2017.05 ナイン・ストーリーズ
穏やかな春の海を眺めていると、思い出す曲がある。「僕と彼女と週末に」。
1982年11月21日にリリースされた浜田省吾のアルバム(LPレコード)「PROMISED LAND ~約束の地~」は、彼が「父の柩に収めたアルバム」と語っているように、彼のキャリアの中でも特筆される優れたアルバムだ。そのアルバムの最後、11曲目に収録されている曲が「僕と彼女と週末に」。
人類愛をテーマにした壮大な曲で、力を持った歌詞とメロディーが、心底にまで届き、刺さる。この曲の中盤に“語り”のパートがある。
「僕と彼女と週末に」(語り部分のみ)
週末に僕は彼女とドライブに出かけた 遠く町をのがれて浜辺に寝転んで 彼女の作ったサンドイッチを食べビールを飲み 夜空や水平線を眺めて僕ら色んな話をした 彼女は彼女の勤めている会社の嫌な上役の事や 先週読んだJ.D.Salingerの短編小説の事を僕に話し 僕は今度買おうと思っている新しい車の事や二人の将来の事を話した そして誰もいない静かな夜の海を 二人で泳いだ
あくる日僕は吐き気がして目が覚めた 彼女もひどく気分が悪いと言い始めた それで僕らは朝食をとらず浜辺を歩くことにした そしてそこでその浜辺でとても奇妙な情景に出会った 数えきれないほどの銀色の魚が波打ち際に打ち上げられていたんだ
「週末に彼女とドライブに出かけ、浜辺でビールを飲み、サンドウィッチを食べる」。この場面で自分が想像する海は夏や秋、冬の海ではない。ちょうどゴールデンウィークから梅雨入り前までの春から初夏にかけての海を想像する。だから、穏やかな海を眺めていると、この曲を思い出す。
語りの中に、アメリカの作家 J.D.サリンジャー(1919年-2010年 Jerome David Salinger)が登場する。サリンジャーといえば「ライ麦畑でつかまえて」(原題「The Catcher in the Rye」)があまりにも有名。ブルーの表紙に白文字のタイトル、ピカソのカバーデザインの本(白水社)は、いつどんな時代にも書店に置いてある。
「僕と彼女と週末に」で語られる「サリンジャーの短編小説」は、九つの短編小説から成る「ナイン・ストーリーズ」(邦題「九つの物語」)を指すと思われる。その「ナイン・ストーリーズ/九つの物語」を、最近になってようやく読むことができた。
J.D.サリンジャーは「ナイン・ストーリーズ」の後、隠遁生活を送った。30代までに4作品、40代に著した1作品が彼の作家生活の全てになった。91歳で没するまで作品を発表せず、公にも姿を見せないまま長い晩年を過ごした。それは苦悩の時間だったのか、それとも余生を楽しんだのか。推し量ることもできないが。ただひとつだけ思うことがある。そんな生き方に憧れる。
穏やかな春の海を眺めていると、思い出す曲と本がある。「僕と彼女と週末に」、そして「ナイン・ストーリーズ」。