夏休みの扉
7月24日は夏休みの前日と相場が決まっていた。日曜にかからなければ、1学期の最終日だった。何か楽しい予定が待っているわけでもなく、単純にひと月以上も学校に行かなくてもいい。それだけで胸が高鳴った。体育館で終業式を終えると、教室で通知表が渡された。通知表はあまり気にしたことはなかった。父に叱られることがあっても、長々と叱る父ではなかった。
24、25、26は町で夏祭りが開かれる日でもあった。短いメインストリートだったが、あの頃は歩いて前に進めないほどの人で溢れた。そこから南に延びる道には50軒ほどの屋台が出店した。1年にただ1度の風景だった。綿アメに憧れていた時期があり、綿アメを買ってもらったこともあった。綿アメの虚しさを知ると、それを欲することはなくなった。クジ引きをして、末等が当たる(外れる?)ことを知ると、クジ引きはバラらしく思えた。金魚すくいの金魚は、夏休みが終わる頃には濁った水槽に浮いてしまった。色とりどりのひよこは無事に育っても、農家にもらわれていくものだった。夏まつりは夏休みの入り口にある扉だった。
【写真】 上 今年は4日間に拡大されている。曜日の関係もあるだろうが…。都合を優先させていると、魅力や求心力はなくなる。世の中の流れに合わせ、2日間でもいいと思うのだが。 下 新町諏訪神社といちょう 昔はうっそうと木々が生い茂り、木陰で涼しい境内の印象だった。現在は死角になるような神社や公園は好まれない。放課後の子どもたちが遊ぶ境内から、老人たちが集まる境内になった。
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