イカサマ師たち
3月7日 近畿財務局職員が遺書のようなメモを残して首を吊った。彼は学校法人森友学園への国有地売却に関する交渉に関与した職員だった。
3月9日 国有地売却時の財務省理財局長で、国税庁長官にまで登り詰めていた佐川国税庁長官が逃げるように辞任した。
同学園への国有地売却に関する決裁文書の書き換え疑惑は“疑獄化”しそうな勢いだ。
もう15年近く前、先輩A氏と「株式投資は投資かギャンブルか」で議論になったことがある。A氏は「投資。ギャンブル的な一面を持つ」とし、自分は「投資の皮を被ったギャンブル」とした。
自分は現在の株式市場はイカサマ市場だと思っている。それはここ15年間、ずっと変わらない。特に「貯蓄から投資へ」などというスローガンのもと、決して富裕層ではない庶民が、コツコツと積み上げてきた貯蓄を“得体の知れないリスク”にさらして来た「号令」を全く信用していない。その実態は投資家の利益よりも、国の経済政策の成果、経済産業界のメリット、そして証券・銀行・保険会社の利益が優越する仕組みだからだ。
胴元が負けないのがギャンブルだが、株式市場では10年に1度くらい胴元が負けることがある。ギャンブルは小遣いが原資だが、資産運用は給料や退職金が原資になる。「株式投資はギャンブルです」と言っていればいいのだが、「資産運用です」などと言うから、取り返しがつかなくなる。
賭場も荒れている。株式投資では賭場を市場(マーケット)などと言っているが、ヘッジファンドや石油産出国等の金、有力国の金融政策はかなりの影響力を持っている。現実に日本の株式市場も国が支えている。
最もひどい惨状なのが「投資信託」だ。テーマ型、毎月分配型、人気上位の商品、新規設定されたもの、販売系列会社の投信、そしてコスト(販売手数料)の高い投信。「お客様の長期的な資産活用のために」などという言葉は噴飯もので、投資信託は「販売金融機関の手数料収入のために」存在している。営業マンに尋ねてみればいい「(店や個人の)業績目標・業績評価がなくても、顧客の将来のためにそれを販売しますか?」と。
数年後、A氏は近親者を縁故入社させた。もちろんA氏に権限はないから、“口利き”をしただけだ。親子で2代、3代と自社に入社している人が少なくないことについて疑問(否定的な意見)を呈した時、「お前には親の気持ちがわからない」と批判されたことがあった。
「(本来、入社できたはずの)“失われた席”に座るはずだった者の気持ち」は誰が汲むのだろう。株式市場や投資信託は健全なルールの下で取引されるから成立する。縁故入社には一定の利点もあり、それ自体を全否定するつもりはないが、健全なルールと言えるかどうかは疑問だ。
森友学園への国有地売却は健全なものだったのだろうか。それならばなぜ、人が辞め、人が死ぬのか。
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