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2018年3月22日 (木)

映画愚感

■明日に向かって撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid) 1969年アメリカ

 導入部の映像はセピア色。これが有名なラストシーンで効いてくる。西部劇のスリリングな流れの中で暴力性と喜劇性が描かれる。北野武監督の映画のよう。

 良質なアメリカ映画の多くは時代を描く。それは昔も今も変わらない。現在の日本映画の大多数はコミックの世界観を実写化して描く。そうなる理由は、大きな意味では観客の文化度。より現実的な意味では興業収入(経済・利益)だ。映画はその時代の観客が作る。それはこれまでもこれからも変わらない。 

■ラスト・ショー(The Last Picture Show) 1971年アメリカ

 「明日に向かって撃て」はカラーフィルムだったが、2年後に制作されたこの映画はモノクロフィルム。そういう手法がとられている。タイトルはテキサスの田舎町に住む若者たちの「青春の終わり」を閉館する映画館の最終上映に重ねている。

 日本の現代の少年たちは幼少期から莫大な情報に晒され、昔とは比べようもないほど大人に思える。一方で50年前の映画に描かれたアメリカの若者たちは老成している。その理由はつくられた映画の中の話だからではない。少年たちの暮らしにも社会の影が反映されているからだ。今、この国も暗闇だらけだが、この国の若者は「社会の影を踏まないように」と育てられる。しかし、それは無理なこと。その影は自分の影でもあるからだ。それなのに少年たちに被さる社会の影が映画化されることはない。コミックを実写化したハッピーエンドの物語だけが映画になる。

■普通の人々(Ordinary People) 1980年アメリカ

 この年のアカデミー賞作品賞はエレファント・マン(The Elephant Man)ではなく、この映画が受賞している。兄の死をきっかけに心を病む弟。深まる母との確執。形骸化した夫婦の関係。普通の家族が壊れていく物語。

■ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost) 1990年アメリカ

 ファンタジーやSF映画に感情移入できなくなったのは年をとったからだろうか。この映画は何度見てもそれほど心に響かない。相性が悪い。主題歌「アンチェインド・メロディ」はどんな映画のラストシーンで流れてもいい。

■ア・フュー・グッドメン(A Few Good Men) 1992年アメリカ

 ルール違反と知りながら自分の成績や保身のため、あるいは上司からの評価や上司への忖度など組織の論理を優先させる。それがいつの時代にも、どこの国でもあるのだと気づかされる。そういう人は決まって言う。「俺が組織を守ったのだ」と。しかし、たいていの場合、それは「自分だけを」守っている。

 トム・クルーズの主演映画には当たり外れ(好き嫌い)がある。この映画は当たりの1本。彼は映画史に残るハンサムスター。ほぼ全ての映画で相手役、またはコンビを組む美女と恋に落ちるストーリーになってしまう。この映画にはそのイチャついたシーンが無い。あの頃、映画界では法廷物と呼ばれる映画が流行った時代だったと懐かしい気分になった。

■ライフ・イズ・ビューティフル(Life is beautiful) 1997年イタリア

 舞台は第二次大戦の北イタリア。物語は喜劇映画のように観客を楽しませる。ユダヤ人である主人公と家族はナチスの迫害を受ける。強制収容所での暮らしも滑稽に描かれる。主人公である父に護られ、愛された少年は奇跡的に生還する。「いかなる状況であれ、生きる希望を忘れるな。人生は素晴らしい」というメッセージ。とても素敵な映画だが、本質はファンタジー。「多くの小石を拾い集めたが、大きな石はそのまま置き去り」という気になってしまう。無力であることの虚しさが残る。

■清須会議 2013年日本

 現実を補完するだけの映画。誰のための映画なのかわからない。金融商品のような映画。仮に30億円で制作して33億円で売れば3億円儲かる。

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