討ち入りの日
12月14日は「赤穂浪士討ち入りの日」。赤穂浪士を偲ぶ「義士祭」が各地で行われた。“討ち入り事件”は新暦で1703年1月30日にあたり、初冬ではなく、最も寒さが厳しい真冬の寒い夜の事件。しかし、義士祭は旧暦に合わせて催される。県内でも四十七士の一人、堀部安兵衛(中山武庸)の出身地である新発田市長徳寺(祖父の菩提寺)で義士祭が開催された。
よく使われる「忠臣蔵」というのは歌舞伎や映画、文学など、赤穂浪士の討ち入りをモチーフにした創作物の通称。最近でも「四十八人目の忠臣」(諸田玲子氏 ドラマ「忠臣蔵の恋」原作)など、事件そのものを縦糸としながら、横糸に新たな解釈や、新たな創作を加えたものが支持を受けている。縦糸に赤穂浪士の史実、横糸に新たな解釈・創作ものといえば真っ先に浮かぶというか、これしか浮かばないのが「用心棒日月抄」(藤沢周平)。
忠臣蔵のストーリーは悲劇的な結末で、ハッピーでもなんでもないのだが、「仇討ちもの」が鉄板(でもないか)、通用するうちは、社会は健全なのかもしれない。
泉岳寺(東京都港区高輪)は赤穂義士の墓、記念館、大石内蔵助の銅像、首洗い井戸などがある赤穂義士や忠臣蔵ファンの聖地。また、亀島橋(東京都中央区八丁堀)のたもとには堀部安兵衛の石碑(昭和44年建立)があるという。これらも、いつかゆっくりと町歩きしてみたい。この町歩きは冬の寒い夜がいい。
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