ベスト10ホース
中央競馬はホープフルステークス、地方競馬は東京大賞典の両GⅠ競走が終わり、今年の全日程を終了した。GⅠ昇格初年度のホープフルステークスを勝ったのはタイムフライヤー(父ハーツクライ)。8/6の新潟デビューでロックディスタウンの2着だった馬。阪神JFは8/20の新馬戦を勝ったラッキーライラック(父オルフェーヴル)が勝利。新潟デビュー馬が立て続けにGⅠを制した。来春のクラシックが楽しみになった。
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有馬記念はキタサンブラックが有終の美を飾った。予想は真っ先に外した2頭が1着・2着するという悲惨な結末だった。
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今年の競馬といえばキタサンブラックということになる。2年連続の年度代表馬も確定だろう。ディープインパクトの「兄の息子」が叔父を抜き、16年間賞金王の座にあったテイエムオペラオーも抜いて、獲得賞金歴代トップになった。競走馬としての成績は20戦で1着12回、2着2回、3着4回、着外2回。5番人気以内で出走したレースは17戦のうち16戦で馬券対象だった。キタサンブラックは2015年1月31日に東京競馬場の芝1800㍍でデビューしている。その時のジョッキーは後藤浩輝騎手(翌月の2月27日に逝去)だったことも、競馬ファンは忘れないでいたい。
キタサンブラック、テイエムオペラオー、ディープインパクト。いずれも強い馬なのだが、自分が「ベスト10ホース」を挙げるとしたら、1頭も入らない。やはり「勝たせてもらった」とか「馬券を握りしめて応援した」とか、何らかの体験をさせてくれた馬でないと心に刻まれないのかもしれない。これらの名馬たちは自分のような「本命軽視」の天の邪鬼には向いていない。自分にとっての「ベスト10ホース」をあまり考えることなく列挙してみる。
1.オルフェーヴル 新潟での新馬戦を目撃した。2011年、震災の年の3冠馬。阪神大賞典の逸走劇、有馬記念の圧勝劇、そして凱旋門賞2年連続2着。すべてが偉業だ。
2.キングカメハメハ 土埃(つちぼこり)が舞うダービーで、4コーナーを曲がると、馬群は扇のように開いた。過酷なレース展開の中から、1頭だけ力強く抜け出してきた“カメハメハ大王”。この後、この年のダービー出走馬の多くが、脚部の不安に悩まされた。それほどタフなダービーで、キングカメハメハが走ったタイムはダービーのレコードだった。
3.エルコンドルパサー 1998年に3歳で制したジャパンカップが鮮烈。これが日本では最後のレースになり、翌年の凱旋門賞で2着した。日本調教馬としてレーティング最高値134ポンドの評価を得た。7歳で早逝。
4.アグネスタキオン 皐月賞は“最も速い馬が勝つ”と言われるレース。その意味がわかった。「光速の素粒子」という馬名に偽りがない。
5.デュランダル 勝利したレースに限らず、2着のレースぶりが凄い。最後方から必ず豪脚で伸びてくる。「一番強いのは誰か」を常に証明していた。
6.スペシャルウィーク 「日曜の沈黙」という父から産まれた「特別な週」という馬名。彼を産んで死んだ母の逸話。黒鹿毛の馬体。武豊をダービージョッキーにした馬。自分にとって唯一の「アイドルホース」。17戦中、16戦で3着以内だった。
7.フジキセキ サンデーサイレンスの初年度産駒。同世代でサンデーの血を引く皐月賞馬・ジェニュイン、ダービー馬・タヤスツヨシよりも強かったはず。菊花賞(マヤノトップガン)も有り得た。クラシックに1戦も出ていないが、それでも“幻の三冠馬”。
8.シンボリクリスエス 「天皇賞・秋1着 → ジャパンカップ3着 → 有馬記念1着」を2年続けた。このレースの馬券は4勝2敗だった。すべてシンボリクリスエスから買っていたからだ。15戦中14戦で3着以内。
9.タイキシャトル 自分に「競馬は簡単だ」と勘違いさせた馬。なぜなら、この馬を買っていれば馬券が当たるから。
10.カンパニー 8歳で天皇賞・秋を制した。他のどの馬が8歳の天皇賞を勝てただろう。唯一無二の馬。
若い頃の1990年代の馬が多い。黒鹿毛も多い。かなり見た目重視になっている。
※ジャパンカップ等の外国馬(例えばアルカセット、ピルサドスキー、スノーフェアリーなど)は除く。
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