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2017.01 ゆとりとバブル

20170402 未来を予測することは不可能だ。現在もそれは変わらないが、おおよその形は予測できるようになった。例えば世界の人口。地域や国によって推計値が弾かれ、人口増減による成長や衰退が推定できる。未来ではなく、近未来である5年、10年、20年という将来は、かなり鮮明に見える。間違いないことのひとつが、「次の世代は“ゆとり”が創る」ということ。

 ゆとり世代に対しては思い入れがある。「世代」を考える時、社会的・経済的背景を考察しなければならない。

 バブル世代とゆとり世代。その世代間には20年から25年の開きがある。そして、その時間がまさに“失われた20年”といわれる時代に当てはまる。その世代は「氷河期世代・超氷河期世代」。低迷する経済情勢を背景に、就職に苦労した世代というのはその通り。彼らには何の罪もないが、時代背景、経済環境によって、彼らは辛酸を舐めた…かもしれない。しかし、その時代とほぼ同時進行で「IT改革が進んだ時代」であったことも忘れてはならない。

 ずいぶんと長い間、凪(なぎ)の状態が続いていたように思う。最近は、時間ではなく、時代が動いていると感じる。時代は音も無くやって来る。物音ひとつも立てず、ゆっくりと、ゆっくりと、もっとゆっくりとやって来て、気づいた時には時代が完全に移り変わっている。舞台に例えるならば、「舞台の幕は開いたまま、暗転することもないままに」。 

 予想外のことや、想定外の出来事が起きた時に、それは新しい時代に変わっていることの証だと感じる。そんな時は、わずかに時代がきしむ音を立てる。人々はその音を気にしない。人々の目や心は、予想外の、想定外の出来事そのものに向けられているからだ。

 2001.9.11 アメリカ同時多発テロ事件、2006.1.23 ライブドア事件、2016.6.23 イギリスのEU離脱国民投票、2016.11.8 アメリカ合衆国大統領選挙などは、「時間ではなく、時代が動いている」ことを感じる出来事だった。それらの出来事に共通するのは、「天変地異・自然災害ではないこと」。それらを引き起こすのは「人々の思想や考え方に起因していること」。

 ある企業の人事部長が「90年から93年入社組まではバブル組だ」と言った。「90年から93年の入社組は、その前後の世代と比べてレベルが低い」という文脈だ。彼がそう考えるのには相当の理由があるのだろう。しかし、質(タチ)が悪いと感じるのは、その彼が「90年から93年入社組の採用担当をしていた」ということだ。採用担当だった自分の責任は棚上げして、バブル組のレベルを嘆いている。嘆かざるを得ないレベルの学生しか確保できなかった企業のレベルはどうなのか。そして、世代間で格差を生じさせるような育成プログラムに問題はないか。放った矢が、自身がまさに今から取り組むべき職務であり責務であることに気づかないのだろうか。

 かなり脱線した。先に挙げた例には及ばないが、最近、変化が起きている。

 1.労働問題に対する社会認識の変化  現実の労働時間(残業時間、退社時刻、昼休み等)が雇用契約書や就業規則の内容と異なることへの抗議。飲み会へ半強制的に参加させられることへの嫌悪。軍隊化する組織への懐疑。疲弊した宅配便業界が発した社会構造のひずみ・ゆがみ。これらが徐々に表面化するようになった。

 2.部活問題に対する社会認識の変化  部活動の強制等で生徒の自発的参加が保障されていないことや、部活動の休日や朝夕の長時間練習。指導教員に対する部活顧問の強制。いわゆる帰宅部への風当たりが強いこと。部活動実績の内申書記載と入試における加点。これらが問題視される社会になってきた。「ブラック部活」などと形容されるようになった。 

  「ゆとり世代」とは、「2002年度施行の学習指導要領を受けた世代の中で、一定の共通した特性をもつとされる世代」とされる。現在の20代がほぼこれに該当する。「ゆとり世代」の彼らには、生まれた時から携帯電話があった。学校にも家庭にもパソコンがあった。インターネットがあり、友達とSNSでコミニュケーションを取りながら成長してきた。こんな言葉があるか不明だが、彼らは機械的価値観、デジタル的価値観を持っている。社会は人間的価値観で出来ていた。しかし、これから毎年、機械的価値観が補填される。やがてAI(人口知能 artificial intelligence)の時代が来る。

 ゆとり世代が発する「常識外れな意見」が硬直化した会社を変えるという期待がある。氷河期世代は会社を守る“従う世代”。悪気もなく、無邪気なゆとりを敵対視する。ゆとり世代はしばしば“空気が読めない”と言われる。しかし、本当の姿は“空気を読まない”特性が、彼らの上の世代である「氷河期世代・超氷河期世代」の反感を買っているという構図ではないか。「言いたいことは言う。主張はするが、折れるのも早く、簡単に辞めると言う」 何が悪いのだろう。いつの時代にも世代間闘争がある。そして、いつの世も、時代は非常識が変えるのだ。

 凝り固まった会社を変えるのは 「この会社、おかしいですよ」って主張。「こんなやり方、できません」って主張。それに対応できる会社が生き残って行くのではないか。古き規範に囚われた者(企業・経営者・上司・先輩等)が、新しき規範の世界から来た者(若者=ゆとり世代)を捕らえていた。古き規範に囚われた者を、新しき規範の世界から来た者が捕らえる番だ。

 若者は未来から来ている。使い古された価値観が通じない未来から来た。自由な力、未来を作る力と可能性を誰が摘むのか。花を摘む人であってはならない。芽を摘む人であってはならない。「ゆとり世代こそ改革者」だと思う。改革者は救世主になる得る。