越後諸藩と幕府直轄地
桑名藩松平家は1710年に越後高田藩に移封を命じられてから、白河藩を経て、1823年に桑名藩に戻る。113年の時をかけ、桑名→高田→白河→桑名と、「越後の所領を土産に持って」戻ったことになる。その土産となった「越後国柏崎の所領」とは何だったのだろう。
出雲崎町に「天領の里」という道の駅がある。天領とは幕府直轄地のこと。直轄地とはすなわち、利権がある土地という解釈でいいだろう。そこに展示されているのは、佐渡の港から出雲崎に到着した「御奉行船」。船は一枚帆に葵の御紋、飾り金具が施されている。船の積荷は金と銀。当時、佐渡で採掘された金と銀は幕府の財政を支える貴重な資源だった。 【写真】 天領の里HPから
さらに、越後は米騒動が頻発するくらい、当時から米の一大産地だった。越後の米を船で運搬するのに利便性が高い港がある土地であったことも、天領=直轄地とした理由だろう。当時の「金と米の利権」がこの地にはあった。
幕府は出雲崎に代官所を置き、この地域を直接支配した。時には幕府の始祖・家康の異父弟の家系である桑名松平家が桑名藩預り所として利権を死守した。
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