雪国の矜持
この冬はこれまで3度ほど大型の寒波が到来した。道路の凍結で、生活に支障が出た日もあったが、単純に積雪量だけをとってみれば「平年並み」の部類だろう。ニュースなどでは、「厳冬・平年並み・暖冬」と表現される。厳しい冬か、平年並みかを測る基準は平均気温なのか降雪量・積雪量なのか。人それぞれ寒さを感じる基準が違うから、厳しい冬かどうかの区分は難しい。
「暖冬」という言葉は、昔はなかった言葉だと思う。関東や雪がめったに降らない地域には暖冬があるかもしれない。しかし、雪国に暖冬など存在しないのではないか。暖かくはないが比較的寒さが緩い冬はある。その意味で「緩冬(かんとう)」という表現はどうだろう。
統計値を調べ、眺めてみても一概に少雪化傾向とは言えない面がある。しかし、降雪量・積雪量は減っているように感じる。以下に記すような光景を見ることがなくなったからだ。
実家は市の中心部と駅を結ぶバス通りに面している。1970年代。地方の小都市とはいっても、その道は重要な幹線道路だった。幹線道路だから消雪パイプが敷かれていたが、大雪が降るとその消雪能力は追いつかなくなった。すると道路は降雪と除雪車によって歩道に寄せられた雪と屋根からの雪下ろしの雪で覆い尽くされた。車線が1車線になることが珍しくなかった。
車がすれ違うことも困難な時、人はその合間を縫うように歩いた。道と家の間には、時に2㍍ほどの雪で出来た壁ができることがあった。家の玄関先、幅1㍍ほどは家人が出入りできるように、どの家も除雪した。雪壁の道を行く歩行者は、車が来ると誰かの玄関先の通路に身を寄せた。そこで車に追い越させると、また道に出て歩いた。
除雪のための体制、公的な予算、除雪人員や重機がふんだんにあったわけではない。雪国に暮らせば、雪の不便や困難は、ある程度は自助努力で解決し、乗り越えるというのが“雪国人の矜持”だった。
北陸や佐渡で、水道管の凍結や破裂によって大規模な断水が続いている。雪国人の矜持を思い起こしたい。雪国人は雪からは逃れられない。
« 草木万里野(長岡市) | トップページ | ガンジーの言葉 »
「1970年代」カテゴリの記事
- 三宅一生氏と父の縁(2022.08.14)
- パ・リーグと裏日本 ~水島新司氏の訃報に~(2022.01.17)
- トラック野郎と沖縄(2018.08.15)
- Late for the Sky(2018.02.24)