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2018年2月14日 (水)

石油ストーブと掘りごたつ 2

 幼い頃、家の暖房は石油ストーブと掘りごたつだった。昭和30年代までは土間だったという玄関は後になって車庫に使うほど広かった。その玄関先の左右に明かり取りの窓があった。左右にある窓の間が玄関の入口で、4枚の引き違い戸は2間あっただろうか。左側は開閉できる腰高窓だった。子供の背では届かない高さだった。

 腰高窓の周辺は入口から茶の間の脇にある玄関までの動線から外れていて、物置のように使われていた。夏の水撒き用のホース、冬の雪かき用のスコップ。その雑多な茂みの中に掘りごたつ用の「練炭」が置かれていた。

 厚手で丈夫なクラフト紙に包まれた練炭の上には、ハガネの火バサミが横たわっていた。七厘に練炭を入れ、火をつける。それを掘りごたつの中心の底に置くと、徐々にこたつの中が暖かくなった。

 掘りごたつの中は暖かく、子どもはつい潜ってしまう。そうすると決まって祖母に叱られた。眠ってしまうことはなかったが、一酸化炭素中毒の危険性があった。いつも叱られるばかりで、「危ないことなんだよ」と説教された記憶はない。

 玄関先にしばらくあった練炭は、いつの間にか無くなっていた。掘りごたつを使わなくなったのは、1978年2月14日に祖母が亡くなってから。あれから今日でちょうど40年経った。祖母の名は千代美といった。カタカナ2文字の名ではない。大正時代に農村部で生まれたにしては随分とハイカラな名前だ。

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