挑戦と忍耐
映画監督の大林宣彦氏が、ほぼ3時間一人で語った「最後の講義」を視聴した。
小津安二郎、黒澤明、淀川長治、山本嘉次郎、円谷英二、ジョン・フォード、フランソワ・トリュフォーら、映画界の先人や影響を受けた人々の名を挙げ、日本と世界の映画作品、映画が辿ってきた時代背景、そして自身が撮ってきた作品を織り交ぜながら語った“遺言”だ。
「古い映画が新しい映画を生む」、「映画とドキュメンタリーに境界はない」、「撮らないというフィロソフィー」、「豆腐屋として映画を作る」、「平和孤児」、「プラカードを担がない」、「戦前を生きている」、「映画で過去と未来を結ぶ」、「映画とはメイク・フィロソフィー」…。
大林氏の講義を聴いていて思ったこと。それは「語る者だけが道を拓く」ということだ。大林氏に当てはめれば「撮る者だけが道を拓く」。
撮る者。それは「行動する者」と置き換えられ、更にそれは「挑戦する者」と言い換えられる。やはり、忍耐からは何も生まれない。いや、忍耐から繰り返し生産されるのは、必死に自己満足として消化しようと、心や精神に生ずる“胃酸”だけだろう。「挑戦」の対義語は「応戦」だというが、対になる“対極語”が「忍耐」だ。
当地・長岡を舞台にした「この空の花 長岡花火物語」(2012年)が大林氏の「戦争3部作」の重要な位置を占めていることを知る。「戦争3部作」はおそらく氏にとって最後の監督作品になる。大林宣彦氏の「最後の講義」は「最後の抗議」であった。
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