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2018年3月

2018年3月31日 (土)

2016.3.31を巻き戻す

 テレビに内蔵されているHDDの容量が少なくなった。やむなく保存してある番組を順に消していた。2016年3月31日の「報道ステーション」は番組を降板する古館キャスター最後の放送回だった。

 彼はおよそ8分間におよぶ降板の挨拶を「人間は空気を読む。一方向に流れてしまう。だからこそ“水を差す”という言動や行為が必要になる。無難な言葉で固めた番組などおもしろくない。人間は少なからず偏っている。番組も多少は偏る」。とし、続けて「浪花節だよ人生は」の歌詞から “人の情けにつかまりながら、折れた情けの枝で死ぬ” を引用した後、「死んでまた再生します」と結んだ。

 平成27年度末の改編期はテレビ各局で政権に批判的なキャスターの降板が相次ぎ、テレビ・ジャーナリズムにとって大きな曲がり角だった。ジャーナリズムが政権のコントロールの下に置かれた日だったような気がする。狭まる枠・狭まる環。それは主義主張を超えて、全ての人の首を絞めることに繋がると思うのだが。HDDの容量を増やすのはやめて、もうしばらく保存する。

 2016.3.31 日経平均株価 16,758円  ニューヨークダウ 17,723㌦  円/ドル 112円21銭

 2018.3.31 日経平均株価 21,454円  ニューヨークダウ 24,103㌦  円/ドル 106円16銭

 2年前比  日経平均株価 +4,696円  ニューヨークダウ +6,380㌦  円/ドル +6円05銭

 日経平均は前年度末比でも+2,545円、上昇率13%。しかし、2018.1.23の終値24,124円から2ヶ月で▲2,670円下げている。アベノミクスのピークは過ぎた。更に2年後、東京オリンピックを間近に控えた2020.3.31はどんな世界だろう。

2018年3月30日 (金)

Down by the Mainstreet

 15歳の夏は長い夏だった。6月の中旬に部活を引退した後、夏休みまでひと月あった。夏休み直前、仲間4~5人で夜の学校のプールに忍び込み泳いだことがあった。翌日、そのプールでいつものように水泳部が練習している光景が不思議だった。昨日泳いだ夜のプールとはまるで違う場所のように思えた。違うのは時間だけなのに。

 夏休みはたいして受験勉強もせず、9月に行われる体育祭の準備に忙しく過ごした。仲間の何人かは違う何かに興味を持ち始めていた。夏休みを境に、それぞれが歩く人生の方角に視線が向いていた。わずかひと月かふた月前までは体育館でバスケットボールをパスしあい、ドリブルしているだけで、時は流れたが、もうその時計は動かないようだった。

 半年が経ち、春は短い春だった。ちょうど今頃の季節だ。卒業式のあと、別れを惜しむように友達と何度も会った。部活の仲間とは距離ができ、同じクラスの仲間たちと会うことが多くなっていた。

Mainstreet 浜田省吾のアルバム「Down by the Mainstreet」に収録されている「Edge of the knife」では、真夜中の高校のプールに忍び込んだ男女が、水着もつけずに泳ぐシーンが描かれている。 

 自分の年齢と浜田省吾のオリジナルアルバムを併記してみる。

 13歳 愛の世代の前に 14歳 PROMISED LAND 16歳 Down by the Mainstreet 18歳 J.BOY 20歳 FATHER'S SON 22歳 誰がために鐘は鳴る 25歳 その永遠の一秒に 28歳 青空の扉 33歳 SAVE OUR SHIP 37歳 My First Love 47歳 Journey of a Songwriter

 16歳で聴いた「Down by the Mainstreet」は地方の中小都市で生まれた少年たちが主人公だった。最も多感な時期だったからか、詩の中の少年と自分を重ねていた。金属の柵を越えて中学校のプールで泳いだのは1983年だ。「Down by the Mainstreet」は翌年の1984年に発表された。彼は「少年たちが金網を越えてプールに入ること」を知っていた。そして、その場面を歌詞として切り取ることができる。浜田省吾の能力や魅力はそういうところにある。

 彼のアルバムを順位付けすることはできないが「自分の人格形成に最も影響を受けたレコード(CD)」といえば、この「Down by the Mainstreet」になる。「Edge of the knife」は夏の歌で、夜のプールも夏の記憶なのに、自分にとっての「Down by the Mainstreet」は春のちょうど今頃のイメージで記憶されている。

 毎日顔を合わせていたクラスメイトとは卒業を機に会わなくなった。何人かは通学の電車で顔を合わせることがあったが、会話することもなくなっていった。

 あの春休みから34年の歳月が過ぎた。あの日以来、1度も会っていない友人もいる。友人は知人になり、今ではもう他人かもしれない。

2018年3月29日 (木)

世代

 1972年生まれのタレント2人が青春時代の若者(というよりも中学生、高校生)文化を振り返る番組が秀逸だった。

 当時の中高生男子の部屋を再現したコーナーでは「ケンウッドのコンポ」、「ラークのゴミ箱」、「コーナーラック」、「クリームソーダのステッカー」、「アクションカメラ」等々が紹介され、笑った。その部屋は自分の部屋と瓜二つだったからだ。彼らの時代を象徴するものとして「夕焼けニャンニャン」(フジテレビ1985年-1987年)と「ビーバップハイスクール」(映画は1985年)が取り上げられていた。1985年に自分は17歳だから同世代と言えないこともないのだが、「夕焼け」にも「ビーバップ」にも、全く思い出がない。

 世代の考え方は様々だ。3年とか5年、10年など年数で区切ったり、1980年代、90年代、あるいは昭和40年代、50年代と西暦や年代で区切られる。さらに出来事や世相で区切られたりもする。「新人類」や「バブル世代」などがそうだ。誰もがひとつの世代に限定されるわけではない。ある区分では世代の上の層になり、別の区分では世代の下の層になることもある。

 世代はともかく、自分自身にとっての象徴を考えてみると、世相を反映するテレビや映画にはそれほど影響を受けていない。感化されたのは2つ。浜田省吾と尾崎豊だ。

 意識的なパーソナリティーである“自我”は「愛の世代の前に」(1981年)で目覚め、「J.BOY」(1986年)で完結した。「PROMISED LAND」(1982年)、「Down by the Mainstreet」(1984年)を挟み、浜田省吾は年の離れた兄のような存在だった。もうひとつは「17歳の地図」(1983年)。尾崎豊は同じ学校にいる憧れの先輩のような存在だった。

 タレント2人が示したのは彼らが13歳から数年間のテレビ番組と映画だった。自分の脳裏に浮かんだのも13歳から16歳の音楽。人それぞれ影響を受けるモノは違う。同じモノに影響を受けたのも同世代。「大人でも子どもでもない時間」を共有した者たちも同世代。

2018年3月28日 (水)

見物お断り

20180324_1145 今日も先週土曜の話。只見線日帰り旅行の際、乗換駅周辺で食事できる店を下調べしていた。「道の駅 奥会津かねやま」の「こぶし館」で昼食にしようと決め検索しているとこんな口コミを目にした。原文のまま引用する。

 「メニューにはないが念のためうどんはないか聞いたところ年配の店員に「うちは蕎麦屋ですからうどんはないです」と愛想なく冷たく言われましたが、蕎麦の香りも感じぬ蕎麦で、蕎麦湯さえ出てきませんでした。うちは蕎麦屋だと豪語するなら、せめて蕎麦湯ぐらいだして欲しいものです」(投稿者は5つ満点中、星1つをつけている)

 この口コミが闘志に火をつけた。徹底的に反論する。

1.投稿された日は、自分が訪問する1週間ほど前だ。おそらく同じ食券販売機を見て、同じメニューを見て食事したはずだ。こぶし館の券売機と掲示されているメニューとテーブルのメニューに「うどん」の文字はなかった。投稿者が「念のため尋ねた」こと自体、投稿者に「ズレ」があるように思うが。結果的に「うどんはなかった」のだから「おとなしくありがたく食して終わり」の話ではないか。

2.旅慣れ感をアピールしているが、投稿者は「ただのサラリーマン」でほぼ間違いない。投稿者は香川県のうどん屋で「そばはないか?」と聞くのだろうか。奥会津で「うどん」を所望すること自体、旅慣れた者であるはずがない。

3.こぶし館は町中にある食堂ではない。もちろん地元客も利用するだろうが、道の駅にある食堂だ。道の駅の主たる利用者は旅行者だ。旅行者はその土地の名物や味を求める。蕎麦やソースカツ丼は奥会津の名物だ。

4.「愛想なく冷たく言われた」のは言い方の問題か?受け取り方もあるだろう。「うどんはないか」と尋ねられた蕎麦屋は「思慮に欠けた無神経な客が来た」と思ったのではないか。

5.「年配の店員に…」 これはどんな意図だろう。福島県金山町の人口は2千人程度で高齢化率が50%を超える限界自治体だ。「道の駅 奥会津かねやま」は町の中心部・川口地区から2.5㌔離れた場所にある。20歳の女性店員でもいると思ったのだろうか。自分は「年配の客」ではないのだろうか。

6.「蕎麦の香りも感じぬ蕎麦で、蕎麦湯さえ出てきませんでした。うちは蕎麦屋だと豪語するなら、せめて蕎麦湯ぐらいだして欲しいものです」 この1文は常軌を逸している。「蕎麦の香りも感じぬ蕎麦」であることを“豪語”する人間が、奥会津の道の駅で「うどん」を注文するだろうか。

7.「蕎麦湯さえ出てきませんでした」 うどんを注文しようした厚顔な人間が、なぜ「蕎麦湯下さい」と言わなかったのか。言えなかったのだろう。

8.「うちは蕎麦屋だと豪語するなら」 店員は“豪語”などしていない。客の質問に回答しただけである。 

 「道の駅 奥会津かねやま」と「こぶし館」の名誉のために記しておく。蕎麦は手打ちだったし、大根とごぼうのけんちん蕎麦「むかしそば」は他で食べたことがない美味しさだった。

 金山町、奥会津、只見線沿線自治体、地方山間部の現状と将来、道の駅の労働環境、経営環境…縁あってそこを訪れた旅行者が想いを馳せるべき点は尽きないほどある。訪れた土地をよく観て、よく聴いて、考えるツーリストではなく、ただ過ぎ去るのみのパッセンジャー。こういう輩(ヤカラ)を観光客とは言わない。見物人という。

 写真は道の駅の向かいにあった滝谷寺というお寺。残雪に「瀧谷寺晩鐘」という看板が半分埋もれていた。晩鐘は夕方に鳴らす鐘のこと。次に訪れるのは金山の郷に暮鐘が響く夏の夕方にしよう。

2018年3月27日 (火)

ラーメン金ちゃん(会津若松市)

20180324_1751 青春18きっぷで日帰り旅行した際に立ち寄ったラーメン店。

 土地柄、旅行者は喜多方ラーメンを目当てにしがち。自分も最初はそう考えていたが、写真の「ネギ味噌チャーシューメン」(800円)の口コミを見て、この店へ。

 ショーウインドのある店構え、固定イスの店内は昭和レトロな雰囲気。ラーメンも完成形。ピリ辛の細切りネギ、濃厚過ぎない味噌スープ、中太のたまご縮れ麺、そしてチャーシュー。当地の人気店という評価に納得。コスパも良い店。

 会津若松に行ったら、必ず寄りたい店。次回は気になった「味噌タンチャーシューメン」か「ワンタンメン」にしよう。

 ラーメン金ちゃん 福島県会津若松市駅前町5-25 駅前フジグランドホテル1階 ℡0242-32-6120 営業時間:土~木 11時~19時50分 金11時~16時 定休日:不定

2018年3月26日 (月)

只見線

20180324_1057 只見線の不通区間は福島県であるものの、「只見線は新潟県の鉄道」でもある。しかし、只見線の全線復旧についてはまるで他人事のようだ。

 新潟と福島を結ぶ大動脈として真っ先にあがるのは磐越自動車道であり、国道49号線だろう。鉄道ではJR磐越西線。もう1つの国道252号線(六十里越え)とJR只見線は裏街道になる。国道252号線と只見線は豪雪地帯を通っており、国道252号は11月中旬から5月中旬までおよそ半年間、冬季通行止めになる。

 JR只見線は秘境路線として有名だ。会津若松-小出間は、そのほとんどを福島県側は只見川、新潟県側は破間川(あぶるまがわ)に沿って走る。車窓からの風景は自然に囲まれ四季を映し出す渓谷や、川にかかる橋梁で、様々なランキングに度々登場するローカル線だ。 

 只見線の1日の乗降客数は新潟県区間では100人程度、山間部では数十人、会津若松-会津坂下では1,000人程度。一部区間さえ維持できれば、100億円近くをかけてこの路線を復旧し、維持する経済的合理性はないように思える。経済的な観点からは廃線した方が赤字幅が縮小する。

 裏街道という悪い表現をしたが、国道252号と只見線が持つライフラインとしての存在は大きい。上越国境と磐越国境の代替路線として会越国境の役割は、地図を眺めれば一目瞭然だ。そして、忘れてはいけないのが国道252号と只見線には両県の“精神的な繋がり”があるように思う。

 会津地方は地理的には新潟県の下越地方と隣接しているが、中越地方と関係が深い。会津藩と長岡藩は越後山脈に阻まれているが隣り合わせだ。福島県南会津郡只見町は「河井継之助終焉の地」でもあり、只見町と長岡市に河井継之助記念館がある。

 冒頭の一文を繰り返す。只見線の不通区間は福島県であるものの、「只見線は新潟県の鉄道」でもある。しかし、只見線の全線復旧についてはまるで他人事のようだ。福島市に本社を置く東邦銀行は「福島県只見線復旧基金」に寄付を行なっている。

2018年3月25日 (日)

初・青春18きっぷ

 週末に初めて「青春18きっぷ」を利用した。JR只見線には初めて、磐越西線は38年ぶりに乗車した。

 青春18きっぷは国鉄がJR各社に分割民営化される以前から存在した。学生の頃、社会人になってからも青春18きっぷを利用した一人旅や北海道・九州への格安旅を想像した。空想上の、あるいは机上の旅をしたことは何度もあったが、それを実現するのはかなりハードルが高いことだった。

 只見線は会津線(軽便鉄道)として会津若松-会津柳津間が1928年までに開業した。戦後、一部区間が田子倉ダム建設のため電源開発㈱の専用鉄道として整備され、1971年に只見駅-大白川駅間が開業し、只見線は全線開通した。2011年7月の新潟・福島豪雨で被害を受けた、現在は只見駅-会津川口駅区間は代行バスで振替運行されている。復旧のメドが立っていなかったが、復興費用の負担について調整が進み、「2021年度の全線開通を目指す」と報じられた。今回の日程は次のとおり。

【只見線・磐越西線の旅】(数字は時刻を4桁表示したもの)

●上越線 長岡駅0633→小出駅0709

 春休みの土曜日。6時過ぎの改札前は旅行に出掛ける人が多数いた。20人前後の人が売店が開くのを待っていた。晴れ予報だったものの空は曇って肌寒い。

●只見線 小出駅0758→只見駅0915

 1時間近い待ち時間。上越線下り線の接続に合わせたダイヤ。東京発0608の始発新幹線に乗ると浦佐で乗り換えて只見駅に0915に着ける。これはある意味、感動的なダイヤ編成。昔、父が連れてきてくれた須原スキー場がある越後須原駅、駅舎2階で営業する蕎麦屋「平石亭」がある大白川駅、小出駅から只見駅までの車窓は日本が「土木国家」であることの教材映像のよう。深い山あいを縫う国道252号線(六十里越え)、うねるように設置されたスノーシェッド(洞門)、破間川(あぶるまがわ)を利用するための水門や治水施設の数々、そして田子倉ダム。今は閉鎖された田子倉駅の遺構も。小出駅から只見駅までは47㌔。只見線全線の3分の1程度。

●代行バス 只見駅0925→会津川口駅1015

 只見線の車内では車掌から代行バスへの乗り換え希望の有無を確認される。駅にはロードバイクを持参したグループ数名。バス乗客は青春18きっぷを利用している6名。地元客と思われる乗客は1人だった。只見川にかかる線路の橋脚がつながっておらず、復旧工事はかなりの工費を要すると想像できる。

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 写真左 小出駅には2㍍ほどの積雪が残っていた。天気も曇天。 写真中 「道の駅 奥会津かねやま」に向かう途中。福島県に入ると快晴。 写真右 会津中川駅のホームから。

●只見線 会津川口駅1217(会津中川駅1224)→早戸駅1241

 会津川口で2時間待ちだったので、2.4㌔先の「道の駅 奥会津かねやま」まで只見川に沿って30分歩く計画を立てた。これが大正解。国道252はトラックの通行も少なくなかったが、道の起伏もなく、快晴の下、気持ちよく歩けた。「こぶし館」で食事。田舎蕎麦、カツ丼ともに美味しい。徒歩3分の会津中川駅から乗車。

 今回の目的地は「早戸温泉 つるの湯」。早戸駅で降りる乗客は意外にもほかにはいなかった。駅から徒歩8分で到着。日帰り入浴料金は500円(スマホクーポンで400円)で3時間滞在できる。魚沼地方では只見線沿いにあるこの温泉は湯治宿として有名。皮膚病に効くといわれる温泉で知る人ぞ知る名湯。飲泉用の温泉をペットボトルに入れて持ち帰った。

●只見線 早戸駅1557→会津若松駅1734

 この日、最も青春18乗客を確認した電車。車内はカメラを持った男性が多数。会津若松駅の改札では自動改札を通る乗客は少数で8割がこの切符の利用者と思われた。只見線は確かに秘境を走るが、会津若松市に入ってからは生活路線であり、住宅街を走る景色は私鉄沿線のよう。全長135㌔の只見線全線再開通は2021年度に予定されている。会津若松で夕食。駅前のホテル1階にある「ラーメン金ちゃん」(後日記載)

●磐越西線 会津若松駅1834→新津駅2057

 この日、最長の2時間23分の乗車。磐越西線に乗るのは小学校の修学旅行以来。通勤通学の乗客多数。県境を超えての利用者も少なくない。車窓は楽しめなかったがこの路線は阿賀野川の流れと共にある。 

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 写真左 早戸温泉つるの湯入口 写真中 早戸駅は只見川の岸にある 写真右 会津若松駅 白虎隊士の像と右奥に赤ベコ

●信越線 新津駅2134→長岡駅2229

 使用されている車両や乗客の数、車内の雰囲気など、「都会感」さえ感じる。明日に続く。

2018年3月24日 (土)

涜職

 池の水面に小石を投げ込むと波紋が拡がる。波紋はひとつでは収まらず、同心円状にいくつも拡がり、やがて池の縁に辿り着く。

 職を汚(けが)すという広い意味の「涜職(とくしょく)」という言葉が「あった」。涜職罪は公務員の職権濫用罪と賄賂罪の総称として使用されていた。過去形なのは、現在では汚職という言葉に置き換えられるようになったから。

 学校法人森友学園への国有地売却に関する問題。この顛末が後生、どのように語られるのかわからない。ただ最も恐れるのは単に役人の不始末としてのみで片づけられてしまうこと。財務省近畿財務局内では、この土地売却案件を「安倍事案」と呼んでいたという。

 権力者の行動や言動は波紋を呼ぶ。波紋は池や湖の縁まで届く。自身の思いとは関係なく、思いもよらない場所にまで辿り着く。その遠因には、やはりこの国の組織と人の精神構造がある。一見、澄んでいるかのような池に小石が投げ込まれると、水面には波紋が拡がり、見えない底では沈殿したヘドロが沸き立つ。財務省は“財務官僚池”、日本は“日本国池”であって、決して大海(たいかい)ではない。  

 役人の忖度や閉鎖的な官僚の論理は断罪されるべきだが、権力は磁力のような「見えない力」をも併せ持っている。そのことを政治エリートの家系に産まれた“天然”の首相と東証一部上場企業の社長を父に持ち一貫してお嬢様学校に学んだ“天然”の夫人は「思い遣(や)る」ことができないだろう。忖度はさせるが配慮はできない種類の人たち。

 一連の問題は公務員の涜職(広い意味で)であることは間違いないが、政治家に責任がないということにはならない。

2018年3月23日 (金)

玄鳥と雀

 季節を言い表す言葉として古代中国から伝わる七十二節気。この時期は「玄鳥至」ツバメがやってきて、「雀始巣」スズメが巣を作り始める頃。

 ちょうど2ヶ月前の1/23に雑誌「TV bros.」について記した。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/01/post-a771.html

 25年振りに思い出し、今なお健在と喜んでいたら、先日、ネットニュースになっていた。

 「テレビ情報誌TV Bros.が隔週刊から月刊へとリニューアルし、従来あった番組表の掲載を終了する。同誌は1987年に「未来のテレビ雑誌を作る」を合言葉に創刊された」(概略)

 番組表を掲載しないというのは、いかにもこの雑誌らしい。合理的な思考は会社の風土なのか編集部の伝統なのか。テレビを取り巻く環境変化が著しい中、テレビ情報誌も変わるのは当然のこととも言える。リニューアルは「未来のテレビ雑誌を作る」という理念に合致する。面目躍如。

 古代中国から伝わる「玄鳥至」と「雀始巣」は、現代でも違和感がない。生き残ることは変わり続けること。ツバメやスズメの変化対応力に自分も倣いたい。

2018年3月22日 (木)

映画愚感

■明日に向かって撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid) 1969年アメリカ

 導入部の映像はセピア色。これが有名なラストシーンで効いてくる。西部劇のスリリングな流れの中で暴力性と喜劇性が描かれる。北野武監督の映画のよう。

 良質なアメリカ映画の多くは時代を描く。それは昔も今も変わらない。現在の日本映画の大多数はコミックの世界観を実写化して描く。そうなる理由は、大きな意味では観客の文化度。より現実的な意味では興業収入(経済・利益)だ。映画はその時代の観客が作る。それはこれまでもこれからも変わらない。 

■ラスト・ショー(The Last Picture Show) 1971年アメリカ

 「明日に向かって撃て」はカラーフィルムだったが、2年後に制作されたこの映画はモノクロフィルム。そういう手法がとられている。タイトルはテキサスの田舎町に住む若者たちの「青春の終わり」を閉館する映画館の最終上映に重ねている。

 日本の現代の少年たちは幼少期から莫大な情報に晒され、昔とは比べようもないほど大人に思える。一方で50年前の映画に描かれたアメリカの若者たちは老成している。その理由はつくられた映画の中の話だからではない。少年たちの暮らしにも社会の影が反映されているからだ。今、この国も暗闇だらけだが、この国の若者は「社会の影を踏まないように」と育てられる。しかし、それは無理なこと。その影は自分の影でもあるからだ。それなのに少年たちに被さる社会の影が映画化されることはない。コミックを実写化したハッピーエンドの物語だけが映画になる。

■普通の人々(Ordinary People) 1980年アメリカ

 この年のアカデミー賞作品賞はエレファント・マン(The Elephant Man)ではなく、この映画が受賞している。兄の死をきっかけに心を病む弟。深まる母との確執。形骸化した夫婦の関係。普通の家族が壊れていく物語。

■ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost) 1990年アメリカ

 ファンタジーやSF映画に感情移入できなくなったのは年をとったからだろうか。この映画は何度見てもそれほど心に響かない。相性が悪い。主題歌「アンチェインド・メロディ」はどんな映画のラストシーンで流れてもいい。

■ア・フュー・グッドメン(A Few Good Men) 1992年アメリカ

 ルール違反と知りながら自分の成績や保身のため、あるいは上司からの評価や上司への忖度など組織の論理を優先させる。それがいつの時代にも、どこの国でもあるのだと気づかされる。そういう人は決まって言う。「俺が組織を守ったのだ」と。しかし、たいていの場合、それは「自分だけを」守っている。

 トム・クルーズの主演映画には当たり外れ(好き嫌い)がある。この映画は当たりの1本。彼は映画史に残るハンサムスター。ほぼ全ての映画で相手役、またはコンビを組む美女と恋に落ちるストーリーになってしまう。この映画にはそのイチャついたシーンが無い。あの頃、映画界では法廷物と呼ばれる映画が流行った時代だったと懐かしい気分になった。

■ライフ・イズ・ビューティフル(Life is beautiful) 1997年イタリア

 舞台は第二次大戦の北イタリア。物語は喜劇映画のように観客を楽しませる。ユダヤ人である主人公と家族はナチスの迫害を受ける。強制収容所での暮らしも滑稽に描かれる。主人公である父に護られ、愛された少年は奇跡的に生還する。「いかなる状況であれ、生きる希望を忘れるな。人生は素晴らしい」というメッセージ。とても素敵な映画だが、本質はファンタジー。「多くの小石を拾い集めたが、大きな石はそのまま置き去り」という気になってしまう。無力であることの虚しさが残る。

■清須会議 2013年日本

 現実を補完するだけの映画。誰のための映画なのかわからない。金融商品のような映画。仮に30億円で制作して33億円で売れば3億円儲かる。

2018年3月21日 (水)

春支度

201803153 昨日は尊敬する先輩と。夜の街に出たのは久しぶり。新しい居酒屋ができていたり、店が入れ替わっていたり。少々戸惑った。

 今日は春分。この時期、雪国では冬支度と同じ事の反対をやらなければならない。つまり、春支度。

 自分の春支度は気楽なもの。冬の風雪で汚れたベランダと窓ガラスを拭くこと。あとはタイヤ交換くらいなもの。タイヤは例年よりも1週間から10日ほど早く交換した。そのことはそのまま春が早く到来したことを意味する。

 数日前、「ミスタードーナツ」でランチ。ミスドは近年、コンビニのレジ脇にドーナツが置かれる等、他業態の攻勢に押され気味だと聞く。そこからの打開策か、「ミスドゴハン」と名付けてホットドッグ、パスタなどの麺類を提供している。写真は最廉価の「汁そば+炒飯+ドリンク」のセット(税込500円)。14時を過ぎでも店内座席の半分程度が埋まり、そのうち女性客は9割。客の入りはまあまあか。「お一人様席」などのレイアウト変更でサラリーマン客を取り込んだらどうだろう。

 追記:(経済誌のトピックスから)実はコンビニのレジ脇ドーナツも不振なのだという。日本人全体のドーナツに対する嗜好の変化が起きている模様。つまり糖質を制限する時代のすう勢にあって、ドーナツ需要の低下が起きていると。この業界も社会構造の変化の影響をいち早く受けているということか。

2018年3月20日 (火)

ふるさとへ 廻る六部は 気の弱り

201803151 昨日から引き続き。藤沢周平氏、最晩年の随筆集「ふるさとへ廻る六部は」(1998年1月15日刊)。

 「 ふるさとへ 廻る六部は 気の弱り 」

 タイトルはこの「古川柳」から引用されている。「六部」とは全国六十六ヶ所の霊場を巡る修行僧のことで、「六部の足がふるさとへと向かうのは気の弱りからだ」という意味(異説もある)。

 藤沢氏はこの本で「世の中をぐるっと迂回して、興味がまた東北にもどって来た。本人は東北を認識し、あわせて東北人である自分を再認識するための旅と思っているのだが、ひょっとするとこれが、昔の人が言った“ ふるさとへ 廻る六部は 気の弱り ”ということかもしれないのである」と記している。

 読後感は良質な日本酒を飲んだ後に似ていた。大吟醸酒は最高級の酒米を50%以下にまで精米し、徹底して低温で長期発酵される。華やかな香りとよく「水のよう」と例えられるほどサラリとした飲み口が特徴だ。この本が華やかでサラリとしているかといえば、それは違う。余計なものを剥ぎ取って「小菅留治」(藤沢氏の本名)として書かれ、遺されている文章が酒米を極限まで磨き、杜氏が全身全霊をかけて醸した大吟醸酒の雫と似ているからだと思う。

 藤沢氏は人生の3分の2を東京で過ごしたが、自分は鶴岡人であり山形人、そして東北人であると語っていた。故郷への想いが筆圧を強くする。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/03/90-459f.html

2018年3月19日 (月)

ふるさとへ廻る六部は

201803152 藤沢周平氏、最晩年の随筆集「ふるさとへ廻る六部は」(1998年1月15日刊)。この本は藤沢氏が生前中に発刊された同名の文庫本(1995年5月刊)を単行本化した“逆パターン”の本。それには藤沢氏が前年(1997年)の1月に逝去されたことが背景にあり、追悼企画的な意図を含んでいたものと思われる。この単行本には2つの特典がある。

 ひとつは装画。「文藝春秋」の表紙画を描いていた画家 平松礼二氏による装画は「ふるさとへ廻る六部は」の世界観を見事に描写している。

 ひとつは口絵。藤沢氏自筆の「飄風不終朝 驟雨不終日」の書が収められている。

 飄風不終朝 驟雨不終日 (老子二十三章)

  飄風(ひょうふう)は朝(ちょう)を終えず、驟雨(しゅうう)は日を終えず

  つむじ風は朝のうちに止んでしまう。にわか雨は一日中降り続くことはない。

  勢いの強いものは長くは続かない。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/03/post-ce81.html

2018年3月18日 (日)

暁天(小千谷市)

 小千谷の有名店「暁天」。ボリュームあるラーメンとつけ麺の店。写真(左)はラーメン大盛り(740円)、(右)から味麺(1020円)。

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 特定のラーメンにオーダーが集中していることもないので“全部が旨い”店なのだろう。大盛りは同料金。食券を渡す際に店員が大盛りか否かを聞いてくれるので頼みやすい。太刀打ちできない量ではないので、大盛りの方がいいと思う。人気店だけあって特に土日は時間をずらした方が入りやすい。トッピングするような具材がデフォルトのメニューは1200円~1300円する。ラーメンは旨いし、手間もかかっている。人件費などの経費もかかっている。しかし「千円札でお釣りのこないラーメン」は、食べた後に罪悪感が残る。

 手打ち麺処 暁天 小千谷市三仏生上林3560-2(国道17号小千谷バイパス) ℡0258-83-5840 営業時間:10時~21時 定休日:火曜

2018年3月17日 (土)

カサブランカ

■カサブランカ(Casablanca) 1942年アメリカ

 インターネットで「カサブランカ」と検索すると、①植物(ユリ科の花)、②モロッコの都市、③1942年の映画、という順に検索される。

 2013年の夏、長期勤続の休暇に旅行をした。パックツアーを探していると、日程が合いそうな旅行先の候補はイタリア、フランス、エジプト、モロッコだった。エジプトはテロ事件による渡航注意情報が出され候補から除外。イタリアかフランスでは、文化への興味度からフランスを除外した。大本命であるイタリアに対して、最後の候補にモロッコを残したのは、映画「カサブランカ」が脳裏に残っていたから。映画カサブランカは白黒映画だった。北大西洋に面し、本来は白と青であるはずのカサブランカを見てみたい気持ちがあった。

 20代前半、まだ社会人になってすぐの頃、仕事帰りにドーナツショップに寄ることがあった。今ほどコンビニの数がなく、商品も充実していない時代。一方で気軽に寄れる喫茶店も衰退し、駅前に飲み屋はあっても喫茶店はなかった。それに喫茶店は中途半端だった。仕事帰りのコーヒーでは物足りない。そうかといってナポリタンやピラフに手を出せば夕飯になってしまう。そのドーナツショップの少し奥まった席に、映画「カサブランカ」の大きな壁紙が貼ってあった。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが見つめ合い、有名な名セリフを語っている場面だ。

 「カサブランカ」は戦時下のラブストーリーと男のダンディズムが描かれた映画。ダンディズムとは外見的な美意識に加え、男の矜持や譲れない信念のことだと思う。そこには“強がりとやせ我慢”を内包している。恋心は障害があるほど強くなると言われる。ドイツの侵略によって親ドイツ政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカでは、ポルトガル経由でアメリカへ亡命を図ろうとする人で溢れていた。そんな究極の障害の中で、究極の強がりが描かれる。最後にその強がりを救うのはある登場人物の寛容な精神。「反枢軸国のプロパガンダ映画」の側面も持っている。

 ボギーの壁紙の前でダンディズムを気取るのは、戦時下の恋と同様かそれ以上に困難だ。そのドーナツショップのメニューに酒はなく、しかも禁煙。自分は甘党で、砂糖をかけて揚げた「ハニーディップ」と揚げたドーナツに粉砂糖を振りかけた「シュガーレイズド」が大好きだ。

2018年3月16日 (金)

長いエスカレーター

20180312 ウオロク長岡店(長岡市日赤町2-6-1)にあるエスカレーターは「長さ県内一」だと思う。調べる気もないが、ほかに県内で思い当たる節がない。

 厳密に言えばエスカレーターとは区別される。エスカレーターは自動階段だが、ウオロクのそれは階段状ではない。いわゆる「動く歩道」の傾斜版で「オートスロープ」だ。

 オートスロープだとしても「長さ県内一」だと思う。調べる気もないが、ほかに県内で思い当たる節がない。

2018年3月15日 (木)

組織の要諦

 人事異動の時期。

 組織とは「秩序が保たれた体系」のこと。文字を分解してみる。

 組は「同じ種類のもの、複数のものを一つにまとめたもの。同じ目的の人、複数人が集まってできたもの」のこと。織は「縦糸と横糸を組み合わせて布地を作ること。いろいろなものを組み合わせて作り上げること」の意味。

 組織は共通の目標を持ち、それを達成するために「役割分担している状態」。全体の縦糸が細分化され個人に割り当てられ、個人の仕事が全体の仕事として統括され横糸になる。

 秩序とは組織が望ましい状態を保つための順序やきまり。

 仕立てのいい服は糸の素材や特徴に合わせた服を作る。デザイン優先の服は型くずれが早く、縫製が稚拙であっても構わない。

 仕立てのいい服を作る組織では「適材適所」が要諦だろう。デザイン優先の服を作る組織では「学歴や自己主張」が要諦だろう。

2018年3月14日 (水)

人事の要諦

 人事異動の時期。

 記憶の中にある最も古い風呂は木桶の風呂だった。今ではタッチパネルのボタンひとつで設定した温度の風呂が沸く。昔のように「上はお湯でも下は水」ということがない。水が対流され風呂全体が冷水から湯になるように設計されている。

 もし、「人事の要諦」があるとすれば、「風呂を沸かす仕組み」を挙げる。

 かきまぜなければ、著しい温度変化が生じる。温度の違いは発展を妨げるだろう。誰も冷たい風呂には入りたくない。駒(コマ)を都合良く配置してはならない。ある部分だけを急激に温めても、冷たい場所はやがて全体を急激に冷やすだろう。

2018年3月13日 (火)

錆びた道路

20180307 雨が降っているわけではないのに、雨樋(あまどい)からは水が流れていた。屋根の雪どけ水だ。最高気温が15度を超え、明日・明後日は20度に迫る予報が出ている。日陰に残っている雪も消えるだろう。

 雪が「消える」というのは雪国用語かもしれない。雪は「降る」か「積もる」か「融ける」もの。溶けるという漢字も使われない。消雪や融雪という言葉も雪国以外ではピンとこないだろう。雪が消えると、冬の間、雪に埋もれていた物が姿を現す。空き缶やペットボトル、何かの紙袋などは目立たないが、手袋や帽子、なぜか靴などが出てくるのは“雪国あるある”だ。

 もうひとつ。雪どけ時の町には茶色の道路が現れる。消雪パイプや融雪施設のポンプに汲み上げられた地下水やパイプ内部の錆びなどを原因として、道路や駐車場が茶色に染まる。厳密に言えば黄土色やオレンジ色に近い。「錆色」という色(Rust colored)もあるが、これは曖昧だ。自分が考える錆びた色のイメージには、青銅色のような色もある。

 錆びた道路は雨や風に流され、ある程度は回復するが、年を重ねると道路自体が錆色になる。綺麗に舗装された濃灰のアスファルトも、ひと冬越えると色が変わる。春になれば雪は消えるが、雪国色に塗り変わった道路の色は消えない。

2018年3月12日 (月)

柏手重宝氏を悼む

 -“酔拳の使い手”を悼む-

 ジャッキー・チェンが主演する映画に「酔拳」というヒット作がある。1978年に制作された香港映画だから、もう40年前の作品だ。この映画を初めて見た時、酔拳はあくまでも映画の中だけの架空の拳法で、単に脚本・演出上の舞台設定として演じられているものと思い込んでいた。その後、酔拳は中国武術における由緒ある流派で、その使い手は“まるで酒に酔っ払ったかのように”その拳を操ることを知った。

 「 netkeiba.com 」 http://www.netkeiba.com/ という競馬情報サイトがある。競馬ファンは閲覧したことがあるだろう。コンテンツが充実していて、よく利用している。レースの出馬表やオッズ、ニュースなどと並び、いくつかのコラムを読むことが週末に向けてのルーティンになっている。中でも楽しみにしていたのが、毎週木曜正午にアップされる柏手重宝(かしわでちょうほう)氏の「根多のデットーリ」というコラムだったのだが…。今日の netkeiba.com に、その柏手氏の訃報が掲載されている。

 柏手氏の文章は独特で、ずっと「酔拳の使い手だな」と思っていた。全体に「おふざけ感」が漂う文章(予想)であるものの、それは投球フォーム(酔拳に例えるはずだったのに…)が独特であるだけだ。基本的にはデータ解析のコラムであり、“消える魔球”など論理的に説明がつかない球は投げない。話の前段や話のつなぎ、言い回しなどは酔拳そのもので、それは読者を油断させ、幻惑させた。酔拳にはお銚子を持つ手のような型「杯手」がある。喉仏を掴んで喉を破壊するなど急所を突くための型だという。柏手氏が書くコラムの手法はこれに酷似している。

 プロフィール欄を見ると「競馬専門誌競馬王の元本紙予想担当」とある。年齢を含め、これ以上の素姓はわからないが、柏手氏の予想にはずいぶんと楽しませてもらった。長く、苦い経験に裏打ちされた知識と愛情を自在に操った。本命党でないのはエリートではないからだろう。判官びいきなのは馬が好きだからだろう。あの独特の文体を読めなくなった喪失感は、どんな名馬の引退よりも大きいと感じる。柏手氏の訃報に接し、皐月賞の軸馬が決まった。

 ご冥福をお祈りいたします。

2018年3月11日 (日)

イカサマ師たち

 3月7日 近畿財務局職員が遺書のようなメモを残して首を吊った。彼は学校法人森友学園への国有地売却に関する交渉に関与した職員だった。

 3月9日 国有地売却時の財務省理財局長で、国税庁長官にまで登り詰めていた佐川国税庁長官が逃げるように辞任した。

 同学園への国有地売却に関する決裁文書の書き換え疑惑は“疑獄化”しそうな勢いだ。

 もう15年近く前、先輩A氏と「株式投資は投資かギャンブルか」で議論になったことがある。A氏は「投資。ギャンブル的な一面を持つ」とし、自分は「投資の皮を被ったギャンブル」とした。

 自分は現在の株式市場はイカサマ市場だと思っている。それはここ15年間、ずっと変わらない。特に「貯蓄から投資へ」などというスローガンのもと、決して富裕層ではない庶民が、コツコツと積み上げてきた貯蓄を“得体の知れないリスク”にさらして来た「号令」を全く信用していない。その実態は投資家の利益よりも、国の経済政策の成果、経済産業界のメリット、そして証券・銀行・保険会社の利益が優越する仕組みだからだ。

 胴元が負けないのがギャンブルだが、株式市場では10年に1度くらい胴元が負けることがある。ギャンブルは小遣いが原資だが、資産運用は給料や退職金が原資になる。「株式投資はギャンブルです」と言っていればいいのだが、「資産運用です」などと言うから、取り返しがつかなくなる。

 賭場も荒れている。株式投資では賭場を市場(マーケット)などと言っているが、ヘッジファンドや石油産出国等の金、有力国の金融政策はかなりの影響力を持っている。現実に日本の株式市場も国が支えている。

 最もひどい惨状なのが「投資信託」だ。テーマ型、毎月分配型、人気上位の商品、新規設定されたもの、販売系列会社の投信、そしてコスト(販売手数料)の高い投信。「お客様の長期的な資産活用のために」などという言葉は噴飯もので、投資信託は「販売金融機関の手数料収入のために」存在している。営業マンに尋ねてみればいい「(店や個人の)業績目標・業績評価がなくても、顧客の将来のためにそれを販売しますか?」と。

 数年後、A氏は近親者を縁故入社させた。もちろんA氏に権限はないから、“口利き”をしただけだ。親子で2代、3代と自社に入社している人が少なくないことについて疑問(否定的な意見)を呈した時、「お前には親の気持ちがわからない」と批判されたことがあった。

 「(本来、入社できたはずの)“失われた席”に座るはずだった者の気持ち」は誰が汲むのだろう。株式市場や投資信託は健全なルールの下で取引されるから成立する。縁故入社には一定の利点もあり、それ自体を全否定するつもりはないが、健全なルールと言えるかどうかは疑問だ。

 森友学園への国有地売却は健全なものだったのだろうか。それならばなぜ、人が辞め、人が死ぬのか。

2018年3月10日 (土)

南の島

 南の島のビーチリゾートを水着の女性タレントが楽しげにレポートするテレビ番組を見た。羨ましいという気持ちはわずかにあるが、旅行を実現させようとは思わない。

 “この世の地獄”と言われるほど激しい内戦が続くシリアで、女性と子どもが爆撃に晒され、土ぼこりにまみれているニュースを見た。酷い、許せない、助けたいという思いは、南の島をうらやむ気持ちの100倍、1000倍あるが、そのための行動を起こすことはない。

 銀の匙(さじ)をくわえて生まれた人を見て、自分がそうではなかったと悔やみ、羨むことがある。

 一方で、空爆、爆撃、地雷、砲弾、銃撃のない国に生まれたことに安堵する。ここには爆撃で倒壊したビルはない。ここでは銃声も聞こえない。

 自分は銀の匙をくわえて生まれてくることはなかったが、この国は南の島のビーチリゾートにいるのと何ら変わりはないように思う。

2018年3月 9日 (金)

“故人情報”という遺品

 1日に亡くなったK社長、1年前の雛祭りに亡くなったIさんの電話番号やメールアドレスが携帯電話に残っている。これから先ずっと、電話がかかってくることはない。メールも同様だ。

 世の中には「デジタル遺品」が溢れている。「デジタル遺産問題」として取り上げられることが多いが、遺品と遺産ではかなり違う。経済的・財産的価値を持つデジタル遺産は相続財産になり、遺産分割の対象にもなる。相続人への承継問題など、デジタル遺産を持つ人は相応の対策を講じる必要があるが、その遺産問題について記す知識もなく、ここではその必要もない。

 一方、デジタル遺品は人ごとではない。パソコンやスマホなどの中に記録されている写真、ダウンロードされた書籍や音楽、インターネット上のアカウント、ブログやSNSの履歴、電子マネーなどは“死者のプライバシー”そのものと言える。生者であろうと死者であろうと、プライバシーであることに変わりはない。

 現代では故人の個人情報、つまり“故人情報”が遺品として残される。在りし日のK社長やIさんの姿を思うと、その記号を消すことは難しい。それを単に無機質な数字とアルファベットの羅列としては捉えられないからだ。やがては自分も所有する電子記録機器に遺品を残す。そして、現世で交流のあった人々の機器にも遺品を残すことになる。電子機器やクラウドに格納された情報は“焼却(消却)されない棺桶”のようなものか。

2018年3月 8日 (木)

映画の出口

 7年ほど前、ある人と映画の話になった。その人は「どんな映画が好きか」、「これまで観た映画で良かったものは何か」などを尋ねてきた。その時、答えに困惑した理由が2つあった。

 ひとつは、そもそも映画を観る方ではないこと。決して嫌いではないのだが、映画館に足が向かないし、レンタルビデオ店の会員にもなっていない。もうひとつは、気心が知れた仲ならともかく、関係性が希薄な段階で、いきなり好きな映画の話というのは自分にとってハードルが高い。まるで面接か尋問のように感じた。その時は「ほとんど映画は観ません」と答えたのだが、その人から2つの映画を薦められた。「ほとんど観ません」と答えているにもかかわらず、映画を薦めて来る。その週末は、仕方なくその薦めに応じた。

 わざわざレンタルビデオ店の会員になり、1つは忘れてしまったが、不快な映画だった。もう1つは「アイ・アム・レジェンド」(I am legend 2007年 アメリカ)という映画だった。世間の評価は知らないが、こちらも自分には全く合わない映画だった。人類を救うため手榴弾を抱えた主人公が捨て身で敵を攻撃する。アメリカではこの原作が3度映画化されている。 

 自分は常々、多様性を認め合う社会が理想だと考えている。少なくとも自らの人間関係はそのような価値観でつながっていたい。「多様であることが当たり前で、多様性こそが人間関係の醍醐味」。大げさに言えばそんな風に考えていても、自分は薦められた映画を観て、その人との距離が拡がってしまった。それどころかその映画を観たことさえ伝えなかった。

 1本の映画を「人に薦めるほどの感動作」と受けとめる人がいる一方で、「何とも思わない」か「むしろ不快」とさえ受けとめる人がいる。感動や感情の琴線というのは人それぞれ違う。

 人に薦めるというのは、自信のありなしに関わらず、料理店やスイーツ程度にとどめた方が良さそうだ。それなら、例え外れたとしても害がない。

2018年3月 7日 (水)

映画の入口

 映画館で上映開始時間に合わせて座席に着いても、実際の映画は5分以上経ってから始まる。予告編、映画鑑賞上の注意、映画会社のオープニングなどがあってようやく本編に入る。

 映画自体のオープニングが長いものがある。3つの例をあげる。

①歴史的背景の理解が必要な映画  映画に描かれる時代背景を理解した上で鑑賞するのと、無知なまま鑑賞するのとでは映画の深みに格段の差が出る。説明が必要な映画。

②ブツ切りのオープニング  物語の伏線が描かれ、ストーリーが徐々に進み出しているのに、シーンをブツ切りにして、主役、準主役、原作、脚本、撮影、監督、題名を表示する映画がある。予告編から含め、前置きでもう10分経っている。

③奇妙な演出  その時点では主人公なのか、ストーリーテラーの役割を果たす人物かわからないが、その彼は観客に向かって話しかけてくる。同時に物語の中でもセリフを言っている。そして、また観客に話しかけてくる。

 こういう②、③のような手法をとる監督にとって、映画は「作る物」なんだろうと思う。そういう監督は「映画に魅せられている」のではなく、「映画を撮っている自分に魅せられている」。映画は「見せ物」だ。スムースに、一刻も早く映画の世界へと導くことが見せ物として優れている。観覧者にとって映画は「誰が撮ったか」はほとんど重要ではない。

 もちろん、映画監督という職業を例にとった一般論として記している。全ての職業人は気をつけなければならない。

2018年3月 6日 (火)

早春に逝く

 啓蟄  蟄(すごもり)虫(むし)戸を啓(ひら)く

 長岡の3月はまさに早春で、晩冬と勢力を競うかのような時が流れる。その勝敗はいつも「後から来た者が勝つ」と決まっている。春の気配は雪が教えてくれる。屋根から落ちる雪解け水は本格的な春までの時を計る砂時計のように滴り落ちる。公園では木々の周囲の雪だけが他の場所よりも早く融け始める。木は生命を持ち、冬の仮死状態から次第に熱を帯びて甦ってくる。融けて流れた水は道路を濡らし、それが流れ込む川面さえも色づいて見える。

 K社長の通夜・葬儀が終わった。これほど盛大で参列者の多い葬儀を経験したことがない。生前、社長と二人だけで食事する機会を十数回いただいた。世の中には経営者然とした威厳に満ち、時には威嚇的な振る舞いをする社長が多い中、それとは対極にある方だった。K社長は小柄であったが、バイタリティと細かな心遣いに溢れ、笑顔と愛嬌は絶えることがない人だった。進言との思いから生意気なことを言ったこともある。それを受け入れてくれた社長の懐は、限りなく深く、広かった。その“うつわ”には、自分が残りの人生のすべてを費やしても追いつくことはできない。

 二人で撮った写真の1枚すらない。しかし、心に焼きついた言葉や時間の写真を大切にしようと思う。

2018年3月 5日 (月)

食堂ニューミサ(上越市中郷区)

 何年ぶりだろう?7~8年ぶりの訪問か。今更紹介するのは恥ずかしいほどの店。有名な「みそラーメン」(800円 写真)。玉ねぎの甘さが溶け込み、ニンニクと唐辛子が入った濃厚なみそスープはこの店オリジナルの味。シャキシャキ感が残るもやしとスープに負けない麺が旨い。豪雪地に暮らす住民に育まれ、妙高の峠を越えるドライバーやスキー客などに鍛えられて完成した“食文化”のような気がする。 

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 女性や子どもには麺を半分にした半麺(600円)がある。ラーメン店ではなく食堂なので、ラーメン以外のメニューも豊富。みそラーメンを食べるなら、寒い時期や寒い日がいい。例え雪道や悪路を越えて辿り着いたとしても、後悔することはない。

 食堂ニューミサ 上越市中郷区稲荷山367 TEL0255-74-2096 営業時間:9時~21時 定休日:火曜

2018年3月 4日 (日)

青海川駅(柏崎市)

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 一度、訪ねてみようと思いつつ、25年が過ぎた場所。1993年のテレビドラマ「高校教師」の最終回などに登場したJR信越本線の青海川駅(柏崎市)。海に近いというよりも、海と接している駅。

 「海と駅」の風景を集めたサイトを見つけた。 海の見える駅  http://seaside-station.com/

 駅舎は行き止まりにある。そこから振り返ると国道8号にかかる米山大橋を見上げることができる。夕陽に照らされて朱色に輝く見事な橋脚(高さ53㍍)。1967年完成ということは51年経過している。

 この橋を架けたのも田中角栄元首相。この事業は決して利益誘導などではなく、生活者の声を徹底的に聴いた結果だろう。現在、この橋の恩恵を受けているのは、そこに住む人よりも、むしろそこを通過する人たちだ。

2018年3月 3日 (土)

五節句

20180303 「もうこの時期か」と感じることは多々ある。今日は雛祭り(ひなまつり)。ひなまつりの思い出はひとつもないが、「もう1年か」と感じる日になった。それについては後日記す。

 ひなまつりは「桃の節句」とも言われる。節句とは季節の節目、その節目に行われる行事のこと。その中でも大きな節目となる5つの節句は江戸時代に祝日と定められていた。それぞれの節句には季節の食材を活かした料理などがセットになっている。

 1月7日 七草の節句 (人日 じんじつ の節句) 七草粥

 3月3日 桃の節句 (上巳 じょうし の節句) 菱餅 はまぐりの吸い物 ひなあられ 白酒 ちらし寿司

 5月5日 菖蒲の節句 (端午 たんご の節句) 柏餅 粽(ちまき) 菖蒲湯

 7月7日 七夕の節句 (七夕 しちせき の節句) 素麺 

 9月9日 菊の節句 (重陽 ちょうよう の節句) 菊の花 栗ごはん 秋茄子

 桃の節句に「はまぐりの吸い物」というのは初めて知った。今晩は菱餅に見立てて餅を焼き、はまぐりを買って吸い物にしよう。

2018年3月 2日 (金)

角中うどん店 宮内店(長岡市)

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 半年ほど前に原信宮内店の駐車場内に出来た「角中うどん店 宮内店」。初めて訪問。特徴は2つか。①メニューが豊富。定番のうどんメニューに限らず、定食と丼メニューが多数ある。②うどんの量は3玉まで同一料金。1.5玉、2.5玉というオーダーも可能。うどんは熱・冷の選択可。

 食べたのは名物という表記があったので「肉つけうどん 肉2倍」(980円)。つけ麺(うどん)の魚介スープは濃厚・ピリ辛で背脂入り。別盛で来る皿には甘辛に炒められた豚肉、刻みネギ、海苔が満載。「角中うどん」(880円)は天ぷら山盛り、期間限定の「四川麻婆うどん」(900円)もおすすめ。

 全体的な印象は「うどん食堂」といった感。1人利用から家族連れ、年齢を問わない。アルコールやつまみになる一品料理もあり、ランチから夕食、軽く飲む席にも利用できる。経営母体は県北でラーメン店(麺作赤シャモジ、荒川らーめん魂あしらなど)を運営している。そこでのノウハウを活かしている様子。どうしても丸亀製麺と比較したくなるが、おそらくこちらの店は丸亀を意識していない。それでいいと思う。客単価は丸亀が500~700円とすれば、こちらは700円~900円といったところか。税込表示料金もわかりやすい。

 角中うどん店 宮内店 長岡市宮内町3254-1(原信宮内店駐車場敷地内) TEL 0258-86-7740 営業時間 :10時~23時LO

2018年3月 1日 (木)

風向き

 親類縁者の訃報が知らされた。

 暴風が吹き荒れた1日になった。突発的な風を受けてアルミサッシの枠が軋む音をたてた。その向こう側の網戸はまるで誰かの手で動かされたかのように右から左へ移動した。玄関の前で1羽の鳩が立ち尽くすようにしていた。仲間からはぐれたのだろうか。この風では飛び立つこともできないだろう。

 2月28日  新潟県教育委員会は2018年度公立高校入試の志願状況を発表した。この中で長岡高校普通科は240人の募集に対し、志願者数は234人で志願倍率は0.97倍。同理数科は80人の募集に対し、志願者数79人で志願倍率は0.98倍となった。県内有数の進学校である“長高(ちょうこう)”は異例の志願状況になった。

 2月28日  日本穀物検定協会は2017年産米の「食味ランキング」を発表した。この中で、最高級ブランドとして知られる魚沼コシヒカリが、初めて最高評価の「特A」ランクから下がる波乱があった。ランキングは5段階評価され、エントリーした151銘柄中43銘柄が特Aに選ばれた。

 何者も、何事も、「常にそのまま」ということはない。物事は微かに少しずつ、僅かに少しずつ動くが、ある時は突然、大きく動くことがある。

 いつもはいないはずの鳩が、そこにいたのはなぜだろう。強く窓をたたき、勢いよく網戸を開けたのは本当に風だったのだろうか。

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