市民とエリート
11月は「藤沢周平月間」になった。藤沢氏は自分にとっては「人生で影響を受けた5人」のうちの1人。氏の関連本を買い、映像作品を鑑賞し、それらの原作になった小説を読み返した。そして、鶴岡へも出掛けた。没後20年と騒ぐメディアに乗せられた面もある。
藤沢氏の小説では、下級武士や「市井(しせい)の人々」が描かれることが多い。市井の人というのは名も無き市民のこと。主人公の小さな正義感が人生の邪魔をする。身に降り掛かった理不尽さに呑み込まれそうになった時、あるいは理不尽を呑み込んだ時、藤沢氏の小説に救われる。
市井の人々の反対語は「エリート」だろう。本来の意味でのエリートは絶滅したといっていい。「エリート気取り」は無数に存在する。「エリート気取り」の見分け方は3つ。 ①正義にも味方するが、不正にも加担する。 ②行動の基準が「保身」 ③所属長の地位を自分の地位と取り違える(部長は偉いが部員は偉くない)。
小さな正義感を邪魔なものと感じた回数は数え切れない。藤沢氏の墓は八王子霊園にある。来年こそは墓参したいと思っている。