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2018年1月

2018年1月31日 (水)

「#Me Too」の次

201801302 アメリカ・ハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラ・スキャンダルに端を発し、セクハラや性的暴行を受けてきた女性たちが「#Me Too」(私も)とSNSに投稿する動きが世界中で巻き起こった。

 この動きは日本にも波及し、いくつかの良識あるメディアは正面から取り上げたが、不倫スキャンダルや相撲スキャンダルの扱いからすれば、10分の1か100分の1以下だった。この問題は日本の方が遥かに根が深いのに。「セクシャル・ハラスメント」が新語大賞になったのは1989年、平成元年だ。

 セクハラの構造についてハーバード大学教授が語った言葉。「セクハラは職場における権力構造を変えなければ解決しません。“#Me Too”は、そこに風穴を開けようとしています」

 「セクハラ」という言葉を「パワハラ」または「モラハラ」と置き換えても、意味は全て通じる。セクハラはパワハラでありモラハラでもある。男性と女性、加害者と被害者、権力者とそれに屈服せざるを得ない者。ケース毎に区分する必要はないだろう。“#Me Too”は「俺たちも」、「私たちも」という意味を含んでいる。いずれも、人間の尊厳と、品格・品性、そして品質の問題だ。

 日本では「これから」それらをあぶり出さなければならない。現代の日本の文化とは、集約すれば企業文化のことだろう。企業は製品の品質については過剰なほどこだわる。セクハラ、パワハラ、モラハラは欠陥だ。「その品質を欠くことは致命的だ」という社会にしなければならない。「利益を生む土壌であれば、欠陥を生む土壌であっても構わない」というのは通用しないからだ。

2018年1月30日 (火)

ガンジーの言葉

 “インド独立の父” マハトマ・ガンディー(ガンジー 1869年10月2日 - 1948年1月30日)、70回目の命日。彼はニューデリーでヒンズー教原理主義者から胸に3発の弾丸を受け暗殺された。78歳没。ロンドンに留学し弁護士資格を取得後、イギリス領南アフリカに渡って弁護士を開業。そこで苛烈な人種差別を体験する。インドに帰国後、「非暴力・不服従運動」を行い、インドをイギリスから独立させた。彼の葬儀は国葬とされ、遺灰はガンジス川や南アフリカの海に散骨された。マハトマとは「偉大なる魂」という意味で、彼の尊称。インドでは彼の誕生日10月2日は「ガンジー記念日」という休日になっている。

■あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。

■あなたの夢は何か。あなたの目的とするものは何か。それさえしっかり持っているならば、必ず道は開かれるだろう。

■明日死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ。

■誤りを犯すことの自由が認められない自由なら、価値がない。

■今以上の何か、ここではないどこかにある幸せ、それを追い求めても、それは蜃気楼です。近づけば近づくほど、遠のいていきます。今ここにあるもの、それに満足することが幸せなのです。

■運命は私たちがつくるものだ。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで、未来が決まる。

■過去は私たちのものだが、私たちは過去のものではない。私たちは現在を生き、未来をつくる。例えその未来に私たちがいなくても、そこには子供たちがいるからだ。

■子供は真実を映し出す鏡である。彼らには驕りも、敵意も、偽善もない。もし思いやりに欠け、嘘つきで乱暴な子供がいたなら、罪はその子にあるのではなく、両親や教師や社会にあるのだ。

■最高の道徳とは他人への奉仕、人類への愛のために働くことである。

■幸せとは、あなたが考えることと、あなたが言うことと、あなたがすることの、調和が取れている状態である。

■自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したというそのことが重要なのである。

■充足感は、努力の中にある。結果にあるのではない。努力することが成功することになるのだ。

重要なのは行為そのものであって結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分でどうにかできるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果も出ないのだ。

真実はすべて心の中にある。人はそれを探し求め、真実によって導かれなければならない。

すべての人の目から、あらゆる涙を拭い去ることが私の願いである。

世界の不幸や誤解の4分の3は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え去るだろう。

束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。悲しみがあるからこそ、高く舞い上がれるのだ。逆境があるからこそ、私は走れるのだ。涙があるからこそ、私は前へ進めるのだ。

例えあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。

土地や財産を持つのは重荷である。この思いは私の中にずっとあり、ますます膨らんでいる。それはつまり旅に出る前の心得と同じだ。旅人は自分の荷物をできるだけ少なくして、身軽に旅をしようとする。それと同じで、私も余分な荷物など持ちたくはない。

どんなときでも理解し合える関係を求めることは友情とは言えない。本当の友情とはお互いがどんなに違っていても、そのあるがままの違いをしっかりと受け止めることなのだ。

握り拳と握手はできない。

人間は、その人の思考の産物にすぎない。人は思っている通りになる。

人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても、海全体が汚れることはない。

人間というものは信じた自分になることが多い。もし、自分にはそんなことはできないと思ってしまうと、それで本当にできなくなってしまう。しかし、もしできると信じたならば、たとえはじめはそのような能力がなかったとしても、それをなし遂げる力を得ることができるのです。

人はそれぞれにとって平和を自らの内面から見出さなくてはならない。そして真の平和というものは、周囲の状況によって左右されるものであってはならない。

人は何度でも立ち上がる。立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、その足元はおぼつかないかもしれない。けれども、立ち上がったことは、一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる。

非暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではない。暴力者の意志に対して全霊を投げ打つことである。

非暴力は暴力よりも無限に優れているし、許すことは処罰するより遥かに男らしい。

不幸は私たちに与えられた試練である。この試練を乗り越えたとき、すべてはきっと好転する。そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を手にしていることだろう。

暴力によって得られた勝利は敗北に等しい。それはほんの一瞬しか続かない。

本当の富とは、健康のことであり、金や銀のことではない。

間違ったことをしている人を見たら、自分だって間違いを犯したことがあると思い起こそう。欲深い人を見たら、自分もかつてそうだったと思おう。こうやって世界中のあらゆる人に自分との共通点を見出せば、自分の幸せと同じように、人々の幸せを願うようになるだろう。

見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい。

目には目をという考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。

もし、ただ一人の人間が最高の愛を成就するならば、それは数百万の人々の憎しみを打ち消すに十分である。

善きことはカタツムリの速度で動く。

弱い人間ほど相手を許すことができない。許すということは、強い人間であることの証なのです。

良心の問題に関しては、多数決の法則は適用されない。

我々には元々困難を乗り越える力が授けられている。心の中からこの恐れを追い出せば、その力が蘇る。恐れるな、道は開ける。

■我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。それは我らに光明を与えるだけでなく、周囲をも照らしてくれる。

2018年1月29日 (月)

雪国の矜持

201801304 この冬はこれまで3度ほど大型の寒波が到来した。道路の凍結で、生活に支障が出た日もあったが、単純に積雪量だけをとってみれば「平年並み」の部類だろう。ニュースなどでは、「厳冬・平年並み・暖冬」と表現される。厳しい冬か、平年並みかを測る基準は平均気温なのか降雪量・積雪量なのか。人それぞれ寒さを感じる基準が違うから、厳しい冬かどうかの区分は難しい。

 「暖冬」という言葉は、昔はなかった言葉だと思う。関東や雪がめったに降らない地域には暖冬があるかもしれない。しかし、雪国に暖冬など存在しないのではないか。暖かくはないが比較的寒さが緩い冬はある。その意味で「緩冬(かんとう)」という表現はどうだろう。

 統計値を調べ、眺めてみても一概に少雪化傾向とは言えない面がある。しかし、降雪量・積雪量は減っているように感じる。以下に記すような光景を見ることがなくなったからだ。

 実家は市の中心部と駅を結ぶバス通りに面している。1970年代。地方の小都市とはいっても、その道は重要な幹線道路だった。幹線道路だから消雪パイプが敷かれていたが、大雪が降るとその消雪能力は追いつかなくなった。すると道路は降雪と除雪車によって歩道に寄せられた雪と屋根からの雪下ろしの雪で覆い尽くされた。車線が1車線になることが珍しくなかった。

 車がすれ違うことも困難な時、人はその合間を縫うように歩いた。道と家の間には、時に2㍍ほどの雪で出来た壁ができることがあった。家の玄関先、幅1㍍ほどは家人が出入りできるように、どの家も除雪した。雪壁の道を行く歩行者は、車が来ると誰かの玄関先の通路に身を寄せた。そこで車に追い越させると、また道に出て歩いた。

 除雪のための体制、公的な予算、除雪人員や重機がふんだんにあったわけではない。雪国に暮らせば、雪の不便や困難は、ある程度は自助努力で解決し、乗り越えるというのが“雪国人の矜持”だった。

 北陸や佐渡で、水道管の凍結や破裂によって大規模な断水が続いている。雪国人の矜持を思い起こしたい。雪国人は雪からは逃れられない。

2018年1月28日 (日)

草木万里野(長岡市)

 これから記そうとしている「草木万里野」とは直接関係ないことを少し。

 アメリカ映画では、街の郊外にあるレストランやバー(suburban restaurant & bar)がよく出てくる。そこにはたいていの客は車で来る。車は大型のSUVやUSAトヨタのカムリ、USAホンダのアコード、そしてピックアップトラックの客もいる。少し気の利いた店になると、客はエントランスで車を降り、キーはレストランのボーイに預けて入店する。食事を楽しんだ後、車はエントランスに回されている…。

 主に北関東で店舗展開している草木万里野(くさきまりの)長岡花園店が12月中旬にオープンした。「アメリカ映画に出てくるような店」とは趣は異なるものの、近隣の既存店にないコンセプトを持った、とても特徴的な店だ。店舗の建設工事が着工から開店までかなり時間を要していたので期待していた。時間をかけることはコストをかけること。何らかのこだわりがある店と、勝手に想像していたからだ。想像は期待どおりだった。

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 オープンからひと月。先に何度か食事に行っていた妻のすすめもあって、弟夫妻と食事に出かけた。最大の特徴は顧客ターゲットがファミリー層ではないことだろう。大人の店、大人たちの店だ。店内はいくつかのゾーンに分かれている。入店して左側は少人数向けのブース状に区切られた4人がけのテーブル席。夕食時は店内のライトが落とされ、食事とともに会話を楽しむ空間が演出される。店内右側はグループ向けの半個室テーブル席。ここは小上がり席になっていて、靴を脱ぐ。更に右最奥は2人用テーブル席。ここはブース状の仕切りがない。店内中央はカウンター席と4人テーブル席がある。エントランス脇に4人テーブル席が2つ。シチュエーションに合わせて使い分けられるのが嬉しい。

 料理はイタリアン風、アジア風、和風の創作料理といった趣。ドリンク類、アルコール類を含めメニューは豊富で、デザート類もかなり充実している。立地もいい。街に出れば雰囲気の良い店もあるが、「車で」という訳にはいかない。また、価格面の満足度も高い。2人ならデザートを入れて6千円程度だろう。もちろん酒量によって異なる。

 様々なシーンで使えるが、マッチするのは「子育てを終えた夫妻(あるいは子どもたちを預けた夫妻)が、カジュアルな食事を楽しむ」というシーンだろう。夫婦・恋人のどちらかがハンドルキーパーで、時には2人で飲んでもいい。ただそんな時は代行を呼ぶのではなく、歩いて帰りたい。家からは2㌔。徒歩30分の距離。料理・雰囲気・価格・立地・サービス、いずれも高いレベル。オーダーはタッチパネル方式。このご時世、これはサービスとして評価すべきだろう。タッチパネルは味気なさもあるが、つい、1品余計に注文してしまう。会計にクレジットカードが使えないのが若干不便だが、いずれも評価が下がる訳ではない。

 茶屋 草木万里野 長岡花園店 長岡市花園土地整理事業地内25(原信花園店駐車場地内) ℡0258-86-8189 営業時間:11時~24時

2018年1月27日 (土)

ワイドショーからナローショーへ

201801261 ヤフーニュースでこんな芸能記事を見た。出所は「女性セブン」。以下、抜粋して引用。

 昨年12月、ある人の葬儀が行われた。故人は若い頃、バイクチームのメンバーだったことから、彼が生前愛用した「ハーレーダビッドソン」のエンジン音が響く中で出棺された。かつてそのバイクチームには有名俳優2人も所属していた。2人の間には40年以上の間、確執があった。この間、他のメンバーは2人を会わせる機会を作らなかった。2人の関係を知っていたからだ。昨秋、故人は危篤状態に陥った。亡くなる前にメンバーが見舞った際、目を見開き、両腕を上げてバイクに乗るような仕草をみせた。葬儀では40年以上確執があった2人も肩を抱き合い、涙を流して親友の死を悼んだ。故人が2人の確執を解いたのだ。メンバーは棺で眠る故人の髪をリーゼントにして彼を見送った。

 いい記事だと思う。新聞には載っていない。

 「有名ポップス音楽家が第一線を退く」という会見から1週間ほど経った。彼のプライベートな報道(スキャンダルではないと思うので)が引退の引き金になったとされ、それを報じた週刊文春に批判が殺到した。

 “引き金”という言葉を使ったので銃に例えてみる。“文春砲”という銃からはスキャンダルという弾が発射される。しかし、銃において引き金を引くことは最後の手順だ。弾倉(マガジン)を挿入し、スライドを引くとバネによって弾が薬室(チャンバー)に送り込まれる。狙いを定め引き金(トリガー)を引くと弾が発射される。弾倉はスキャンダルの本人だろう。そう考えると疑念を持たれる行動をした音楽家に多くの責任がある。昨年、“文春砲”を受けた若者が「病的なのは週刊誌でもメディアでもない。紛れも無い世間」とツイートしたのは笑った。

 誰が悪か?何が悪か?という議論は、立場によって異なる。全ての意見に一理ある。自分は最も罪深いのは週刊誌の記事をネタに、これを後追い報道し、度々スキャンダルの増幅装置となるテレビワイドショーだと思う。事案ひとつひとつの中身も吟味する必要がある。巨悪、権力・権威による一方的な抑圧などは真っ先に、しかも時間を割いて報じられるべきだが、近年のメディアで調査報道を見ることはない。メディアは驚くほど多様化したが、なぜかテレビとワイドショーは横並びのままだ。

 メディアに横並びの風習がはびこっている。しかし、それはメディアだけの責任ではない。メディアやマスコミはその国の文化、風習、国民性・民族性などに影響を受けるからだ。文春の記者、カメラマン、編集長、社長…。テレビの演者、記者、ディレクター、プロデューサー、報道部門の責任者、社長…。みんな「団体」だからやっている。決して「誰も一人では報じない」だろう。

 マスコミとジャーナリズムは違う。今のテレビや週刊誌はジャーナリズムとマスコミとパパラッチが混在している。芸能人の不倫の話題に一定数、興味を持つ人がいて構わない。それを報道する場所があることは、我々の社会が健全である証でもある。しかし、そろそろ“ごちゃ混ぜ”の状況から卒業する時期に来ている。その名が示すとおりの「ワイド・ショー」ではなく、政治・経済とスポーツ・芸能を区分した「ナロー・ショー」として、これらを報じる岐路であるように思う。

 マスコミは「大衆伝達」。一度に多数の人に伝えるが、伝える側は決して一人では伝えない。一方、ジャーナリズムは「事実伝達」(または真実伝達)。伝える相手は少数・多数を問わないが、伝える側は一人であっても報道しようとする、伝えようとする。

2018年1月26日 (金)

浮かれた金曜日

201801262 衆議院議員を7期務め、自民党幹事長などを歴任した野中広務氏が92歳で死去した。小泉構造改革路線を良しとせず、政界引退後は自らの戦争体験を踏まえて憲法改正に反対する立場を示していた。ハト派で“穏健保守”の骨太な政治家だった。

 今日は「プレミアムフライデー」だった。列島に覆い被さる寒気とそれがもたらす大雪で、これに関する報道は一切見られなかった。当然のこと。この意味不明な取組は今後も国策として行われる。愚策、あるいは、虚しさで覆われるという意味で虚策か。

 「プレミアムフライデー」は毎月最終金曜日に仕事を早く切り上げ、主に外食などによる消費喚起と働き方改革を同時に狙った取組とされている。プレミアムというのは基本的には「割り増し」という意味を持つ。「働く者にとって価値の高い金曜日」という意味で使っているらしい。しかし、自分なりに解釈するなら「浮かれた金曜日」と訳す。浮かれているのは労働者ではない。「浮かれた官僚たち」による愚策。

 虚しさの根っこはこの政策が国策になるまでの過程に寒気を感じるからだ。官僚のどのレベルで発案され、議論され、修正され、上申され、決裁されたのか。これが「すーっと」通る組織とは、どれだけ浅はかな人間たちで構成されているのだろう。背筋が凍る思いがする。

 この取組を「働き方改革のひとつ」として用いようなどと、薄っぺらな夢を見たのは一部の官僚だけだろう。これに踊らされているのは大企業・上場企業・一流企業の、これも一部の部門の社員。そのお立ち台を支えているのが、地方企業、下請け企業、納入企業、そして非正規雇用の人たち。この「構図」に気づいていないのだろうか。いや、気づいていないわけがない。気づいていても「自分の仕事を埋めるため」にゴリ押しする「構図」が透けて見える。

 “早く帰れ”と号令をかけることは簡単なのだ。早く帰ることで、弾き出される諸々の不都合・不具合・不均衡・不平等…これらに踏み込んでこそ「改革」なのに。「そこは各々の事情で考えて、個々の会社で適当にやって下さい。曜日にも拘っていません」では、あまりに無神経、かつ、無責任過ぎる。

 「プレミアムフライデー号」という名の酒場行きの電車がある。しかし、その路線には線路が引かれておらず、しかも動力源には接続されていない。そして何よりも乗客がいないのだ。

2018年1月25日 (木)

Before Sunday silence

 競走馬は圧倒的な成績を残さない限り、長く語り継がれることは難しい。後世に名を残す馬は、自身の競走成績よりも、むしろ種牡馬としての成功が名声を高める。

 競馬歴30年になるが、「Before Sunday silence」(サンデーサイレンス産駒出現前)の時代を数年しか知らない。

 1月22日 1994年のマイルGⅠを2勝したノースフライト(父トニービン)が亡くなった。1990年4月12日生まれの28歳だった。

 彼女が同一年のマイルGⅠを連勝する2年前、ダイタクヘリオス(父ビゼンニシキ)はマイルチャンピオンシップ(GⅠ)とマイラーズカップ(GⅡ)をそれぞれ連覇(1991年・1992年)した。マイル戦は9戦7連対の名マイラーだった。

 ダイタクヘリオスは種牡馬として2000年のスプリンターズステークスを勝ったダイタクヤマトを遺した。ダイタクヤマトはそのレースを出走16頭中16人気で勝利した。単勝倍率は257.5倍。2着はアグネスワールド(同2.1倍)、3着はブラックホーク(同4.2倍)で、両GⅠ馬を封じての勝利だった。

 競馬ファンは最低人気の馬が勝利する可能性があることを知っている。その単勝馬券を的中させる人は“ギャンブラー”かもしれないが、「ダイタクヤマトの可能性を排除しなかったこと」の見返りに高配当を手にする。

 あれから17年が経ち、GⅠ馬ダイタクヤマトの行方は知られていない。サンデーサイレンスの血脈は隆盛し、父系にヘリオスやヤマトの名を見つけることは困難になっている。

    人気のない者が勝利する可能性を知っている  人気のない者が勝利する喜びも知っている

    勝者は勝者のまま人生を終えるとは限らない  人生に必要な知恵はすべて競馬場で学んだ

2018年1月24日 (水)

After Sunday silence

 「サンデーサイレンス、最後の現役馬が引退」 先週、報じられた競馬に関するニュース。

 サンデーサイレンス産駒で最後の現役競走馬だったビュレットライナー(牡16歳)が1月3日のレースを最後に引退した。同馬は2004年9月にデビューし、中央競馬、ホッカイドウ競馬、岩手県競馬に在籍した。通算成績178戦21勝。最後の勝利は2016年6月に当時14歳で勝ったものだった。ビュレットライナー(弾丸ライナー)という名に反し、息の長い現役生活を送った。

 西暦で紀元前を表す「BC」は「Before Chist」、“キリスト前”という意味がある。紀元後も「AC」、「After Chist」でいいと思うが、「AD」(ラテン語の Anno Domini 「主の年において」の意味)と表す。主とはキリストのことだから意味は同じだ。日本の競馬界には「BS」と「AS」がある。「BS」とは「Before Sunday silence」、「AS」とは「After Sunday silence」。キリストの生命が西暦を「BC」と「AD」に区分する様に、彼は日本の競馬界を「BS」と「AS」に区分した。

 サンデーサイレンスは1989年の全米年度代表馬(ケンタッキーダービーとプリークネスステークスの2冠馬)で、種牡馬として日本に輸入された。その後、12年連続でリーディングサイアー(首位種牡馬)を獲得し、「日本競馬に革命を起こした種牡馬」といわれる。彼には「3つの時間軸」がある。

 1.自身の生涯(1986年-2002年) 競走馬としての現役時代は1988年から1990年のわずか3年間でしかない。一方、種牡馬時代は1991年から2002年の12年間。

 2.産駒の現役時代(1994年-2012年・2018年) 中央競馬では2012年にアクシオンが引退し、地方競馬では2018年に今回ニュースになったビュレットライナーが引退した。

 3.産駒の子(孫世代)以降(1996年-現在~) 彼の血統が受け継がれる時代。これは日本に競馬が存在する限り続く。

 エポック・メーキング(epoch making)という言葉は、ある出来事がその分野において画期的な時代を築くこと、重要な転換点としての意味を持つことを指す。種牡馬サンデーサイレンスはその言葉のとおり“時代を作った”。時代や歴史を文字どおり塗り替えた。ビュレットライナーの引退は「父サンデーサイレンス」のフィナーレでもあるが、後継種牡馬や繁殖牝馬の活躍で、彼の血統は玄孫(やしゃご)の子、来孫(らいそん)まで伸びている。

【補足】ビュレットライナーは2002年3月24日生まれ。サンデーサイレンスの“最高傑作”ディープインパクトは2002年3月25日生まれ。歩んだ道は大きく異なるが、共に16歳を迎えた両馬の誕生日が1日違いというのも不思議な縁がある。

2018年1月23日 (火)

TV Bros.

 昨日からの寒波が関東で平成26年以来、4年ぶりの大雪を降らせた。今日からは北陸・東北の日本海側に大雪の予報が出ている。午前中は日が差していたが、徐々に荒れ始め、風を伴った雨は、雷が鳴って雪になった。週末まで続くこの寒波が降らす雪が、この冬の峠になる。

 年末に、20代の頃、「ダカーポ」という雑誌を読んでいたことを、正月に「ニューシネマパラダイス」という映画を見たことを記した。2つの記憶がまた次の記憶を呼び覚ました。それが「TV Bros.」(テレビブロス 東京ニュース通信社)。

 あの頃、2週間分のテレビ番組表と番組案内、芸能・エンタメ情報などを掲載した雑誌が隆盛だった。似たようなテレビ誌が10種類近くあった。「TV Bros.」を発行している東京ニュース通信社は「週刊TVガイド」というこの分野でメジャーなテレビ誌を発売していた。一方、「TV Bros.」は、当時180円という価格で「TVガイド」の廉価版としての位置づけだったが、その中身は独特で、個性的な雑誌だった。

 その独特さは数多くの連載コラムにあった。「このコラムは一体誰のために書いているんだろう」。よくそう思った。端からストライクゾーンに入れる気がなく、アウトコース低めの明らかなボールか、インコース高めの明らかなボール。そんなコラムばかりだった。普通に暮らし、テレビと新聞、一般的な娯楽雑誌からでしか情報がなかったら、到底知る由もないような事柄が、この雑誌には詰め込まれていた。マニアックな音楽、映画、見たことがない誌面レイアウト。有名か無名か、多数か少数かではなく、作品の優劣によって時には酷評を見ることもあった。健全な批評誌の側面を併せ持っていた。自由というより、好き放題に書いているライターの中からは多数の有名コラムニストが生まれた。昨年、「TV Bros.」は創刊30年を超えたという。健全であるからこそ、長生きするのだろう。

2018年1月22日 (月)

豊岡精肉焼肉店(上越市中郷区)

 豊岡精肉焼肉店は上越市に赴任していた平成20年頃、良くしていただいた取引先の社長から教えてもらった店。多くの雑誌やグルメサイト、ブログ等で紹介されているので簡便に記す。自分が決まってオーダーするのは「カルビ定食 肉大盛」(ランチ価格は1750円)。

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 何一つ欠点が見つからない店。価格と品質・量のバランスが良く、コスパが高い。肉はガスロースターで焼く。「ガスロースターの焼肉店にハズレなし」。大広間形式の座敷が良い。いつも店員の人柄が良い。高速の出入口や国道18号に近く、立地も良い。最寄りの中郷インターか新井スマートインターでもいいが、長岡から柿崎インターで降り、柿崎-新井線(県道30号線)を使っている。

 豊岡精肉焼肉店 上越市中郷区藤沢1052(国道18号 野林交差点を二本木駅方面に1㌔) ℡0255-74-2148 定休日:日曜 営業時間:11時~21時(昼休憩14時~16時)

2018年1月21日 (日)

ホッキ貝と塩辛、そして景虎

20180120 例年、年越しは大人7人で迎える。毎年、年越しの御神酒に用意する四合瓶は、一合程度しか空かない。飲めない人、飲まない人、日本酒がダメな人、いろいろいる。みんな儀式のために舐める程度しか飲まない。

 今年は母がもらってきた越乃景虎「龍」を御神酒にした。特に上級の酒という訳ではなく、普段飲みの酒だが、十分に美味い。残った酒は料理酒として使われるので、うちでは「料理酒が大吟醸」ということが珍しくない。

 今日は料理酒になる前の景虎を一合、コーヒーカップに入れ、電子レンジにかけた。うちにはお銚子や徳利がない。ここ数年で好物になったホッキ貝の刺身と瓶詰の塩辛をアテに、熱燗で夜を過ごした。急に年をとった気がした。

2018年1月20日 (土)

AJCC

Jra201801 競馬ファンをやっていると、JRAのレースで季節を感じるようになる(写真はJRAのHPから)。 春の桜花賞、秋の菊花賞は、季節を代表する花の名がレース名に冠されている。レースそのものが季節の風物詩でもある。

 新潟に住む身にとって、新潟大賞典は田植えの季節の到来を感じ、関屋記念は盛夏の到来を感じる。そして明日の「AJCC」は寒さをイメージするレースだ。

 雪国の住人でない人は不思議に思うかもしれない。こちらは雪に囲まれ、曇天・荒天で冬が明ける気配もない日が続くのに対し、この時期の中山競馬場はたいがい晴天で、いつも恨めしい思いをしながら観戦する。

 AJCCはアメリカジョッキークラブカップの英語表記の略。他にも京成杯AH(オータムハンデキャップ)、京王杯SC(スプリングカップ)、サウジアラビアRC(ロイヤルカップ)などは競馬新聞を手にとった者でなくてはわからない。  

 今日は大寒。AJCCでは春の大レースを見据えた馬たちが始動する。

   春、羽ばたくため、大寒に始動する   人生に必要な知恵はすべて競馬場で学んだ

2018年1月19日 (金)

長幼の序

201801153 昨日記した「三屋清左衛門残日録」(2016年 BSフジ)の中に「長幼の序」という言葉が出てきた。

 「長幼の序」は、年長者と年少者との間にある社会風習上守るべき秩序のこと。年少者は年長者を敬い、年長者は年少者を慈しむという心構えを表す言葉。

 孟子の「滕文公」(とうぶんこう 紀元前中国「滕」の国の君主の名前)中に五倫または五常(人間の守るべき五つのモラル)のひとつとして述べられている。

 五倫 … 父子の親 君臣の義 夫婦の別 長幼の序 朋友の信  父子の間には親愛があり、君臣の間には礼儀があり、夫婦の間には区別があり、長幼の間には順序があり、朋友の間には信義がある

2018年1月18日 (木)

日残りて 昏るるに 未だ遠し

201801155 少しずつ日が長くなっている。

 「三屋清左衛門残日録」(2016年 BSフジ)を見た。「我が子を次の藩主にせしめんとお世継ぎ暗殺を画策する」“藤沢プロット”を軸に、清廉恪勤(せいれんかっきん)三屋清左衛門が佞悪醜穢(ねいあくしゅうわい)と対峙する。

 ドラマの完成度に魅了される。おぼつかない演技者は一人としていない。

 「三屋清左衛門残日録 完結編」(2017年 BSフジ) 

  http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/03/post-1ddd.html

 「三屋清左衛門残日録 三十年ぶりの再会」(2018年)が来月、有料チャンネルで放送される。

 残日録とは「日残りて 昏(く)るるに 未(いま)だ遠し」の意。

 最近、テレビで見たことばかりを記している。

2018年1月17日 (水)

表敬訪問

 雪国では春にならなくても雪が消えることがある。冬の雨が雪を消す。先週、信越線を立ち往生させた雪の半分は、融けて地面に流れ、3分の1以下になった。この時期は太陽よりも雨がいい。

 1月10日 安倍首相は2017年ミス・ユニバース日本代表の表敬を受けた。ゴルフが趣味の首相は、プロゴルファーを目指した経験があるミスとの歓談の中で、これまで公にしてこなかった自身のベストスコアが「79」だと明かした。また、世界大会で披露した早着替えについて「それは難しいね」と感心した様子を見せた。

 1月15日 安倍首相は2017年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)事務局長から面会を求められていたが、日程上難しいことを理由にこれを断った。 

 首相は趣味であるはずの「平和」について語り、公にしてこなかった自身の想いを明かし、ICANが核兵器禁止条約をとりまとめたことについて「困難でしたね」と感心することはしなかった。

 雪を融かす力は、太陽よりも雨が持っている。核兵器を無くす力は「ICAN」よりも日本が持っているのではないか。日本は唯一の核兵器による被爆国だ。

2018年1月16日 (火)

誰が住む?

20180116 近所で2つの工事が進んでいた。1つは分譲マンションで、1つは賃貸マンション。賃貸マンションが竣工し、入居者募集の看板が設置された。

 間取りは全居室が1LDKで、大きさは40~45㎡。1LDKとしてはゆったりとした造り。居住者のターゲットは新婚から第1子誕生あたりの共働き夫婦が頭に浮かぶ。しかし、家賃には少なからず衝撃を受けた。家賃のほかに駐車場代と管理費等を含んだ総額で85,000円~95,000円だったからだ。

 誰が住めるだろう?というのが率直な印象だ。賃貸マンションの適正家賃について云々いう筋合いはない。法人の単身者需要もあるだろう。やがて市場が決めていく。 

 それよりも、やはり着々と“二極化”が進んでいるのではないかと考えざるを得なかった。買い物に行ったスーパーでは時給850円のパート募集の貼り紙があった。8時間×20日で手取額は10万程度だろう。貧富の差と書くと大げさになるが、庶民と富裕層の格差はジリジリと確実に拡がっている。そのスピードはこの10年、この5年、アベノミクス以降で急加速している。

2018年1月15日 (月)

正月の楽しみ 4

 この週末、正月に録り溜めたテレビ映画の残りを半ば強制的に見た。毎年、正月気分が抜け去るのは「1年の24分の1が過ぎた」だいたいこのくらいの時期になる。今年は成人の日が8日。これは早すぎる。

 映画作品は時が経過するほどに受賞歴の重要性が増す。アカデミー賞受賞作品は、後世、繰り返し上映・放送される機会を得、その時代を伝える役割を担う。必ずしも興行的に成功していなくても、受賞をきっかけに再評価されるケースも珍しくない。

■ゴッドファーザー 1972年アメリカ

 第45回アカデミー賞作品賞。マーロン・ブランドとアル・パチーノの映画。

■ゴッドファーザーⅡ 1974年アメリカ

 第47回アカデミー賞作品賞。アル・パチーノとロバート・デ・ニーロの映画。

■ゴッドファーザーⅢ 1990年アメリカ

 アル・パチーノとアンディ・ガルシアの映画。3つの作品には共通点がある。フランシス・コッポラ監督。パーティーシーン(Ⅰは結婚式、Ⅱは祝賀パーティー、Ⅲは受勲パーティー)から始まる。ストーリーの伏線は、ラストに死を以て全て回収される。

■タイタニック(Titanic) 1997年アメリカ

 第70回アカデミー賞作品賞 「映画の到達点」のような作品。前半に描かれる珠玉のラブストーリーが、後半のパニック映画への伏線となり、ラストで回収される。観客の心に切り傷を負わせる。その傷は20年前に観た時よりも、数倍、深かった。それはなぜか。

■ミスティック・リバー(Mystic River) 2003年アメリカ

 幼馴染み3人の数奇な運命。監督クリント・イーストウッド。ショーン・ペンはアカデミー賞主演男優賞受賞。

■ミリオンダラー・ベイビー(Million Dollar Baby) 2004年アメリカ

 ボクシングに目覚めた女性が貧困や孤独から抜け出そうとする。アメリカンドリームを描く前半から一転、後半は死の尊厳を問う重いテーマの映画。クリント・イーストウッドはアカデミー作品賞・監督賞を、ヒラリー・スワンクは主演女優賞を、それぞれ2度目の受賞。

■チェンジリング(Changeling) 2008年アメリカ

 アメリカ社会は奇妙な事件が起きる。1920年代の「ゴードン・ノースコット事件」が元になっている。アメリカの映画界は歴史に埋もれた事件を掘り起こして映画にする。彼らはもちろん金儲けはするが、暗闇に光をあて、賞を与える。アメリカではその役回りをクリント・イーストウッドがやる。アメリカ映画の“生きる伝説”である彼がそれをやる。彼を“アメリカの良心”と仮定するなら、“日本の良心”は、一体どこで、何をやっているんだろう。

■ラストサムライ(The Last Samurai ) 2003年アメリカ

2018年1月14日 (日)

冬の灯り

 18時少し前。家から1歩も出ず、週末を終えるところだった。窓から外を見ると空はすっかり暮れ、町を押さえつけるように濃灰の雲が覆っていた。雪は降っていなかった。そこで、夕飯と酒のつまみに一品加えようと買い物に出ることにした。車でもよかったが、丸2日間、家にこもっていたので歩いて出掛けることにした。マフラーを巻き、手袋と耳あてをして家を出た。完全防備だった。

 追廻橋で県道を横切ると、柿川沿いの道には昨日降った雪が、ほぼそのまま残っていた。休みの日は雪が消えない。特に通りから1本入った小道は人通りが少なく、夜風に吹かれた雪の表面が凍結したままになる。かろうじて車の轍が残っていれば、人はそこを歩く。歩道にはこんもりと雪が積もっている。

 都橋を渡り、平潟神社の裏道を進むと、やわらかな灯りが目に入った。ここを買い物で通ることはあっても、日曜の夕方に通るのは初めてだった。それは割烹か小料理屋の灯りだった。最近は「鋭利な光」が溢れているが、その灯りは、とても柔らかく、暖かみのある光だった。

 途切れ途切れに続く雁木通りは、雁木の庇(ひさし)が切れた所で足元が凍っている。気をつけないと一瞬で足を取られ転倒する。古びた雁木の向こう側の角を曲がって、一人の老人が現れた。気持ちが身構える。そこにはすれ違うスペースがないからだ。老人は現れるとすぐに灯りの前で止まった。帽子を取ると、その玄関の引き戸を開けた。「いらっしゃいませ」と声が聞こえ、老人は店の玄関に入ったが、引き戸はまだ開いていた。こちら側から歩く自分は、その開いた引き戸に追いついてしまい、わずかに中を覗くと、老人と同じ年くらいの老婦人と目が合った。老婦人は自分に向かって今にも「いらっしゃいませ」と言い出しそうな表情だった。急いで視線を戻し、少し広くなった三叉路を斜めに横切った。この辺りの柿川は大きく北に蛇行している。スーパーに行くためにもう1度、柿川を渡った。

 買い物を終え、来た道よりもひとつ早く南に折れたのには理由があった。そこに神社がある。佇まいは小さいが、良く手入れされていて、冬以外は季節毎に美しい花が咲いている。手水舎は雪で囲まれていた。例え雪で囲まれていなくても、冷水で手を清めたりはしなかった。右手の中指の先を噛み、手袋を外す。右手に買い物袋を持ち替えて、左手の手袋も外す。それをコートのポケットにねじ込み、そのポケットの底にある釣り銭を賽銭にした。御嶽神社に拝礼する。そこから空き地を挟んだ所にある稲荷金比羅神社にも拝礼する。考えてみれば、これが今年の初詣だ。

 「新年会か…」 ようやくその時、あの割烹の灯りと、老人と老婦人が、新年会の風景であることに気づいた。「町内の寄り合いの新年会だな」とか「集まったのは10人くらいだろうか」とか「料理の膳はどんなだろう」とか、余計なことを想像してみる。きっとあの新年会は何十年も前から、同じ店で、同じ時期に、同じ参加者で行われてきたに違いない。

 柳橋を渡ると、宅配便のトラックが2台、積み荷の受け渡しをしていた。そこから何件か先では供花やお悔やみ花を整えている花屋があった。冬の日曜の食事時でも彼らの仕事は続く。さきほどの割烹の前を通る。優しげな光の奥からは、騒がしい音も人々の声も漏れて来ない。光を背にしてそこから離れて行く。「明日の今頃はあの割烹は開いているだろうか」、「来年の今日も新年会は開かれるだろうか」、「10年後の風景はどうなっているだろう。老人と老婦人、建物や雁木、そしてあのやわらかな灯りは」。

 同じ町の風景でも、季節を変え、時間を変えると、それまで見えなかったものが見えることがある。そして、同じように、見えていたものが見えなくなることがある。

2018年1月13日 (土)

青いタテガミ

Img_20171004_141144 戊辰北越戦争で敗走した河井継之助につき添い、河井の死まで行動を共にした外山脩造(1842年12月11日ー 1916年1月13日)102回目の命日。脩造は日本銀行大阪支店の初代支店長、アサヒビール等の創業に関わり、阪神電鉄の初代社長を務める等、関西財界の礎を築いたといわれる。

 彼は少年時代、井上五蔵の私塾「青鬣館」(せいりょうかん)で学んだ。ここで少年時代の長谷川泰(済生学舎 = 日本医科大 創立者)と同級生だった。

 「鬣」 とはたてがみのこと。井上五蔵は耳取村(見附市耳取町)の庄屋に生まれ、長岡藩校崇徳館で学んだ。崇徳館は追廻橋の北詰め、現在の「ビジネスホテル崇徳館」がある場所にあった。耳取村から崇徳館までは直線距離で10㌔。五蔵は3里の道を通っていたことになる。父の跡を継ぎ、耳取村の庄屋役を務め、村の治水・新田開発に尽力した。晩年に父の私塾「青鬣館」を継ぎ、外山脩造(栃尾市小貫生まれ)や長谷川泰(長岡市福井生まれ)などの人物を輩出した。

 明治42年に建立された顕彰碑には2人の名前も刻まれている。碑文は八文字 「 井 上 五 蔵 光 座 上(または石) 塚 」と読むのだろうか。“青いタテガミ”と名付けた私塾を興した父・井上忠右衛門と五蔵は親子揃って顕彰されるべき。

 井上五蔵の碑  見附市耳取町(耳取集会所前)

2018年1月12日 (金)

信越線 立ち往生

 1月11日19時頃、JR信越線の東光寺-帯織間で、乗客およそ430人を乗せた普通電車が積雪の影響を受けて立ち往生した。列車は翌12日10時半になって運転を再開した。運転再開まで15時間以上を要し、半数近くの人が電車で一夜を過ごした。

 深夜0時過ぎのニュース映像では、作業員が手作業で除雪をしていた。もちろん田んぼの真ん中でアクセスが悪い場所であることは知っている(当該地域の土地勘がある)。しかし、その光景はどこか「のどかな雪かき風景」のように映った。それは除雪を行っている人の数が、わずか数人だったからだ。 

 態勢  雪が降る時期に雪国で鉄道を平常運行し続けることは、簡単なことではない。とてもハードルが高い。基本的にはJR東日本新潟支社で鉄道運行に携わっている人々には感謝の気持ちしかない。かなりの昔話をすれば、「国鉄」の時代には保線員が多数いたし、沿線には土木工事等に携わる“人夫”も多数いた。それこそ「国鉄」がひと声かければ大勢の人夫が集まった。しかし、それはもうノスタルジーだ。雪国の鉄道態勢のデフォルト値が変わっている。

 体制  昨年末の「新幹線のぞみ台車亀裂事件」と根は同じ。判断・指示する立場にある人、または、それを助言できる立場に雪国の鉄道運行を理解した人物が置かれているのか疑問だ。これはどんな企業にもあてはまることだが、現場を熟知した者の判断が軽んじられる時に、事件や事故、不祥事、トラブルなどが発生する。そもそも当該電車は運転されるべきだったのか。羽越線脱線事故以降、人命・安全最優先は徹底されてきたと思う。しかし、それは運休という消極的安全策を選択する頻度が増えただけではないだろうか。ここ10年、自動改札化等の効率化・省力化投資は目に付いた。一方で耐雪対策投資はどれほど行われてきただろう。お世辞にも「雪に強くなった」とは言えない。体制のデフォルト値も変化した。

 体勢  体勢とは乗客を含む、雪国における社会の体勢だ。社会の基本的なインフラである鉄道の初期設定が変化した今、旧いルールのままでは自己防衛が難しい。昨日のような天候では、企業や学校が仕事や授業を早く切り上げ、早めの帰宅を促す等、積極的安全策をとる必要があると思う。毎年のように大雪に起因する交通障害が全国ニュースになっている。雪国に住む我々の雪と対峙する体勢に弛みはないだろうか。これは道路の例になるが、20時から24時は「除雪作業(車)優先」等、雪国社会の新たなルールを、合意形成する必要がある。

 除雪は地道な作業だ。腕だけでなく、腰、太股、ふくらはぎも痛くなる。そしてつま先が冷たくなる。除雪作業を30分でもやったことがある人ならわかる。今年は平成元年生まれが30歳になる年。30歳前後でバブル期を謳歌した人たちは60歳前後で定年も近い。若者たちが目指す、ITやIOT、AIの仕事が「脳の仕事」だとすれば、除雪は「足の仕事」であり、「つま先の仕事」だ。社会の足腰が細く・弱くなっている。

2018年1月11日 (木)

王様と奴隷

 強い冬型の気圧配置が続く。九州や四国でも雪が降った。長崎では雪が舞う中を路面電車が走っていた。そこはまるで函館のように映った。この辺の降雪量は雪国としてはたいした量ではない。しかし、根雪になるには充分な量が積もった。雪国では雪が王様だ。誰がご機嫌をとっても、一切、配慮の余地はない。

 無意識にスマートフォンを使っていると、「アプリの使用許可」が必要になる時がある。いくつかの項目で画面をタップするだけなのだが、この簡便さが怖い。

 LINEはもちろん、スマホで比較的使用する機会が多い地図アプリに道案内を任せるためには、位置情報だけでなく、登録してある電話番号や保存するデータ(写真など)へのアクセスを許可しなければならない。なぜアプリを利用する際に内蔵データへのアクセスを許可し、個人情報を提供し、プライバシーを開示しなければならないのか。

 もちろん拒否する権利はある。情報提供に同意しなければいいのだが、即ちそれはスマホやアプリの利便性を享受できなくなる。結局、現状は「受容か遮断」の二者択一しかない。

 現在のスマートフォンが置かれている状況は、大手キャリアやアプリ提供業者に過剰に権限が与えられているといえないだろうか。かなり不公平な関係、まるで“王様と奴隷”だ。利用者はもっと声を上げていいと思う。最小限(誰のスマホからの通信か)の情報提供で、より便利なアプリを使用できるスマホ。次世代のスマホは、そういうものであって欲しい。

2018年1月10日 (水)

オマケにつられて

20171229 ビアグラスのオマケにつられてハイネケンを買った。ドイツのビールと思いきやオランダのビール。飲み口が軽く、量を飲める。「昼間から水代わりに飲む」という西欧諸国の感覚がわからなくもない。

 ドイツはミラー、アメリカはバドワイザー、中国はチンタオ、メキシコはコロナ。それぞれの国にその国を代表するビールブランドがある。日本のビールといえば何になるんだろう。「ドライ」か「キリン」か。あるいは「モルツ」か「エビス」か。

 ビールは味が大事。冷えていなければビールじゃない。温度が大事。日本酒ほどではないにせよ、つまみが大事。そして、グラスも大事。オマケのグラスは2杯で350mlと小振り。中厚のガラスは安定感があり、ブランドと星のロゴが立体的に造型され、洗練されている。「made in france」と知って変に納得。オマケも大事だ。

 肝心のビールはキリンビールがライセンス生産していて「made in japan」。カオスだ。

2018年1月 9日 (火)

HAMADA ISLAND Ⅴ

200907Hamadaisland_5 2009年7月 横浜の赤レンガ倉庫で第1回が開催された「浜田島」。会場の広場にあったディスプレイの写真が1枚だけ残っていた。

 2018年1月 今回、5会場目の開催で、この試みは一段落と伝えられている(画像はHPから)。昨日が最終日だった。時間はあったが、足が向かなかった。

 この間、8年6ヶ月 = 102ヶ月 = 442週 = 3,100日 = 74,400時間

 自分は、彼の時間に、自分を重ねてみることで、自分の位置を確認してきたような人生だった。彼の弛(たゆ)まぬ足取りは、一時も途絶えることがない。年齢を重ねるほど、そのことがどれだけ難しいことかを知る。

2018年1月 8日 (月)

日なたぼっこ

 ひょっとすると今年の冬は暖冬かもしれない。尤も、まとまった雪が2日ほど降れば、暖冬は厳冬に変わる。それは一瞬の出来事のように。

 1月7日新潟 柳都大橋周辺がかなり渋滞していた。朱鷺メッセで新潟市の成人式が行われていたことを今日になって知る。

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 左:柳都大橋から朱鷺メッセ  中:柳都大橋から万代方面  右:柳都大橋に上る歩道階段で10羽ほどの鳩がひなたぼっこしていた

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 左:川岸には漁船が停泊している  中:柳都大橋は「歩道+車道2車線」の橋が2本架かる堅牢な構造。河口の橋、砂地の地質などが関係しているのだろう。  右:信濃川左岸のホテルオークラ新潟からみなとぴあまで“ヴォードウォーク”の様(コンクリートだが)な歩道が1.5㌔ほど続く。新潟は「新しい潟」=「new lagoon」。ニューヨークまでいかなくとも、同じ河口の街。何か活かしたい。市内のタクシーの色を黄色にするとか。

2018年1月 7日 (日)

信じる者の姿

 年明け間もないというのに、ある宗教団体の事務所に多くの人が訪れていた。休日の午前は祈祷や礼拝があるようだ。

 信者の多くは、少し離れた公共の駐車場やスーパーの駐車場に車を停めている。この辺りはいかにも日本人らしい。規律よりも自分なりの都合や解釈が優先する。まあ、世の中そんなもの。

 多少のルール違反はあるにせよ、休日の何時間かを使って、事務所なり教会なりを訪問する心情=信条は理解できる。彼らは何らかの救いを求めて集っている。

 彼らは営利集団ではない。ノルマに追われて、その消化に没頭する(させられる)集団に比べたら「余程マシな姿」に映る。普段は営利集団に属しているからこそ、ここを訪れているという可能性もある。浄化、あるいは、解毒のために。

2018年1月 6日 (土)

正月の楽しみ 3

 正月の数少ない楽しみのひとつが「古い映画」を観ること。テレビに「与えられた映画」。今日は大晦日から正月に放送されたもの。

■ニュー・シネマ・パラダイス(Nuovo Cinema Paradiso) 1989年イタリア・フランス

 トトと呼ばれる少年・サルヴァトーレと映写技師・アルフレードの物語。師と弟子、父と子、兄と弟のように、アルフレードはトトの生き方の羅針盤となった。映画の中には40本を超える実在の映画シーンが使われている。そして、バックに流れるエンニオ・モリコーネの音楽(「愛のテーマ」、「ニュー・シネマ・パラダイス」等)と併せ、「映画に感謝する映画」。

 大学生の頃、「TV Bros.(テレビブロス)」という雑誌(サブカル誌)を読んでいた。当時、この雑誌にしては珍しく、この映画を賞賛していたことを思い出した。この映画は少数座席の単一映画館で記録的な興業成績を収めた。自分が見た映画の中でベスト3のうちの1本。

■生きる 1952年日本

 高校1年生の時、担任の先生が授業を削って、この映画の上映会を開いてくれた。いい映画だとは思ったが、正直、先生の力の入れよう程には、心に響かなかった。

 あの時、先生は30歳くらいだった。自分たちは16歳。今の自分が、16歳の高校生に「生きる」を見せるかと自問してみる。おそらく見せないと思う。では、自分の心に残っている何かを見せるかと考えた時、映画を見せたり、小説を薦めたりするだろうか。それもしないような気がする。与える側の「性分」が大きく関係しているように思う。彼は30歳で先生だった。映画であれ小説であれ、“押しつけること”に違いはない。感情の熱を、押しつけてもいいし、手渡ししてもいい。しかし、それがどのくらいの温度で人に伝わるかは別の問題だ。

 思春期で、感受性も強い高校1年生の上映会は、とてもいいタイミングだったはず。先生が持つ熱量も高く、作品も素晴らしい。それでも、心に突き刺さることはなかった。あの頃の自分には何か刺さるものがあったはずだが、劇的な何かに出会うことはなかった。「何を、誰から、いつのタイミングで、どうやって受け取るか」。それは運に頼る面が多いように思う。もちろん、個人の資質もある。

 映画「生きる」は、人生の晩年にこそ響き、刺さるのではないか。誤解を恐れず言えば「後悔し、悔恨するための映画」。生きる希望は湧いてこない。この映画を若者が受け入れ、咀嚼し、教訓とするだろうか。そうなると量や数が優先される。映画の量、小説の数、音楽、友人、部活、アルバイト、ガールフレンド…。

 多様な光を浴びることで、若者は心の舵を切るキッカケにする。あの頃、クラスにいた40名と先生が授業を担当していたクラスの計100名ほどが「生きる」を鑑賞した。その影響を受けた若者が何人かいたのかもしれない。

■菊次郎の夏 1999年日本

 ロードムービー。夏の映画。“父と子”の物語。ビートたけしは芸人。北野武は芸術人。流行の「二刀流」。

■蜩ノ記 2013年日本

 原作者の葉室麟氏は昨年12月23日に亡くなられたばかり。直木賞受賞後も地方在住(福岡県久留米市)のままだった。

■太秦ライムライト 2014年日本

  「5万回斬られた男」福本清三主演。香美山清一(役名)的な存在が、一体、日本中に何万人いるだろう。古き良き時代へのレクイエム。

■君の名は。 2016年日本

 日本歴代4位の興行収入(250億円)を記録したアニメ映画。

2018年1月 5日 (金)

正月の楽しみ 2

 正月の数少ない楽しみのひとつが「古い映画」を観ること。テレビに「与えられた映画」。年末に録りだめていたもの17本。「与えられた映画」には“運試し”的な側面がある。当たりが出れば心に残り、ハズレが出ることもある。時を経ても放送される映画のハズレ確率はかなり低い。

■麦秋 1951年日本

 小津安二郎監督作品を初めて見た。昭和25年。鎌倉に住む上流階級の家族の物語。商大(一橋大)、早大、医者、料亭で食事。和室にはソファを置いて暮らし、観劇に出かける老人。庶民の映画ではなく、庶民が憧れる暮らしを描写した映画。それでも、7人家族、座卓で正座して食べる食事、タイプライター、通勤電車の新聞、百葉箱と風速計、和服の外出着や寝巻き。祖父の時代の人々には出会えなかったが、古い時代のモノには出会えた。伝説の女優・原節子が演じた主人公・紀子の言葉「(昭和26年当時)40歳にもなって、まだ一人でプラプラしているような男の人って、あんまり信用できないの。子供ぐらいある人の方が、返って信頼できると思うのよ」。至言。

■山の音 1954年日本

 成瀬巳喜男監督作品も初めて。川端康成と戦後日本文学の最高峰と評される小説「山の音」が原作。

■フィールド・オブ・ドリームス(Field of Dreams) 1989年アメリカ

 “シューレス・ジョー”が出てくるのは物語のクライマックスだと思っていたが、それは思い込みだった。人の記憶はアテにならない。27年ぶりならムリもないか。時間を往来するファンタジー映画であり、アイオワ州ダイアーズビル→マサチューセッツ州ボストン→ミネソタ州チザム→アイオワ州と場所を往来するロードムービーであり、父と子の物語でもある。数々の名言に彩られているが、名優バート・ランカスターの「好きな町では風も冷たく感じない。我が子のように愛おしい町」。これが一番。若い頃、この映画に刺激されてシカゴ・ホワイトソックスのブルゾンを買ったんだっけ。数日分のアルバイト代が飛ぶような高価な買い物だった。懐かしい映画を見ると、懐かしい時代を思い出す。

■黄金(The Treasure of the Sierra Madre) 1948年アメリカ

 原題でもある「シエラ・マドレの財宝」とは、金(ゴールド)のこと。1925年、革命後のメキシコ。港町タンピコで出会った3人のアメリカ人が一攫千金を狙う物語。民衆を脅かす山賊、その山賊の一掃を図ろうとするフェデラルズ(連邦警察)、そして3人の男たちとの凌ぎ合いを描く。1948年の映画。“ボギー”こと、ハンフリー・ボガート主演。映画に制作年など無縁と思わせる。示唆に満ちた映画。均衡が崩れる時、秩序が一変する。秩序が壊れる時、枠組みは意味をなさなくなる。自分の利益だけを追っても無意味。

■捜索者(The Searchers) 1956年アメリカ。

 1868年のテキサスが舞台の西部劇。監督ジョン・フォード、主演ジョン・ウェイン。コマンチ族に奪われた姪を捜し、6年間、砂漠や荒野を旅する。「ドラゴンクエスト」のようなストーリー。白人は先住民インディアンを虐殺したが、歴史はそう単純な話ではなかった。生き残るための戦い。アメリカンインディアンにもチェロキー族、モヒカン族、コマンチ族、アパッチ族、カイオワ族などがある。古い映画は見る価値があることを実感する。

■左きゝの拳銃(The Left Handed Gun) 1958年アメリカ

 主演ポール・ニューマン。ビリー・ザ・キッドは実在した義賊。左利きの射撃の名手。事実と伝説、後年の創作が入り交じる西部開拓期のヒーロー。日本で例えるなら坂本龍馬かな。ビリーは21歳(1859年-1881年)、龍馬は31歳(1836年-1867年)で死んでいる。

■チザム 1970年アメリカ

 1870年代、南北戦争後のニューメキシコ州を舞台に、実在した大牧場主ジョン・チザムの物語をベースとした西部劇。武力による支配と法の支配がせめぎ合っている時代。脚色はあるにしても、アメリカの銃社会とは彼らが築いてきたアイデンティティそのものなのだろう。

■天使のくれた時間(The Family Man) 2000年アメリカ

 人は現実と固い紐で結ばれている。ファンタジー映画を見ると、その固く、きつく縛った紐の結び目が、少しだけ緩んだような気分になる。しかし、その紐の結び目はほどけそうでほどけることはない。ファンタジーに酔いつつも、それが現実ではないという小さな痛みを感じながら、映画はエンディングを迎える。「時を戻せるのなら」、「人生をやり直せるのなら」という願望は映画の素材として間違いない。A5ランクの牛肉は誰がどう焼いても美味しいように。「困った顔」のニコラス・ケイジは適役。彼は確か名監督の甥だった。顔でも出自でも得をしている。

■ブラック・レイン(Black Rain) 1989年アメリカ

 舞台(大阪など)、物語(日本とアメリカの刑事がヤクザと闘う)、演者(日本の俳優多数出演)から、企画制作当時、日本のバブル経済が後ろ盾にあったのだろうと思わせる。大作や名作ではなく、よくある娯楽映画。ブラック・レインが、原爆投下後に降った「黒い雨」のことを指していると知って、少々戸惑った。大阪の街は中国の都市のように、マイケル・ダグラスと松田優作がバイクで走るシーンはベトナムの田舎町のように描かれていた。「任侠(ヤクザ)とマフィアは違う」。親分役の若山富三郎はそう言っているようだった。日本映画とハリウッドは違う。松田優作の遺作という価値はある。彼と高倉健が共演した唯一の映画という価値も。

■シザーハンズ(Edward Scissorhands) 1990年アメリカ

 監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップのコンビ第一作。多少、屈折したファンタジー映画。「心温まる」とは形容はできない。

■英国王のスピーチ(The King's Speech) 2010年イギリス

 第83回アカデミー賞作品賞。エリザベス女王の父親・ジョージ6世の話。吃音に悩まされていた王子と言語療法士・ローグの友情を描く。階級社会、戦争の影、兄であるエドワード8世の退位(「王冠をかけた恋」)など、当時の史実が背景に描かれる。

■パークランド ケネディ暗殺 真実の4日間(Parkland) 2013年アメリカ

 1963年11月22日テキサス州ダラス。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を描いた映画。あの有名な映像を撮ってしまった人や緊急搬送された「パークランド病院」の医師など、事件にまつわる人々が主人公。ケネディ暗殺を扱ったオリバー・ストーン監督の「JFK」よりもドキュメンタリー風なつくり。

■探偵はBARにいる 2011年日本

 どこかで見たようなストーリー。特にどこが秀逸ということもない。ただ、おもしろかった。

■探偵はBARにいる2 2013年日本

 どこかで見たようなストーリー。どこで見たのかはわからない。見ていないのかもしれない。第2作もおもしろかった。

■偉大なる、しゅららぼん 2014年日本

 原作は直木賞作家・万城目学のファンタジー小説。

■大奥 ~永遠~ 2014年日本

 テレビドラマの続編?一定のファンがいるジャンルなのだろう。 

■TETTON 山の声 2016年日本

 TETTONはアメリカ・ワイオミング州の「GRAND TETON国立公園」のこと。

2018年1月 4日 (木)

正月の楽しみ 1

20180103 正月の三が日は比較的穏やかな天候が続いた。降雪はあっても大雪ではなく、交通に支障をきたすような積雪量にならなかった。

 年末年始を海外で過ごした人たちの帰国ラッシュがピークを迎えた映像が流れていた。定番で定型なニュース。この年末年始に成田空港国際線の利用者は約120万人で、前年同時期との比較で11%増。降雪量を心配しながら、コタツで過ごす正月とは別の人たちがたくさんいる。

 正月の数少ない楽しみのひとつが「古い映画」を見ること。正月のテレビは騒がしいバラエティや駅伝などのスポーツ番組が多数を占める。しかし、深夜になると多くのチャンネルで古い映画を放送する。ネットやレンタルで、「求めた映画」はいくらでも見ることができるが、テレビに「与えられる映画」がいい。こちらに選択肢がないところがいい。

 古い映画を見ると「この作品には今日では一部不適切と思われる表現がありますが、著作者の歴史的価値を考慮し、制作当時のまま放送(収録)しております」等の注釈がつく。国民的映画(だった)「男はつらいよ」でさえ、「作中不適切な表現がありますが、作者の意図やオリジナリティを尊重しそのまま上映させていただきます」と表示される。

 古い映画を見る意味や古い映画を見る価値は海外旅行の体験に似ている。海外旅行には「異国の文化や歴史、考え方を知る楽しみ」があるように、古い映画には「現在と違う文化や歴史、考え方を知る楽しみ」がある。

2018年1月 3日 (水)

姉からのお年玉

20180101 今でも毎年、姉からお年玉をもらう。姉は弟2人の夫妻、計4人にお年玉をくれるので、体裁を気にするような“世間様”はいない。断る理由がない。

 お年玉をもらう年齢はとうに過ぎた。それでもあの頃の、あの時の嬉しさを忘れることはない。ほとんどお年玉をあげる側の境遇にないまま年をとった。今年は義理の甥が大学受験だという。お年玉をあげる立場さえ、卒業が迫っている。

 子は親からもらった無償の愛を、親にも返すが、そのほとんどを自分の子に与える。そんな采配や配分ができるのは人間だけだ。動物の子は本能的な愛を、おそらく自分の子にしか注がない。

 世代のバトンのようなもの、家族・家系のバトンのようなものが、将来であり未来なのだが、そういう境遇にはない。

 姉からもらったお年玉は、父や母との食事に使うことが多い。姉はそのことをわかっていると思う。金に色はないが、そういう気持ちになる。姉からもらうお年玉には色がついている。

 経済活動の中で、自分のために使うこと、年寄りの中で循環する金銭は、満足感を満たすための「消費」だろう。一方でお年玉は「生産」であるように思う。喜びを生むという意味の生産もあるが、それだけの意味にとどまらない。

2018年1月 2日 (火)

The dragon is a rainbow

 ある場所で「“龍は虹のこと”とする説がある」と聞いて、一瞬で納得した。

 想像上の生き物であるはずの「龍(またはドラゴン)」が、東洋では龍、西洋ではドラゴンとして「存在」したのはなぜだろう。共に伝説や神話に登場し、語り継がれる理由があったからだろう。

 古代の人たちにとって、雨上がりの空にかかる七色の環はかなり奇妙なものだったはず。虹は気象現象だから、古代からずっと、東洋にも西洋にも存在した。色のない時代も、戦闘の時代も、あらゆる場所で空に虹がかかっていた。虹が科学的な裏付けのある気象現象だとわかったのは近世になってから。

 鮮やかに彩られた虹を見た人は、それが目の錯覚のように感じたのではないか。その色は、わずかな時間で消えていく。父や母、祖父や祖母から聞いた伝説の中の生き物が、天空へ消えて行く姿と重ね合わせて考えたとしても何ら不思議はない。

2018年1月 1日 (月)

戦争の年

 1950年6月25日 北朝鮮の金日成は韓国侵略を仕掛けた。国連軍と北朝鮮・中国連合軍による朝鮮戦争は3年に及んだ。1953年7月朝鮮戦争休戦協定が署名され戦争は中断した。休戦状態は今も続いている。

 11年後 1964年8月2日 アメリカはトンキン湾事件(アメリカ軍艦への魚雷攻撃)を契機に北ベトナムに対する軍事行動を開始した。後に事件の一部はアメリカの軍と政府が仕組んだ捏造だったことが判明した(ペンタゴン・ペーパーズ)。ベトナム戦争は第二次世界大戦後の冷戦状態を背景に 「アメリカの資本主義陣営vsソビエトの共産主義陣営」の代理戦争という側面があった。1975年4月30日サイゴン陥落により、ベトナム戦争は終戦した。

 15年後 1990年8月2日 イラクの指導者サダム・フセインは石油資源の奪取を目的に、隣国クウェートに侵攻した。1991年1月16日深夜、アメリカ軍が率いる国連多国籍軍によるイラク空爆「砂漠の嵐作戦」によって湾岸戦争(Gulf War)が開戦した。

 12年後 2003年3月20日 アメリカを中心とする同盟軍はイラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を保有しているとしてバグダードへの爆撃を開始し、イラク戦争が始まった。4月上旬に首都は制圧され、24年間続いたフセイン体制が崩壊した。2006年フセイン氏は「人道に対する罪」で死刑判決を受け、死刑が執行された。しかし、イラク侵攻の大義であった大量破壊兵器はついに発見されなかった。

 2003年の11年後は2014年、12年後は2015年、15年後は2018年。「2014年~2018年の間にアメリカが戦争を始める」としても何ら不思議はない。

 昨年末のニュース 「アメリカのトランプ政権が武器輸出を加速させている。武器輸出監視団体によると、2017年1月~11月の武器輸出総額は約810億ドル(9兆円)で、オバマ前政権下との比較で約39%増加している。また、今後は武器輸出基準も緩和する方針」。

 政治(合衆国議会)・経済(軍需産業)・軍事(国防総省)が形成する巨大連合体「軍産複合体」には、定期的な利益創出機会が必要になる。アメリカは中東やアジアなど有色人種の国には爆撃する国。欧州など白色人種の国には爆撃しない国。それは歴史が証明している。今年は“戦争の年”だと思う。もちろん、それは中東かアジアで起こる。

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