見物お断り
今日も先週土曜の話。只見線日帰り旅行の際、乗換駅周辺で食事できる店を下調べしていた。「道の駅 奥会津かねやま」の「こぶし館」で昼食にしようと決め検索しているとこんな口コミを目にした。原文のまま引用する。
「メニューにはないが念のためうどんはないか聞いたところ年配の店員に「うちは蕎麦屋ですからうどんはないです」と愛想なく冷たく言われましたが、蕎麦の香りも感じぬ蕎麦で、蕎麦湯さえ出てきませんでした。うちは蕎麦屋だと豪語するなら、せめて蕎麦湯ぐらいだして欲しいものです」(投稿者は5つ満点中、星1つをつけている)
この口コミが闘志に火をつけた。徹底的に反論する。
1.投稿された日は、自分が訪問する1週間ほど前だ。おそらく同じ食券販売機を見て、同じメニューを見て食事したはずだ。こぶし館の券売機と掲示されているメニューとテーブルのメニューに「うどん」の文字はなかった。投稿者が「念のため尋ねた」こと自体、投稿者に「ズレ」があるように思うが。結果的に「うどんはなかった」のだから「おとなしくありがたく食して終わり」の話ではないか。
2.旅慣れ感をアピールしているが、投稿者は「ただのサラリーマン」でほぼ間違いない。投稿者は香川県のうどん屋で「そばはないか?」と聞くのだろうか。奥会津で「うどん」を所望すること自体、旅慣れた者であるはずがない。
3.こぶし館は町中にある食堂ではない。もちろん地元客も利用するだろうが、道の駅にある食堂だ。道の駅の主たる利用者は旅行者だ。旅行者はその土地の名物や味を求める。蕎麦やソースカツ丼は奥会津の名物だ。
4.「愛想なく冷たく言われた」のは言い方の問題か?受け取り方もあるだろう。「うどんはないか」と尋ねられた蕎麦屋は「思慮に欠けた無神経な客が来た」と思ったのではないか。
5.「年配の店員に…」 これはどんな意図だろう。福島県金山町の人口は2千人程度で高齢化率が50%を超える限界自治体だ。「道の駅 奥会津かねやま」は町の中心部・川口地区から2.5㌔離れた場所にある。20歳の女性店員でもいると思ったのだろうか。自分は「年配の客」ではないのだろうか。
6.「蕎麦の香りも感じぬ蕎麦で、蕎麦湯さえ出てきませんでした。うちは蕎麦屋だと豪語するなら、せめて蕎麦湯ぐらいだして欲しいものです」 この1文は常軌を逸している。「蕎麦の香りも感じぬ蕎麦」であることを“豪語”する人間が、奥会津の道の駅で「うどん」を注文するだろうか。
7.「蕎麦湯さえ出てきませんでした」 うどんを注文しようした厚顔な人間が、なぜ「蕎麦湯下さい」と言わなかったのか。言えなかったのだろう。
8.「うちは蕎麦屋だと豪語するなら」 店員は“豪語”などしていない。客の質問に回答しただけである。
「道の駅 奥会津かねやま」と「こぶし館」の名誉のために記しておく。蕎麦は手打ちだったし、大根とごぼうのけんちん蕎麦「むかしそば」は他で食べたことがない美味しさだった。
金山町、奥会津、只見線沿線自治体、地方山間部の現状と将来、道の駅の労働環境、経営環境…縁あってそこを訪れた旅行者が想いを馳せるべき点は尽きないほどある。訪れた土地をよく観て、よく聴いて、考えるツーリストではなく、ただ過ぎ去るのみのパッセンジャー。こういう輩(ヤカラ)を観光客とは言わない。見物人という。
写真は道の駅の向かいにあった滝谷寺というお寺。残雪に「瀧谷寺晩鐘」という看板が半分埋もれていた。晩鐘は夕方に鳴らす鐘のこと。次に訪れるのは金山の郷に暮鐘が響く夏の夕方にしよう。
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