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2018年3月 8日 (木)

映画の出口

 7年ほど前、ある人と映画の話になった。その人は「どんな映画が好きか」、「これまで観た映画で良かったものは何か」などを尋ねてきた。その時、答えに困惑した理由が2つあった。

 ひとつは、そもそも映画を観る方ではないこと。決して嫌いではないのだが、映画館に足が向かないし、レンタルビデオ店の会員にもなっていない。もうひとつは、気心が知れた仲ならともかく、関係性が希薄な段階で、いきなり好きな映画の話というのは自分にとってハードルが高い。まるで面接か尋問のように感じた。その時は「ほとんど映画は観ません」と答えたのだが、その人から2つの映画を薦められた。「ほとんど観ません」と答えているにもかかわらず、映画を薦めて来る。その週末は、仕方なくその薦めに応じた。

 わざわざレンタルビデオ店の会員になり、1つは忘れてしまったが、不快な映画だった。もう1つは「アイ・アム・レジェンド」(I am legend 2007年 アメリカ)という映画だった。世間の評価は知らないが、こちらも自分には全く合わない映画だった。人類を救うため手榴弾を抱えた主人公が捨て身で敵を攻撃する。アメリカではこの原作が3度映画化されている。 

 自分は常々、多様性を認め合う社会が理想だと考えている。少なくとも自らの人間関係はそのような価値観でつながっていたい。「多様であることが当たり前で、多様性こそが人間関係の醍醐味」。大げさに言えばそんな風に考えていても、自分は薦められた映画を観て、その人との距離が拡がってしまった。それどころかその映画を観たことさえ伝えなかった。

 1本の映画を「人に薦めるほどの感動作」と受けとめる人がいる一方で、「何とも思わない」か「むしろ不快」とさえ受けとめる人がいる。感動や感情の琴線というのは人それぞれ違う。

 人に薦めるというのは、自信のありなしに関わらず、料理店やスイーツ程度にとどめた方が良さそうだ。それなら、例え外れたとしても害がない。

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