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2018年2月13日 (火)

石油ストーブと掘りごたつ 1

 幼い頃、家の暖房は石油ストーブと掘りごたつだった。昭和30年代までは土間だったという玄関は後になって車庫に使うほど広かった。その玄関先の左右に明かり取りの窓があった。左右にある窓の間が玄関の入口で、4枚の引き違い戸は2間あっただろうか。右側は半間のはめ殺しの窓だった。カーテン代わりに黒い布が吊り下げられていた。

 その窓の前には200㍑サイズのドラム缶が置いてあった。石油ストーブに使う灯油が入っていた。現在では燃料タンクは屋外に据え置くが、昔は普通にある風景だった。ドラム缶は全体が濃い青で、所々が錆びていた。缶の上部は汚れたピンク色で、そこには特殊な書体の文字で「大協石油」と書かれていた。大協石油(現在のコスモ石油の前身)のガソリンスタンドが近所にあった。冬が近くなるとそこの小型給油車が玄関に横付けされる。冬を越す分の灯油が給油され、その作業をジッと見ていた。

 石油ストーブへの給油は2段階の作業が必要だった。まず、ドラム缶から18㍑のポリタンクに石油を移す作業。そのポリタンクからストーブのタンクに給油する作業。ドラム缶についているポンプはかなり大型で、ポリタンクに移す際は15㍑あたりで栓を弛めないと、アッという間に灯油が溢れた。この作業を失敗して、玄関先に灯油の海を作ったことが何度もあった。こぼれた灯油は新聞紙を何枚も重ねて吸い取った。それをゴミ袋に詰める。それでも灯油の臭いを除き切れず、数日間はその臭いの中で、家族全員が靴を脱ぎ履きする羽目になった。

 灯油入れ替えの失敗は4~5回やった。後半は灯油始末の腕も上がって、騒がず、悠然と片づけていた。不思議と親から叱られた記憶はない。ポリタンクから石油ストーブへの給油は進んでやった。ストーブは特注の金網で覆われていて、その金網は洗濯の物干しを兼ねていた。だからだろう。幼い頃、冬の衣類にはストーブの匂いが染みついていた。

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