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2017年11月

2017年11月30日 (木)

市民とエリート

20171129 11月は「藤沢周平月間」になった。藤沢氏は自分にとっては「人生で影響を受けた5人」のうちの1人。氏の関連本を買い、映像作品を鑑賞し、それらの原作になった小説を読み返した。そして、鶴岡へも出掛けた。没後20年と騒ぐメディアに乗せられた面もある。

 藤沢氏の小説では、下級武士や「市井(しせい)の人々」が描かれることが多い。市井の人というのは名も無き市民のこと。主人公の小さな正義感が人生の邪魔をする。身に降り掛かった理不尽さに呑み込まれそうになった時、あるいは理不尽を呑み込んだ時、藤沢氏の小説に救われる。

 市井の人々の反対語は「エリート」だろう。本来の意味でのエリートは絶滅したといっていい。「エリート気取り」は無数に存在する。「エリート気取り」の見分け方は3つ。 ①正義にも味方するが、不正にも加担する。 ②行動の基準が「保身」 ③所属長の地位を自分の地位と取り違える(部長は偉いが部員は偉くない)。

 小さな正義感を邪魔なものと感じた回数は数え切れない。藤沢氏の墓は八王子霊園にある。来年こそは墓参したいと思っている。

2017年11月29日 (水)

時給2,000円

20171127 先週、大手宅配便事業者が年末のアルバイトを時給2,000円で募集しているというニュースがあった。もちろん首都圏などの一部地域での話で、全国一律2,000円で募集している訳ではない。この時期は歳暮やクリスマスプレゼント、年越しの買い物、ボーナス時期の買い物等々で、宅配便取扱量は通常月の2倍に増えるという。確かに時給2,000円はキャッチーな見出しでニュースになったが、そう驚く話でもない。

 月給50万円の人は月20日と仮定すると日給25,000円、8時間労働なら時給3,125円だ。月給32万円の人は月20日と仮定すると日給16,000円、8時間労働なら時給2,000円だ。月給50万円はなかなかいないかもしれないが、月給32万円、手取り25万前後の人は少なくない。時給2,000円が、非正規労働、社会保険の適用外、年末年始の繁忙期、期間限定の給与であることなどを考えると、適当な水準、若しくは、まだまだ低い水準だと思う。

 30年前。18歳の時に初めてアルバイトをした。父の知人に口利きしてもらってひと月だけ働かせてもらった。給与も時給も知らされず、1日10時間、朝8時から夜7時まで働いた。ひと月後、初めて貰った給料袋には70,000円程度入っていた。明細には「3,000円/日」と書いてあった。時給に換算すると300円だ。当時から最低賃金制度はあった。食堂の掲示板に最低賃金を示すポスターが貼ってあったからだ。手にした金額はそのポスターに書かれた金額の半分程度だった。それから数ヶ月後、首都圏では学生アルバイトで時給1,000円も珍しくはなかった。

 バブル経済、バブル崩壊、就職氷河期、不良債権処理、IT革命、構造改革、デフレ、失われた20年・30年、アベノミクス。時間や時代は過ぎた。しかし、何かは変わっても、何かは変わっていない。あの頃、社会では看護士(当時は看護婦)不足が叫ばれていた。今も看護士は慢性的に不足していて、保育士や介護士も不足している。そして、宅配便従事者が不足する世の中になった。表層は変わって、本質は変わっていない。そんな気がする。保育士や介護士の給与は時給1,000円に届いているだろうか。

2017年11月28日 (火)

夏に恋する女たち

 「夏に恋する女たち」というドラマがあった。1983年、15歳の夏。

 このドラマが放送されていた枠(金曜22時)の前シリーズが「ふぞろいの林檎たち」だった。一時代を作った名作ドラマだ。その後もシリーズ化された。このドラマに出演した俳優たちは、その後、多くが名優となった。原作・脚本の山田太一氏は指折りの名脚本家。主題歌「いとしのエリー」はサザンオールスターズの代表曲。

 人気ドラマの後継番組だったこと、放送時期(8月~9月)が夏休み時期と重なったことが「夏に恋する女たち」を視聴する背景にあった。

 TBSオンデマンドの番組紹介には「マンションの同じフロアに住む6人のシングル族が繰り広げる恋愛模様を描いたドラマ」とあり、別のサイトには「あるマンションに、訳ありの男女が揃った。バツイチのカメラマン、母親にトラウマを持つ中年ホスト、レイプ経験のある女イラストレーター、画廊商人、離婚直後の独身女、不良娘等々。反目しあい、理解しあった彼らは、最後にはそれぞれの道へと戻っていく…」とある。6人のシングルを演じたのは田村正和、名取裕子、梓みちよ、萬田久子、津川雅彦、原田芳雄。

 あまりにも都会的な職業設定や生活環境。個性的な大人たちの恋愛や苦悩。それらは、当時、少年だった自分の心には、ドラマというフィクションではなく、都会のある日常を切り取ったドキュメンタリーのように映っていた。

 このドラマの主題歌「夏に恋する女たち」(作詞・作曲 大貫妙子 編曲 坂本龍一)はおそらく作者の意図もあり、あまりメディアに登場しない。美しい旋律、透明感に溢れた歌声は、あの頃、憧れを抱いていた都会や大人、自立、苦悩といったイメージとして刻まれた心象風景を思い起こしてくれる。

 木枯らしの季節に「夏に恋する女たち」を記したのは、今日が大貫妙子氏の誕生日だから。

2017年11月27日 (月)

市議会の乳児

 11月22日 九州地方の市議会で、女性市議(42)が生後7カ月の長男を抱いて議場に入場したため開会が遅延するなど混乱した。議場には議員・職員以外の入場は禁じられていた。女性市議は「子育て中の女性も活躍できる市議会であってほしかった」と説明した。これについて市議会はルール違反を問題視する一方、子育て世代の議員のための環境整備について議論を進めるとした。

 「一石を投じた」、「働く母親の声を代弁した」と称賛する声もあるようだ。賛否両論ある。

 「独身税」の時と似ている。 http://kasa.air-nifty.com/blog/20170901.html

 子育て支援政策に不満があり、必要とする十分な支援を受けられていないという現実があると推測される。これについては周囲が揶揄すべきではないが、議員の行為は感情的過ぎた。今回のケースでは、託児所不足や施設の使い勝手の良し悪し、諸施設利用に関する制約、民間施設やベビーシッターに依頼した時の費用等々について、客観的なデータとして明示するチャンスだったように思う。幼児を持つ女性議員に有権者から託された使命は「子育て支援策を働きかけ、施設整備を推進すること」だろうから。

 子育て支援は、子育てする親の支援であると同時に、育てられる子どもの支援でもある。議場に連れて来られた幼児が可哀想過ぎる。

2017年11月26日 (日)

かりんとう など

Mugimugi 好きな菓子「ベスト5」(順不同)  かりんとう  たまごボーロ  芋けんぴ  ムギムギ  ジャンボコーン

 かりんとうの歴史は奈良時代に遣唐使によって伝えられたという説や、東南アジア起源説、オランダ人が長崎で製法を伝えたとする説など諸説ある。たまごボーロは16世紀に伝えられ、製造法は江戸時代の書に残されているという(卵は使われていなかった)。芋けんぴは高知県の名物。スーパーで売っている芋けんぴの多くが高知産なのは名物だから。その高知県にある南国製菓という会社がムギムギを販売している。ムギムギとジャンボコーンはどちらも「いずみ製菓」という会社が製造していたが、同社の事業縮小により、ムギムギは南国製菓が商標を受け継いでいる。ジャンボコーンはプライベートブランドなどで多数のメーカーが製造・販売している。お菓子というより駄菓子の部類だが、それぞれに立派な歴史や物語がある。

 5つの菓子には砂糖を使った甘い菓子という共通点がある。似たような菓子を好むようになったのは幼い頃、最も多くの時間を一緒に過ごした祖母の影響だろう。居間の梁(はり)には父か祖父が作った棚がこしらえてあった。そこに四角くて大きな缶が上がっていて、その中に茶菓子が入っていた。親の許可が下りると食卓のイスを持ってきて、その大きな缶を開けた。そこに入っていたのが5つの菓子だった。

2017年11月25日 (土)

新聞を止めて「iDeCo」へ

 新聞は配達されるもので、本は買いに行くものだったが、本は配達されるものになった。やがて、新聞は買いに行くものになるだろう。

 経済紙が11月から月極めの新聞購読料を4,000円に値上げした(朝夕刊は4,900円だが、新潟地区は夕刊対応していない)。駅・コンビニなどでの1部売りは160円から180円になった。新聞購読料という言い方にも違和感がある。雑誌を雑誌購読料とは言わない。雑誌代金、新聞代金でいい。

 値上げは1994年2月以来、23年ぶりと報じられた。およそ1割というのは値上げ幅としてはかなり大きいと思う。値上げの理由として、配達費の上昇、設備投資負担の増加、デジタル化とグローバル化の対応などをあげている。これまでも全国紙よりも10%程度高い価格だったが、今回の値上げで20%程度高い価格になった。ひと月の価格差はおよそ千円。他紙も追随するだろうか。

 発行部数がどのくらいか知らないが、毎日、株価情報を何面もの紙面を割いて刷っている。株価欄に掲載されている会社の社員たちが顧客だからだろう。あんなの「毎日、サイトに掲示します。無料で閲覧できます」でいい。明日からなくせる。新聞「紙」と新聞「配達」の限界は見えている。

 BOOK・OFFとAmazonをよく使う。BOOK・OFFの108円コーナーはお宝コーナーだが、5年以上前のものが多数を占める。Amazonでは2年経過していない本でも1円から100円を切るものが多数ある(別途、配送料が300円程度かかる)。

 週末にAmazonで1円(配送料含みで300円程度)の本を買い、火曜から週末にかけて読む。新聞は必要の都度、あるいは、土曜か日曜にコンビニで1部買いする。土曜の新聞を読めば、記事が仮に続報であっても、最近の出来事は網羅されている。自分のスタイルはほぼこんな形になった。

 毎日、廃棄物を配達してもらうような新聞購読を止め、「 iDeCo (個人型確定拠出年金)」にでも入った方が良い。掛金は毎月5,000円から可能。資金は60歳まで引き出せないが、税制優遇のメリットがある。

2017年11月24日 (金)

雪支度

 今朝は雷鳴が轟いた。雪下ろしの雷だ。「今日から冬」そう告げている。

 11月下旬から12月上旬にかけて、新潟と関東の気温はさほど変わらない。最高気温、最低気温ともに新潟が2度から3度低いだけだ。違うのは冬の準備のために、時間と労力と金銭を費やさなければならないことだろう。この時期、地域によってはもう少し早く、冬支度が始まる。

  昨年の記事  http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/11/post-9d90.html

 雪がほとんど降らない地域に住む人々は、冬支度のために1日とか2日を要することはないのではないか。地方では成人1人に1台の車が当たり前。その台数分のスタッドレスタイヤを準備して交換する必要がある。初雪の天気予報が出ると、ガソリンスタンドやカーディーラー、修理工場などにはタイヤ交換を待つ行列ができる。もうひとつ、庭木や玄関、窓などには冬囲い(雪囲い)することも冬支度。これらにかかる出費や手間は雪国だけにある支出。冬物の衣類や寝具を用意するだけの地域とは違う。「冬支度とは雪支度」だから。

 政府は年金以外の所得が1000万円超の年金受給者について、年金控除を縮小する方向で検討に入ったという。現行は年金控除と給与所得控除の二重適用が可能で「金持ち優遇」になっている。また、高額所得者(年収2500万円超)の基礎控除(一律38万円)の減額も検討する。

 当然の措置だろう。金持ち優遇策はその辺にして、「雪国控除」でも設けたらどうか。年収200万の人(あるいは家計)が冬支度で何万円もの出費を強いられている裏で(表で)、金持ちは株で不就労所得を得ている。

2017年11月23日 (木)

日の出製麺(三条市)

 三条市のラーメン店「日の出製麺」。自家製麺であることを前面に推すための、日の出製麺(興野工場)という名称なんだと思う。製麺工場でなく、日の出ラーメン(興野店)のこと。

 店内は小上がりに4人座卓が4つ。カウンター10席ほど。写真は煮干しラーメン大盛(700円)。大盛は無料。ラーメンを食べると、自家製麺の利点を理解できるようになる。すすらずに麺を噛んでみる。適度にコシがあり、麺に味と香りがある。看板ニューのひとつがつけめんであることにもうなづける。そして、これだけの質と量の燕三条系+煮干しラーメンを700円で提供できるのは自家製麺だからだろう。

 有名ラーメン店、人気ラーメン店の1つのパターンとして、“徒弟制度”に近い店舗運営が行われている例が少なくない。「店内に大将や主人あるいは店長の怒鳴り声が響く店」というのはこのパターンで、提供される料理がどれほど秀逸でも、そういう店には2度と足が向かない。

 店内は効率的に分業されており、どこか洗練されたものを感じて店を出た。居酒屋・焼肉店・ラーメン店などを展開する気鋭の飲食店グループの経営と知り、納得する。三条はラーメン激戦地。徐々に昔からの店を選ばなくなっている。

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 日の出製麺(興野工場) 三条市興野3-20-1 国道289沿い 11時~23時半(昼休憩 15時~17時)

2017年11月22日 (水)

果し合い

Photo 小雪。2015年に映像化された藤沢周平氏原作のドラマ「果し合い」を観た。ドラマは主人公の「部屋住み」という境遇が物語の柱になる。部屋住みとは、江戸時代、下級武士の家で家督を継ぐ者は長男であり、次男以下の男子は婿入りするか、生家に「部屋住み」として生きていくほかなかった。

 「果し合い」  部屋住みの庄司佐之助は厄介者扱いされながら、家の離れで暮らしていた。甥の美也だけは佐之助を「大叔父」と呼び慕っていた。美也に縁談話が持ち上がるが、美也は秘かに信次郎と恋していた。佐之助は美也を内縁の妻で若くして死んだみちの墓参りに連れ出し、その粗末な墓の前で自らの境遇を語る。- 橋川家の一人娘・牧江と祝言間近の頃、果し状を受け取った佐之助は相手を斬るが、自分も足に怪我を負う。不自由な体になったことで縁談は破談となった - 美也は縁談を断ったが、縁談話のこじれが波紋を拡げて行く。佐之助は再び自らの境遇を思い返す - 牧江は佐之助と駆け落ちを望んだ。しかし、牧江の将来を思った佐之助は思いとどまる。一年後、牧江は心の病で死んだと聞かされ、深く悔恨する -  美也の行く末を案じ、佐之助は再び、果し合いに臨む。若い頃、踏み込めなかった自分にケリをつける。(写真はBSフジHPから)

  「切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 踏み込みゆけば あとは極楽」  主人公・庄司佐之助を演じた仲代達矢氏は戦後を代表する名優。「部屋住み」として生きてきた者の最晩年を軽やかさを失わず、むしろそれを前面に押し出して演じている。

2017年11月21日 (火)

勝ち逃げを目論む人たち

Kobeseikou 11月10日 製造品の検査データを改ざんしていた神戸製鋼は、この問題(事件)に関する社内調査の報告書を公表した。その中で、不正の原因としてあげられていた5項目が興味深い。

 1.収益評価に偏った経営と閉鎖的な組織風土  2.バランスを欠いた工場運営  3.不適切行為を招く不十分な品質管理手続き  4.契約に定められた仕様を遵守することに対する意識の低下  5.不十分な組織体制

 更に社長会見では「複数の部門に広範囲の関与者がいた」、「長期間、不適切な行為が継続された」、「社内で公に発覚しなかった」、「(収益が上がっている限り)不適切行為を把握する姿勢が不足した」、「(経営が工場の抱えている問題を解決しないため)“現場が声を上げても仕方がない”という組織風土を生んだ」ことなどが不正事件の土壌にあったと語られた。

 (事件の企業・経営者に限らず)過度な収益重視にまみれた経営者は、あたかも企業が生き残りゲームに晒されているかのように、あらゆる策を使って従業員の尻を叩いてきた。それはある程度までは本当だが、ある程度は嘘だ。それらの「ひとつひとつの場面」、「ひとつひとつの現場」、「ひとつひとつの案件」では、個人の生き残りゲームが行われてきたに過ぎない。それは市場という公の場ではなく、企業内での私的な生き残り競争。つまり、出世競争の姿にほかならない。そのゲームで生き残った経営者・経営層は冷や汗をかいていることだろう。彼らの価値観からすれば、彼らが本当に勝利するのは“ババ抜き”に勝利して、“勝ち逃げ”した時だからだ。

2017年11月20日 (月)

去り際の言葉

Hdazai 太宰(だざい)といえば治だが、もう一人、太宰という名の有名人がいた。“タコ社長”こと太宰久雄氏(1923年-1998年)。太宰氏は1998年(平成10年)の今日、11月20日に死去した。74歳だった。

 映画「男はつらいよ」シリーズの48作品全てに出演し、渥美清(1928年-1996年)が演じる車寅次郎と喜劇的な掛け合いシーンを演じた。そんな彼は、晩年になっても役者でいることに疑問を持ち続けるような繊細な人物で、苦労人、かつ、努力家だったという。

 太宰氏の去り際の言葉がかっこいい。

          「葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のため煩わさるべからず」

 ※この言葉は洋画家・梅原龍三郎氏(1888年-1986年)が遺した言葉であるようです。

2017年11月19日 (日)

ファインモーション

 平野部では初雪になった。「雪の妖精」という美しい名を持つ強い牝馬がいた。自分にとっての最強牝馬はスノーフェアリーだと記した。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/10/post-ba84.html

 最近10年を振り返れば、ウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、ショウナンパンドラ、マリアライト…牡牝混合の古馬GⅠを勝つ牝馬が珍しくない。

 強さの比較はできないが、衝撃度という点で、ヒシアマゾン、エアグルーヴ、ファインモーションの3頭が印象に残っている。

 ヒシアマゾン(父Theatrical)の走りは狂気的に映った。フローレンス・グリフィス・ジョイナー(アメリカ陸上選手 1988年ソウルオリンピック金メダリスト 女子100㍍世界記録保持者)が走る姿に重なった。次元が違った。

 エアグルーヴ(父トニービン)は1997年秋の3戦が忘れられない。天皇賞1着→ジャパンカップ2着→有馬記念3着。天皇賞で並み居る牡馬を退け、ジャパンカップではピルサドスキー(その年のアイルランド・チャンピオンステークスとイギリスのチャンピオンステークスの覇者)の2着だった。世界に肉薄した。

 ファインモーション(父Danehill)は外国産馬。馬名に偽りのない、躍動感溢れるフォームが印象的だった。兄が前述のピルサドスキーで、繁殖用として購入されたデインヒル産駒の輸入牝馬だった。しかし、引退後のファインモーションは受胎不可能な体質であることが判明し、当初の購買目的を果たすことはできなかった。 

 今日はGⅠマイルチャンピオンシップ。ファインモーションは2003年が2番人気で2着、引退レースとなった2004年が2番人気で9着。勝った馬は両年ともに日本競馬の5指に入る名マイラー・デュランダル(父サンデーサイレンス)だった。デュランダルとファインモーションの配合馬を見たかった。

  人知を超えた領域がある  人生に必要な知恵はすべて競馬場で学んだ

2017年11月18日 (土)

サムライのような仕事

 先週、12日のエリザベス女王杯を昨年に続いて連覇したミルコ・デムーロ騎手について少し。外国人騎手でありながらJRAの難関試験を突破し、日本を主戦場として活躍するデムーロ騎手は今年5月のオークスから、騎乗したGⅠレース9戦全て3着以内の結果を残している。今年はGⅠレースを5勝。JRAの年間GI最多勝利まであと1勝に迫っている。

 エリザベス女王杯をモズカッチャン(父ハービンジャー)で勝利したことには称賛すべき意味と理由がある。勝利の意味は、開業18年目の鮫島調教師、馬主、目黒牧場、それぞれにとって初めてのGⅠ勝利になったこと。そして、称賛されるべき理由は、社台グループ以外の馬で勝利したこと(菊花賞のキセキもそうだった)。

 日本の競馬界、特にGⅠレースが“社台グループの運動会”と揶揄されるのも仕方ない現状がある。今年はオークス馬が秋華賞に、ダービー馬が菊花賞に、それぞれ出走しなかった。バブル後の競馬低迷期に肥大化した社台グループの弊害と言っては言い過ぎかも知れないが、イビツな一面ではある。

 話が逸脱した。デムーロ騎手は同グループの馬に騎乗することもできたが、彼はモズカッチャンという馬の力を信じた。彼は陽気で心優しいイタリア人のイメージがあるが、特に大レースに強い仕事ぶりは職人気質でもある。血統や生産牧場、馬主ではなく、馬の力と騎乗技術でレースを支配するのが競馬本来の姿。閉塞した競馬界を斬り裂く剣のような騎乗で、年間GI最多勝利記録を更新するだろう。但し、その時の騎乗馬は社台の馬かもしれないが。

2017年11月17日 (金)

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2017年11月16日 (木)

アトリエ ル・クール(村上市)

 鶴岡からの帰路、久しぶりに「アトリエ ル・クール」(村上市)に寄った。1年7ヶ月ぶりだった。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/10/post-c72a.html

 新潟県最北の都市・村上は歴史ある町で広大な面積を有するものの、人口規模は小さく、田舎町であることを否定できない。そんな小都市の休日、夕方。「アトリエ ル・クール」の店舗には来店客が絶えず、4段のショーケースに並んだケーキの数は、みるみるうちに少なくなっていった。

 多くのスイーツは、フォークやスプーンを挿し入れた瞬間から間もなく、感動は頂点に達し、その余韻に浸りながら徐々に甘美な喜びは低減していく。一方、ル・クールの特徴は、色彩豊かなキャンバス画のような美しさ、重厚で多層的な甘さ、抜かりのない演出、これらの要素によって最後のひと口まで感動が続く。

 新潟でスイーツ好きを自認するなら、ここのケーキを食べずに新潟スイーツを語る資格はない。

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 アトリエ ル・クール 村上市山居町1-3-16-1 ℡0254-52-5529 定休日:月曜 営業時間:10時~19時

2017年11月15日 (水)

死者に宛てた恋文

 玄関の戸を開けると、それが開くのを待っていたかのように、落ち葉がヒュッと舞って吹き込んで来る。季節は晩秋から初冬への移り変わっている。

 鶴岡旅行は1泊2日でしかなかったのに、もう10日も藤沢周平氏に関するあれこれを記している。久しぶりに鶴岡へ出掛けたのは、「文豪ファミリア」というテレビ番組をみたことがきっかけだった。番組は藤沢周平氏の家庭を一人娘の視点からドラマ風に仕立てたもの。その中で、藤沢氏が最初の妻を亡くした頃、知人に宛てた手紙の一部が朗読された。

 “人生には思いもかけないことがあるものです。予想も出来ないところから不意を突かれ、徹頭徹尾叩かれて、負けて、まだ茫然とそのあとを眺めているところです。西方浄土までは、十万億度の長い道を歩いていくのだそうです。方向音痴で、何かにつけて僕に聞かないと、自分で判断できなかったあれ(妻)に、そんな長い旅ができるのだろうか。そんな馬鹿げた考えひとつにも、いまだに心がきりきり痛むのです。僕も、何一つ知ることが出来ないあの世という別世界に、一人でやるのが可哀そうで、一緒に行ってやるべきかということを真剣に考えました。子供がいなかったら、多分僕はそうしたでしょう。それが、少しも無理ではなく、たやすいように思われたほど、あれが亡くなる前後、僕は死というものの、すぐ傍まで行き、頻(しき)りに向こうの世界を覗いていたような気がします”

 この手紙は他者(知人)に宛てたものでありながら、まるで恋文のようだ。それは「Love letter」 と訳される恋文ではなく、死者に宛てた“恋しい手紙”だ。

2017年11月14日 (火)

加茂水族館(鶴岡市)

 初めて訪れた加茂水族館は、別名“クラゲ水族館”。クラゲの展示種類は日本一・世界一の50種類を誇る。クラゲの餌やり、アシカショー、ウミネコの餌付けなど体験型の催しがあり、「クラゲラーメン」や「クラゲアイス」の人気があると後から知った。

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 円形水槽「クラゲ・プラネット」を浮遊するクラゲは、そのネーミングのとおり宇宙空間を浮遊しているかのようだった。その姿を眺めていると、クラゲは原始的な生物ではなく、生物が行き着く先、究極の姿のように思えた。

 鶴岡市立加茂水族館 鶴岡市今泉字大久保657-1

2017年11月13日 (月)

横綱柏戸記念館(鶴岡市)

 現在、大相撲には4人の横綱がいる。白鵬(69代)、日馬富士(70代)、鶴竜(71代)、稀勢の里(72代)。史上最多優勝回数記録を更新し続ける白鵬は歴史的な大横綱。後年、「白鵬のライバルは誰だったか」と問われた時、答えに窮するのではないだろうか。白鵬に更新されるまで最多優勝記録(32回)を保持していた大鵬(48代)のライバルが柏戸(47代)だった。2人は同時に横綱に昇進(1961年)し、柏戸は1969年7月場所、大鵬は1971年5月場所を最後に引退した。日本の高度経済成長期という時代を背景に「柏鵬時代」を築いた。

 横綱柏戸記念館は1度訪問したかった場所。理由は下記ブログのとおり。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/04/post-01aa.html 

 記念館は幕内優勝5回、山形県県民栄誉賞、鶴岡市名誉市民等、数々の賞を受賞し、大鵬と共に一時代を築いた名横綱の名に恥じない、立派な施設。郷土が生んだ英雄に対する、故郷の人々の手厚いもてなしの心が感じられる。

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 写真左:柏戸の銅像  中:江戸川区にあった旧鏡山部屋の稽古土俵と上り座敷が移築されている  右:大相撲第47代横綱に推挙

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 写真左:優勝杯・優勝額など  中:柏鵬時代を築いた2人。互いの断髪式で互いにハサミを入れた  右:再び、柏戸の銅像(背面から)。お気に入りの写真。

 柏戸にとって重要な昭和38年9月場所(唯一の全勝優勝)の優勝額が、新潟県見附市の総合体育館に掲示されている理由はわからなかった。しかし、それはいつか解明されるだろう。少年時代から眺めていた優勝額が縁で、この記念館に辿り着いた。

 横綱柏戸記念館 山形県鶴岡市三千刈字清和158-1 櫛引スポーツセンターに隣接

2017年11月12日 (日)

湯殿山神社(鶴岡市)

 湯殿山は山岳信仰の霊山。修験者・山伏の霊場。出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)のひとつで、それぞれの山に羽黒神社、月山神社、湯殿山神社が置かれている。冬季閉山となる直前、湯殿山・湯殿山神社へ。

 「語るなかれ、聞くなかれ」 湯殿山神社で見たものは口外してはならず、尋ねてはならないとする戒め。

 湯殿山神社では心身ともに洗われる思いをした。人生において、1度は参拝すべき神社。 

 (出羽三山神社HPから引用)  出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で明治時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の山であった。明治以降、神山となり、羽黒山は伊氏波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたのみこと)、月山は月読命(つきよみのみこと)、湯殿山は大山祗命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神を祀るが、開山以来、羽黒派古修験道は継承され、出羽三山に寄せる信仰は今も変わらない。 

 湯殿山神社への参拝については詳細に説明されているブログなどが多数あり、参考に閲覧した方が良い。留意点等を簡単に記す。

 1.冬季閉山  1年のうち、湯殿山有料道路の開通期間である晩春から初冬の半年程度しか参拝できない

 2.参拝バス  駐車場から神社本宮入口までは参拝バスに乗車するのが一般的であるものの、体力、天候、時間などに支障がなければ、断然、徒歩での参拝を勧める。道は急勾配な部分もあるが、舗装路であり15分から20分程度(上り)で本宮入口に到着できる。なお、本宮入口から参拝所まで石段を5分程度歩く必要がある。

 3.準備  素足での参拝となるため、特に女性は前もって準備した方が良い。タオルを持参すれば尚、良い。「撮影厳禁」は厳守したい。

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 写真 左:大鳥居  中:神社案内板  右:本宮入口(ここから先は撮影禁止)

 繰り返す。心身ともに洗われる思いをした。人生において、1度は参拝すべき神社。

 湯殿山神社 鶴岡市田麦俣字六十里山7番地

2017年11月11日 (土)

春秋山伏記の宿場町

 湯殿山は山岳信仰の修験者や山伏の霊山。湯殿山神社を参拝するため、六十里越街道(国道112号旧道)を進んでいると、田麦俣集落で立派な藁葺きの民家を見つけた。それは「旧遠藤家住宅」田麦俣多層民家と呼ばれる、文化的価値の高い建築形式を持つ建物だった。

 田麦俣集落は街道の入口にあった旧朝日村から3里の場所にあり、湯殿山まで3里の位置にある。街道は古くから神社への参拝道として、集落はその宿場町として栄えたようだ。

 期せずして、この場所で「藤沢周平 その作品とゆかりの地」の案内板に出会った。六十里越街道は「春秋山伏記」の舞台になった。

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 鶴岡市は「藤沢周平 その作品とゆかりの地」という案内板を25カ所に設置している(2017.11.1現在)。小説では地名や寺社仏閣の名前は実在の名称で登場することもあれば、名前を変えて描かれる場合もある。

 旧遠藤家住宅(多層民家) 山形県鶴岡市田麦俣七ツ滝139 国道112号(月山花笠ライン)から旧道(六十里越街道)へ

2017年11月10日 (金)

藤沢周平記念館

 ここを訪れたのは5回目。企画展は「藤沢周平没後20年特別企画展 藤沢作品の世界」。12月1日からは「藤沢周平生誕90年特別企画展 『半生の記』をたどる」。

 記念館を出ると、致道館の向こう側に、異様な建物が出現していた。数年前から工事していたものが完成したようだ。鶴岡市文化会館「タクト鶴岡」。

 このような“箱物”は、どのくらい受益者がいるものなんだろう。よそ者がアレコレ言う立場にないが、五間川(内川)のほとりに漂っていた素朴な美しさは失われたように思う。

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 写真 左:記念館エントランス  中:全景  右:鶴ヶ岡城址公園荘内神社参道から、およそ1㌔の美しい直線路

 藤沢周平記念館 鶴岡市馬場町4番6号 鶴ヶ岡城址公園(鶴岡公園)

2017年11月 9日 (木)

藤沢周平 生誕地記念碑

 ここを訪れたのは2度目。前回は10年以上前、真夏の夕方だった。

 高坂集落の東側には山形自動車道が通り、のどかな田園風景ではないものの、金峰山、青龍寺川、金峯(きんぼう)神社、黄金小学校などの風景は藤沢周平こと小菅留治氏が見ていた風景と変わらないはず。

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 訪れたのは祝日の朝だった。草刈り機を持って石碑の周囲を除草する男性の姿があった。駐車場がある訳でもないので、付近の路上に駐車する。記念碑の脇には藤沢氏の略歴が刻まれた碑がある。木製のベンチが置かれ、奥には柿の木と梅の木が立っている。銘板に刻まれた建立者名には「高坂住民会」の文字がある。訪れた我々は石碑の維持管理のため、また、集落を騒がせた詫び銭を拠出すべきだと思うのだが…。

 藤沢周平 生誕の地記念碑 鶴岡市高坂 (集落を通る県道349号を北に3㌔進むと記念館がある鶴ヶ岡城址公園にぶつかる)

2017年11月 8日 (水)

藤沢周平記念碑

 先日(10月25日)、NHKで藤沢周平氏を家庭・家族の視点からドラマ風に仕立てた番組(文豪ファミリア)が放送された。数日後、藤沢氏が俳諧師・小林一茶の半生を描いた「一茶」を原作とした映画「一茶」が、制作プロダクションのゴタゴタで今年の公開は難しそうだと報じられた。没後20年経っても、まだまだ忙しい。

 藤沢氏と小説への想いは、蝋燭の灯のように胸の奥にある。“海坂藩”鶴岡へ出掛けてきた。この地を訪れるのは片手では足りなくなったが、湯田川温泉にある記念碑へは初めて訪れた。氏の数少ない石碑のひとつ。

 (鶴岡市観光連盟HPから) 「藤沢周平は、山形師範学校を卒業後、教師になり湯田川中学校に赴任しました。背広を持たない彼は、詰め襟の学生服で生家から自転車で通っていたといいます。しかし順風満帆と思われた教員生活2年目の終わりの春、肺結核が見つかり休職することに。これが作家・藤沢周平誕生のきっかけになったのです。当時の湯田川中学校は小学校と同居していましたが、現在移転しており小学校だけが残っています。中学時代の教え子が中心となり、この湯田川小学校に記念碑を建立しました」

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  赴任してはじめて私はいつも日が暮れる丘のむこうにある村を見たのである     「半生の記」より

  花合歓や 畔を溢るゝ 雨後の水     藤沢周平

    昭和二十六、二十七年度  湯田川中学校卒業生一同  平成八年九月吉日

 この記念碑の除幕式が行われた1996年9月15日からおよそ4ヶ月後、藤沢氏は逝去した。それから17年後、2014年3月22日に湯田川小学校は閉校し、碑の隣には閉校記念碑が並んで置かれることになった。他にも学童疎開記念の碑、湯田川小学校校歌の碑、湯田川小学校創立百周年記念碑、小学校の校門が遺されている。

 これまでこの碑を訪れなかったのは、同じく藤沢小説を愛する先輩と、「いつか湯田川に宿泊し、翌日は内川(五間川)沿いを歩き、筬橋(おさばし)、三雪橋、龍覚寺(龍興寺)、般若寺を巡ろう」などと酒を酌み交わしていたからだった。

 鶴岡市立湯田川小学校跡地 鶴岡市大字湯田川字万年入149

2017年11月 7日 (火)

冬の日

Fuyunohi 立冬。2015年に映像化された藤沢周平氏原作のドラマ「果し合い」、「遅いしあわせ」、「冬の日」を観た。当時の再々放送か再々々放送のようだ。「冬の日」は50分に満たないドラマだが、短編小説の読後感が残る。

 「冬の日」  冬の冷え切った江戸の町で古手物屋(古着・古道具屋)の清次郎は家への帰り道、寒さ凌ぎに入った飲み屋で美しい女に酌をしてもらう。女は幼い頃に世話になった履物問屋の一人娘おいしだった。清次郎は幼なじみのおいしとの再会を亡き母の仏前に報告し、少年だった日々、体を張っておいしを守ってやったことを思い出す。おいしは家の商いが傾き、一家は離散。離婚や身売りの辛苦を重ね、今は酌婦の身で、やくざ者と暮らしていた。一方の清次郎も奉公する呉服問屋が借金の返済に窮し、取立屋への傷害で牢屋へ入る。脇目も振らず行商に精励し、ようやく小さな店を始めたばかりだった。そして、再び、男からおいしを救い出す巡り合わせになる。傷ある男女が、寄り添って人生をやり直そうとする。

 藤沢周平没後20年。短編集「橋ものがたり」から、「小さな橋で」、「吹く風は秋」、「小ぬか雨」が映像化され、「三屋清左衛門残日録」の続編も制作される。いずれも有料のCSでの放送だが、そう急ぐ必要もない。先々の楽しみにしておけばいい。藤沢氏の小説は色褪せない。それを原作とする映像作品も普遍性を宿す。役者が本(原作・脚本)を重要視する意味がわかる。(写真はBSフジHPから)

2017年11月 6日 (月)

藤沢周平辞典

Img_20171024_131820 藤沢周平氏没後20年。没後10年の年に刊行された「藤沢周平辞典」(勉誠出版。以下、辞典)を買い求めた。この書物の存在は知っていても、多数ある氏の作品以外の本を買うのは気恥ずかしい思いがあった。新刊で4千円以上することも購入をためらう理由だったが、インターネットで程度の良い古本を見つけたので購入した。およそ千円だった。

 帯には「藤沢周平のすべてを知る大事典。275の代表作に、関連人物、雑誌、キーワードなど57の一般項目を加えて解説。ブックガイドとしても最適な、ファン・研究者必携の一冊。日本人に愛され続ける時代小説の大家を知りつくす」とある。辞典というだけあって、69人の執筆者による、500ページに上る大作。内容は、「第一部 作品篇」、「第二部 一般項目篇」、「第三部 付録 書誌・年譜」という構成になっている。

 辞典だから50音順はあたりまえなのだが、読者は辞典のように引くのだろうか。自分なら作品や作風のつながり、氏の人生における出来事と作品の関係性を推し量る上でも、年代順の方が楽しめたかもしれない。誤植も目についた。

 昭和30年代後半から40年代の高度成長期に、彼は乳飲み子を残して亡くなった妻に代わって、幼い娘を育てた。右肺と肋骨5本のない体で、彼が懸命に支えていたのは、何の贅沢もない、ささやかな暮らしだった。当時のサラリーマンが個人の生活事情を優先できたはずがない。彼が懸賞小説や公募小説に応募し続けたのは、そんな“苦界”の中で、光を、救済を、自分が何者であるかという誇りを求める姿だったように思う。藤沢氏の人生こそが、市井(しせい)の人々の日常に平然と存在する機微や哀歓に満ちていたことを知る。

 没後10年経過した時期に刊行されたものであるため、親族や関係者が藤沢氏の死後に記した本についても記載されている。さらにその後10年が経過しても、いわば“藤沢本”の出版はやむことがない。加えて映像化された作品も相当数に上っており、今なお絶えることがない。藤沢氏は死して尚、歴史を刻んでいる。

2017年11月 5日 (日)

足し算ばかりで引き算のない社会

 日本を代表する企業の不正が後を絶たない。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/10/post-3.html

 神戸製鋼の製品データ改ざん、日産自動車、スバルの無資格者による完成車検査、商工中金の不正取扱…。

 報道のヘッドライン ①製造業、相次ぐルール軽視 揺らぐ「日本品質」(時事通信) ②名門メーカーの相次ぐ不祥事 揺らぐ日本のものづくり 海外から厳しい目(産経新聞) ③相次ぐ不祥事でつまずいた日本の自動車産業 黄金時代の復活狙う(AFP通信) ④過大なノルマで不正まみれに 商工中金、根深い隠蔽体質(朝日新聞)など

 典型的な天の邪鬼なので、一方的な報道や見解には肩入れしたくない気持ちが湧いてくる。

 報じられている不正にも種類がある。主に自動車業界で起こっている無資格者の完成検査について、法令で決められていることをやっていなかったことは確かに法令違反なのだが。例えば、技術水準の高い作業者がある工程を担当し、その工程ではチェック体制が確立されているとする。その場合、完成品の検査にはどんな意味があるんだろう。もう1度、全工程か重要工程を再検査するのだろうか。それはあり得ない。検査するために、完成品を解体・分解しなければならなくなる。

 法令違反とされた規制を緩和したらどうだろう。不正は一瞬で適正に変わる。我々の世の中は、足し算ばかりで、引き算のない社会。会社も同じ。そこにはイビツな形式主義が根強く残っている。そこでの価値基準は「足し算は前向きで、引き算は後ろ向き」。「足し算は出世コースで、引き算は窓際の仕事」。

 引き算の重要性に気づき、思考できる人は経験を持った、主に現場を知っている人に多い。その存在は貴重だ。しかし、引き算の重要性に気づきながらも、それを放置している人の数は前者の100倍多い。足し算を説明するのに理由は不要だが、引き算の説明には詳細な理由が必要だ。無くすための稟議は増やすための100倍、労力がかかる。

2017年11月 4日 (土)

馬場正平の足跡

20171028 昨年、三条市は同市出身でプロレスラーとして活躍したジャイアント馬場(馬場正平 1938年-1999年)氏を三条市の名誉市民とした。一週間前の土曜日、名誉市民顕彰記念事業として、馬場氏の生前に親交があった徳光和夫氏(元・日本テレビアナウンサー)の講演会が三条市で開催された。徳光氏は馬場氏が所属・主宰した全日本プロレスのテレビ中継で実況アナウンサーを務めていた。

  顕彰記念事業の会場になった三条厚生福祉会館体育館は、馬場氏がプロレス興行で何度も試合をした聖地でもある。講演会のほか、馬場氏の生前を偲ばせる写真パネル、ゆかりの品、等身大フィギュアなどが展示され、多くの市民が訪れていた。わずか数日間の展示では惜しいものばかり。

 馬場氏は三条実業高校時代の1955年、巨人軍に誘われ、高校を中退してジャイアンツに入団した。徳光氏が講演の中で語ったように、ジャイアンツは馬場氏を戦力としても期待していたが、高身長という特徴を持ったマスコット的な意味合いも獲得理由のひとつだったという。その通りだと思う。プロ野球選手として大成しなかったが、二軍で計3度の最優秀投手賞を受賞しており、仮に巨人軍でなく他球団であったなら、出場機会に恵まれたかもしれない。その後、ケガなどもあってプロレスラーに転じた馬場氏は「ジャイアント馬場」として日本のプロレス界を牽引した。次世代のプロレスラーを多数育て、晩年はテレビのクイズ番組などでも親しまれたが、61歳という若さで亡くなった。

 写真は名誉市民顕彰記念のポスター。それにしても「いい顔・いい表情・いい男」だ。何の解説も説明もいらない。彼がどんな人間だったかは、この写真と16文の足あとを示すプレートがあればいい。足跡(あしあと)が足跡(そくせき)になるのは、彼以外に一人としていない。葉巻を愛し、読書家で、油絵を描いた。彼は闘うことを生業にしたが、「品位ある人間性」が人々を惹きつける必殺技だったのではないか。

2017年11月 3日 (金)

ベトナム料理 サイゴン(長岡市)

 四郎丸の福島江沿いに、最近オープンしたベトナム料理の店「サイゴン」。長岡にはいくつかタイ料理店はあるが、ベトナム料理は初めて。立地は長岡駅から徒歩5分程度。駐車場は6台分あり、グループ利用でも問題ない。店内は4人テーブルが4つ、2人テーブルが1つ、カウンターが6席。店員の日本語はカタコト。基本的なコミニュケーションはとれる

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 料理は日本人向けにアレンジされている。ベトナム料理の代名詞である「フォー」もパクチーが入っていなかった。全般的に優しい味で、クセがなく、アジア系の香り・匂いもしない。辛さを求める人向けに、辛味調味料、香辛料が備え付けてある。米麺料理を中心とした料理の種類はさほど多くない。写真は「ブン・ホー・フェ」(古都フェ牛肉米麺…ベトナムの古都・フェ風の牛肉米麺。わずかに辛い)ランチ1,080円(税込)。ラーメンを食べに行くつもりで鶏肉か牛肉のフォーを食べに行くと、新しい発見になる。料理の話ではないが、ベトナムコーヒーやベトナムビールなども見当たらず、本格的ベトナム料理店というよりも、カジュアルなベトナム料理入門店という趣。ランチ1,080円、夕食に出掛けても2,000円を超えることはないだろう。逆に言えば、これで十分満足できる店。地方都市でパクチー満載のベトナム料理を売りにしても客足は伸びない。このような店の方がよほど親切。開店して間もないが、末長く営業して欲しい店。

  ベトナム料理レストラン サイゴン 長岡市四郎丸4-11-3 11時~21時(昼休憩 14時半~17時) 定休日:月曜

20171207【12/7 追記】メニューにベトナムビール(333ビール、ハノイビール)やベトナムサラダなどが加えられた。ランチのサイドメニューは定番の揚げ春巻き・生春巻きも良いが、ミニチャーハンが激旨。写真「フー・ティウ・ナム・バン(南部米麺…わずかにパクチーが入っている)とミニチャーハン」 ランチ1,080円(税込)

2017年11月 2日 (木)

政権は末期

Img_20171024_142749 昨日、衆参本会議で首相指名選挙が行われ、安倍首相が第98代首相に選出された。累計在任日数はすでに2,100日を超えており、在任期間の記録更新が現実的になものになってきた。自民党は党総裁の任期を「連続3期9年」に改定した。来年9月に連続2期目の任期が満了する安倍氏が3期目も選出された場合、総裁任期は2021年9月までとなる。「東京オリンピックは安倍首相」が有り得る。

 しかし、このことは同時に政権が末期にさしかかったことを示している。政権末期というのは怖い。民間企業でも、実権者が退任する場合、影響力を残そうとするものだ。これまで手がつかなかった諸案件を叩き込む傾向もある。これは経験則だ。こういう状況下で悪しき慣例が作られる。末期の諸施策には注意がいる。

 早速、国会で野党の質問時間を削ろうとする動きがある。自民党若手議員が国会での質問時間について「議員数に応じた配分とするよう」申し入れた。議員の一人は所属する予算委員会で1年間、1度も質問の機会が回ってこなかったと訴えた。

 質問時間の配分が「野党偏重」になるのは当たり前だ。政府案とは自民党案のことだろう。党内で質問の機会を得ればいい。申し入れを行った若手議員らにとって、今回の要望は国会質問よりも活躍の場だっただろう。野党は今国会でも森友・加計問題を追求するとしている。それら野党側の質問を、回避または縮小する手段として、野党の質問時間を削ることは有効な防衛策になる。若手議員から「時間配分の見直し」が国対委員長に要望される → 国対委員会(これは非公開)等で協議した後、党総裁=首相に報告 → 総裁は幹事長代行に配分見直しに取り組むよう指示。これは要望などではなく、“シナリオ”だ。

 やはり、政権は末期にさしかかっている。これ以上ないというタイミングでルールの変更が行われる。そのことは質問時間の見直しだけでなく、自民党総裁の任期を「連続3期9年」に改定し、現在の総裁(つまり自分)から適用していることだけでもわかる。ルールどおりにやっていると言う。自分が作ったルールをルールとは言わない。それは都合でしかない。悪しき慣例は、権力者が権力の世を謳歌するために作られる。

2017年11月 1日 (水)

亀井静香氏の引退

 亀井静香氏は衆議院選挙への立候補を取りやめ、政界を引退した。今日、11月1日は亀井氏81歳の誕生日。

 警察官僚から国会議員に転じた亀井氏は、2009年9月 鳩山内閣で内閣府特命金融担当大臣に就任した。また、批判の多かった郵政事業の抜本的な見直しを行う郵政改革担当を兼務した。郵政事業に限らず小泉構造改革による社会構造の変化は、紛れもなく格差社会の端緒となった。“改革のツケ”の多くが社会的弱者や低所得者、非正規労働者、そして地方に転嫁された。自殺者数と企業倒産は史上最多を記録していた。

 その頃、金融機関はバブル期に自らが招いた不良債権処理に奔走し、自行の自己資本比率を上げるため、融資額を圧縮する“貸し渋り・貸し剥がし”が社会問題になっていた。2009年11月に成立・12月に施行された中小企業金融円滑化法は“亀井法”と呼ばれ、中小企業に対する金融円滑化対策の中核になった。改革の揺り戻しとしての波があることは当然だし、少なからずその必要性もあった。自分はこの円滑化法が政策的にも優れていると思ったが、多少の違和感を持ったのは、共産党や社民党が推し進める政策のようだったからだ。

 この時、金融機関の現場は冷ややかな反応だった。自分がこの政策や法律が「まともなもの」と考え始めた理由は、円滑化法や亀井氏について、信頼できない上司らが、敵視し、蔑視する発言を繰り返していたからだった。そして、亀井氏と亀井氏がやろうとしていることが間違っていないと判断した理由は、亀井氏が「官僚や企業官僚に煙たがれる存在だった」からだ。

 この円滑化法への対応を迫られた金融機関は、例え外面だけであったとしても顧客志向に経営の舵を切る(切らざるを得ない)転機になった。これ以降、「金融機関は融資先のコンサルタントとしての役割を果たしているか」が様々な数字によって求められるようになった(金融庁監査や当局への報告等)。経済環境の変化もあり、一概には言えないが、自殺者・企業倒産・企業負債総額はそれぞれ減少した。それら統計値改善の一翼を円滑化法が担ったことは紛れもない事実だろう。

 亀井氏は2005年に小泉内閣が推進する郵政民営化法案に反対し、自民党を離党(除名)した。同年の衆院選では自民党からの“刺客”と戦った選挙を含め、13期38年の間、彼を支援し、選出した広島6区の選挙民にも敬意を感じる。

 彼はこれまで“絶滅危惧種”のような政治家だった。

 彼が政界を去ったことで、絶滅危惧種は絶滅した。

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