越後諸藩と三方領地替え
三方領地替えは、江戸幕府が行った大名に対する転封処分、統制手法のひとつ。三方領地替えは何度も行われているが、そこには度々、越後諸藩が登場する。
1649年 陸奥国白河藩主榊原忠次→播磨国姫路藩 姫路藩主松平直矩→越後国村上藩へ 村上藩主本多忠義→を白河藩へ転封
1741年 越後国高田藩主松平定賢→陸奥国白河藩 白河藩主松平明矩→播磨国姫路藩 姫路藩主榊原政純→高田藩へ転封
1840年 武蔵国川越藩主松平斉典→出羽国庄内藩 庄内藩主酒井忠器→越後国長岡藩 長岡藩主牧野忠雅→川越藩へ転封(この三方領知替えは庄内藩の天保義民事件や幕府の権力低下等により実現することはなかった)。
転封(移封)は必ずしも不祥事の処分や幕府の統制とは言えない面もある。しかし、越後諸藩は雪深い土地。ある意味、これらの地が左遷の行き先となっていたことは否めない。
雪国・越後・新潟に新幹線や高速道路という動脈を通し、経済という血を流すことで、旧越後諸藩を陽のあたる場所にしたのは田中角栄だろう。偉大で傑出した不世出の人物だ。
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