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2017年12月11日 (月)

踏みにじられる理想

 ノーベル平和賞授賞式がノルウェーで行われた。国際NGO「ICAN」(核兵器廃絶国際キャンペーン)と活動してきた被爆者のサーロー節子氏が「核なき世界」の実現を訴えた。  

 「核兵器は必要悪ではなく、究極の絶対悪」。サーロー氏は世界の指導者に対し、核廃絶を呼びかけ、今年7月に122カ国が賛成して採択された核兵器禁止条約に参加しなかった核保有国などを批判した。アメリカの「核の傘」の下にある日本はこの条約の交渉にすら参加しなかった。核保有国の大使らは授賞式を欠席した。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/10/post-600d.html

 ネット上では、このニュースのコメント欄に「現実的な解決策を模索すべき」、「彼らは理想主義者」というような投稿が多数を占めている。投稿しているのは被爆国の子孫たちなのに。

 戦後72年。人々の教育水準は上がり、ノーベル賞のニュースに一丁前なコメントが並んでいる。自分も軽々しくモノを言っている(記している)うちの一人だが。

 しかし、果たして「人のレベルは上がった」と言えるのだろうか。現実的な道を模索する者が重宝され、理想的な道を歩こうとする者が煙たがられる世の中になっていないだろうか。冷静な判断をする者と熱情を持って行動する者。どちらが上ということもなく、どちらも必要なのだが、「ICAN」がやろうとしていること、やってきたことは、充分に「冷静な熱情に溢れていた」と言えないだろうか。「ICAN」の本質を見ようとせず、表層的な授賞式だけを見てコメントする輩が多数を占めている現状は、「人のレベルは下がっている」可能性が高い。

 我々は、普段の暮らしの中で、平和に向けた運動や地道な活動に参加することは難しい。もちろんそれに積極的に参加している人がいない訳ではない。しかし、平和に向けた活動に対し応援したり、理解することはできるはずだ。人よりも税金を払っているからといって、他人任せでもいいということはない。ノーベル賞も核兵器禁止条約も遠い場所の話であるが、無関心でいることは被爆者を踏みにじっていることと同じだと、サーロー氏の言葉を聞いて理解した。

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