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2017年5月15日 (月)

越後諸藩と白河藩

Dsc_0862 1823年の三方領地替えで白川藩主・松平定永が白河藩飛び地である越後国柏崎の所領と共に桑名藩に入った。なぜ白河藩が越後に所領を有していたのだろう。

 1627年 丹羽長重が入り、白河藩が成立  1649年 越後国村上藩より本多忠義が入る(1649年の三方領地替え)

 1741年 越後国高田藩より久松松平家の松平定賢が、高田藩領だった越後国柏崎の所領と共に入る(久松松平家は徳川家康の異父弟 松平定勝の三男・松平定綱の系統)

 1823年 松平定永のときに久松松平家は旧領の伊勢国桑名藩に転封(1823年の三方領地替え)

 1866年 戊辰戦争時は藩主不在で係争地となり、白河城は大半を焼失。やがて白河藩は廃藩となった

 1741年に「越後国高田藩から松平定賢が高田藩領だった越後国柏崎の所領と共に入ったこと」で白河藩の領地・飛び地となった経緯がある。松平家は1710年松平定重の時代に「野村騒動」で越後高田藩に移封を命じられたことに繋がる。1823年、松平家は113年の時をかけ、桑名→高田→白河→桑名と、越後の所領を持って戻ったことになる。では、越後国柏崎の所領とは何だったのだろうか。

【写真】 いつもの窓から。夕陽と雲は万華鏡のように「1度だけ」の光景をつくり出す。

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