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2017年6月

2017年6月30日 (金)

面舵(おもかじ)

 湿度が高く、梅雨らしい雨の日になった。

 6月のブログはマスコミ・メディア批判が多かった。潜在的な面もあり、意識していた面もある。世界情勢(日本を含む)はかなり激動の月だったと思う。

 昨年の秋、アメリカでは選挙前の予想を覆し、自国第一主義のトランプ大統領が誕生した。年が明け、3月のオランダ下院選挙は与党・自由民主党が勝利したが、相手は極右政党と言われている自由党だった。フランス大統領選挙では中道派のマクロン氏が勝利したが、極右政党・国民戦線のルペン氏が決戦投票に駒を進めた。

 そして今月6月。中東のサウジアラビア、バーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)、エジプトの4カ国が、カタールとの国交を断絶すると発表した。カタールがテロリズムを支援していることが要因だという。EU離脱“Brexit”決定後、1年が経過したイギリスの総選挙は、与党・保守党の議席は過半数を割り、野党・労働党が議席を伸ばした。フランス国民議会下院選挙は、マクロン大統領の中道新党・共和国前進が単独過半数を獲得して躍進した。長年、フランス政界を牽引してきた左右2大政党は大幅に議席を減らし、フランスの政治地図が塗り替わる選挙になった。6月15日、日本では共謀罪法が強行採決により成立した。今秋にはドイツで総選挙が行われる。 

 メディアは、中東の緊張や欧州主要国における極右政党やポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭を、懸念を持って伝えているように思う。しかし、日本には平和憲法に自衛隊という軍を持つことを明記しようとする首相がいる。最も右傾化が懸念されるのはどこの国だろう。

 信念に基づき、諸施策を合法的に進め、世論の支持を得て、リーダーシップを発揮する。一見、何の間違いもないように感じてしまう。すべての独裁は、同じようにして行われてきた。「自民党憲法改正本部は首相の指示を受け、年内に改憲原案を取りまとめる方針」、「憲法9条を改正して2020年の施行を目指す意向」、「改憲の国民投票と衆院解散・総選挙の同時実施も視野に置いている」、「憲法施行70年の節目に先頭に立って歴史的一歩を踏み出す決意」。同じタイミングで「教育無償化」をチラつかせている。遠い昔からある“アメとムチ”だ。

 面舵いっぱい。すでに暴走の域に達していることを、同じ船に乗っている人は気づかないのだろう。

2017年6月29日 (木)

適度な距離

 仕事の関係上、やむを得ず日本経済新聞を購読していた。同紙は日本経済の情報紙。つまり、「大手企業や上場企業の情報紙」といえる。そういう種類の新聞だから仕方がないのだが、いわゆる提灯記事やバーター記事をよく目にした。ある企業について、経済面で批判的な論調の記事があると、別の面、あるいは数日後に当該企業の宣伝記事が載ったりする。極端な場合には、別面に全面広告があったりする。要するに「持ちつ持たれつの新聞」なのだ。

 日経だけが異なる論陣を張ったということは、25年間記憶がない。唯一あったが、それは自社のスキャンダルに対する反論キャンペーンだった。丹念な取材に拠る骨太な記事や健全な批評は影をひそめ、大企業のニュースリリースに拠る伝聞記事に辟易していた。“経済寄り”の記者は、ジャーナリストというよりもアナリストが書いたような記事になる。政治面も権力・政権側。よく記者クラブ制度の弊害と批判されるが、記者クラブ制やニュースリリースが無くなったら、新聞はどうなるんだろう。白紙になるのか、ページを半分にするか、広告を増やすか。やはり、“大手・上場企業の情報紙”と考えれば納得がいく。但し、そうであれば、購読料は今の半分でいい。

 週刊の経済誌というのがある。ここでも売上1位は、日経ビジネス(日経BP社)。2位が週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド社)、3位が週刊東洋経済(東洋経済新報社)のようだ。この順位も企業との癒着度順と考えられないこともない。3位の週刊東洋経済は、発行を続けている週刊誌では日本最古の歴史ある週刊誌。このあたりは「ウィキペディア」の受け売りなのだが、「他の経済誌のように財界経営者寄りに偏ることはなく、大衆の立場から書かれることも比較的多いため、格差社会や労働法制の規制緩和に対しては、批判的な記事も多い」。これには納得できる。また、「四季報の発刊企業であるため、投資家目線での企業情報が充実している」。これにも納得する。

  新聞購読料はだいたい3,000円×12ヶ月=36,000円。経済誌は690円×50冊=34,500円。ほぼ似たようなものだが、定期購読すれば3年で63,000円くらいになる。薦めている訳ではないし、実際、興味を持った週にしか購入しない。大手・上場企業の情報紙を読まされるよりはだいぶマシだし、その程度の「距離」が適切だと思っている。

【補足】更につけ加えるなら、東洋経済新報社が運営するビジネスニュースサイト「東洋経済オンライン」は、余計な個人情報を登録する必要もなく、掲載してある記事の全てが無料で閲覧できる(特に哲学者・中島義道氏の「哲学塾からこんにちは」は珠玉のコラム)。日本経済新聞で欠かさず読んでいたのは“KAZU”三浦知良氏の「サッカー人として」。

2017年6月28日 (水)

新聞っていりますか?

 休日のお昼近く、1階のポストから新聞を持ってきた老人とエレベーターで一緒になった。老人は「ヘヘッ、ゴミ」と言って、右手に丸めた新聞を持ち、左の手のひらにポンポンとぶつけていた。老人が呟いたことは、日頃から感じていたことなので、「朝は新聞ですが、夜にはゴミになりますね」と、とっさに同調する言葉が口をついた。

 新聞を読まなくなった理由はいくつかある。指を折って数えてみると4つある。

1.取りに行くのが面倒になった  マンション住まいにとって、新聞を1階まで取りに行くのは面倒だ。玄関前までの宅配を許可しているマンションもあるようだが、防犯面から実現は難しそう。

2.インターネット環境が整備された  ネット環境が整ったのは2001年頃。ダイヤルアップ接続から発展した「ブロードバンド・常時接続」が2000年代前半、爆発的に普及した。現在では「光ファイバー高速通信」が主流になった。当初は新聞記事ひとつでもかなりの時間を要していたが、現在では数秒でニュースの動画をダウンロードしてしまう。

3.経済的要因  文明の利器に対する金銭的負担の増加を、家計はどのようにして補ってきたのだろう。携帯電話がない頃はそれら通信機器の料金は発生しなかったが、現代の家計には当然のように存在する。いわゆる通信料。インターネットに必要なプロバイダと回線業者への支払はひと月あたり4千円程度だろうか。新聞はひと月あたり3千円程度。ほぼインターネットの回線料金と均衡している。個人が社会の情報を取得する道具が、新聞からインターネットに変わったと考えれば、新聞を読まない(新聞を選ばない)ことは自然の流れと言える。

4.新聞の力の衰退  インターネットの普及と新聞の衰退は、反比例してきた。新聞の購読数が減少しているとネットニュースで見聞きする。しかし、そのような売上減少の陰で、“新聞の力”が衰退していることが、遠因のようであって、実は主要因であるように思う。

 「 新聞は ちらしを包む 包装紙 」 そんな俳句があったような気がする。その包装紙も、記事は半分で半分は広告だ。ちらしで他店より10円安いキャベツを見つけるよりも、新聞購読を止める方が家計に優しい。必要な日には1部130~160円で売っているのだから買えばいい。

 今度、あの老人に会ったら言ってみようと思う。「新聞っていりますか?」と。

2017年6月27日 (火)

諸々

 今日は雰囲気だけエコノミカル。経済的な話のようでそうでもない。雑感。

 日本銀行は物価目標(インフレターゲット)を設定し、諸施策に取り組んでいる。4月の日銀展望レポートでは目標の2%に達するのは、2018 年度頃との見通しを継続した。達成期限を延期したのは5度目。次も困難では?とする見方が多数だ。日本(日本銀行)に限らず、世界中の多くの中央銀行が物価目標を設定しているといい、おおよそ2%程度が物価目標になっている。2%は「成熟国経済が健全に成長する水準」だから。しかし、目標を達成している国は少数にとどまっている。

 日本は長い間、インフレとは逆に物価が持続的に下落する“デフレ経済”の状態にあった。そこではファストフード、ファストファッション、牛丼チェーン、回転寿司、100円ショップなどが、デフレ勝者になった。インフレターゲットを持つ現在でも、多少、銘柄は入れ替わったが、無印良品、ニトリ、丸亀製麺、ペッパーフード(いきなりステーキなど)、プレナス(やよい軒など)、ダイソー(非上場)、セリアなどが、「デフレ」を取り除いても勝者になっている。

 一昨日記した「カットファクトリー」は、“カットのみ”で1,080円の美容室。サービス内容は違うが、プラージュ、Cut-A、QBハウスなど、低価格の理美容店は数多い。先日「10分1,000円」のQBハウスが、ニューヨーク中心部に進出したというニュースがあった。ニューヨーク店の料金は20ドル(約2,200円)と日本の倍だが、現地では低価格の部類に入るという。日本で532店、すでにアジア諸国で115店を展開しており、5年後にはアメリカで30店舗を目指すという。 

 好調なアメリカの経済と株式市場を牽引する企業を、それらの企業の社名(あるいは持ち株会社の)頭文字をとって、“FANG”とか“CAAFANNG”などと呼ばれている。フェイスブック(FB)、アマゾン・ドット・コム(AMZN)、ネットフリックス(NFLX)、グーグル(親会社アルファベット/GOOG、GOOGL)、エヌビディア(NVDA)、コムキャスト(CMCSA)、アバゴ・テクノロジー(AVGO)、アップル(AAPL)。いずれもインターネット関連やハイテク関連の企業で、多くは2000年以降、表舞台に上がってきた企業だ。日本のデフレ銘柄とは趣が異なる。

 日本も、ソフトバンク(S)、任天堂(N)、リクルート(R)、ソニー(S)の企業が“SUNRISE”という呼ばれ、業績好調と言われている。もちろん超優良企業なのだが、新興企業とは違う。上場のタイミングもあるが、ソフトバンク以外は老舗企業と言っても良く、アメリカの“CAAFANNG”とはイメージが違う。

 シートベルト、エアバッグ、チャイルドシートなど自動車用安全装備の世界的メーカー・タカタが欠陥エアバッグのリコール問題で経営が悪化し、民事再生法の適用を申請した。負債総額は自動車メーカーが立て替えているリコール費用を含め、1兆7千億円に上り、製造業で戦後最大の経営破綻になった。

 経済と自動車。牽引する車輪や動力となるエンジンが大きくないと、重い車体は動かないし、加速しない。しかし、シートベルト、エアバッグなど信頼性の高い安全装備が機能してこそ自動車だ。安全機能を持たないならば、それは統制された世界で走ってもらうしかない。経済の安全装備は公正な競争や健全な市場原理だろうか。アクセル全開でもスピードアップしない“経済という名の自動車”ならば、それには構造的な欠陥があるように思う。

2017年6月26日 (月)

Life goes on

 女子プロゴルファーの宮里藍さんが、今シーズン限りで現役を引退すると発表して、ひと月が過ぎた。引退を発表した後、日本では「さみしい」、「お疲れさま」と声をかけられたという。中には「結婚か?」という報道もあった。

 主戦場としてきたアメリカツアーに戻った際にかけられた言葉は「Congratulation」や「So happy for you」だった。日本とアメリカの文化の違いを改めて感じたという。

 宮里さんのプロゴルファーとしてのキャリアは終わるが “ Life goes on ” だ。祝福の言葉が交わされる理由は、彼女が人生で次のステージへ向かうことへの期待と激励の気持ちが込められているからだろう。第一線を退くことは区切りであって終わりではない。

 30分ほど前、将棋の史上最年少棋士 藤井聡太四段(14)が「デビュー以来の公式戦連勝記録」を29連勝に伸ばし、これまでの記録を30年ぶりに塗り替えた。一方、史上最年長棋士 加藤一二三九段(77)が先日、現役を引退した。藤井四段に塗り替えられるまで、棋士の最年少デビュー記録は加藤九段の14歳7か月だった。また、藤井四段のデビュー戦の相手も加藤九段で、「現役最年少と最年長の対局」は注目を集めた。

 ゴルフや将棋など、スポーツや勝負の世界では、目に見える世代交代が度々起こる。その“瞬間”を目撃することもある。我々の日常、社会や会社、家族等々では、長い時間をかけて世代交代が行われる。そして、いずれの世界で、いずれの場合であっても、これまで「世代が交代しなかったこと」はただの1度もない。終わりは始まりだ。

2017年6月25日 (日)

踊るように髪を切る

20170621 日常生活の中で、多くの働く人たちと接する。しかし、実際に接していると言えるのはごく限られた場面だ。スーパーやコンビニで店員とやりとりするのは会計(事務手続き)で、サービスを受けているうちに入らない。最近は会計機に代金を投入したり、バーコードの読み取りまで自分でする完全なセルフレジも増えている。

 最も身近で、最も頻繁に技術サービスの提供を受けるのが散髪だと思う。一般的な人はそれ以外に見当たらないのではないか。

 「手先が器用な人」の典型的な職業で、真っ先に浮かぶのが理容師・美容師だ。器用という言葉は多くの意味を持っている。細かい仕事を巧みにやりとげること、要領よく立ち回ること、役に立つ才能があること。他にも、潔い・潔白という意味も持つらしい。

 先日、髪を切りに行ったのは“カットのみ”で1,080円の店「カットファクトリー」。合理化されたシステムで、精算機に代金を入れチケットを買い、順番を待つ。担当してくれたのは20歳代の若者。最初、しばらくは襟足や耳の回りなどを整える。そして本格的に髪を切り始めると、その若者は踊るように髪を切った。間違いなく、ステップを踏んでいる。頭皮と頭髪の厚み=距離感を瞬時にインプットし、左手で持つクシと右手に持つハサミの刃先が軽やかに螺旋状(のように感じた)に髪を切っていく。既に職人の域にあると感じた。

 昔は、鋏(ハサミ)1丁で生きる理容師や包丁1本で生きる料理人がいた。ITの時代でも職人はいなくならないだろう。むしろ、その価値は高まるのかもしれない。

2017年6月24日 (土)

ビートルズとジョン・レノン、そして宝塚記念

 TVのバラエティ番組のエンディングでビートルズの“Let it be”が流れ、ドラマの回想シーンでジョン・レノンの“Love”が、エンディングで“Mind games”が流れた。ファンという訳でもなく、それぞれのCDを1枚ずつ持っているだけ。

 ビートルズのCD「 ザ・ビートルズ 1 」は、解散から30年経過した2000年に発売された。イギリスの「ミュージック・ウィーク」とアメリカの「ビルボード」で1位になった曲を収録したベストアルバム。発売1週でのセールス360万枚はギネス記録になっているという。ジョン・レノンのCD「 Lennon Legend 〜The Very Best of John Lennon 」は、1997年に発表されたベストアルバム。生前に発表されたシングル曲に加え、死後に発表されたシングル曲も収録している。

 「ああ、この歌か」と思う曲がほとんどだ。曲自体もそうだが、曲のタイトルやセンテンス、フレーズが、現在でも繰り返し使われる「頻出語」になっていることに驚く。よく似たメロディを耳にすることもある。同名の映画や小説、CM、そして同名の楽曲もある。彼らの音楽は未だに巨大な影響力を持ち続けている。そして、彼らの次の世代に莫大な影響を与え続けている。ビートルズ、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーを聴いて、多くのソングライターが産まれた。そのソングライターを聴いて、次の世代のソングライターが産まれた。更にその血や精神は、次世代へ次世代へと受け継がれている。

 「次世代へ、次世代へと受け継がれる血」といえば競馬。現代の世界中の競走馬(サラブレッド)の父系を遡ると、バイアリーターク(Byerley Turk 1679年)、ダーレーアラビアン(Darley Arabian 1703年)、ゴドルフィンアラビアン(Godolphin Arabian 1724年) の3頭にたどり着くという。ビートルズは現代音楽の始祖というところだろうか。

 明日の「宝塚記念」は競馬の上半期締めくくりのレース。出走馬をファン投票で選出するなど有馬記念に倣って、1960年に第1回が実施された。実はビートルズが The Beatles というバンド名になったのが1960年の夏だという。58回目を迎える宝塚記念は、キタサンブラックの1強ムード。しかし、梅雨時の同レースは思わぬ伏兵が台頭することもある。安田記念もそうだが、生涯唯一のG1勝利が本競走という馬も少なくない。出走馬ミッキーロケットの母の名はマネーキャントバイミーラヴ。ビートルズに「Can't Buy Me Love」という曲がある。ビートルズと宝塚記念が思わぬ所で符合した。現役最強馬・キタサンブラックから、伏兵・ミッキーロケットの馬券を買う。

2017年6月23日 (金)

8つのマグネット

Img_20170609_181742 DAISOで見つけたマグネット。1つ買い、1つ買い、これでほぼ全種類。「アコーディオン」、「ヴァイオリン」、「譜面が乗ったアップライトピアノ」、「赤いベスパ」、「革の旅行カバンに白いソフトハット」、「銀色の自転車」、「黄色いキャンピングカー」、「赤い2階建てバス」

 手作り品で感心するほど細部まで作られているが、適度に大雑把。こういうのは多少、雑な作りであるところがいい。

2017年6月22日 (木)

カラスの復讐

Dcim0097 昨日は梅雨入りでもあったが、夏至でもあった。20時というとさすがに言い過ぎでも、19時45分くらいまでは空がうっすらと明るい。夕方のほぼ決まった時間に、たくさんのカラスが西の空から来て、東の空に飛んでいく。信濃川の中州あたりで日中を過ごし、夜は乙吉町や宮路町、麻生田町あたりの山中の巣に戻るのだろうか。

 現在のアオーレ長岡(市役所)の場所に厚生年金会館とセントラルパークがあった頃、よく昼休みをそこで過ごした。昼食のサンドイッチの切れ端やおにぎりをひとつまみ、人慣れしたスズメに投げてやると、カラスが一直線にやってきて、全てつまんで行くということがよくあった。スズメも人にはなかなか近づかないが、それでもエサを蒔かれれば、2㍍くらいまでは寄ってくる。カラスは少なくともその倍の距離を置いていた。用心深い。その習性を逆手に取って、近い距離にエサを蒔くと、スズメは近寄って来ても、カラスは来ない。自分はカラスにとって「意地悪なヤツ」に映っていたはずだ。

 自転車通勤していた頃のとある朝、一羽のカラスが背後から飛んできて、自分の頭を一瞬掴むと、そのまま近くの電線に留まった。カラスはいつもより高音の鳴き声をあげた。“高笑い”していた。カラスに頭を掴まれるなんてツイてないな、などと考えながら自転車を漕いでいて、ハッと気がついた。「あのカラスだ」と。カラスは自分の顔を認識していたのだ。「スーツ姿の意地悪な男の顔」を彼は記憶していたのだ。

 カラスは朝、決まった時間に通勤し、決まった時間に家路につく。道路上に木の実を落とし、それを走行する車の車輪に踏ませて割ることで木の実を食べる。生ゴミの中から残飯を取り出したり、飛散防止のネットを器用にめくったり、くぐったりする。自分が10歳だった頃よりも、彼らの方が知恵が効くと思う。そんなカラスの生態や知能の研究は進んでいるのだろうか。今日も彼らは山奥で何か相談している。きっと悪巧みだろう。

 大丈夫、俺の精神状態は正常だ(笑)

【写真】 壊される厚生会館(当時ガラケーで撮影したもの)

2017年6月21日 (水)

梅雨入りに梅酒を仕込む

20170621 北陸、東北で梅雨入り。梅雨の語源は諸説あるらしいが、「梅の実がなる頃の長雨」というのがしっくりくる。

 この時期、スーパーの一角には家庭で果実酒を作るためのコーナーができる。大小のガラス瓶、氷砂糖、ホワイトリカー等々の酒類。梅酒作りには酸味のある青梅が使われるが、梅の実も南高梅、白加賀、紅映、豊後、古城…と際限ない。漬け込む酒も蒸留酒であるホワイトリカー、焼酎、ブランデー等が一般的とされるが、その辺りのアレンジで特徴が出る。

 去年は梅1に氷砂糖1、ホワイトリカー2で甘口な仕上がりだった。今年は白加賀1に氷砂糖1、ホワイトリカー2、そして5年ものの沖縄泡盛1で仕込んだ(写真右)。去年よりやや辛口で濃厚な梅酒になることを期待。

2017年6月20日 (火)

総理大臣の陰謀 3

20170620 【写真と本文は関係ありません】

 恒例でもなんでもない首相の記者会見をテレビ各局は生中継した。

 ①平成26年11月、ニュース番組に出演した際の街頭インタビューに対し、「(政権に)厳しい意見を意図的に選んでいる」との主張をまくしたて批判を浴びた。数日後、在京キー局の幹部宛てに「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」という文書(インターネットで検索すれば実物を見ることができる)を送付した。

 選挙での政権・政策批判を「忖度せよ」ということだったのだろうか。首相は「報道や表現の自由を軽視している」と言われるが、自分はそう思わない。完全に「報道に怯(おび)えている」。恐らく、怖さを知っているからだろう。一番嫌がっている。だからこそ、過剰反応を示し、先制攻撃する。

 「行き過ぎたメディアコントロール」。これこそが、彼の最大の陰謀だと思う。そして、それに屈服したマスコミとジャーナリズム。「テレビの監督権」等々。女性大臣に言わせていた所も、作為的だった。 

 ②平成27年3月、元通産官僚がコメンテーターを務めるニュース番組で「I am not ABE」と発言したことに対し、官邸の意向を受けた官房長官の秘書官がテレビ局幹部に抗議した。この抗議がテレビ局幹部を萎縮させ、元通産官僚は番組を降板することになった。

 ③平成29年5月、首相に近いとされる元テレビ局記者の“レイプ疑惑”で、被害女性は「逮捕状が出ながら、警視庁刑事部長の指示で記者の逮捕がもみ消された」と告発した。

 この③の警視庁刑事部長と先の②官房長官の秘書官は同一人物だという。

 安倍政権の仕事の成果がたわわに実っている。首相の記者会見を生中継したテレビ局は、この調査報道をしない。マスコミは無力化した。メディアは「第四の権力」と言われていた。テレビマスコミは電波という利権を持った「第四の権益」でしかなくなった。本来、権力を監視するべきジャーナリズムが、権力に監視されている。彼はマスコミを無力化することに成功した。

2017年6月19日 (月)

総理大臣の陰謀 2

 安倍首相の記者会見があると知って注目していた。テレビ各局は生中継したところが多かったようだ。「国会閉幕を受けて」の会見ということだったが、国会閉幕後の首相会見って恒例だっけ?会見の冒頭から、自らの関与が取り沙汰されている森友学園問題や加計学園問題での国会答弁や二転三転する政府の対応を謝罪した。残りの時間は自政権のPR。そして「日米同盟は安全保障の基軸」との認識を示した。そうだろう、そのための政権だ。

 それほど興味もなく、安倍首相の政権運営を「頭隠して尻隠さず」だなと思っていた。しかし、彼の政権下で、どれだけ強行採決が行われただろう。まるで予知夢のように、見覚えのある現実が、何度も何度も繰り返されている。つまり、「隠そうとなどしていない」。好きになれないタイプ。

 首相の味方をする訳ではないが、森友学園・加計学園問題は、ともにたいした問題ではないと思う。双方とも行政上の問題点やグレーの部分はあるが、政治家とはそういうものだ。政治は我田引水する。血縁や友人に多少の便宜も図るだろう。政治は、一定の不平等や不公平を作ることで全体を統治する。

 「1票の格差」などと言って、人口が多い首都圏の議員定数を増やし、地方の議員を減らしているが、それでは政治が成り立たない。確かに「1票の格差」があることは、平等ではないし、公平ではない。しかし、「1票の格差」がないことも、平等ではないし、公平ではない。

 首相は、もう10年以上、権力の中枢にいる。いや、産まれたときから特権階級だ。「忖度(そんたく)」…他人の心をおしはかること。忖度は、太宰治や福沢諭吉も使っている言葉。忖度には限りがない。当該者が偉くなればなるほど、権力者であればあるほど、その度合いは増す。思いも寄らない忖度劇場が繰り広げられる。そのことを、忖度する側も、忖度される側も念頭に置かなければならない。そして、権力者であるほど、抑制的にならなければならない。

 むしろ、第二次安倍内閣の発足に際し、「首相夫人付きの職員を3人に、2014年度からは5人にそれぞれ増員した」ことの方がタチは悪い。しかし、これも末梢的だ。次に政策。武器輸出三原則の撤廃、安保法制や秘密保護法、共謀罪法…。政策や法律は法に基づいて手続きされている。そもそも多数派が世の中の舵を握るルール。

 彼を受け付けないのは、次の2つが彼の陰謀だと思うから。

 1.軍事国家への道を舗装している(強行採決の常態化)

 2.過度なメディアコントロール

 なぜ強行採決を繰り返すのか。それは彼が「歴史に名を残したい」からだろう。功名心。本来、彼を評価するのは国民だが、彼は国民を間接的に見ている。彼はアメリカと国内大企業の経営者たちを取り込む(取り込まれる)ことによって出世競争を勝ち抜いている。例えが小さすぎるが、“出世欲に囚われたサラリーマン”によく似ている。そのようなサラリーマンは“手柄を挙げること”に奔走する。手柄は組織の利益とは限らない。そこも似ている。彼が国民の利益を訴えて総理大臣になったとは思えない。そして、手柄をあげ、出世した大多数の人間は結果責任を負わない。 

  18時からの会見が終わって間もなく、19時から、森友学園に対する大阪地検特捜部による家宅捜索が始まった。国策捜査という批判は免れないだろう。この問題で、誰かが逮捕されるだろう。トカゲの尻尾切りで事件の風化を待つというやり方も、日本独特のサラリーマン社会の風景そのものだ。

2017年6月18日 (日)

総理大臣の陰謀 1

 2006年 9月20日 安倍政権(内閣)発足

 今でこそ、この政権を「第一次安倍政権」と呼ぶが、2012年に「第二次安倍政権」が発足することを、一般大衆は想像できなかったと思う。しかし、今になって思うと、むしろ、できるべくして出来た政権だったように思う。

 2006年11月14日 首相「核兵器であっても自衛のための最小限度にとどまれば、核兵器保有は憲法の禁止するところではない」と答弁。

 2007年 1月 9日 防衛庁が防衛省へ昇格。自衛隊法改正(平和活動が自衛隊の本来任務に昇格)。

 2007年 2月16日 アメリカの元国務副長官 リチャード・アーミテージ氏、元国防次官補 ジョセフ・ナイ氏による「日米同盟 2020年に向けてアジアを正しく導く」(「アーミテージ・リポート 2 」)発表。

 【参考】 2000年10月 「アメリカと日本 成熟したパートナーシップを目指して」(「アーミテージ・リポート 1 」)  2012年8月 「日米同盟をアジアに安定させる」(「アーミテージ・リポート 3 」)

 2007年 3月23日 弾道ミサイル防衛システムを運用するための「緊急対処要領」閣議決定

 2007年 4月 1日 「イラク復興支援特措法改正案」閣議決定

 2007年 4月 5日 首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置。 

 【参考】第一次安倍内閣の内閣法制局長官 宮﨑礼壹氏は、安倍首相から憲法9条に関する法制局解釈(集団的自衛権の行使は違憲)について 、解釈変更の指示を受けたが、職員の総辞職の可能性を示唆する等抵抗、阻止した経緯がある。

 2007年 4月 6日 安全保障会議設置法案など日本版NSC(国家安全保障会議)関連法案を閣議決定

 2007年 5月14日 国民投票法「日本国憲法の改正手続に関する法律」成立  

 国民投票法 18歳以上の日本国民が投票。国会発議後60日〜180日間に国民投票を行う。有効投票の過半数の賛成で改正原案は成立する。

 2007年 7月29日 第21回参議院議員選挙の結果、参議院において連立を組む自民・公明を併せても過半数を獲得できず、第1党から転落

 2007年 8月27日 安倍改造内閣発足

 2007年 9月12日 安倍首相辞任表明(難治性疾患 潰瘍性大腸炎による健康状態の悪化を主因として)

 2007年 9月25日 安倍内閣総辞職

 実質1年の短期政権だったが、安倍政権が「アーミテージ・リポート」に沿った政権運営を行ってきたことは明白。大きな目的を達成するために、着々と手を打ってくる安倍首相について、「機を見るに敏」な官僚たちは一目置いたはず。そして、同じようにアメリカ合衆国も安倍首相に「目をつけた」のではないか。安倍首相に第二次政権が巡ってくることを意外と捉えたのは国民だけだったのかもしれない。

  2007年 9月26日 - 2012年12月25日 このおよそ5年の間に5人の首相(うち3人は民主党3年3ヶ月)が政権を担当

 2012年 4月27日 自民党「憲法改正草案」提出

  2012年12月26日 第二次安倍政権発足

 2013年 8月 8日 内閣の憲法解釈・法律解釈を行う内閣法制局長官に外務省出身の小松一郎氏(自著で集団的自衛権の行使容認の考えを記していた)の起用を閣議決定。

 2013年10月25日 「特定秘密の保護に関する法律」閣議決定

 2013年11月27日 「日本版NSC(国家安全保障会議)設立法案」成立

 2013年12月 6日 「特定秘密保護法」成立

 2014年 4月 1日 武器輸出三原則に代わる「防衛装備移転三原則」閣議決定

 2014年 6月11日 日本とオーストラリア間で防衛装備品の輸出・共同開発に向けた政府間協定に合意

 2014年 6月20日 「日本国憲法の改正手続に関する法律」を改正する法律が成立

 2014年 7月 1日 集団的自衛権が閣議決定

 2014年 9月 3日 第二次安倍政権の改造内閣発足

 2014年12月24日 第三次安倍政権発足

 2015年 9月19日 集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法が成立

 2015年10月 7日 第三次安倍政権 第一次改造内閣発足

 2016年 8月 3日 第三次安倍政権 第二次改造内閣発足

 2017年 5月 3日 「2020年の改憲」を目指すこと、「憲法9条の1項と2項を残した上で、自衛隊の存在を明記する条文を加える」ことを明言。

 2017年 6月15日 共団謀罪法「改正組織的犯罪処罰法」成立

 “アベノミクス”が隠れ蓑のように思えてくる。日本丸の行き先は大きく右旋回(右傾化)している。「特定秘密保護法」、「共謀罪法」が成立した。次は「国家安全基本法」だろうか。彼の教科書「アーミテージ・リポート」には、そう書いてある。

2017年6月17日 (土)

大統領の陰謀

20170617  45年前の“大統領の陰謀”

 今日からちょうど45年前の1972年6月17日。アメリカ合衆国ワシントンDCのウォータゲート・ビル5階にある民主党本部に、5人の男が侵入する事件が発生した。ワシントン・ポスト紙の新人記者ボブ・ウッドワードは、事件の取材を指示される。侵入事件は大統領選挙を秋に控え、民主党の弱みを掴みネガティブキャンペーンを張ろうとする共和党支持者の犯行と見られていた。しかし、侵入した5人は元CIA情報部員と大統領再選本部の対策員だった。この事件に疑念を抱いていた記者カール・バーンスタインとともに2人の記者が事件の真相に近づいていく。 

 事件は単なる侵入事件ではなく、アメリカの自由や正義を脅かす不正事件の氷山の一角だった。2人の記者は、侵入盗聴事件とその隠蔽工作、司法妨害、不透明な選挙資金の流れを、関係者への取材、資料と証言の収集、事実の裏付けと推理、これらを丹念に積み重ねて報道していった。やがて、内部情報をリークする謎の人物“ディープ・スロート”と密会し、事件の核心に迫る。2年2か月に及ぶ政治混乱は、1974年8月に大統領辞任という衝撃的な形で収束した。大統領を追い詰めたもの。それは紛れもなく2人のジャーナリストが行った調査報道だった。

 近年、日本のマスコミへの信頼感は凋落の一途にある。記者クラブ制による発表報道に依存し、それらの“編集”に終始する新聞社とテレビ局。公式発表を丸飲みし、不都合な真実にはフタをする。調査報道の“取材”によって、事件の核心に迫るジャーナリズムとジャーナリストへの期待は消滅した。記者やジャーナリストを「真実を追求する職業」と考える人は絶滅し、新聞社は待遇の良い就職先の1つになってしまった。

 「ウォーターゲート事件」は2人が記した「大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日」(文春文庫)を原作とし、「大統領の陰謀」として映画化された。調査報道の過程をスリリングに描いた社会派エンターテイメント作品となったこの映画は、大統領が辞任してわずか2年後の1976年に公開された。

2017年6月16日 (金)

2017年 函館開催

 都市名を列挙する。南から、北九州市、宝塚市、京都市、豊明市、府中市、船橋市、新潟市、福島市、函館市、札幌市。今度は都道府県名で北から。北海道、福島県、新潟県、千葉県、東京都、愛知県、京都府、兵庫県、福岡県。これらの都市に共通するものは? 

 共通するのはJRA 日本中央競馬会の競馬場所在地(札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、中京、京都、阪神、小倉競馬場)。

 5月の北海道旅行で函館競馬場に行った。競馬開催日ではなかったが、競馬ファンがJRAの競馬場所在地を訪れて素通りはできない。

 五稜郭の観光を終え、函館市電の“電停”「五稜郭公園前駅」から乗って「競馬場前」で降りると、目の前が競馬場だ。

 近所の老人がベンチで日向ぼっこしている以外、誰もいなかった。警備員が警備室を出て歩み寄ってきたが、記念写真を撮り始めたら戻っていった。函館市内は観光客で賑わっていた。その中には競馬ファンもいるはずだが、競馬場まで足を運ぶ人は少なかったようだ。 

 2017年の函館開催が、明日6月17日から7月23日まで開催される(開催日12日間)。次に北海道を訪れる時は、冬の北海道を経験してみたいという思いがあるが、函館開催の時期もいいという思いが交錯している。

 【写真】 2017.5.4 函館競馬場 パドックの写真はガラス越しに撮影したもの。一部がガラス張りになっていて、競馬開催日には入場しなくても競走馬を見ることができる。

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2017年6月15日 (木)

戦前みたいになってきた

 「共謀罪法」といわれる改正組織的犯罪処罰法が、今朝(6月15日)、参議院本会議で強行採決され、成立した。朝日新聞から引用・抜粋。

 犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法が参院本会議で成立した。自民、公明両党が委員会採決を省略できる「中間報告」の手続きを使って一方的に参院法務委員会の審議を打ち切り、本会議採決を強行した。異例の徹夜国会の末、与党や日本維新の会などの賛成多数で可決した。共謀罪法案は、犯罪を実行に移した段階から処罰するこれまでの刑事法の原則を大きく変える内容で、過去3回廃案になった。政府は「テロ対策」を強調し、国際組織犯罪防止条約の締結に不可欠だと説明。対象範囲を「組織的犯罪集団」に限定したとして「一般人は対象外」と主張してきた。だが、衆参の委員会審議で、テロ対策の有効性や必要性の根拠が揺らぎ、処罰や捜査の対象もあいまいさが浮き彫りになった。国連の特別報告者も「プライバシーや表現の自由を制約するおそれがある」と懸念を表明。野党4党などが廃案を求めていた。野党4党は異例の手続きによる審議打ち切りに反発し、「情報の隠蔽、法案の成立強行など安倍政権の暴走ぶりは常軌を逸している」などとする内閣不信任決議案を提出したが、反対多数で否決された。改正法は6月21日に公布され、7月11日に施行される見込。

○参院本会議「共謀罪」法案の投票結果
 投票総数 235 賛成 165(自民、公明、維新、無所属クラブなど) 反対 70(民進、共産、自由、沖縄の風など) 投票せず 3(時間内に投票しなかった自由の一部と社民)
 

○成立した「共謀罪」法の骨子
 【目的】 国際組織犯罪防止条約の締結
 【処罰される行為】 テロリズム集団その他の組織的犯罪集団の活動として、対象となる277の犯罪を2人以上で計画すること。ただし、このうちの誰かが資金・物品の手配や場所の下見などの準備行為を実行することが必要。
 【罰則】 対象犯罪のうち10年を超える懲役・禁錮の刑が定められているものは5年以下の懲役か禁錮。その他は2年以下の懲役か禁錮。

 戦前みたいになってきた。

2017年6月14日 (水)

水の宅配便/用水湛水

Dsc_0923 「用水湛水(ようすいたんすい)」 … 用水や水路が溢れんばかりの水をたたえていること。水を流すための水路や用水は、水をたたえてこそ、その役割を果たす。転じて、自らの使命・役割を果たすことが、この上なく幸せであり、満足なこと。なお、「用水湛水」などという四字熟語は存在しない。

 昔、地理の時間に「乾期・雨期がある国」を習った。タイ、ベトナム、カンボジア、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ミャンマー…。そんな東南アジアの国々の暮らしを「不便なもの」と感じていたのはなぜだろう。発展途上国というイメージがそうさせたのだろうか。

 日本にも雨期がある。梅雨前線は6月から7月にかけて、秋雨前線は10月頃に日本付近で停滞し、雨を降らせる。梅雨は日本だけでなく、中国の南部沿岸、韓国、台湾など近隣諸国にも存在する。

 雨は「天からの恵み」と表現されることがある。時に水害に見舞われることもあるが、水がない所に人は住まない。東南アジアの雨期や極東アジアの梅雨は、水の宅配便、ウォーターサーバーの宅配を受けているようなものかもしれない。

2017年6月13日 (火)

道の駅 良寛の里わしま(長岡市和島)

Img_20170604_140025_3 国道116号線沿いの旧和島村地区にある「道の駅 良寛の里わしま」。国道沿いの地域交流ゾーンと、そこから500㍍ほど入った良寛の里美術館、菊盛記念美術館を中心とする美術館ゾーンに分かれている。

 道の駅は「ガンジー牛のソフトクリーム」が有名。今回は昼食というよりも軽食を求めていたので、売店と飲食店を兼ねている「もてなし家」に入った。食べたのは写真の「だんご汁とおにぎり(500円!)」。味・量・価格ともに星5つ。 

 最近は特色ある道の駅が増えている。ここ「良寛の里わしま」も派手さはないが、地道でクオリティの高い道の駅だと思う。その名のとおり、良寛の姿に重なる。越後線小島谷駅の北西2㌔ほど、長岡市内からも20㌔ほどで遠くはない。2つの美術館と併せ、半日かけてゆっくりと訪れてみたい場所。国道116号沿いなので、当然、新潟・県央・柏崎から「目的地」として来てもいい。

 道の駅 良寛の里わしま 長岡市島崎5551番地 国道116号線沿い

2017年6月12日 (月)

とおりんぼ(刈羽村)

Img_20170604_131328_2 1週間前、「柏崎クラフトフェア」の帰りに立ち寄った。3年ほど前、人に教えてもらって訪れたことがあった。

 「ぴあパークとうりんぼ」は、人工芝サッカー場、日帰り入浴施設、宿泊施設、園芸ハウス等を併設する刈羽村の地域交流拠点。東京電力・柏崎刈羽原発入口の前にある。つまり“そういう施設”。ここに眺めが良く、庭に花が咲いている飲食棟がある。

 以前、訪問した時とは営業している店がそっくりと入れ替わっていた。カジュアルなレストランとスイーツ店は「ふらんすや」が営業していたはずだが、レストランは少し敷居が高くなった印象。スイーツ店はロールケーキの店とジェラート店が入っていた。食事時だったが、他の店に回ることにした。日帰り温泉は小さいながらも清潔で好印象(ホワイトイオンバスという人工温泉)だったが、今回は入浴もパス。園芸センターが管理しているであろう季節の花、刈羽平野を一望できるロケーションは以前のまま。変わらず美しい。

 ぴあパークとうりんぼ 刈羽郡刈羽村刈羽4286番地2 国道116号線上高町の交差点右折

2017年6月11日 (日)

みなとまち海浜公園(柏崎市)

Img_20170604_121008 柏崎は遠くない町だが、馴染みがない。先週、「柏崎クラフトフェア」を覗くため、会場になっている「みなとまち海浜公園」を訪れた。

 海浜公園があるエリアは、柏崎の花火大会が行われる海岸に隣接している。海上花火を観たのは20年以上前だが、あの頃からずっと海岸付近の工事が行われていた印象がある。美しく整備された公園の中心施設が「夕陽のドーム」。ドーム下は日陰になり、雨よけになり、イベント会場にするにはちょうどいい。公園から海にかけてはキャンプに適した芝生エリアがあったが、キャンプは禁止されているようだった。写真のとおり海岸用のコンクリートが敷設してあるが、これも耐水・耐腐食材で“ボードウォーク”できたらカッコ良かったのに。

 柏崎の有名なイベント「えんま市」にも行ったことがない。毎年の開催日が決まっている行事は、平日開催にあたることが多く、なかなか訪れる機会がない。しかし、「曜日に左右されない行事」というのはいい。経済効率よりも歴史と伝統を重んじている感じがする。今年も平日にあたっていて、6月14日からの3日間、えんま堂がある本町通りを中心に露店が立ち並ぶ。期間中の人出は20万人を超えるといい、村上市の村上大祭、新潟市蒲原神社の蒲原大祭と並んで、「新潟三大高市(たかまち=縁日)」の一つに数えられている。

2017年6月10日 (土)

薄気味悪い未来

20170610 6月10日は「時の記念日」。世界共通のものではなく、日本独自の記念日のようだ。日本書紀に「日本初の時計(水時計)が鐘を打った日」というような記述があるらしい。水時計は水の出入によって水面の高さが変化することで時をはかるという。砂時計のようなものだろうか。

 時空を超えた世界を描くSF映画は、ホラー映画と並んで自分が苦手な分野。どちらの映画も、観賞後、なぜか気分が悪くなることが多い。しかし、名作とか映画史に残るSF映画が、しばしば未来を予測していることは有名だ。

 AppleのiPadが発売される40年以上前、「2001年宇宙の旅」(1968年)にタブレット型のコンピューターが登場しているという。1970年代の映画にはイヤホンによる通訳機が登場しているという。「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」(1989年)にはドローンが、「トータル・リコール」(1990年)には自動走行する自動車が。ウェアラブルPCに網膜認証等々。挙げればキリがない。

 現実の暮らしを見ても、小型機械の前に座ってガラス面に写る画像を見ながら仕事する姿は、当時からしたら未来そのものの姿だろう。大小のガラス面を持つ小型器具を持ち歩き、よそ見しながら歩く姿を誰が想像しただろう。我々はすでにSF映画の世界を現実世界として生きている。

 ユニクロやコンビニで商品管理に使われるというICタグが、将来、子供たちにもつかないだろうか。道草する子供たちを管理するだろう。自動走行する車にはドライブ(運転)する楽しみはあるだろうか。地下鉄の改札を網膜認証で乗り降りする社会は快適だろうか。人工知能こそが正しいと信じられる社会は信用できるだろうか。最良とか最善とは何か。利便性や効率性を極限まで突き詰めた時、やがて訪れるのは、超厳格社会・超管理社会・超監視社会だろう。薄気味悪い。

 「未来とは常に明るいもの」と考えるのは幻想だ。おそらく、子供たちの未来(個々の未来は明るく無限大だが)や社会は、希望に満ちた世界ではないと思う。

 ずいぶんと後ろ向きな「時の記念日」になってしまった。

2017年6月 9日 (金)

川の名は。

Img_20170605_143059 パソコンのお気に入りに「Googleマップ」を入れている。最近の使い道は、ネットショッピングの際に出店者の住所で検索し、「Googleマップ」で所在地の写真を見ること。「インターネットのご縁」のようなもので、遠い見ず知らずの出店者と取引することになるが、写真を見ることで、多少、調べることができる。見ず知らずの関係ではなくなる。所在地が出店企業の名称がついたビルだったり、看板がついていたりすれば信用度は高く、安心して取引ができる。

 どこかに出掛ける際も「Googleマップ」のルート検索機能を使って、行き先までの距離や時間を調べる。目的地までの写真、特に山間部を通る場合は道路が“酷道”ではないか確認しておく。

 「Googleマップ」の閲覧頻度・使用頻度はかなり高いが、使っていて不便な点がひとつある。国道は“逆おにぎり型”の青い国道マークが、県道は六角形の青い県道マークが距離毎に表示されていてわかりやすい。一方で、「川の名前」はほとんど表示されていない。

 長距離のドライブをしていて、「○○川を越えたら、ほぼ目的地」というように川を目印やマイルストーンにしている。道路同様に一定距離毎に河川名が表示されると使い勝手が良くなると思う。

 “川の名前や流路を簡単に調べられる地図サイト”が「川の名前を調べる地図」。誰が何の目的で運営しているのか不思議になるが、役に立つ。  「川の名前を調べる地図」  http://river.longseller.org/

2017年6月 8日 (木)

円錐角膜の世界

Img_20170604_131249 妻がドラッグストアで老眼鏡を買ってきた。簡易的なもので、2,000円だったと言っていた。俺も近くの文字が見えにくい。老眼が進んでいる。

 41歳の時、自分が眼に疾患を持っていることを知った。眼鏡を新調する妻につきあって眼鏡店を訪れ、ついでに視力検査をした際に店員が教えてくれた。「お客様の眼は視力の問題ではないですね」と。後日、改めて眼科を受診して診断されたのが「円錐角膜」(えんすいかくまく)。

 円錐角膜 … 角膜は半球状の形状をした厚さ0.5mmほどの透明の膜で、光を目の中へ導くレンズの役割を担っている。この角膜がなんらかの原因で進行性に薄くなり、円錐形に突出する病気を円錐角膜という。円錐角膜は主に思春期に発症、近視や乱視が進行し、視力が低下する。進行が進むと眼鏡による視力矯正も困難となる。円錐角膜はまだ不明な点の多い疾病で、謎に包まれた疾患である。

 41歳になるまで、その疾患に気づかなかったのには理由がある。15歳の時、体育館で頭部・左眼球の上を打撲した。眼科を受診し、眼に異常はないとの診断だったが、ちょうどその時期から左目の視力の低下が進んだことから、その打撲が原因で視力が低下していると思い込んでしまった。

 19歳で自動車免許を取得する際、初めて眼鏡を作りに行った。22歳で眼鏡を買い替える時。毎年の健康診断。人間ドック。そのすべてで、眼の病気であることは判明しなかった。左右の視力差を抱えたまま、人生の大半を過ごしてきた。「思春期に発症する」、「視力の低下は左右の進行度に差が生じる」。今思えば、すべての症状が円錐角膜のそれと合致する。

 円錐角膜はほとんどの場合、ハードコンタクトレンズで矯正できる。しかし、なかなかハードコンタクトレンズが合わない。装着していると眼がかゆくなったり、極端に疲れたりする。眼球と瞼の間が狭く、レンズと瞼が擦れているようだ。完全に治すには角膜移植しか方法がないという。便宜的にソフトコンタクトレンズをつけるだけで、見える世界・住む世界が変わる。あんなビルが見えたのか、こんな色をしていたのか。寸前にまで近づいて来なければわからなかった知人の顔もよくわかる。何よりも、鏡を眺めて自分の顔がこんなにもシワとホクロだらけなことに驚いた。

 もう30年近く、“ボーっとした”円錐角膜の世界で生きて来た。いいことはひとつも無いが、徐々に進行してきたせいか、特段、悪いこともない。あと30年、ボーっとした世界で生きても構わないと思っている。円錐角膜と老眼の進行が、人生のタイムリミットまで猶予をくれるならの話だが。

2017年6月 7日 (水)

長岡城 本丸跡・二の丸跡(長岡市)

Dsc_0724 ブログを再開したのが昨年の6月8日。今日が第365回ということになる。

 長岡藩は奥羽越列藩同盟に加わり、西軍(薩長軍)に抵抗した。新政府軍を“戊辰戦争において最大の苦境”に落とし入れた。しかし、新発田藩の裏切りによって形勢は一変。八丁沖作戦で長岡城を奪還し、新政府軍に一矢報いた長岡藩だったが、4日後の7月29日(新歴9月15日)に城は再び陥落。この戦いで傷を負った河井継之助らは八十里峠を越えて会津へ落ち延びた。継之助と共に八十里越を越えて会津へ落ちた藩士の中に、外山脩造がいた。

   「八十里 腰抜け武士の 越す峠」  河井継之助

 長岡城はそのほとんどを焼失したが、焼け残った橋や門は売却され、一部は教育費に充てられたという。その後、城跡地は公園の役割を果たしていたが、1898年本丸跡に鉄道の長岡駅が開業した。二の丸跡は1902年に宝田石油(現在の新日本石油の前身)本社、1926年に長岡市公会堂、1958年に長岡市厚生会館と変遷し、2012年に現在の長岡市シティホールプラザアオーレ長岡になった。長岡城の本丸、二の丸、門、櫓、そして内堀などの遺構は失われた。アオーレ長岡の議場脇に「長岡城址の碑」(写真)が設置されている。

2017年6月 6日 (火)

八丁沖古戦場(長岡市)

 長岡城を奪われた長岡藩は1868年7月24日(旧歴)、「八丁沖渡沼作戦」を実行し、長岡城を奪還する。八丁沖は八町潟とも呼ばれていたらしく、沼沢地(しょうたくち)・湿地帯であり、渡沼は不可能と思われていた。河井継之助率いる長岡藩兵はこの八丁沖を、全軍が声をひそめて潜行、長岡に攻め込み、長岡城を奪回した。

 八丁沖は干拓され、現在は水田になっている。富島地内に石碑(1988年・昭和63年建立)が置かれ、「八丁沖古戦場パーク」として整備されている。

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 八丁沖古戦場 長岡市富島町 国道8号長岡東バイパス 亀貝北インターから1㌔

2017年6月 5日 (月)

大黒古戦場(長岡市)

 北越戦争の開戦当初、長岡藩は新政府軍と互角に戦った。しかし、兵力に劣る長岡藩は徐々に押され、新政府軍の奇襲によって長岡城を奪われ、栃尾に退却した。長岡藩は加茂で態勢を整え、今町の戦いを制す等、逆襲に転じた。この時期、東軍と西軍が陣を置き、せめぎ合っていた場所が、現在の「大黒古戦場」周辺。長岡市の北東部にあたる。

 2012年5月、ここに「北越戊辰戦争伝承館」が開館した。北越戦争は戊辰戦争における最激戦の戦闘と言われる。戦争の遺品のみならず、郷土の歴史や偉人、そして農民の暮らしについて展示される貴重な施設になっている。隣接する大国主神社地内には大黒戦死者供養塔が、また、八丁沖方面を見渡す場所に戊辰戦蹟記念碑、大黒古戦場碑がある。

 大黒古戦場碑 碑文 慶応四年(西暦1686年)の夏、このあたりは戦場となった。長岡・会津・米沢藩兵らの奥羽越同盟軍と、薩摩・長州藩兵らの新政府軍との間で、幾度も激闘がかわされた。武士たちは泥田を潜行し、敵の保塁を襲い、あるいは闇夜に乗じて、奮戦した。付近の村々は、戦いのために焼かれたが、人びとは、その勇戦を讃え、碑を建てた。

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 戊辰戦蹟記念碑は1937年(昭和12年)建立のようだ。朝日山・浦柄神社の「戊辰戦蹟記念碑」は1941年(昭和16年)の建立だった。いずれも山本五十六海軍中将(当時)の揮毫。同じ戊辰戦蹟の記念碑だが、書体は若干異なっているように見える。

 大黒古戦場・北越戊辰戦争伝承館 長岡市大黒町39番地2

  http://www.museum.city.nagaoka.niigata.jp/facilities/boshin/

2017年6月 4日 (日)

朝日山古戦場(長岡市)

 朝日山という名がついた山は全国各地にある。この山も小千谷市の北東にあり、朝日が昇る。

 小千谷市浦柄(うらがら)地区は、旧国道17号の浦柄橋、妙見メモリアルパーク(バス停「浦柄三叉路」)から上越線の下をくぐると集落の入口に出る。ここは2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震で大規模土砂災害による甚大な被害を受けた地域でもある。

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 1 朝日山入口にあるトレッキングマップ 3時間40分のコースが例示されている  2 浦柄神社から東(山古志)方面。最奥には上越新幹線のトンネルが通っている  3 浦柄神社から西方面。最奥には信濃川

 集落を一見した限り、地震の爪痕を見つけることはできなかった。朝日山古戦場の案内板に従って山に向かっていく。細く、急な坂道だが、途中、至る所が新しく舗装された道であることに多少の違和感を持ちながら進む。しばらく行くと、その道が2016年に改修・整備されたことを記す記念碑が立っていた。それを見てようやく、地震の被害は古戦場に続く道路にも及んでいたことに気づいた。浦柄から徒歩で約40分。自動車で約10分(道は細い急坂なため軽自動車に限る)。山頂には数台の駐車スペースがあった。休憩展望所には北越戦争関連の展示品と説明板があり、屋上は展望台になっている。

 1868年(慶応4年=明治元年)5月、小千谷談判決裂後、戊辰戦争において最大の激戦と言われる北越戦争で、東軍5千、新政府軍1万がおよそ1週間、雨中での死闘が続いたという(新暦では6月の梅雨時)。長岡藩が占拠していた朝日山への攻撃は、後の第3代・第9代内閣総理大臣 山県有朋が指揮をとったと伝えられる。  「あだ守る とりでのかがり 影ふけて 夏も身にしむ 越の山風」 山県有朋

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 1 朝日山休憩展望所  2 展望台から西南(小千谷市)方面  3 展望台から西北(長岡市)方面  

 麓の浦柄神社には、1941年(昭和16年)に建立された「戊辰戦蹟記念碑」、1953年(昭和28年)に建立された東軍(長岡藩・会津藩)戦死者の墓などがある。その中には白虎隊士(新国英之助 当時16歳)の墓もある。父親が遺体を探して二十数年の後、この地で建立されたという。

 1 「戊辰戦蹟記念碑」は山本五十六海軍大将の揮毫。海軍中将と刻まれている  2 朝日山殉難者墓碑の説明板  3 浦柄神社の奥にある忠霊塔や墓碑

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2017年6月 3日 (土)

榎峠古戦場(長岡市)

 長岡市妙見町にある「榎峠古戦場パーク」。1868年(慶応4年=明治元年)5月10日、戊辰戦争において最大の激戦と言われる北越戦争は、ここ榎峠が開戦の地となった。

 (現地案内板から引用) 「榎峠は北越戊辰戦争の古戦場である。この地は三国街道の難所として知られ、信濃川が断崖の下にあった。慶応4年5月ここ榎峠で東西両軍の激しい戦いがあった。はじめ西軍が榎峠を占領していたが、長岡藩兵らの東軍が奪いかえし、対岸の西軍陣地と砲戦を展開した。また、南方の街道上からも激しい攻撃があった。東軍が良く守ったため、戦いは朝日山に移っていった」

 「三国街道の難所として知られ、信濃川が断崖の下にあった」と案内板に記されている。史跡は旧国道17号沿いにあり、脇の山中を上越線が通っているが、当時は信濃川右岸と急峻な山に挟まれた隘路だったことが想像に難くない。同じ道沿いには中越大震災の崩落現場を整備し、献花台がある「妙見メモリアルパーク」がある。

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 榎峠古戦場パーク 長岡市妙見町 国道17号 妙見堰交差点から旧国道に入り1㌔

2017年6月 2日 (金)

投資適格国 2

20170602 「Sell in may」(5月に株を売れ)という格言どおりにはならなかった。日経平均株価は6月に入って2日間で500円以上値上がりし、2万円台に乗せて引けた。終値で2万円を超えたのは、2015年8月以来、1年10カ月ぶり。今年は「Sell in may」ではなく、「Buy in may」できた投資家がリターンを得た。

 アメリカのトランプ大統領が地球温暖化対策の国際ルールを定めたパリ協定から離脱すると発表した。世界2位の温室効果ガス排出国である米国の離脱で地球温暖化対策は大きな転換を迫られることになる。トランプ大統領の司法妨害疑惑「ロシアゲート事件」も決着をみていない。しかし、アメリカの株式市場はダウ平均株価指数、S&P500株価指数、ナスダック総合株価指数の主要3指数が揃って史上最高値を更新している。

 先日、「主要先進国の平均年齢と人口」というデータを見た。

 【平均年齢】 日本 46.5歳 ドイツ 46.1歳 フランス 41.2歳 イギリス 40.1歳 アメリカ 38.1歳 →日本人とアメリカ人の年の差は8.4歳

 【人口】 日本 1.25億人 ドイツ 0.82億人 フランス 0.62億人 イギリス 0.62億人 アメリカ 3.10億人 →日本とアメリカの人口の差は2億人近く 

 日本の株価もアメリカの株価も底堅く、むしろ堅調と言っていい。日本とアメリカ経済は密接に繋がっており、1人(1国)勝ちは難しい。しかし、アメリカは日本よりも「38.1歳の人間が2億人多い国」。アメリカの国土面積は日本の25倍ある。長い時間で見て、アメリカは今後、更に成長する国。より投資に適した国は?答えは明白だろう。

2017年6月 1日 (木)

投資適格国 1

Dsc_0922 国立社会保障・人口問題研究所の人口推計によると、日本の人口は毎年、30万人程度減少して行くという。人口30万人前後の都市を列挙すると…那覇市、秋田市、四日市市、春日井市、久留米市、盛岡市、福島市、明石市、東京都豊島区、青森市。

 沖縄県那覇市 人口319千人 中核市・県庁所在地 / 秋田県秋田市 311千人 中核市・県庁所在地 / 三重県四日市市 310千人 特例市・県庁所在地である津市を上回る三重県最大都市 / 愛知県春日井市 307千人 特例市・名古屋市北部に隣接するベッドタウン / 福岡県久留米市 304千人 中核市・筑後地方の中心都市(福岡県で第3位の都市) / 岩手県盛岡市 295千人 中核市・県庁所在地 / 福島県福島市 291千人 県庁所在地 / 兵庫県明石市 294千人 特例市・神戸市や大阪市のベッドタウン / 東京都豊島区 297千人 特別区 / 青森県青森市 281千人 中核市・県庁所在地 ※現在、特例市制度は廃止され、中核市制度に統合。人口は2017年5月の人口推計。

 毎年、“県庁所在地級”の都市(人口)が消滅することになる。ピーク時の2010年に1億2,800万人だった人口は、22世紀を翌年に控えた2100年に5,000万人を割り込む。ピーク時から100年後の2110年には4,300万人にまで急減する。2100年から2110年の10年間で700万人減少する。

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