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2017年11月 4日 (土)

馬場正平の足跡

20171028 昨年、三条市は同市出身でプロレスラーとして活躍したジャイアント馬場(馬場正平 1938年-1999年)氏を三条市の名誉市民とした。一週間前の土曜日、名誉市民顕彰記念事業として、馬場氏の生前に親交があった徳光和夫氏(元・日本テレビアナウンサー)の講演会が三条市で開催された。徳光氏は馬場氏が所属・主宰した全日本プロレスのテレビ中継で実況アナウンサーを務めていた。

  顕彰記念事業の会場になった三条厚生福祉会館体育館は、馬場氏がプロレス興行で何度も試合をした聖地でもある。講演会のほか、馬場氏の生前を偲ばせる写真パネル、ゆかりの品、等身大フィギュアなどが展示され、多くの市民が訪れていた。わずか数日間の展示では惜しいものばかり。

 馬場氏は三条実業高校時代の1955年、巨人軍に誘われ、高校を中退してジャイアンツに入団した。徳光氏が講演の中で語ったように、ジャイアンツは馬場氏を戦力としても期待していたが、高身長という特徴を持ったマスコット的な意味合いも獲得理由のひとつだったという。その通りだと思う。プロ野球選手として大成しなかったが、二軍で計3度の最優秀投手賞を受賞しており、仮に巨人軍でなく他球団であったなら、出場機会に恵まれたかもしれない。その後、ケガなどもあってプロレスラーに転じた馬場氏は「ジャイアント馬場」として日本のプロレス界を牽引した。次世代のプロレスラーを多数育て、晩年はテレビのクイズ番組などでも親しまれたが、61歳という若さで亡くなった。

 写真は名誉市民顕彰記念のポスター。それにしても「いい顔・いい表情・いい男」だ。何の解説も説明もいらない。彼がどんな人間だったかは、この写真と16文の足あとを示すプレートがあればいい。足跡(あしあと)が足跡(そくせき)になるのは、彼以外に一人としていない。葉巻を愛し、読書家で、油絵を描いた。彼は闘うことを生業にしたが、「品位ある人間性」が人々を惹きつける必殺技だったのではないか。

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