2017.10 雨の中のゴミ拾い
早朝に降った雨で路面が濡れていた。そこを走る車はザアッと音を立てて走っていく。通勤時のせいか、全ての車が心なしか急いでいるように思えた。小雨とまではいかない程度の雨が当たっていた。傘を差す人と差さない人が半々くらい。脇の歩道には通勤する人がポツリポツリと歩いている。少し寒そうな半袖シャツのサラリーマン、重そうな帆布のバッグを持った女子高生を、後ろから2人並んだ自転車の高校生が追い抜いていく。
雨の中、歩道でゴミを拾う女性がいた。少し先にゴミステーションが見えたが、それとは関係ないようだった。年配の女性でポロシャツ姿。その存在に戸惑いつつも、驚いたことは、ゴミ拾い用の金属バサミが休みなく動いていることだった。女性はジグザグに歩を進めながら、右手のトングと左手に持ったビニール袋の往復運動が機械的に続いていた。歩道に落ちているゴミが相当数あることに申し訳ないような気持ちになった。そして、「雨中のゴミを拾うか…」と、声に出そうになった。
「火中の栗を拾う」ということわざは、フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの寓話からできたと知った。猿におだてられた猫が、囲炉裏の中の栗を拾って大ヤケドしたという寓話から、「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すこと」の喩えとして使われる。
ラ・フォンテーヌが遺した有名なことわざに「すべての道はローマへ通ず」がある。 ①真理に行き着く経路は1つでなく、どのような経路を通ったところで、必ず行き着くものであること ②方法は違っても目的は同じであること ③ある1つの真理は他のすべての物事に通じること
「雨中にゴミを拾う」。「自分の利益にならないのに、社会のために奉仕すること」の喩えになる。奉仕の場面を思い返すと、“すべての道はローマへ通じ”ているような気になった。