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2017.06 しなやかなジャーナリスト

20170623 6月23日はジャーナリスト 筑紫哲也氏の誕生日。生きていれば82歳になる。(1935年<昭和10年>6月23日-2008年<平成20年>11月7日) 73歳没。

 「フライデー襲撃事件」について、筑紫哲也氏が記した文章に強い影響を受けた。

 フライデー襲撃事件 1986年12月、人気絶頂の芸人(以下「芸人」、当時39歳)と交際していた女性を取材するため、写真週刊誌「フライデー」(以下「同誌」)の契約記者が女性の前に立ちふさがり、手を掴んで引っ張るなどし全治2週間のケガを負わせた。これに怒った芸人は、同誌発行元である講談社に抗議、9日午前3時過ぎ、弟子11人と共謀し、同誌編集部に押し掛け、暴行傷害事件に発展した。事件後、同社は「言論・出版の自由を脅かす暴挙に対し、断固たる姿勢で臨む」とコメントを発表。芸人らは逃亡のおそれなしとして釈放されたが、所属事務所は芸人らの半年間の活動自粛を発表した。翌年3月、弟子らは起訴猶予処分となり、同年6月に芸人は傷害罪で懲役6カ月・執行猶予2年の判決を受け、控訴しなかったため同刑が確定した。

 彼は事件が浮き彫りにしたマスメディアの現況と問題について、次のように指摘した。

 その強引な取材によるプライバシーの侵害は、フライデー襲撃事件以前からトラブル、批判、論議のタネになっており、この伏線がなかったならば、この事件はこれほど広い波紋を生みはしなかったろう。(略)当時、大手出版社の五社までが足並みを揃えて写真誌競争に突入したことには、商業主義が最優先したことは否定できず、その背後にはさまざまな批判にもかかわらず、そういう雑誌を争って買い求める読者が大量に存在したということでもあった。しかも、こうした傾向は、“3FET”の出現で突然変異的に生まれたものではなく、写真週刊誌そのものがテレビの芸能番組隆盛に触発され、活字メディアのそれに対抗する“鬼っ子”として登場してきた面があり、「ロス疑惑報道」に見られるように、一般週刊誌と電波メディアとの連動も目立っていた。問題はしかし、そういう「売らんかな」、視聴率稼ぎに狂奔するメディアだけに留まるものではなかった。それとは一線を画し、「良識」と「報道の使命」についての自覚を持っているつもりのメディアに対しても、そのありようについて批判的論議が高まっている時期でもあった。それは、煎じつめれば、「報道・言論・出版の自由」「知る権利」と、「人権・プライバシー」という、矛盾をふくんだ命題との間のどこにいかなる方法で接点、妥当な線を求めるか、というメディアについての基本問題を内包していたからである。

 筑紫氏が記したこの文章がとても好きだ。好意と敬意、憧憬の念を持って、この1文を。

 その無軌道なセールスによるコンプライアンス感覚の欠如は、以前からトラブル、批判(金融庁ダメダシ商品、高齢者親族等による苦情)、論議のタネになっており、実際に多数の訴訟も起こされていた。これだけメガバンクや地方銀行が足並みを揃え、なりふり構わず目先の利益獲得に暴走したことには弁明の余地がない。「利益至上主義が蔓延した」その背景には、多くの批判や予兆があったにもかかわらず、そのような商品の特性を理解不十分なまま契約した預金者・消費者が存在したことにも責任の一端がある。もちろん、銀行経営者・銀行員・監督当局が「未必の故意」的に、その無軌道振りを修正できなかったことが根元にある。しかも、こうした傾向は、突然変異的に生まれたものではなく、銀行が本来の金融仲介業(資金需給の円滑化を図る中で利ざやを得ること=利益確保すること)から、手数料ビジネスへ脱皮していく中で、金融改革による銀行・証券・保険一体化の“鬼っ子”として登場してきた面がある。自身の労働期間中だけをとってみても、「ゴルフ会員権セールス」、「バブル担保物件の処理促進」、「一時払い型保険ローン」、「(BIS規制維持のための)貸し剥がし」、「ターゲット型投資信託」、「リーマンショック」、「外資保険会社の経営破綻」、「特定投資商品の推奨販売」「通貨オプション」、「オペレーティング・リース」、「M&A仲介」、「カードローン」、「アパートローン」等々に見られるように、関連系列会社、保険会社、証券会社、ノンバンク、不動産業者、金融機関の周辺に淀めく諸々の企業との連動も目立っていた。問題はしかし、そういう「売らんかな」、手数料稼ぎに狂奔する経営層だけに留まるものではなかった。それとは一線を画し、「良識に基づいた金融機関の使命」について、自覚を持っているつもりの自分自身も、その在りようについて批判する機会と勇気の欠如があった。煎じ詰めれば、「私企業としての利益追求」と、「公企業としての健全な金融仲介機能の発揮」という、矛盾を含んだ命題との間の、どこにいかなる方法で接点、妥当な線を求めるか、という金融機関についての基本問題を内包していたからである。