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2018年1月31日 (水)

「#Me Too」の次

201801302 アメリカ・ハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラ・スキャンダルに端を発し、セクハラや性的暴行を受けてきた女性たちが「#Me Too」(私も)とSNSに投稿する動きが世界中で巻き起こった。

 この動きは日本にも波及し、いくつかの良識あるメディアは正面から取り上げたが、不倫スキャンダルや相撲スキャンダルの扱いからすれば、10分の1か100分の1以下だった。この問題は日本の方が遥かに根が深いのに。「セクシャル・ハラスメント」が新語大賞になったのは1989年、平成元年だ。

 セクハラの構造についてハーバード大学教授が語った言葉。「セクハラは職場における権力構造を変えなければ解決しません。“#Me Too”は、そこに風穴を開けようとしています」

 「セクハラ」という言葉を「パワハラ」または「モラハラ」と置き換えても、意味は全て通じる。セクハラはパワハラでありモラハラでもある。男性と女性、加害者と被害者、権力者とそれに屈服せざるを得ない者。ケース毎に区分する必要はないだろう。“#Me Too”は「俺たちも」、「私たちも」という意味を含んでいる。いずれも、人間の尊厳と、品格・品性、そして品質の問題だ。

 日本では「これから」それらをあぶり出さなければならない。現代の日本の文化とは、集約すれば企業文化のことだろう。企業は製品の品質については過剰なほどこだわる。セクハラ、パワハラ、モラハラは欠陥だ。「その品質を欠くことは致命的だ」という社会にしなければならない。「利益を生む土壌であれば、欠陥を生む土壌であっても構わない」というのは通用しないからだ。

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