汚れた土から
どんなに崇高な組織であれ、どんなに高貴な企業であれ、大なり小なりの不詳事件はつきものだと思う。
不詳事件を見聞きした時、自分は表面化した“事件”よりも、事件が発生した“土壌”に問題はなかったのかと考える。なぜなら、清らかで汚れのない土壌からは汚染された植物は生まれないからだ。逆に言えば、不正は汚染された土壌から生まれ、育つことが多い。
ある不詳事件の報道に汚染された土壌の臭いを感じた。その事件では、昨日、懲戒解雇した社員を、今日は「元社員」として事件の情報を開示していた。元社員は「事故者」と表現されていた。この表現に倣うとすれば、当該企業は「事故社」ということになる。
社会人として、企業人として生きていくために、『倫理・論理・合理』の3つが大切と、いつか記した。そして、大切なのはこの順番だ。その時々によって、論理と合理は同等か、わずかに入れ替わることがあるが、ほぼ不変だ。
企業も同じではないだろうか。『倫理・論理・合理』。倫理なき企業に不詳事件は起きる。「元社員」、そして「事故者」などと表現しているようでは、事件は後を絶たないだろう。
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