曲家の古関裕而氏(1909年(明治42年)-1989年(平成元年))。他の25人(組)の受賞者よりも、断然、こちらの人となりに興味が湧く。
アジサイが開花の準備を始めた。まだ何色か正体を見せないこの時季のアジサイも美しい。今年は梅雨入りが早いという予報が出ている。
昨日の話を引きずる。客として標準以下のサービスを受けた場合、それがモノであれば返品することができる。人(接客)の場合、クレーム・苦情を入れることもひとつの方法だ。しかし、多くの人は泣き寝入りしたり、「もう2度と使わない」と心に決めて、その感情をやり過ごすのではないか。
「やり過ごせること」ができる状況ならば、心のスリ傷はやがて消える。これが職場環境になると話は深刻化する。多くの職場では「やり過ごすこと」が難しいからだ。心のスリ傷は治癒する時間もなく、またそのキズ口が傷つけられていく。
自分が仕事のパートナーとして信頼する人は、仕事ができる人ではない。職場で最も元気な人でもないし、営業成績が1番だったり、事務や細則を熟知している人でもない。もちろん、肩書きも信じていない。自分が最も信頼する人は「気持ちが安定している人」だ。
人には人格・性格があり、例えば明るい性格、普通、暗い性格がある。テンション高め、標準的、低めというのもある。積極的、平均、消極的など、あげればキリがない。その中で自分が信頼する人は明るい人ではないし、積極的(あるいは前向き)な人でもない。「気持ちが安定し、抑揚が少ない人格の人」を信頼する。
日によって、気分によって、こちらが異なるアプローチを要するというのは困る。だから、自分が最も嫌悪するのは「不機嫌な人」ということになる。不機嫌な人は「不機嫌の悪影響」知らない。不機嫌は甘えであり、不機嫌は罪なのだ。「情緒が安定している」、「感情の起伏が少ない」、「気持ちが安定している」ということは極めて高い能力だと信じている。
働く者たちは、自分が暮らすため、生きるため。家族が暮らすため等のために働いている。その労働力は企業を通じて社会の発展に寄与する。そして、普段はそんなことは誰も考えないが「今よりも上質な社会を作るため」にも貢献している。そんな共通認識(というより、マナー)を持つ者の集団ではパワハラは生まれないように思う。パワハラは「不機嫌な人」に多く発生する。
多くの人は平日に仕事をし、休日・週末に余暇を楽しむ。自然といわゆるサービス業に接する機会は休日・週末に増えることになる。
この週末、5つの店に初めて訪問する機会があった。そのうち、4つの店は平均か、平均以上の接客をする店だった。接客やサービスといっても、大多数の人は何か特別なことを求めている訳ではない。普通でありさえすれば、それでいいと考える人がほとんどだと思う。自分もその大多数のうちの一人だ。
残るひとつの店で平均以下の対応に遭った。顧客対応がマニュアル化されている現在では、なかなかお目にかかれない対応だった。5つの店は業種や繁忙度も違うが、5人の中で酷い対応をしていたのは最も年上の方で、最も暇な店の店員だった。
事務は一切、IT化されておらず、時代から取り残されたような仕事。その単純作業の繰り返しこそが仕事であり、効率化や合理化が自分の仕事を奪うと考えているのかもしれない。もちろん店員だけの責任ではないが、ごく小規模なビジネスでは、組織(仕組み)よりも人柄で解決できることの方が多い。
年をとっているということは経験があるということ。その仕事の経験が例え若者より短くても、人生経験や社会人経験、あるいは顧客対応の経験が多数あることに「年寄りの価値」、「ベテランの価値」がある。若者は“塩対応”でも許されるが、ベテランに塩対応という半ば寛容な区分は存在しない。それは雑な対応であり、基本的な能力の欠如や人格の問題として扱われる。
営業の場面ではよく「政治・野球・宗教」の話題はタブーとされる。「地雷を踏まないように万全を期す」という意味で、それらを避けた方がいいというのはわかるが、地雷を踏むケースはどんな話題であっても似たような確率で発生する。
政治・野球・宗教の話題は「そうでもない」というのが実感だ。例えば「政治の話くらいできなければ」と思う。企業経営にかかわるような施策、身近な年金や税金にかかわるような話題について、各党の政策から話ができることは信頼に繋がる。一方の肩を持つからタブーとされるのであって、適度な庶民感覚と適度な合理性を持っていれば怖がる話題にならない。
野球や贔屓(ひいき)にしているスポーツチームの話で困ったことはない。野球はどこが勝っても構わないし、興味がない。しかし、「野茂が好き」、「カズが好き」という選手個人への想いは話す。大好きな競馬の話は、振られたら食いつくスタンス。最も苦手な話題はゴルフ。ゴルフ好きな人はゴルフ嫌いを矯正しようとする人が多い。話を合わせているとプレーに誘われたりする。
宗教の話題は少しだけ注意を要する。(話を)振られたら受けるというスタンス。よくあるのが「新聞購読」のケースだ。これはむしろ公然としており、わかりやすい。「全国紙と地方紙(あるいは経済紙)を購読しており、経済的にムリなんです」と逃れる。しかし、仮に3ヶ月購読して関係性が保たれるなら、現実的にその程度は受け入れた方が得策だ。社会的に何の意味も持たないノルマに追われるサラリーマンは、宗教的には意味も持たないノルマに追われる信者の気持ちがわかる。但し、その判断が実績となり、後任へ引き継がれていくリスクも考えなければならない。また、宗教に関しては顧客に限らず、同僚との関係性の中でも注意がいる。
実はタブーなのではと思われる話題が「縁故」だ。名字が違っても兄弟や親戚、よくある名字の人が実は…ということが少なくない。「誰も聞かせてくれなかった」ということが多い。
「凄い」という言葉は都合が良いので、ついつい使ってしまう。「素晴らしい」とか「良いですね」なども同じ。たいていの場合、「何が」、「どう」という部分が抜け落ちてしまう。
「凄い」というのは「人の心に強く迫る感覚のこと」。迫力があること、威圧的であること、圧迫されること、抑圧的であること、気迫や殺気があること、衝撃的であることなど。
大谷翔平選手がMLBデビューしておよそ2ヶ月が経った。自分自身の中では野茂英雄こそ唯一無二の日本人メジャーリーガーという思いが強い。全てを投げ出し、退路を断ってメジャーに挑戦した野茂と大谷は時代・世代、様々な環境の違いがあるが、どこか共通点があるように映る。
「Shohei」と「show」を捩(もじ)った「Sho-time」(ショータイム)という造語はロサンゼルス・エンゼルスのスーパースター マイク・トラウト選手が作ったものと伝わっている。「お眼鏡にかなった」ということだろう。
大谷選手の「何が」、「どう」、「凄い」のか。野球選手として具体的な技術の凄さはわからない。自分が彼から「強く迫る感覚」として受け取るものは、これまで長く続いてきた価値観をひっくり返したことだと思う。彼は「分業制が進化し、それこそが合理的だと考えてきたMLBの価値観」をひっくり返した。既成概念、固定概念を転覆させた。
打つだけの人がいて、投げるだけの人がいた。しかし、彼はホームランを打ち、三振を取る。大谷の出現によって「打って投げること」 = 二刀流 が当たり前になる可能性すらある。ローテーションピッチャーの5人は、そのままチームの1番バッターから5番バッター。さすがにそれはゲームの世界だろうが、そんな妄想を抱かせる。
野茂と大谷。何かが重なるのだが、具体的な表現に結びつかない。二人に共通するのは、ともに屈託のない無邪気な笑顔を見せることだ。
今月はサッカーのワールドカップがロシアで開幕する。昨日は大会に臨む日本代表が発表された。開幕戦は6月15日 0時(以下、すべて日本時間)に、決勝戦は7月16日 0時にそれぞれ行われる。
グループリーグH組に入った日本は、6月19日 21時にサランスクでコロンビアと、25日 0時にエカテリンブルクでセネガルと、28日 23時にヴォルゴグラードでポーランドと、それぞれ対戦する。
恐らく日本のワールドカップは今月中のおよそ10日間で終わる。一昨日の壮行試合 ガーナ戦を完敗したからではない。仮に7月も試合ができること(決勝トーナメント進出)になったとしても、自分はそれを賞賛しない。その代わり、予選リーグで敗退しても非難しない。もちろん、結果論も記さない。
野球にも興味がないが、サッカーには感情移入できない。メジャーなスポーツの中で、最も距離を感じるのがサッカーだ。サッカーは基本的にはビジネス。サッカーは最も成功したスポーツビジネス。