2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« ひと 藤沢周平 | トップページ | 重い死 2 »

2018年2月10日 (土)

重い死 1

 暗いニュースばかり続く中、第23回冬季オリンピックが開幕。隣国、韓国平昌での開催。地の利を活かしてメダルラッシュになるか。

 今週の日経平均株価の終値は21,382円62銭。1/23に記録したバブル後最高値24,124円15銭から▲2,741円53銭、前週末比▲1,891円91銭。暗雲がたちこめてきた。「皇族の婚姻延期」の報道も。世間様で起こることが皇族にも起こるということ。考え方によっては健全な証でもある。ショッキングではあったが感情が揺れたのは「元女性アナウンサー(52歳)の死」に関する報道だった。

 彼女は「病であること闘病していることを隠し、15歳の子を残して」逝った。命の重さに軽重はないが、世の中では「子ども(特に幼子 おさなご)を持つ母の死」が最も重く受けとめられる。

 子どもの範囲を18歳までと定義して、自分が18歳までに親から何を習っただろうと考えてみる。「人様に迷惑をかけてはいけない」ということを何度も教えられた。あとは、母が働く背中を見たし、父が生きる姿を見たが、それは自分で見た。自分の目、自分の意志、自分の心で見た。両親が俺の(私の)背中や姿を見ろとは言わなかった。

 彼女の死を悼む声に接していると、多少の違和感を生じる。彼女と彼女の死に寄り添っているかのような人々は「死」というものが自身から遠い人たちのように思う。一見すると「重く」受けとめているように勘違いしてしまうが、自分にはそれが「軽く」扱われているように感じる。

 世の中は悲しみで溢れている。ミャンマーのロヒンギャで行われた虐殺。無数の難民の中には幼い子どもたちが大勢含まれている。死者よりも生者を重んじるべきだと思う。死には2種類ある。「生命の死」と「生活の死」。生活の死について言えば、異国の難民を引き合いに出す必要はない。この国にも溢れている。

 「人生の全ては運」だと言ったら、努力家に怒られるだろうか。運命には受け入れる以外の選択肢はない。誰かの人生、つまり俺の、つまりあなたの、人生の全ては記録も記憶もされない。一時的に記録され、記憶されることもあるが、それはほんの一時だ(一瞬と言っても良い)。

 自分の人生は自分が彩る以外にない。それをまっとうしさえすれば、それで良い。彼女は生きた。フィナーレを自分で彩った。

 死を涙で受けとめるほど、もう若くない。

« ひと 藤沢周平 | トップページ | 重い死 2 »

西向きの窓辺」カテゴリの記事