青いタテガミ
戊辰北越戦争で敗走した河井継之助につき添い、河井の死まで行動を共にした外山脩造(1842年12月11日ー 1916年1月13日)102回目の命日。脩造は日本銀行大阪支店の初代支店長、アサヒビール等の創業に関わり、阪神電鉄の初代社長を務める等、関西財界の礎を築いたといわれる。
彼は少年時代、井上五蔵の私塾「青鬣館」(せいりょうかん)で学んだ。ここで少年時代の長谷川泰(済生学舎 = 日本医科大 創立者)と同級生だった。
「鬣」 とはたてがみのこと。井上五蔵は耳取村(見附市耳取町)の庄屋に生まれ、長岡藩校崇徳館で学んだ。崇徳館は追廻橋の北詰め、現在の「ビジネスホテル崇徳館」がある場所にあった。耳取村から崇徳館までは直線距離で10㌔。五蔵は3里の道を通っていたことになる。父の跡を継ぎ、耳取村の庄屋役を務め、村の治水・新田開発に尽力した。晩年に父の私塾「青鬣館」を継ぎ、外山脩造(栃尾市小貫生まれ)や長谷川泰(長岡市福井生まれ)などの人物を輩出した。
明治42年に建立された顕彰碑には2人の名前も刻まれている。碑文は八文字 「 井 上 五 蔵 光 座 上(または石) 塚 」と読むのだろうか。“青いタテガミ”と名付けた私塾を興した父・井上忠右衛門と五蔵は親子揃って顕彰されるべき。
井上五蔵の碑 見附市耳取町(耳取集会所前)
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