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2017年11月 1日 (水)

亀井静香氏の引退

 亀井静香氏は衆議院選挙への立候補を取りやめ、政界を引退した。今日、11月1日は亀井氏81歳の誕生日。

 警察官僚から国会議員に転じた亀井氏は、2009年9月 鳩山内閣で内閣府特命金融担当大臣に就任した。また、批判の多かった郵政事業の抜本的な見直しを行う郵政改革担当を兼務した。郵政事業に限らず小泉構造改革による社会構造の変化は、紛れもなく格差社会の端緒となった。“改革のツケ”の多くが社会的弱者や低所得者、非正規労働者、そして地方に転嫁された。自殺者数と企業倒産は史上最多を記録していた。

 その頃、金融機関はバブル期に自らが招いた不良債権処理に奔走し、自行の自己資本比率を上げるため、融資額を圧縮する“貸し渋り・貸し剥がし”が社会問題になっていた。2009年11月に成立・12月に施行された中小企業金融円滑化法は“亀井法”と呼ばれ、中小企業に対する金融円滑化対策の中核になった。改革の揺り戻しとしての波があることは当然だし、少なからずその必要性もあった。自分はこの円滑化法が政策的にも優れていると思ったが、多少の違和感を持ったのは、共産党や社民党が推し進める政策のようだったからだ。

 この時、金融機関の現場は冷ややかな反応だった。自分がこの政策や法律が「まともなもの」と考え始めた理由は、円滑化法や亀井氏について、信頼できない上司らが、敵視し、蔑視する発言を繰り返していたからだった。そして、亀井氏と亀井氏がやろうとしていることが間違っていないと判断した理由は、亀井氏が「官僚や企業官僚に煙たがれる存在だった」からだ。

 この円滑化法への対応を迫られた金融機関は、例え外面だけであったとしても顧客志向に経営の舵を切る(切らざるを得ない)転機になった。これ以降、「金融機関は融資先のコンサルタントとしての役割を果たしているか」が様々な数字によって求められるようになった(金融庁監査や当局への報告等)。経済環境の変化もあり、一概には言えないが、自殺者・企業倒産・企業負債総額はそれぞれ減少した。それら統計値改善の一翼を円滑化法が担ったことは紛れもない事実だろう。

 亀井氏は2005年に小泉内閣が推進する郵政民営化法案に反対し、自民党を離党(除名)した。同年の衆院選では自民党からの“刺客”と戦った選挙を含め、13期38年の間、彼を支援し、選出した広島6区の選挙民にも敬意を感じる。

 彼はこれまで“絶滅危惧種”のような政治家だった。

 彼が政界を去ったことで、絶滅危惧種は絶滅した。

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