倹約の絨毯
5月のこの時期は爽やかな天候が続くはずなのだが、今年は寒い。温暖というよりは冷涼で先週の北海道よりも肌寒い。
今日は昭和11年(1936年)生まれの父の82歳の誕生日。
父からは多くのことを学んだ。父から学んだ最大の教えが「倹約の思考」だ。
「節約は美徳である」という考え方は日本人の心底に脈々と流れるいわば“民族思想”だと思う。その証拠という訳ではないが、節約には似たような言葉がたくさんある。倹約、節減、削減、縮減、軽減。使ったことはないが、節用、節倹、節略という類語もある。また、経済的という言葉も同じ意味で使われるが、こちらは若干スマートな印象になる。誰も節約を悪く扱えない。
一方で過度な節約には「ケチ」という言葉が待ち受けている。行き過ぎた節約は悪とされる。そちらの言葉もたくさんある。例えば「吝嗇家(りんしょくか)」。金品を提供することをしぶる人のこと。他にも、しぶちん、しまりや、しみったれ、守銭奴…とキリがない。
海外の映画祭でスター俳優たちが赤い絨毯(じゅうたん)の上を歩く姿を見ると、自分もある絨毯の上を歩いていることに気づく。それは「倹約の絨毯」だ。思春期の頃までは、父を行き過ぎた節約家と考えた時期があった。しかし、それは堅固な倹約であった。「倹約心が敷かれた人生を歩く」ことの意味を、父から教わり、父が敷いてくれた絨毯の上を歩いているように思う。
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