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2018年2月

2018年2月28日 (水)

東京スカイツリーは誰が造ったか 

 東京スカイツリーの竣工日(建設工事の完成・完工)は2012年(平成24年)2月29日となっている。閏日(うるうび)になったのは工期かそれとも狙ったのだろうか。2月末日という意味では今日が6周年にあたる。ちなみに東京タワーは1958年(昭和33年)12月23日、サンシャイン60は、その20年後の1978年(昭和53年)4月6日の竣工。仮にバブル崩壊がなければ、スカイツリーは20年刻みの1998年に完成していたのかもしれない。

20180212 若い頃、「サンシャイン60を建てた」という老人と話をしたことがある。農村部で大工をしていた老人だった。正式には「工事に携わっただけ」なのだが、老人は「俺が建てた」、「自分が造った」と言う。内心「なぞなぞの答えでもあるまいし」と、半分は老人をバカにしたような感情でいた。老人の息子も大工をしており、茶飲み話でその話が出ると、息子は隣の作業場でカンナをかけながら「またその話か」と言う。もう、2人のその掛け合いを聞くのも3度目か4度目だった。

 子どもの頃のなぞなぞに「大阪城を造ったのは誰だ?」というのがある。歴史で習った知識をもとに「豊臣秀吉」と答えてしまうが、なぞなぞの答えとしては「大工さん」が正解ということになる。「サンシャイン60を建てた」という老人の言葉はあながち間違いとは言えない。むしろ、正解に近い。

 有名な建築物を建てた人というのは、施主・建築主のことを指す。その建物を建設するよう構想し、指示を出した人、建設資金を拠出した人のことだ。東京タワーもサンシャイン60も東京スカイツリーも、それぞれの必要性に応じて計画され、あるいは、それぞれの経済的な構想に基づいて、巨額の資金と長い年月をかけて建設された。「造った人」の答えは大手企業の社長であったり、大手ゼネコンだったりする(東京スカイツリーの施主は東武鉄道で施工は大林組)。 

 2月の前半は豪雪、後半は冬季オリンピックに隠れていたが、安倍政権の重要施策に綻(ほころ)びが出始めた。アベノミクスは株価下落に見舞われ、働き方改革は裁量労働制を巡る「不正データ」(不備というレベルではない)が法案の信頼性を毀損。プレミアムフライデー政策は言わずもがな。

 アベノミクスは安倍首相の、黒田バズーカは黒田日銀総裁の名をそれぞれ捩(もじ)ってつけらている。これらの政策の施主や施工者は誰になるだろう。安倍首相、黒田総裁、自民党、日本銀行、官僚…。そのどれかに、あるいはその全てに責任を持ってもらいたいが、そういう訳にはいかない。アベノミクスの施主は国民だ。「国民・有権者」に責任が無いということにはならないだろう。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/20180101.html

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/01/post-e5c4.html

2018年2月27日 (火)

寡占化するテレビ

 まあまあ多雪(少なくとも当地では決して豪雪の水準ではなかった)の冬だったが、案外と春の訪れは早いかもしれない。

 戦後(テレビ放送開始後)、実質的に寡占化状態にあるテレビ放送事業で、「電波オークション」の是非が検討されている。政権に批判的な勢力を牽制するかのような論調も目に付くが、それは電波オークションの根元的な意味合いを誤ったものにしかねない。普通に考えて、ずっと長い間、同一の事業者が電波を格安に利用し続けているということは異常事態だ。「既得権の岩盤」を崩すことを訴えるべきマスコミが、自分たちは岩盤規制に守られているというのでは説得力がない。ついでに言うなら新聞の消費税軽減税率化も反対。夕刊紙・タブロイド紙、雑誌等は普通税率だ。その線引きは何なのだろう。新聞の何倍も権力を監視し、闘っている雑誌はたくさんある。ジャーナリストならば、自ら軽減税率の撤廃を訴えるべき。

 生意気なことを記した。最近、それよりももっと身近な「ある寡占化」に薄気味悪さを感じている。それは「テレビ出演者の寡占化」だ。特に目に付くのが、若手男性芸能人のプロダクションと大阪に本社を置く芸能プロダクション(東京本社の子会社を含む)。これらの所属タレントはバラエティ、歌、ドラマ、映画、トーク、教養、ニュース…あらゆるジャンルのテレビ番組でレギュラーを務めている。

 最近、芸能事務所におけるタレントの不当契約などが報じられているが、これなども芸能界・テレビ放送界の寡占化や閉鎖性、特殊性が遠因としてあるのではないか。かつて30年間もの間、テレビで番組を持ち続けるタレントはいなかった。もちろん彼らには安心感がある。しかし、その一方で、不安感も抱いている。そのうちの何割かは恐怖感でもある。「岩盤既得権」に牛耳られた世界からは、支配者、権力者、既得権者、富裕層、保守層などにとって都合のよい考え方や情報しか伝えられなくなるからだ。

2018年2月26日 (月)

新潟デビュー馬が凄い

Oukenmoon 今週末は競馬クラシックの前哨戦、チューリップ賞と弥生賞が行われる。弥生賞の予想1番人気から3番人気はディープインパクトを父に持つ超良血馬ばかりだ。

 今年のクラシック戦線では“新潟デビュー馬”が大活躍している。

 8/6 新馬戦1着 ロックディスタウン(父オルフェーヴル) GⅢ札幌2歳ステークス

 8/6 新馬戦2着 タイムフライヤー(父ハーツクライ) GⅠホープフルステークス

 8/6 新馬戦2着 アーモンドアイ(父ロードカナロア) GⅢシンザン記念

 8/12 新馬戦4着 オウケンムーン(父オウケンブルースリ) GⅢ共同通信杯

 8/13 新馬戦1着 ルヴァンスレーヴ(父シンボリクリスエス) 交流GⅠ全日本2歳優駿

 8/20 新馬戦1着 ラッキーライラック(父オルフェーヴル) GⅠ阪神ジュベナイルフィリーズ

 これら新潟デビューの馬たちは超良血馬でないところがいい。いずれの馬の父にもディープインパクトの名はない。牡馬・牝馬・芝・ダートとバラエティ豊かところもいい。

 中でも特に期待したいのはオウケンムーン。父オウケンブルースリは3歳春(2008年)にキャプテントゥーレが皐月賞を制した翌週に福島でデビューした。夏の新潟を走り、神戸新聞杯を3着。堂々の1番人気に支持された菊花賞を勝利した。しかし、父オウケンブルースリのベストレースは翌年のジャパンカップだろう。このレースでウオッカのハナ差2着したが負担重量はウオッカの55㌔に対し57㌔だった。上がり3ハロンのタイムはウオッカ34秒8に対し34秒1。4コーナーの位置はウオッカが先団にいたのに対し、ほぼ最後方からのまさに“豪脚”、“鬼脚”だった。話が逸れた。

 もうひとつ、贅沢な願いを言わせてもらうなら、「1着ロックディスタウン、2着タイムフライヤー」だった8/6の新馬戦を3着したシャルドネゴールド(父ステイゴールド)もクラシック戦線に名乗りを上げて欲しい。

 2011年の3冠馬オルフェーヴル以来の“新潟デビュー馬のクラシック制覇”に期待が膨らむ。

2018年2月25日 (日)

Favorite composition

 昨日の続き

 「レイト・フォー・ザ・スカイ」は1974年9月13日に発表されたジャクソン・ブラウンのレコードアルバム(左)

 「タクシードライバー」は1976年2月8日に公開されたマーティン・スコセッシ監督のアメリカ映画(中)

 「愛の世代の前に」は1981年9月21日に発表された浜田省吾のレコードアルバム(右)

 この構図、デザインは自分のストライクゾーン。もちろん、音楽と映画も。

Late_for_the_skyTaxi_driverShamada

2018年2月24日 (土)

Late for the Sky

20180220 映画「タクシードライバー(Taxi Driver 1976年アメリカ)」を観ていると、ジャクソン・ブラウンの「Late for the Sky」が流れて来た。

 「タクシードライバー」は監督マーティン・スコセッシ、主演ロバート・デ・ニーロのゴールデンコンビによる「アメリカン・ニューシネマ」の名作。

 主人公トラビスが強盗犯を殺した後、部屋でテレビを観るシーンで「Late for the Sky」がおよそ100秒間流れる。

 Awake again, I can't pretend, and I know I'm alone  And close to the end of the feeling we've known  How long have I been sleeping  How long have I been driftin alone through the night  How long have I been running for that morning flight  Through the whispered promises and the changing light  Of the bed where we both lie  Late for the sky 

 また目が冴えてきた もう偽ることはできない 自分の孤独を思い知る  僕らがわかりあえていた想いも終わろうとしている  どれくらい眠っていたのだろう  どれくらい独りで夜を彷徨ったのだろう  どれくらい別れの朝を決意しようとしただろう  夜通し話し合った約束で変わったのは外の明かりだけ  僕らが横たわる偽りのベッドで  明け方の空に間に合わないままに 

 映画の外観は、どこか退廃的で倦怠感のあるサクソフォンの音が全編に渡って流れ、全てのシーンの1カット1カットは1970年代のアメリカ社会を撮したポスターのような映画。その内観は当時のアメリカ社会の陰を色濃く反映し、ベトナム戦争、元軍人、不眠症、薬、銃、暗殺未遂、ポルノ、少女売春などがマーティン・スコセッシ流のリアルな暴力描写とともに描かれる。

 現代は息苦しく、息詰まるような利益至上主義。その裏で支配層は着々と、既得権益を積み上げている。貧富の差の拡大。利己主義の蔓延。矛盾だらけの現実を前に、善良な倫理観を保ち続けるのは困難に近い。理解されない「こころ」、寛容されない「気持ち」は、自分を責め、苦悩することで何度も収縮を繰り返す。しかし、それには限界がある。

 映画「タクシードライバー」の時代と現代にはとても共通点が多いように思う。

2018年2月23日 (金)

亀の翁

20180102 「能書き」というのがある。元々は薬などの効能を書き記した文書「効能書き」から来ている。その後、「効能や効果があると吹聴する事」に意味が転じ、「口ばかりで行動が伴わないこと、自己宣伝のために優れた点を述べ立てること、そのための言葉」という意味になった。

 いつの頃からか、この「能書き」が重んじられるようになった。その傾向が著しいのが食材や料理を語る場面。中でもワインや日本酒の能書きは、とどまることを知らない。

 そんな能書き先行の世界にあって、“語らずには飲めない酒”がある。それが「亀の翁」。幻の酒米「亀の尾」の種もみ1500粒から始まる逸話は「夏子の酒」のモデルとして有名だ。“幻の酒”、“酒徒垂涎の酒”と言われるのも誇大な表現にならない。少量仕込の酒蔵であり、地元でも手に入れ難い。

 「亀の翁 純米大吟醸」(長岡市 久須美酒蔵)は「〆張鶴 純米大吟醸」(村上市 宮尾酒蔵)と並んで、“淡麗酒”の双璧にして最高峰だと思う。

2018年2月22日 (木)

上げるのは給料か

 2018年春闘の労使交渉はオリンピックの激戦と対照的だ。「労使交渉が本格化」といっても、安倍政権は「賃上げ3%」の数値目標を掲げ、経済界にその達成を要請している。“官製春闘”の様相。

 春闘の動向は、ある程度、末端まで影響を与える重要なもの。しかし、労働組合もない零細・下請け企業に春闘はない。トヨタ、日産、ホンダ、日立、パナソニックの労組はベア3,000円の要求にとどまっており、末端まで滴る水準は300円だろうか。過酷さを増す労働環境の下、現状から積み増しされるのは安いハンバーガーひとつ分の小銭だ。

 確かに賃上げ3%は必要な目標で、絶対条件とさえ言える。しかし、中小零細・下請け企業が賃上げを実行するには、「下請け企業等への利益分配の数値目標」を掲げなければ意味がない。もちろんその水準が3%で済むはずはない。

2018年2月21日 (水)

「メルカリ」デビュー

 先日初めて「メルカリ」を利用した。仕組みはシンプル。洗練されたサービスだった。

 利用したのは単行本の購入。Amazonマーケットプレイスよりも安かったという理由のほかに、現物の写真が添付され、不足する情報については説明を求めることができる。

 今回は「購入」の取引だったが、このサービスの中核は「出品」にある。近々、試してみようかと「魅力があるのに不要なもの」を吟味している。

 メルカリは「フリマアプリサービス」のカテゴリでは国内首位のサービス事業者。フリマ電子取引市場はメルカリという企業とともにまだまだ成長拡大するだろう。

2018年2月20日 (火)

綾通し(あやどおし)

20180201 先月、母親を助手席に乗せて隣町まで運転した。母は座席に座るとダッシュボードが障害になってボンネットの先が見えない。バックモニターがついていることも知らないので、前進、後退、右折、左折、それぞれの場面で口うるさいほど注意する。母の身長は150㎝のはずだが、年をとって縮んだのかもしれない。大きな猫のように背中を丸めた姿は、ずっと以前にどこかで見たような気持ちでいた。

 タイミング良く、戦後途絶えていた「亀田縞(かめだじま)織物が復活」というニュースを見て、母親が背中を丸めて「綾通し」(あやどおし)をしていた姿を思い出した。

 見附は繊維産業の町。十日町、五泉、亀田、栃尾などと並んで織物の産地だった。1970年代、既に繊維産業は衰退・縮小傾向にあったが、それでも町中を走るたいていの車は「いとへん」(繊維産業のこと)に関わるものだった。就労者の7~8割はその業界に従事していたのではないか。

 自分の家もそうだった。父は織物商社、母親は家で綾通しの内職をすることが多かった。綾通しは糸を綜絖(そうこう)という針金のようなものの真ん中にある小さな穴(ヘルド)にタテ糸を通す作業のこと。平織りの場合は綜絖が2枚以上、綾織りの場合は3枚以上要する。綾通しの作業は細かく、熟練の技が必要だ。母は1日の大半を茶の間の入り口に設けた作業スペースで過ごしていた。出来高制だから母は懸命に糸を通したが、それでも1日に2千円稼げたかどうか。後ろに石油ストーブを置き、座布団に座り、膝掛けをかけ、何時間も「カチャ、カチャ」と糸を通す作業を続けていた。綾通しをする母の背中はいつも丸まっていた。

    http://kamedajima.com/    亀田縞を復活させた中営機業のHP

    http://takumidream.com/    経糸を綜絖に通す「綾通し」 ㈱匠の夢のHP(写真は同社HPから)

2018年2月19日 (月)

雪国の「地下」資源

201802121 雨水。雪が雨に変わり、雪や氷が溶けて水になる時期。

 地下資源とは地中に埋蔵されている鉱物など天然資源(化石燃料、金属、レアメタルなど)のこと。

 ホテルニューオータニ長岡前の地下駐輪場入口から長岡駅東口地下自転車駐車場に入り、古くからある長岡駅地下道を通って長岡駅大手口地下自転車駐車場の出口(写真)へ歩いた。とても気持ちよく歩いた。外の降雪も積雪も関係ない。管理人の姿を除いては誰一人すれ違う人はいなかった。

 出口から50㍍ほどの場所には大手通り地下駐車場の出口がある。そこから北50㍍には大手通とイトーヨーカドーを結ぶ地下からバスターミナルと駅を繋ぐ長岡駅前地下道があり、南50㍍の地下にはアオーレ長岡の地下駐車場がある。

 これらは「地下資源」と言えなくもない。このスペースを活用してなどと薄っぺらいことを言うつもりはない。それが難しいことは誰でもわかる。駐車場・駐輪場と商業施設では地下の構造も建設基準も異なり、防火・防犯設備や法律の規制もまるで違う。それでもやはり、もったいない。一等地の雪がない場所を占有しているのは冬を越すための自転車だ。

 何年か前、長岡駅前地下道で音楽を流しながら踊っている若者たちがいた。そういう音楽やダンスの故郷はストリートにある。教室や文化施設のスタジオには“雑踏”や“空気”がない。あるいは、移動型か設営型の小規模店舗や屋台。

 駅前のペデストリアンデッキは完成後、「なるほど使い勝手が良い」と感心した覚えがある。予算がなければできないことの方が多いが、規制緩和やアイデア、そして熱意に予算はいらない。

 もちろん今日も「一般論」として記している。

2018年2月18日 (日)

ママ症候群

20180216 こういう言葉や用語があるかわからないのだが… mama syndrome ママ症候群 / mama first ママ第一(優先) / mama ism ママ主義

 ブログやSNSなどで「ママを主張し過ぎると炎上する」ことがある。それが更にネットニュースになったりする。身近に起こった3つのことを記す。

 ①よく整備された歩道でベビーカーを押したママが2人、並んで向かってきた。歩道上でもこちらは右端を歩いている。彼女たちは仲良く会話しながら、歩道の左側から中央を占有したままこちらに向かってくる。こちらが通路を譲るのはやぶさかでないのだが、譲るにしてもかなりの「車線変更」を強いられる。

 ②シュークリームを買う行列に並んだすぐ後ろで、幼い子ども連れのママが、落ち着かない子どもに手を焼いている。いくらでも列を代わるのだが、1列前に出ただけでは何も解決しない。それよりも、無邪気を通り越し騒がしい子どもは、明らかに整然と並ぶ行列の“異端児”になっている。

 ③妊活だと言って有給休暇を取得する女性の代務は、彼女よりもひと回り以上年上で未婚の女性がやる。同じように産休に入ったママの代役は人繰りがつかないからとしばらく補充されない。仕事が減る訳ではない。そこには慣れないペットのような仕事が残される(慣れた者には目を瞑ってもできるのだが、慣れない者にとっては手がかかる)。

 ①と②については、弱者専用の座席や歩道、行列にレーンを設けるというのはわかりやすい対策だ。本来はそれが無くても受けとめる社会が望ましいが、それが根付くには時間がかかる。障がい者などが利用する駐車スペースの設置は現在では当たり前になった。喫煙・分煙スペースの浸透も急速だった。それでも首都圏などでは老人や妊婦などの優先席(以前はシルバーシートと呼んだ)が上手く機能していないという。座席やつり革の色を変えるなどしても、スマホのゲームに夢中になっている若者が多いとか。これは幼い頃からの躾(しつけ)の部類だろう。③については根が深いように思う。婚活や妊活が世間に認知される用語になり、以前はひっそりと進めていた秘め事すら、就活と同列に扱われるようになった。実感として「会社がそれを許容しなければならない」雰囲気に変わった。

 産休の代務は誰がやっているか。ママは女性だ。立場を入れ替えてはいけない。ママになる前の女性の味方、あるいは昔、ママだった人たちの味方。つまり、「ママは女性の味方」でなければいけない。現実を見て欲しい。産休の代務はいつも同じ人がやっている。やる人は4人、5人の代わりをやっている。反対にやらない人はたった1人の産休の代務もやらないで卒業していく。“それは会社が判断すること”だから関与しないのだろうか。

 (妊活中の人を含めて)ママは偉い。これには全く異論がない。特に、少子化が進むこの国でママは偉い。次に、ママだけが偉いかというと、そうではない。パパも偉い。ジイジもバアバも同じように偉い。ママたちの主張の核心は「ママたちが生きにくい社会構造そのもの」にあるのに、利便性が低いことや社会(あるいは会社や家族など)の認識が現代のママたちに追いついていないことに不満の矛先が向いている。ベビーカーで歩道の真ん中を進むことはいっこうに差し支えないが、2列はやめるべきだろう。寒風の行列に子連れで並ぶのはどうなのか。これらは「ママ症候群」や「ママ第一主義」が蔓延しているように思える。

 ママがやるべきことは、ママを含めた女性の働きやすさ = 生きやすさへの主張であり、老人や障がい者など弱者に配慮した社会構造への主張だろう。女性を分断するのではなく、共存共栄する主張。ママの地位を上げることは社会の質を良くすることにほかならない。弱者に優しい社会は、そこに暮らす全ての人が暮らしやすいはずだ。

 だから、政府に言おう。行政に訴えよう。企業に働きかけよう。ネットで匿名の書き込みをしても、それは暇つぶしにしかならない。貴重でかけがえのない子育て時代をママ症候群に罹患したままではもったいない。

  万人の福利を願うことが自らの福利につながる。自分や自分の所属する小社会のみの福利を願う人は利己的であって、そうすることは決してその人のためにはならない  マハトマ・ガンディー

     http://kasa.air-nifty.com/blog/20170901.html

2018年2月17日 (土)

船江町

 外は大荒れ。今回の寒気は雪よりも強風を連れてきた。しかし、午後2時前後に窓の下を通る県道が静まり返ったのは悪天候のせいではない。冬季オリンピックのアイススケートで羽生結弦選手が前回のソチ大会に続き、オリンピック連覇を達成。宇野選手も銀メダルを獲得した時間帯だった。

201802161201802162

 長岡は内陸の都市。市町村合併で海岸線を持つことになってから日はまだ浅い。それなのに市内には船江町という町名がある。

 船江町は四方100㍍ほどの町で町内を柿川が通っている。柿川は蔵王町で信濃川に合流する。おそらく江戸・明治期には、信濃川を運行する荷船が上がってくる船着き場だったのではないか(図書館で歴史を調べればすぐ解決しそうだ)。

 写真は柿川にかかる柳橋から。橋の周辺には米屋、酒屋、金物屋、日用品卸、衣料品卸、仏壇屋など、今も商売を続けている店がある。川の石垣や少し広くなった川岸などは船着き場だった頃のなごりのように映る。

2018年2月16日 (金)

出口の入口

20180217 2月16日 今日で日本銀行がマイナス金利政策を導入してから丸2年になった。“銀行寄り”とも受け取れる似たような記事がネット配信されていた。

 「銀行の貸出金は2年前と比べ4%増えたが収益悪化という副作用が目立っている。全銀協会長は「マイナス金利に加え、少子高齢化といった社会的な構造変化がボディーブローのように効いている」と指摘する。メガバンクの業績はマイナス金利導入前と比べ約3割減った。地方銀行の収益は約2割減った。地銀協会長は「未曾有の金融緩和政策が続くと基礎体力が失われていく。地域の金融仲介機能の維持に深刻な影響が出る可能性がある」と懸念を示している」(日刊工業新聞)

 「住宅ローン金利や企業向け貸出金利が押し下げられ、不動産向け融資は大幅に増えたが、収益力の低下に苦しむなど副作用も顕在化している。金融政策の正常化に向け、大規模金融緩和を手じまいする出口戦略の必要性が指摘される中、マイナス金利継続の是非をめぐる議論が活発化しそうだ。マイナス金利政策は、企業の資金需要を喚起してデフレ脱却を狙う政策だが、金融機関の稼ぐ力は利ざやの縮小で弱まっている」(産経新聞)

 自分はそうは思わない。再任が内定した日銀の黒田総裁には「マイナス金利を更に深掘りする余地」が充分に残されていると思う。理由は2つある。

 1.「銀行が給与水準を引き下げた」というニュースをひとつも聞いたことがないこと。

 2.“出口戦略”はアベノミクス・バブルの崩壊宣言になること。

 出口の入口はもうすぐそこ。出口を出た先は後始末の時代だろう。

2018年2月15日 (木)

モンマルトルの丘のスキーヤー

20180207_paris 豪雪に見舞われた今冬はたくさん雪について記し、雪の写真を載せた。

 1週間前、この冬の日本同様、大雪に見舞われたパリの風景が報道されていた。最初は“フェイクニュース”かと思ったほどの写真。AFP通信のネット記事から抜粋して引用。

 2月7日 「大雪に見舞われたパリで旅行者や通勤者が交通機関の混乱に巻き込まれた。パリでは740㌔にも及ぶ大渋滞が発生。旅行者らが空港や駅で足止めされた。パリで12㌢、郊外で20㌢の積雪を記録し、凍結した路上は異例の静けさに包まれた。バス、路面電車、電車は運転を見合わせ、交通機関は大混乱に陥った。一方、モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院ではスキーやスノーボードを楽しむ人たちが警察に追い払われるまでおよそ1時間、坂の急斜面で滑走を楽しんだ」

 モンマルトルの丘は凱旋門やコンコルド広場から数㌔の場所にある。この冬、東京でも雪が降ったが、東京タワーや代々木公園、皇居から数㌔の場所にある神楽坂をスキーで滑走する人はいなかった。

 モンマルトルの丘の上にある寺院から滑り降りた人たちは「警察に追い払われた」ようだ。日本では起きない出来事かもしれないが、仮に滑走するスキーヤーやスノーボーダーがいたとしたら、彼らは追い払われるだけで済むだろうか。

 フランス・パリのモンマルトルの丘に雪が降った。ここぞとばかりに滑り出すスキーヤーがいる。フランスには自由があり、日本には自制心がある。自由に縛られた国と自制心に縛られた国の違いか。

2018年2月14日 (水)

石油ストーブと掘りごたつ 2

 幼い頃、家の暖房は石油ストーブと掘りごたつだった。昭和30年代までは土間だったという玄関は後になって車庫に使うほど広かった。その玄関先の左右に明かり取りの窓があった。左右にある窓の間が玄関の入口で、4枚の引き違い戸は2間あっただろうか。左側は開閉できる腰高窓だった。子供の背では届かない高さだった。

 腰高窓の周辺は入口から茶の間の脇にある玄関までの動線から外れていて、物置のように使われていた。夏の水撒き用のホース、冬の雪かき用のスコップ。その雑多な茂みの中に掘りごたつ用の「練炭」が置かれていた。

 厚手で丈夫なクラフト紙に包まれた練炭の上には、ハガネの火バサミが横たわっていた。七厘に練炭を入れ、火をつける。それを掘りごたつの中心の底に置くと、徐々にこたつの中が暖かくなった。

 掘りごたつの中は暖かく、子どもはつい潜ってしまう。そうすると決まって祖母に叱られた。眠ってしまうことはなかったが、一酸化炭素中毒の危険性があった。いつも叱られるばかりで、「危ないことなんだよ」と説教された記憶はない。

 玄関先にしばらくあった練炭は、いつの間にか無くなっていた。掘りごたつを使わなくなったのは、1978年2月14日に祖母が亡くなってから。あれから今日でちょうど40年経った。祖母の名は千代美といった。カタカナ2文字の名ではない。大正時代に農村部で生まれたにしては随分とハイカラな名前だ。

2018年2月13日 (火)

石油ストーブと掘りごたつ 1

 幼い頃、家の暖房は石油ストーブと掘りごたつだった。昭和30年代までは土間だったという玄関は後になって車庫に使うほど広かった。その玄関先の左右に明かり取りの窓があった。左右にある窓の間が玄関の入口で、4枚の引き違い戸は2間あっただろうか。右側は半間のはめ殺しの窓だった。カーテン代わりに黒い布が吊り下げられていた。

 その窓の前には200㍑サイズのドラム缶が置いてあった。石油ストーブに使う灯油が入っていた。現在では燃料タンクは屋外に据え置くが、昔は普通にある風景だった。ドラム缶は全体が濃い青で、所々が錆びていた。缶の上部は汚れたピンク色で、そこには特殊な書体の文字で「大協石油」と書かれていた。大協石油(現在のコスモ石油の前身)のガソリンスタンドが近所にあった。冬が近くなるとそこの小型給油車が玄関に横付けされる。冬を越す分の灯油が給油され、その作業をジッと見ていた。

 石油ストーブへの給油は2段階の作業が必要だった。まず、ドラム缶から18㍑のポリタンクに石油を移す作業。そのポリタンクからストーブのタンクに給油する作業。ドラム缶についているポンプはかなり大型で、ポリタンクに移す際は15㍑あたりで栓を弛めないと、アッという間に灯油が溢れた。この作業を失敗して、玄関先に灯油の海を作ったことが何度もあった。こぼれた灯油は新聞紙を何枚も重ねて吸い取った。それをゴミ袋に詰める。それでも灯油の臭いを除き切れず、数日間はその臭いの中で、家族全員が靴を脱ぎ履きする羽目になった。

 灯油入れ替えの失敗は4~5回やった。後半は灯油始末の腕も上がって、騒がず、悠然と片づけていた。不思議と親から叱られた記憶はない。ポリタンクから石油ストーブへの給油は進んでやった。ストーブは特注の金網で覆われていて、その金網は洗濯の物干しを兼ねていた。だからだろう。幼い頃、冬の衣類にはストーブの匂いが染みついていた。

2018年2月12日 (月)

東京

20180209 東京には雪がない。確かに時々降り積もるが、あれは雪ではない。

 東京には冬がない。確かに気温は下がり寒さを感じるが、それは冬ではない。

 雪は黒くて深い。冬は暗くて長い。

 東京には全てがある。確かに雪もなく冬もないが、最上級の東京がある。

2018年2月11日 (日)

重い死 2

 水俣病患者の苦しみや祈りを描いた「苦海浄土」(1969年)で知られる作家 石牟礼道子さんが10日、死去した。90歳だった。以下、朝日新聞デジタルから引用・抜粋

 熊本県・天草生まれ。生後まもなく対岸の水俣町に移住。短歌で才能を認められ、詩人谷川雁氏らと庶民の生活史を主題に作品を発表した。1968年「水俣病対策市民会議」の設立に参加。原因企業であるチッソに対する患者の闘争を支援した。水俣病患者の声に耳を澄ませて綴った「苦海浄土 わが水俣病」は高い評価を受け、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と辞退。以降も「苦海浄土」の第3部「天の魚」や「椿の海の記」、「流民の都」など、患者の精神的な支えになりながら、近代合理主義では説明しきれない庶民の内面世界に光をあてた。晩年はパーキンソン病と闘いながら執筆を続けた。

 作家 池澤夏樹さんは自身が責任編集した「世界文学全集」に日本人作家の長編として石牟礼さんの作品を唯一収録した。同氏の追悼文。

 「石牟礼さんは近代化というものに対して、あらゆる文学的な手法を駆使して異議を申し立てた作家だった。非人間的な現代社会に、あたたかく人間的なものを注いでくれたあの文章を、これからはもう読むことができない。本当はもっと早くから、世界的に評価されるべき作家だった」

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/09/100-3105.html

2018年2月10日 (土)

重い死 1

 暗いニュースばかり続く中、第23回冬季オリンピックが開幕。隣国、韓国平昌での開催。地の利を活かしてメダルラッシュになるか。

 今週の日経平均株価の終値は21,382円62銭。1/23に記録したバブル後最高値24,124円15銭から▲2,741円53銭、前週末比▲1,891円91銭。暗雲がたちこめてきた。「皇族の婚姻延期」の報道も。世間様で起こることが皇族にも起こるということ。考え方によっては健全な証でもある。ショッキングではあったが感情が揺れたのは「元女性アナウンサー(52歳)の死」に関する報道だった。

 彼女は「病であること闘病していることを隠し、15歳の子を残して」逝った。命の重さに軽重はないが、世の中では「子ども(特に幼子 おさなご)を持つ母の死」が最も重く受けとめられる。

 子どもの範囲を18歳までと定義して、自分が18歳までに親から何を習っただろうと考えてみる。「人様に迷惑をかけてはいけない」ということを何度も教えられた。あとは、母が働く背中を見たし、父が生きる姿を見たが、それは自分で見た。自分の目、自分の意志、自分の心で見た。両親が俺の(私の)背中や姿を見ろとは言わなかった。

 彼女の死を悼む声に接していると、多少の違和感を生じる。彼女と彼女の死に寄り添っているかのような人々は「死」というものが自身から遠い人たちのように思う。一見すると「重く」受けとめているように勘違いしてしまうが、自分にはそれが「軽く」扱われているように感じる。

 世の中は悲しみで溢れている。ミャンマーのロヒンギャで行われた虐殺。無数の難民の中には幼い子どもたちが大勢含まれている。死者よりも生者を重んじるべきだと思う。死には2種類ある。「生命の死」と「生活の死」。生活の死について言えば、異国の難民を引き合いに出す必要はない。この国にも溢れている。

 「人生の全ては運」だと言ったら、努力家に怒られるだろうか。運命には受け入れる以外の選択肢はない。誰かの人生、つまり俺の、つまりあなたの、人生の全ては記録も記憶もされない。一時的に記録され、記憶されることもあるが、それはほんの一時だ(一瞬と言っても良い)。

 自分の人生は自分が彩る以外にない。それをまっとうしさえすれば、それで良い。彼女は生きた。フィナーレを自分で彩った。

 死を涙で受けとめるほど、もう若くない。

2018年2月 9日 (金)

ひと 藤沢周平

 明日から藤沢周平氏の展覧会が下記の要領で開催される(練馬区文化振興協会主催)。「藤沢氏が住んだ練馬区とのつながりに焦点をしぼり、写真や作家の日常を物語る資料」が展示される。 

  内 容 (1)生誕90年記念 藤沢周平展  (2)生誕90年記念 藤沢周平と練馬展

  日 時 2018年2月10日(土)~ 4月1日(日) 9時から18時 月曜休館

  会 場 (1)石神井公園 ふるさと文化館(練馬区石神井町5-12-16)

      (2)石神井松の風文化公園 管理棟(練馬区石神井台1-33-44)

  入場料 (1)300円  (2)無料

 ぜひ観覧に行きたい。新潟からの道のりは遠いが関越道を切り取ってしまえば隣町のようなものだ。

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 10年前の2008年に出版された藤沢周平「帰省」~未刊行エッセイ集~をAmazonで購入した。中古本だが藤沢ファンの本棚で大切に保管されていたのだろう、初版の帯付きで目立つ汚れもない。

 藤沢氏のエッセイは「周平独言」、「小説の周辺」、「半生の記」、「ふるさとへ廻る六部は」他にも数点。時代小説同様に心地よい読後感が残る。しかし、この「帰省」は多少、趣が異なるように感じる。それは「これまで未刊行だったエッセイ」(一部に再録もある)であることにも理由があるのではないか。

 「帰省」には古き良き昭和の残像が色濃く滲み出ている。同時に、藤沢氏の人間性・人柄、「ひと」もまた色濃く反映されているように思う。

  藤沢氏の本を読んでいると、その時代の同じ町角に住み、時には井戸端から、時には木陰から、出来事を眺めているような気分になる。時代小説が架空・フィクションであるのに対し、エッセイは実在・ノンフィクションだ。当然、実在の人物、書物、出来事などが登場する。「帰省」にも多くの“実在”が登場する。佐野洋、中山あい子、小松重男らの名前には興味をそそられる。彼が愛したり、感心したり、認めたもの。つまり、彼の感性や眼力を信頼しているからこそ、それらの価値も間違いないものである可能性が高い。藤沢氏のエッセイを読んでいると、同じ町角に住み、同じ列車に乗り、同じ本屋や喫茶店で、同じ出来事を眺めているような気分になる。

 佐野洋(1928年5月22日-2013年4月27日)は推理小説作家であり文学評論家。東大主席卒の秀才。藤沢氏は佐野氏の「推理日記」を楽しみにしていたと記している。佐野氏には競馬に関する推理小説もあるようだ。週末の3連休は「推理日記」を読んでみる。

2018年2月 8日 (木)

30年間の臭い

 ブログに命日や忌日を記すことがある。それらのほとんどは、それを記そうと思っているわけではなく、偶然、そういうことになる。 

 昨日も記した「スーパーコンピューター助成金詐欺事件」や「ビットコイン(仮想通貨)の不正流出事件」は、時代の転換を告げる事件のように思う。

 転換期の出来事として思い出したのが贈収賄による戦後最大の疑獄事件と言われる「リクルート事件」。今日はリクルートを創業した江副浩正氏(1936年6月12日-2013年2月8日)の命日。

 リクルート事件は1988年6月18日に地方自治体助役への贈収賄事件から発覚した。翌年6月3日に竹下内閣が総辞職(4月の退陣表明後、首相秘書が自殺)したことで幕引きとなった。事件は江副氏が42歳の時に発覚したが、未公開株の譲渡工作は彼が38歳の時から始まっていた。江副氏は政財界における自社と自身の地位向上を図る目的で、主に政権与党の政治家、管轄省庁の官僚、進出を目論む通信業界の有力者等150人近くに未公開株を譲渡した。子会社は1986年10月に株式上場され、株を譲り受けた者の株式売却益はおよそ66億円にのぼった。

 「政治と金」の闇を抱えたまま、時代は昭和から平成に移っていた。この年の大納会(1989年=平成元年12月29日)で日経平均株価はザラ場38,957円44銭、終値38,915円87銭の史上最高値を記録した。それからわずか9ヶ月後の1990年10月1日に日経平均は20,000円を下回った。バブル経済は崩壊した。

 平成の時代は決して「内平外成(内平かに外成る)」や「地平天成(地平かに天成る)」のような穏やかな時代ではなかった。2020年の東京オリンピックは後世まで時代の節目になるだろう。2019年に平成から次の世に代わる。2018年が平穏に過ぎるとはとても思えない。「30年前」の臭いではなく、「30年間」の臭いがするのは気のせいなのか。

2018年2月 7日 (水)

超えられない壁

201801301 よくできた推理小説には白々しい偶然がない。世の中で起きる物事や事件のほとんどは必然的な帰結として発生するからだ。

 昨年12月、スーパーコンピューター開発会社「PEZY Computing」の社長が助成金不正受給の詐欺容疑で逮捕された。同社の顧問を務めていたのが、セクハラ告発本「ブラックボックス」の一方の当事者である元テレビ局記者で、高級ホテルの住居棟にある彼の事務所賃料を同社が負担していたという。逮捕された社長は逮捕翌週に放送予定だったNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられる予定だった。

 推理小説の序章のように、まだこの事件は靄(モヤ)がかかっていて実体は見えない。しかし、扉の先には扉が、その扉の先にはまた扉があるように感じさせる。そう推測する理由はいくつかある。ひとつは金が絡んでいること。ひとつは官僚が絡んでいること。ひとつは政治家が絡んでいるらしいこと。そして、権力に取り入った偽ジャーナリストも絡んでいる。社会を欺く際の登場人物が全て揃っている。

 急速に巨大化する“スパコン利権”が構築される段階にあるからだろう。

 特に興味もない事件について記したのは、時代の寵児としてもてはやされ、詐欺容疑で逮捕された彼がこの町の出身だから。年も同じだ。

 人は自らの品格を超える品質を産み出せない。

2018年2月 6日 (火)

豪雪にTシャツを想う

Jair_jetstream 前回の寒波がこの冬の峠になると考えたのは経験則から。冬型で大型の寒波が居座っているため、北陸地方で豪雪になっている。昭和38年の「38豪雪」、昭和56年の「56豪雪」など“歴史的豪雪”との比較も聞かれ始めた。38は知らないが56は知っている。後にも先にも雪下ろしを3回やったのは56豪雪だけ。この程度で弱音を吐くのはよそう。

 欲しいTシャツがある。それは広島県で売っている。通販もやっているようだが、いわゆるネット通販ではなく、現金書留でやりとりする昔流の通信販売。

 広島に行ったのはいつだったろう。ある時期、「新潟空港-広島西空港」を結ぶ航路が運行されていた。J-AIRの小さなプロペラ機だったのでよく覚えている。調べてみると、「ボンバルディアCRJ200」(定員50名)という機材と「ハンドレページ ジェットストリーム」(定員19名)が使用されていたようだ。

 搭乗したのは「ジェットストリーム」の方。ちょうど冬の今頃の時期だった。平日だったこともあって乗客は往復ともに10名以下だった。一般的な機内サービスは望めなかったが、2人並びの座席に1人で座り、プロペラ音を除けば快適なフライトだった。

 新潟と広島を結ぶといってもアルビレックス新潟やサンフィレッチェ広島の選手が移動で使えたかというと、到底ムリ。あの頃、アルビレックスはまだJ2だった。そのアルビレックス新潟が14シーズン闘ったJ1から降格し、今シーズンはJ2を闘う。広島市民球場も現役で、新球場の建設計画がささやかれ始めた頃だった。そんなふうに記憶を辿ると、前回、広島に行ってから20年近く経過している。

 「Tシャツを買いに広島へ」 そんなブログを書けるといい。今月下旬にはJ2リーグが開幕する。2ヶ月すれば桜が咲き、3ヶ月すればゴールデンウィークだ。明けない冬はない。

2018年2月 5日 (月)

雪の夜

201801263 前回の寒波から晴れの日が4日続いた。この間、雪は半減して圧雪が凍結していた道路もアスファルトが姿を現した。今朝からの寒波は木曜まで居座る予報が出ている。ちょうど1年前にも記したが、雪国の立春は冬の折り返し地点。節分や立春の頃が、寒さも雪も最も厳しい時期。こんな雪の夜になると思い出す歌がある。

 大阪毎日放送(MBS)のラジオ、「MBSヤングタウン」は新潟でも聞くことができた。昼は電波が入らないのに、夜になると遠いラジオ局の電波が届くようになった。大阪のラジオ局が新潟まで届くような電波を発信していたとは考えずらい。電波が届いた理由は謎だ。今になって振り返って思えば、それは神様からの贈り物のように思う。中学校、高校と深夜のラジオを聞いて、多くの時間を過ごした。

 「ヤングタウン」火曜日のラジオパーソナリティーでもあったチャゲ&飛鳥は、1979年のデビュー当時はナイーブな若きフォークデュオだった。“ゆず”のような存在だっただろうか。彼らのデビューアルバム「風舞」(かぜまい 1980年)に収録されている「冬の夜」が好きだ。

 雪が降る夜に、ギュッ、ギュッと、新雪を踏み締めながら雪の道を歩くと、この歌を思い出す。この歌を聴いていたのは中2か中3、14歳か15歳の冬。「いつか自分にもこの歌のようなことが起こるのだろうか?」 そう考えていた。

 お前の声が耳に残る こんなけだるい冬の夜は ただ音もなく降る雪に 恋の重さ感じたのです

 どちらが先に目をふせたんだったろう 二人でいることに疲れたのだろう 話すことも切れはてて 笑い一つもつらかった

 あとはだんまり ひっそり閑と 降る雪の下で 愛が冷えた

 こんなに寒い冬の夜に なんでお前を思いだしたのだろう お前の笑顔 お前のくせ お前の涙 お前の嘘

 二人は深く時を分けあい すべてが二人に重なりあっていた それは心 それは夢 疲れた二人 表と裏

 あとはだんまり ひっそり閑と 降る雪の下で 愛が冷えた

 あとはだんまり ひっそり閑と 降る雪の下で 愛が冷えた

2018年2月 4日 (日)

髪結いの亭主

Photo Yahoo!系列の動画サイト「GYAO!」は映画、テレビドラマ、音楽、スポーツなど多ジャンルの動画を無料で視聴できる。有料会員になれば視聴できる番組数は想像もつかないほど。しかし、そこまでは求めないし、その必要もない。

 1990年のフランス映画「髪結いの亭主」が配信中だった。あの頃はレンタルビデオが最盛期で、タイトルがキャッチーなこの映画はビデオ店の推奨作品だった。映画の原題「Le Mari de la coiffeuse」を直訳すれば「美容師の夫」だが、美容師を「髪結い」、夫を「亭主」と和訳したところが洒落ている。

 美しい髪結い「マチルド」役を演じたイタリアの女優アンナ・ガリエナは欧州の多くの国で活躍したようだが、この映画は彼女にとってone and only。まるで彼女のために作られたプロモーション映画のようだ。不思議な映画で、ハッピーエンドでもないのに、心が満たされる。

2018年2月 3日 (土)

節分折々

20180114 節分。写真はイオン小千谷店のディスプレイ。赤鬼の手作り感と完成度に感心。

 節分は文字通り季節を分けるとされている。元々は立春、立夏、立秋、立冬の前日を節分といった。節分に「鬼は外、福は内」と言って家内で豆を撒き、年の数だけ豆を食べると厄除けになる。イベントの筋書きがよく出来ている。そう面倒でもなく、簡単でもない。手間はかからないが、段取りがいる。西の風習「恵方巻き」も悪くはないが、しっくりこない。何よりも商業ペースがキツ過ぎてひく。

 家では落花生をまくことが恒例だった。雪国ではちょうど今年のようにすっぽりと家が雪に埋まる頃が節分にあたる。春になって、こたつやストーブを片づけると、隠れていたいくつかの落花生が姿を現した。本当に年の数だけ豆を食べたら満腹になるような年になった。年はどこかに隠しておくという訳にはいかない。

2018年2月 2日 (金)

It's a SONY

 ソニーは2015年3月期、赤字決算により1958年の上場以来初めて年間配当を無配とした。それから3年。

 2月2日 ソニーは4月1日付で副社長が社長に昇格すると発表した。現社長は「(中期計画の目標を上回る見通しがついた)好業績の時にバトンを渡すのがいい」と社長交代の理由を説明した。「(新社長は)強固なリーダーシップを持っており、各事業に精通している」とし、自らは代表権のない取締役会長に就任、新社長の補佐役に徹する意向を示した。新社長は経営課題について「時価総額がすべてではないが、グローバルトップ企業はすべてテクノロジーの会社だ」とし、「ソニーはテクノロジーの会社なので、そこに対する危機感は持っている」と時価総額を意識した経営に当たる意向を示した。また、引き続きバランスシート改革を進める方針も明らかにし、「20年ぶりの好業績で危機感がなくなってしまうのが一番大きな課題」と語った。

 Technology = 科学技術 の会社。短い言葉の中に、これまでの道筋があり、現状認識があり、ビジョンがある。開発(Development)の人、製造(Manufacture)の人、営業(Sales)の人、財務(Finance)の人がいるが、その集合体は「Technologyの会社」。経営陣の品質が凄い。

2018年2月 1日 (木)

若きスラッガー

20180201 久しぶりに晴れた。1週間ぶり、いや、それ以上、10日ぶりだろうか。

 2月1日。プロ野球がキャンプイン。野球への興味は全くなくなった。テレビ観戦すらしなくなってからずいぶん経つ。数日前、横浜DeNAベイスターズの筒香選手(26歳)が「野球界に対する危機感」について自らの考えを述べた。この内容がたいへん示唆に富むものであったことに驚きつつも、感心した。

 「野球人口が減っています。少子化も原因ですが、それよりも速いスピードで減っています。対策として野球教室などが開かれていますが、なぜ減っているのか掘り下げて考える必要があります。世の中が変化する中で、野球界は多くのものが昔のままです」と語った。また、野球界の問題点を具体的に挙げ、「指導者や親が勝利至上主義に陥っていること」、それによって「子供たちは怒られないよう、失敗しないように大人の顔色を見てプレーしている」と指摘。更に「技術や動きを教えすぎるので、子供達が指示待ちの行動しかできなくなっている」、「トーナメント形式の大会は、一部選手の負担は大きい一方で、一部の選手は全く経験が積めないという弊害がある。“負けたら終わり”ではないリーグ戦形式の大会開催を」とした。「2015年にウインターリーグ(WL)に参加する際、多くの人に反対されましたが、活躍した後はWLに参加しろと言う人が増えました。人は前例のないことを嫌いますが、周りの声に怯えることもなく、必要なことはやっていきたい」。

 野球界だけではないだろう。旧態依然とした体質を持つあらゆる組織に対する指摘だと思う。指導者を経営者、勝利至上主義を利益至上主義と読み替えると、それは尚、鮮明になる。

 若きスラッガー、筒香選手のファンになってしまった。

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