綾通し(あやどおし)
先月、母親を助手席に乗せて隣町まで運転した。母は座席に座るとダッシュボードが障害になってボンネットの先が見えない。バックモニターがついていることも知らないので、前進、後退、右折、左折、それぞれの場面で口うるさいほど注意する。母の身長は150㎝のはずだが、年をとって縮んだのかもしれない。大きな猫のように背中を丸めた姿は、ずっと以前にどこかで見たような気持ちでいた。
タイミング良く、戦後途絶えていた「亀田縞(かめだじま)織物が復活」というニュースを見て、母親が背中を丸めて「綾通し」(あやどおし)をしていた姿を思い出した。
見附は繊維産業の町。十日町、五泉、亀田、栃尾などと並んで織物の産地だった。1970年代、既に繊維産業は衰退・縮小傾向にあったが、それでも町中を走るたいていの車は「いとへん」(繊維産業のこと)に関わるものだった。就労者の7~8割はその業界に従事していたのではないか。
自分の家もそうだった。父は織物商社、母親は家で綾通しの内職をすることが多かった。綾通しは糸を綜絖(そうこう)という針金のようなものの真ん中にある小さな穴(ヘルド)にタテ糸を通す作業のこと。平織りの場合は綜絖が2枚以上、綾織りの場合は3枚以上要する。綾通しの作業は細かく、熟練の技が必要だ。母は1日の大半を茶の間の入り口に設けた作業スペースで過ごしていた。出来高制だから母は懸命に糸を通したが、それでも1日に2千円稼げたかどうか。後ろに石油ストーブを置き、座布団に座り、膝掛けをかけ、何時間も「カチャ、カチャ」と糸を通す作業を続けていた。綾通しをする母の背中はいつも丸まっていた。
http://kamedajima.com/ 亀田縞を復活させた中営機業のHP
http://takumidream.com/ 経糸を綜絖に通す「綾通し」 ㈱匠の夢のHP(写真は同社HPから)
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