柔道のこと
~ お盆の夜に ① ~
昨日、家計が支出する塾や習い事などにかかる費用「学校外教育費」について触れた。自分が受けた学校外教育は2つ。ひとつは公文式学習塾。ひとつは柔道だった。柔道は小学校3年生から始めた。内気な性格を心配した父親が考えた“子育て策”だった。「スポーツ少年団」の柔道教室は夜間に警察署の柔道場で開かれていた。警察署は自宅から徒歩1分のところにあった。週に2回、月曜と木曜の夜に通った。警察署は間もなく自転車で10分ほどの場所に移転したが、通うのは苦にはならなかった。練習時間は19時半から21時半くらい。練習が終わると、仲間と自販機で買ったジュースを飲んで帰るのが恒例だった。家からも学校からも解放された時間だった。
成長期と重なったこともあるが、それまで比較的ヒョロっとした体型から、肩幅の広いがっちりした体型に変わったのは柔道のおかげだ。いつも服は肩に合わせて買っていた。今でもスーツを新調する際、「スポーツをやってましたか?」と聞かれる。一方、性格は「三つ子の魂百まで」のことわざのとおり、ほとんど変わらない(と思う)。それでも柔道という武道を経験し、学校以外での仲間を得たことは、自分の少年時代を大きく軌道修正してくれた。きっかけを作ってくれた親に感謝している。
しかし、柔道からは小学生限りで離れることになった。今でもそのことを後悔することがある。親が促してくれた道を部活で続けていれば、と。半ばボランティアのように熱心に指導してくれた先生が、この春に亡くなった。あれから、ただの1度も感謝の気持ちを伝えることができなかった。
少年時代、日かげから日なたへ連れ出してくれたのは柔道だった。
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