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2017年5月

2017年5月31日 (水)

谷信(見附市)

 今日は県内各地で真夏日になった。全国の観測地点での最高気温は新潟市の秋葉区で記録した。長岡も30度を超えた。5月中に夏日や真夏日を記録する地方も少なくない。明日から6月。“衣替え”だ。最近は5月中に衣替えするところが多くなった。実勢に合わせて対応するというように変わってきた。多くの企業が制服を廃止した。私服で勤務しているのであれば尚更だ。一部では企業の制服復活ブームもあるが、実勢に合わせてというのは後戻りしないだろう。

Dsc_0920 先日、信号待ちの車内から撮影した“見附市民のソウルフード”「アイスの谷信」。衣替え時期から本格的な稼ぎ時を迎える。もちろん自分にとっても大切な店。ここの「ひき茶アイス」、「白アイス」を何百回食べただろう。

 懐かしい話をいくつか。昔はお土産(持ち帰り)にすると、アイスの頭にコーンのフタをしてから、袋に入れてくれた。袋の中にはアイスのコーンを立てる穴が開いた厚紙が入っていて、倒れないようになっている。今もそうなのかな。昔は2階がイートインコーナーになっていた。部活の練習の帰りなど、よくそこでアイスを食べた。部活後のアイスは格別だった。昔は冬になると「アラモード焼き」という名のお菓子(お焼きの一種)を売っていた。夏だけでなく、冬も人気の店だった。

 “町のアイス屋さん”として様々なメディアにも取り上げられてきた。そんな時、決まって「昔ながらの味」とか「懐かしい味」などと表現される。もちろん、幼い頃から食べている身にしてみれば、思い出と繋がっている懐かしさはある。しかし、「昔ながらの」とか「懐かしい」という形容は実体を現していない。アイスの種類は定番のものも多いが、常に新しい味にチャレンジしている。小さな町でアイスや洋菓子を売って、50年近く商売を継続している裏には「新しいものを取り入れようとする姿勢」がある。研究熱心であることに加え、“アイスで生きる”という揺るぎない覚悟が、この店を支えている。

 谷信 見附市新町1-7-7 ℡0258-63-1360 営業時間:9時30分~20時 定休日:不定休

2017年5月30日 (火)

警察官と消防士

Fireman 昨日、“古傷”について記していて、よく飲み会で話していたことを思い出したのでまとめてみた。

 「警察官と消防士」  主にトラブルが起きた時、人は2種類の対応をする。事実を確認した後、警察官型の人は犯人を捜し、原因追及を始める。犯人を捕らえることが解決だと信じているので、「犯人は捕まえました」という結論を持って謝罪なりの回答をしようとする。トラブルという炎はまだ燃えている。このタイプの人は火に油を注ぐことになる場合がよくある。また、「トラブルを起こすと罰が待っているぞ」という恐怖政治型で業務遂行するタイプ。

 消防士型の人は消火活動にあたる。まずは火を消して、現場検証はその後に行う。双方から事情を聴き、商取引であれば顧客側に立って、言いがかりや勘違いの可能性を探る。トラブルを火事に例えるなら、そのほとんどが失火だからだ。また、事後、火事が発生しない仕組みづくりを検討するタイプ。

 「エスカレーターとエレベーター」  主にプロジェクトの進行や仕事を分業・分担する場面で、人は2種類の対応をする。エスカレーター型の人は、一方通行が多く、なかなか降りてこようとしない。上りには乗るが、下りには乗らないか、下りのエスカレーターがあることを知らない。多くの場合、順番に乗るが、われ先にと駆け込む人もいる。

 エレベーター型の人は“昇降”する。自分の経験の中に、1階から10階のフロア行きのボタンがある。そのフロアを自由に昇降し、助言を与え、経験を語ることができる。経験談ほど当てにならないものはないが、降りてきて語ることほど励まされることはない。エレベーターは、集団で乗る。例え駆け込んでも、着くのは一緒だ。

2017年5月29日 (月)

2年前の傷 2015.5.29 PM8:00

 人生には後悔する出来事がたくさんある。サラリーマンとして生きる上で、「気持ちの切り替え」とか「オンとオフの切り替え」がかなり重要な要素であることはわかっていても、それがうまくいかないこともある。

 2年前の5月29日は月末の最終営業日だった。その日は毎月恒例の飲み会の日だった。駅前の居酒屋は空席が目立っていたが、予約で満席だった。金曜日だ。参加者は男ばかり10名ほど。午後8時を回った頃、次第に満席になった店内に怒声が響いた。店内は騒がしかったが、その声は周囲のテーブルに届き、店内は一瞬、静まり返った。

 怒りの矛先はひと月前、新しい職種にローテーションされてきた20代半ばの青年に向けられていた。およそ20歳年上の上司に怒鳴られていた。最終的に上司の言い分は「自分の目の前から消えろ。飲み会の席から退去せよ」ということだった。それは教育でも、指導でも、叱責でもない。自らの権力を誇示・威嚇し、まるで自らのストレスを発散・解消しているかのような怒り方だった。

 上司は内々の飲み会では、いつも決まって遅れてやって来た。上司を待つ部下たちは、決まって“席決め”で一悶着した。上司の前や隣席に誰が座るか。標的になる彼への風当たりを少しでも和らげよう、防ごうという思いもあったが、なかなか決まらない。なぜなら、皆が上司の前席や隣席には座りたくないからだった。

 彼はひとしきり罵倒された後、退去するよう命じられた。隣席にいたグループの客は「パワハラですね」とつぶやいていた。そんな客をなだめ、お騒がせしますと謝った。ここは会社ではなく、勤務時間でもない。その命令に従う必要は無かったが、彼が上司の部下であることに変わりはなかった。勤務時間を終えた後、発動された帰宅命令に彼は従った。

 飲み会の後、彼を慰めることはできたが、飲み会の席上で、彼を庇うことができなかった。人生には後悔する出来事がたくさんある。2年前の傷跡は、一生消えることはない。

2017年5月28日 (日)

2017年 東京優駿

 第84回 東京優駿(ダービー)を新潟競馬場で観戦。先週まで新潟春競馬が開催されていたが、結局、1日も現地観戦することなく終わった。1週ずらした訳は、この春、新潟競馬場の観戦席(S指定席)が改装された。夏開催時の指定席は8時前後に満席になることが多く、長岡から向かう者にとって、指定席を確保することはかなりハードルが高い。昨年の新潟記念当日は、5時に起きて6時に出発しても、7時過ぎには売り切れ(満席)だった。パークウインズ(場外発売日)ならば、ほぼ確保できるS指定席を試してみたい思いがあった。

 朝方、少し雨に当たったが、時間の経過とともに天気は回復。先週で春の新潟開催は終わっているが、ダービー馬券を買い求める人でかなりの入場者がいた。ダービーに合わせ、主に家族向けのイベントが行われていた。BSNラジオの生放送も。

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 パークウインズ(場外発売日)のS指定席は500円(税込)。開催日は1,000円(税・入場料込)。最前列を確保。S指定席はNILS21スタンド3階。青いシート(クッション性あり)で、インフォメーションモニターとコンセントがついている。開催日に自分がよく使うA指定席はアイビススタンドなので「直線の攻防」が、S指定席は「ゴール板前の攻防」が見所になる。A指定席は赤いシート(クッション性あり)でコンセント付き。インフォメーションモニターはないが、「あまり大差ない」という印象。

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 第84回 日本ダービーはC.ルメール騎乗のレイデオロが勝利。2014年生まれのサラブレッド7015頭の頂点に立った。スペイン語で「黄金の王」の意味を持つレイデオロは、父・キングカメハメハに続き、ダービー親子2代制覇となった。優勝ジョッキーであるC.ルメール騎手は、ヴィクトリアマイル、オークスに続き、3週連続でGI競走を勝利した。レイデオロを管理し、日本を代表する調教師である藤沢和雄調教師は、悲願のダービー初制覇を果たした。「藤沢+ルメール」は、先週のオークスに続き、ダービーも勝利。記録づくしのダービーになった。結果的に2番人気→3番人気→1番人気の決着になったが、馬券は外した(持参した東スポ=写真のとおり買っていれば…)。1~3番人気の決着は2年連続。皐月賞組が強く、別路線組は届かない。内枠優勢など、ダービーの特性は引き継がれている。

 来週からは、来年のオークス、ダービーを目指して2015年生まれの馬たちによる新馬戦が始まる。

2017年5月27日 (土)

路肩の花

Dsc_0905 休日の朝、幹線道路の道端に何人か人が集まって、路肩の花壇の手入れをしている。どうみても近所から集まってきた住人のように思う。

 あのシステムはどうなっているのだろう。花の種や苗のお金は市から出ているんだろうか。世話をしている人たちはボランティアなんだろうか。

2017年5月26日 (金)

公園の木

Dsc_0732 近所の公園の木。ねじれた幹を持つ代表的な樹木は「伊吹(イブキまたはビャクシン)」だが、そこまでねじれていない。男女が抱き合っているように見えなくもない。

2017年5月25日 (木)

新聞の力が衰退した

 一昨日記した2つのニュースについて、思うところを少々追記する。

 国際NGO「PAX(平和)」(オランダ)の調査によると、“恐怖の爆弾”と言われるクラスター爆弾の製造企業に対し世界の金融機関166社が過去4年で310億㌦(約3兆4千億円)を投融資したと発表した。そのうち日本の金融機関は4社あり、クラスター爆弾規制条約締約国では最も多い。

 という報道。新聞やテレビは、NGOが調査・発表したことを記事やニュースにしたが、記者は調査していない。

 商工中金が国の制度融資「危機対応業務」で不正を行っていた問題で、金融庁は商工中金へ立ち入り検査を実施する。商工中金は、企業の業績を悪くみせかけるなどして制度の対象になるよう審査書類を改ざんしていた。第三者委員会の調査で全国92支店のうち35支店、816件(約198億円)に不正が及んでいたことがわかった。不正が全国的に行われた背景や、経営陣の関与の有無などを調べ、原因の解明を図る。

 という報道。新聞やテレビは、不正を行った金融機関とその監督官庁が情報開示したことを記事やニュースにしたが、記者は調査していない。

 “新聞の力”が衰退した。

 【写真】 いつもの窓から

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2017年5月24日 (水)

令終の思想

Img_201707311 悠久山通りを市街地から東に向かい、中央図書館を過ぎ、栖吉川を越える橋の名は「れいしゅうばし」。橋の東のたもとに石碑と銀色のプレートが設置してある。車ではわからないし、徒歩でも気がつかないかもしれない。石碑には「悠久山公園道路」と刻まれ、脇のプレートには3つのことが書かれている。

1.1916年(大正5年)当時、60歳を超えた財界人が「長岡には公園や公会堂などがない。長岡市と長岡市民の為になる事をしよう」と呼びかけ、これに賛同した者たちで会が設立されたこと。会の名前は「生きている内に善い事(令)をして、最期まで人生をまっとうしよう(終)」という願いを込め「令終会」と名付けられたこと。

2.悠久山を大公園に整備すること。公園に通ずる道路を拡幅整備すること。そのために会員自ら多額の寄付金を拠出したこと、また、募金活動によって10万円(現在の価値で数十億)の寄付金を集めたこと。寄付者の名簿には山本五十六の名前もあったこと。

Img_2017073123.工事は1917年(大正6年)に着工し、1919年(大正8年)に完成したこと。この石碑はその工事完成を記念して建てられたものであること。

 令終とは「善死、美名を保って死ぬこと」を意味する。令終会が訴えた募金趣意書には「人生の終わりを全うせしむるに自己の私財を善用し、末を誤ることなかれ」と記されていたという。自分は長岡人ではないし、財界人でもないが、長岡に米百俵の精神など、「目先の利益よりも、後生・後世の利益を重んじる思想」があることに畏敬の念を持っている。

 当時の寿命は男性で43歳、女性で44歳程度。寿命は男女ともに当時の倍近くまで延びた。「人生の終わりを全うせしむるに…」、その令終の思想は、今も尚、受け継がれているのだろうか。1917年(大正6年)5月24日、悠久山公園道路の竣工式が行われてから、今日2017年5月24日が100年目にあたる。

2017年5月23日 (火)

汚れているのは金か人か

 朝日新聞から抜粋して引用

 国際NGO「PAX(平和)」(オランダ)の調査によると、“恐怖の爆弾”と言われるクラスター爆弾の製造企業に対し世界の金融機関166社が過去4年で310億㌦(約3兆4千億円)を投融資したと発表した。そのうち日本の金融機関は4社あり、クラスター爆弾規制条約締約国では最も多いという。PAXはクラスター爆弾を作る米中韓の主要企業6社の取引を調査。投融資した金融機関数は米国85社、中国30社、韓国27社、台湾5社とクラスター爆弾規制条約の非締約国が続き、その次が締約国である日本の4社だった。

 毎日新聞から抜粋して引用

 商工中金が国の制度融資「危機対応業務」で不正を行っていた問題で、金融庁は本店などへの立ち入り検査を実施する。商工中金では、制度の対象になるよう審査書類を改ざん、業績を悪くみせかけ、融資実績を水増ししていた。第三者委員会の調査で全国92支店のうち35支店、816件(約198億円)に不正が及んでいたことがわかった。不正が全国的に行われた背景や、経営陣の関与の有無などを調べ、原因の解明を図る。

 【追記】5/24 商工中金の不正問題で、中小企業庁が不正を把握しながら、「問題ない」と判断、不正を見落としていたことが分かった。当時の監督当局と商工中金のやり取りを示す重要書類の有無が分からない事態になっているという。

2017年5月22日 (月)

菜の花の季節/魚沼の里(南魚沼市)

 「魚沼の里」の菜の花畑。右奥は八海醸造の第二浩和蔵。酒米を蒸す湯煙が立ち上っていた。清酒造りでは、米を炊くのではなく蒸してから使う。

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 魚沼の里 南魚沼市長森 関越道六日町ICまたは大和ICから10㌔程度 営業時間:10時~17時 定休日:なし

2017年5月21日 (日)

芝桜の季節/花と緑と雪の里(魚沼市)

 近年、テレビニュースなどでよく目にするのが芝桜。芝桜の名所があると聞いて訪れた「根小屋 花と緑と雪の里」。なだらかな斜面におよそ16万株の芝桜が広がっている。写真左奥が八海山。中央の施設は関越道堀之内PA・堀之内IC。

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 県立奥只見レクリェーション都市公園 「根小屋 花と緑と雪の里」 魚沼市根小屋5544−1 関越自動車道 堀之内ICすぐ

2017年5月20日 (土)

波乱の季節

Dsc01150 ミャンマー最大の都市・ヤンゴンにある寝釈迦像。ミャンマーは旧ビルマ。ヤンゴンは旧ラングーン。寝釈迦像「チャウッターヂー・パヤー」は高さ16㍍、全長70㍍。完成したのは1966年というから、歴史は浅い。

 3年前と4年前のこの時期、海外への出張旅行があった。2013年5月22日~25日に台湾、2014年5月21日~25日にミャンマー。

 4年前、台湾旅行中の出来事。中国の製造業指数の悪化が伝えられ、同国の景気減速懸念から株が売られた。為替相場は円高に転じ、更なる株価の下落を招き、日経平均株価は前日比▲1,143円下落した。後に「アルゴリズム(システムによる自動売買)」の影響とも伝えられた。

 3年前、ミャンマー旅行中の出来事。遺跡都市バガンに滞在していた時、隣国のタイで軍事クーデターが起きた。地続きの隣国でクーデターが起こったことは驚きだった。帰国後、タイでは1932年の立憲革命以来、19回目のクーデターであることを知った。

 株式市場には「Sell in may」(5月に株を売れ)という格言がある。格言ができた理由はわからないが、世界の株式市場の動向を左右するヘッジファンド(巨額機関投資組織)が、決算のためファンドの償還請求を行う時期にあたる(6月末締めの場合、償還請求期限は39日から30日前までの間)。5月下旬は株価下落が起きやすい構造があり、この時期の「益出しの売り」は、想定すべき事象ということになる。

 先週、アメリカのトランプ大統領が連邦捜査局(FBI)長官を解任した。前長官の在任中、国家安全保障担当であった前大統領補佐官とロシアの関係を巡る捜査を打ち切るよう求めていたという。この司法妨害疑惑は「ウォーターゲート事件」に倣って「ロシアゲート事件」と呼ばれている。仮に大統領弾劾の手続き入れば、経済施策や減税策への期待は失望に変わる。

 3年前、4年前の経験があるからか、体験的に「何か起こる時期」という覚悟がある。5月は寝釈迦像のようにしていよう。

2017年5月19日 (金)

美しい季節

Dsc_0859_2 ゴールデンウィークから梅雨入りまでのおよそ1ヶ月間は1年を通じて最も過ごしやすい季節。コットンのロングスリーブシャツ1枚でいられる身軽さが心地いい。

 この時期、越後平野に広がる水田の風景は、日本海に沈む夕陽よりも美しいと思う。用水路の水は溢れんばかりに流れているが、水を湛えた田んぼは悠然としている。

 平成28年度の農林水産統計によると、新潟県の水稲作付面積は116,800㌶で全国1位。全国の作付面積は前年比▲27,000㌶減少している(一昨年は▲68,000㌶減少)。一方、一昨年は減少していた収穫量は前年比で増加している。「耕作技術等の向上で1㌶あたりの収穫量は増加するが、天候による影響を大きく受ける」という解釈でいいのだろうか。

 人口減少と食生活の変化(パン食増加等)が米消費の低迷に拍車をかけている。米が不足しているというニュースは聞かないし、異常気象にでもならない限り、そういうことにはならないようだ。減反面積が、補助金が、どうこうというニュースは小さな扱いになった。

 5月下旬といえば「麦秋」。パンなどの原料となる小麦の自給率は15%前後ある。国内の小麦は北海道が70%を超えるシェアを持つが、この時期、春を迎えたばかりの北海道に麦秋の風景があるのだろうか。

2017年5月18日 (木)

道の駅 漢学の里 しただ(三条市下田)

Dsc_0856 「道の駅 漢学の里 しただ」をカーナビで検索したが、ヒットしない。データが10年経過したカーナビではこんなことが珍しくない。次に「諸橋轍次記念館」に設定すると、30キロと表示された。意外と近い。

 諸橋轍次(てつじ) … 諸橋轍次博士は、1883年(明治16年)6月4日、三条市(旧下田村)生まれ。東京高師卒業後、大学教授を経て、戦後は都留文科大学学長に就任。この間50余年にわたり儒学研究、大漢和辞典編纂という偉業を成し遂げた。昭和40年に文化勲章を受賞。1982年(昭和57年)12月8日、100歳で逝去。生涯を通じて、漢学研究に情熱を傾けた。文学を愛し、郷里を愛した博士は、今なお地域の人に深く敬慕されている。博士の生家を含む小高い丘に記念館などが建設され、一帯を「漢学の里」と呼んでいる(記念館の紹介文を抜粋引用)。

 諸橋轍次記念館を訪れたのは、まだ開館間もない1993年5月だった。現在では、記念館周辺が「道の駅 漢学の里 しただ」として整備されている。農産物直売所や農家レストランなどがある。ここを目的地としても十分楽しめる。更に奥には人気の日帰り温泉「いい湯らてい」、越後長野温泉嵐渓荘、笠堀ダム、大谷ダムがある。道も平坦で適度なドライブコース。写真は道の駅駐車場から名勝“八木ヶ鼻”を望む。

 道の駅 漢学の里 しただ 三条市庭月451-1 ℡0256-47-2230

2017年5月17日 (水)

越後諸藩と三方領地替え

Img_20170518 三方領地替えは、江戸幕府が行った大名に対する転封処分、統制手法のひとつ。三方領地替えは何度も行われているが、そこには度々、越後諸藩が登場する。

 1649年 陸奥国白河藩主榊原忠次→播磨国姫路藩 姫路藩主松平直矩→越後国村上藩へ 村上藩主本多忠義→を白河藩へ転封 

 1741年 越後国高田藩主松平定賢→陸奥国白河藩 白河藩主松平明矩→播磨国姫路藩 姫路藩主榊原政純→高田藩へ転封 

 1840年 武蔵国川越藩主松平斉典→出羽国庄内藩 庄内藩主酒井忠器→越後国長岡藩 長岡藩主牧野忠雅→川越藩へ転封(この三方領知替えは庄内藩の天保義民事件や幕府の権力低下等により実現することはなかった)。

 転封(移封)は必ずしも不祥事の処分や幕府の統制とは言えない面もある。しかし、越後諸藩は雪深い土地。ある意味、これらの地が左遷の行き先となっていたことは否めない。

 雪国・越後・新潟に新幹線や高速道路という動脈を通し、経済という血を流すことで、旧越後諸藩を陽のあたる場所にしたのは田中角栄だろう。偉大で傑出した不世出の人物だ。

2017年5月16日 (火)

越後諸藩と幕府直轄地

20170514 桑名藩松平家は1710年に越後高田藩に移封を命じられてから、白河藩を経て、1823年に桑名藩に戻る。113年の時をかけ、桑名→高田→白河→桑名と、「越後の所領を土産に持って」戻ったことになる。その土産となった「越後国柏崎の所領」とは何だったのだろう。

 出雲崎町に「天領の里」という道の駅がある。天領とは幕府直轄地のこと。直轄地とはすなわち、利権がある土地という解釈でいいだろう。そこに展示されているのは、佐渡の港から出雲崎に到着した「御奉行船」。船は一枚帆に葵の御紋、飾り金具が施されている。船の積荷は金と銀。当時、佐渡で採掘された金と銀は幕府の財政を支える貴重な資源だった。 【写真】 天領の里HPから

 さらに、越後は米騒動が頻発するくらい、当時から米の一大産地だった。越後の米を船で運搬するのに利便性が高い港がある土地であったことも、天領=直轄地とした理由だろう。当時の「金と米の利権」がこの地にはあった。

 幕府は出雲崎に代官所を置き、この地域を直接支配した。時には幕府の始祖・家康の異父弟の家系である桑名松平家が桑名藩預り所として利権を死守した。

2017年5月15日 (月)

越後諸藩と白河藩

Dsc_0862 1823年の三方領地替えで白川藩主・松平定永が白河藩飛び地である越後国柏崎の所領と共に桑名藩に入った。なぜ白河藩が越後に所領を有していたのだろう。

 1627年 丹羽長重が入り、白河藩が成立  1649年 越後国村上藩より本多忠義が入る(1649年の三方領地替え)

 1741年 越後国高田藩より久松松平家の松平定賢が、高田藩領だった越後国柏崎の所領と共に入る(久松松平家は徳川家康の異父弟 松平定勝の三男・松平定綱の系統)

 1823年 松平定永のときに久松松平家は旧領の伊勢国桑名藩に転封(1823年の三方領地替え)

 1866年 戊辰戦争時は藩主不在で係争地となり、白河城は大半を焼失。やがて白河藩は廃藩となった

 1741年に「越後国高田藩から松平定賢が高田藩領だった越後国柏崎の所領と共に入ったこと」で白河藩の領地・飛び地となった経緯がある。松平家は1710年松平定重の時代に「野村騒動」で越後高田藩に移封を命じられたことに繋がる。1823年、松平家は113年の時をかけ、桑名→高田→白河→桑名と、越後の所領を持って戻ったことになる。では、越後国柏崎の所領とは何だったのだろうか。

【写真】 いつもの窓から。夕陽と雲は万華鏡のように「1度だけ」の光景をつくり出す。

2017年5月14日 (日)

越後諸藩と桑名藩

 このひと月で、船岡公園の西軍墓地、伊東道右衛門の碑、小千谷の慈眼寺。そして、五稜郭。意識していなかったが、幕末の記事を記している。

 幕末、戊辰の越後には度々、「桑名藩」が登場する。越後諸藩と深い縁があることに気づく。桑名藩は江戸時代に伊勢国に存在した藩。現在の三重県桑名市の辺り。揖斐川、長良川、木曽川の“木曽三川”の河口に拡がる地域にあった。

 1601年 徳川家康譜代の重臣で“徳川四天王”の1人、本多忠勝が入り、桑名藩が立藩

 1617年 本多家に代わり、家康の異父弟である松平定勝が入る

 1710年 松平定重の時代に「野村騒動」が起き、責任を問われた定重は越後高田藩に移封を命じられる

 1802年 越後与板藩から婿養子として松平忠翼を迎える

 1823年 「三方領地替え」で陸奥白河藩から松平定永が白河藩の飛び地である越後国柏崎の所領と共に入る。久松松平家はかつての桑名藩主・松平定重の系譜。定永は「寛政の改革」を行った白河藩主で老中・松平定信の嫡男。

 1837年 大坂で発生した「大塩平八郎の乱」に触発された「生田万の乱」が、桑名藩領地・越後国柏崎で起こる。

 1868年 徳川慶喜が恭順派に回る。桑名藩主・松平定敬(会津藩主・松平容保の実弟)は、桑名藩領地である越後国柏崎に入り、西軍と抗戦する。越後長岡藩・河井継之助が戦死した後、兄の容保を頼って会津に落ち延びる。桑名軍は会津軍と共同して激戦を繰り広げたが、やがて降伏。元号が明治に改元。

 1823年の三方領地替え(三方領地替えは幾度となく行われた徳川幕府に使える大名の配置替え)で松平定永が白河藩の飛び地である越後国柏崎の所領と共に入ったことに端を発している。では、なぜ白河藩が越後国柏崎に所領を有していたのだろう。

2017年5月13日 (土)

旨いビール

20170523 単純に「旨いビール」の話を記そうと思っただけだったが…。

 1980年代後半のバブル期に発売された「アサヒ スーパードライ」が、数年後、それまで圧倒的なシェアを誇った「キリン ラガー」をシェアで逆転したというニュースは、当時、かなりのインパクトを持って伝えられた。業界地図が塗り変わるというのは、なかなか聞かないことだった。

 ビール販売のシェアは、キリン → アサヒ → サッポロ → サントリー の時代が長かった。最近のシェアをインターネットで調べてみると、アサヒ → サントリー → サッポロ → オリオン になっている。サイトにはこんな注意書きがあった。「キリンホールディングスは平成25年よりセグメントを変更し、従来の酒類事業のデータ開示を行わなくなりました」

 現代ではビール事業だけの統計比較は難しいということがわかった。ビールはアルコール飲料のひとつ、飲料セグメントのひとつという考え方はそれでいいと思う。しかし、それまでずっとあった統計ができなくなるというのは、少々、ご都合主義ではないだうか。こういうのは「東芝臭」がする。

 「旨いビール」の話。GWの北海道旅行で飲んだ「サッポロ クラシック」。

2017年5月12日 (金)

信認を受けた者が履行すべき義務

 欧米では広く「信認を受けた者が履行すべき義務」とされる「フィデューシャリー・デューティー(Fiduciary duty/受託者の忠実義務)」。日本では「顧客本位の業務運営」を指す言葉になった。

 2014年9月 金融庁の金融モニタリング基本方針の中で、「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」

 2017年1月 金融庁の金融審議会市場ワーキンググループの報告に基づき「顧客本位の業務運営に関する原則(案)」を発表

 1.顧客本位の業務運営(Fiduciary duty)を行うための方針を策定し公表する。

 2.顧客に対し、誠実・公正に業務を行い、顧客にとって最善の利益を図る。

 3.取引における顧客との利益相反の可能性を適切に避ける(販売会社がグループ会社の商品に偏って顧客に商品を勧めるような営業行為などが該当する)。

 4.金融事業者は顧客が負担する手数料その他の費用の詳細を情報提供する。

 5.金融商品の重要な情報を顧客に正確かつ分かりやすく伝える。

 6.顧客の資産状況・取引経験・知識及び取引目的・ニーズに合った商品・サービスの販売・推奨を行う。

 7.社員に対する報酬・評価制度を顧客の利益に合う形で制定する。

 「信認を受けた者が履行すべき義務」。株主から信認を受けた経営者は利益の最大化を履行すべき義務として取り組むだろう。しかし、金融庁が求めているものは、そのように都合良く解釈された Fiduciary duty ではない。

 若者や女性社員を使って、ペテン師のようなリスク資産販売を続けさせている経営層に、“襟を正す”ことを求めている。

2017年5月11日 (木)

81歳の父

 父・81歳の誕生日。

 持病に高血圧と軽度の糖尿病を患っている。それなのに甘いものを食べている姿をよく見かける。何度も何度も禁煙したタバコは、どうやらもう止めるつもりはないらしい。

 こう書くと、不摂生なように思えるが、そうでもない。大腸ガンを患ったが、定期的に受けている検査での早期発見が命を救った。脊柱官狭窄症の手術で片足を引きずるようになったが、グラウンドゴルフに励んでいる。自分の健康や体というよりも、命に対しては、真剣に向き合っている。

 父の枕元には、歴史小説や評論本などが置いてある。就寝前に本を読む習慣は変わっていない。それらの本のほとんどが、近所の市立図書館から借りてきたものだ。これも父らしい姿だ。

 80歳を過ぎ、多くの親友が去った。しかし、父は泰然自若としているように思う。慌てず、騒がず、落ち着いている。

2017年5月10日 (水)

70歳の理髪師

20170427 先日、床屋で髪を切ってもらっている最中、珍しく主人と会話が弾んだ。適当に相槌をうちながら、ひと月ほど前のニュースを思い出していた。

 京都のタクシー会社が「サイレンスタクシー」の試験運行を始めたという。「サイレンスタクシー」は乗客に対して、行き先を聞くなど最低限の対応をする以外、乗務員からの声掛けを控えるというもの。床屋で主人と会話するシチュエーションが「サイレンスタクシー」と似ている。「サイレンス床屋」、語呂が悪いので「サイレンスバーバー」の需要もあるのではないか?そう思った。主人との会話が煩わしかった訳ではない。

 行きつけの床屋は決めていない。15分ほどで散髪とひげ剃りが完了するチェーン店を利用している。3軒から4軒を、その時の気分で使い分けている。そもそも散髪にこういった店を選ぶ理由は、低価格・短時間・気をつかわなくていいからというものだと思う。しかし、最近は「普通の理容店に行く」という選択肢がなくなっている。町から理容店が消えつつある。

 自分はその主人を「アキラ」と呼んでいた。もちろん直接、そう呼んだことはない。遠目から見た風貌が、俳優・歌手の小林旭に似ていること、これまで何度も散髪してもらったが、常に彼は無口だったからだ。主人は70歳になったと言っていた。美容師のなり手はあっても理容師のなり手は少ないという。確かにそうかもしれない。テレビなどで「カリスマ美容師」は取り上げられるが、「カリスマ理容師」は見聞きしない。「寿命が延びて、60歳は早いかもしれないが、65歳で定年というのは、なるほど良くできた制度だ」とも言っていた。体力も気力も限界だと。全国で書店や酒屋が無くなったように、やがて町の理容店もなくなるように思う。理容師・理髪師という技術者が不足している。

 70歳の理髪師は時々、髪を切る刃先が震える。しかし、仕上がりは悪くない。ひげ剃りの手順は若手と交代する。ここまで冗舌に話す人柄であったのかと戸惑いつつ、彼との会話を楽しんだ。体力も気力も限界だと言う彼の言葉に、退き際を考えているのだなと感じた。「アキラ」に切ってもらうのは、あと何回か、いや、今日が最後かもしれないと思った。その思いを一段と強くしたのは、店を出る際、「店舗移転」の貼り紙があったからだ。

 「サイレンスタクシー」の試験運行はどんな結果になるだろう。「サイレンスバーバー」の需要はあると思うが、試みる店はあるだろうか。街から書店や酒屋が消え、床屋も減少していく。遠い将来にはタクシーも無くなるかもしれない。自動運転の車には、人口知能との会話をON・OFFするスイッチがついているはずだ。

2017年5月 9日 (火)

40歳を過ぎてできた親友

Dsc_0729 友人、友達、そして親友。それぞれの時代に、それぞれ友人を持った。友人の数に過不足を感じたこともなかったが、今思えば、その数は少なかったと思う。そうであったことの要因は“集団嫌い”だったことにある。

 なぜ集団嫌いになったのか。その原因をさぐって、時間の川を遡っても、どこまで遡ればいいのかわからない。記憶の山を越えて行った先に、何か答えがあるとも思えない。結局、「人には持って生まれた性分がある」という所にたどり着くのではないか。集団の中にいることの居心地の悪さや、群れることの気持ち悪さは、持って生まれたものらしい。 

 そんな性分を持って生まれ、生きてきた自分がいる。自分を客観的に観ることはなかなか難しいが、正直に言えば、なんとなくは分かっている。 - 「人と交わらない変わったヤツ」。

 それでもやはり、自分の最大の理解者は自分自身であることに気づく。そんな自分が40歳の時に同僚になったH氏とは親友としてのつきあいをさせてもらっている。先日は「越後の焼酒場 三郎」へ。どこの店に入ろうかと悩む必要もない。空いているカウンターがあれば、そこでいい。

 彼にも白髪が増えた。「40歳を過ぎてできた友は一生の友」というようなことわざがどこかにないだろうか。

2017年5月 8日 (月)

GW旅行 4

 GWは新潟~苫小牧のカーフェリーを利用して北海道へ。

 1.フェリーしらかば  帰路に乗船した「フェリーしらかば」(新日本海フェリー)は今年6月27日の航海をもって引退する。およそ23年の現役生活。

 2.船窓からの夕陽  苫小牧東港は市内にある西港からおよそ20キロ離れた勇払郡厚真町にある。物流を主体とする航路だからだろうか。新潟西港と東港の関係に似ている。火力発電所がある風景も似ていた。

 3.船上を回遊するカモメ  新潟港に近づくと船上をカモメが浮遊していた。旅の終わり。

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2017年5月 7日 (日)

GW旅行 3

 GWは新潟~苫小牧のカーフェリーを利用して北海道へ。

 1.母恋  函館から札幌へ向かう道中、再び室蘭へ。目的は母恋駅の“母恋めし”(駅弁)。ホッキガイの炊き込みご飯がおにぎりになっていて非常に手が込んだもの。母恋の語源はアイヌ語で「ホッキ貝のたくさんある場所」。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で、太川・蛭子コンビが食べていた。母恋駅売店の方は親切丁寧な対応。まったくスレたところがない素敵な方だった。

 2.テレビ塔  大通公園は中国からの旅行者、留学生、技能実習生と思われる人々が大勢いた。

 3.時計台  北海道を訪れるのは4回目だが、時計台やテレビ塔、大通公園は訪れたのは初めて。やはり“ランドマーク”となる場所や建物は脳裏に焼きつくもの。裏を返せば、ランドマークがある都市は強い。

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2017年5月 6日 (土)

GW旅行 2

 GWは新潟~苫小牧のカーフェリーを利用して北海道へ。

 1.八幡坂  早朝の函館の美しい坂道を見るため、函館市電の始発に乗った。車内は早出勤務と思われる女性、同じく早朝勤務らしき男性、そして函館西高校の男子生徒が乗っていただけだった。市電を末広町で降り、日和坂を上った。八幡坂、大三坂、二十間坂。八幡坂の坂上から函館湾を見下ろすと、その先には青函連絡船の記念館として停泊する「摩周丸」が見える。大三坂は2つの景観が楽しめる。1つは函館ハリストス正教会と函館聖ヨハネ教会に挟まれた細く、急な坂道。1つはカトリック函館元町教会と東別院大谷派函館別院に挟まれ、街路樹が印象的な坂道。それを2つの坂道と表現していいのかわからないが、その2つが交わる場所に「亀井勝一郎 生誕の地」の石碑が建っていた。

 2.二十間坂  坂上の民家で玄関先を掃き掃除している御老人に「素敵な場所にお住まいですね」と声をかけた。すると御老人から「引っ越して来なさい」と返ってきた。僅かにトゲがある言葉に思えた。自分は、函館の人々がようやく迎えた、短い春の穏やかな朝に押し掛けた観光客だ。すぐ近くには函館山ロープウェーの駅もある。渋滞や騒音、ゴミなどに悩まされているのかもしれない。ましてや坂の上の暮らしは、老人には不便も多いだろう。少しばかり心が浮かれていたことを後悔した。

 3.五稜郭  戊辰戦争において、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘である「箱館戦争(五稜郭の戦い)」の舞台になった。

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2017年5月 5日 (金)

GW旅行 1

 GWは新潟~苫小牧のカーフェリーを利用して北海道へ。

 1.フェリーから  津軽海峡を抜けた内浦湾沖、室蘭沖。遠くに見えるのは恵山岬だろうか。特殊な船体を持つ船はLPG(液化石油ガス)運搬船のようだ。

 2.チキウ岬  苫小牧で下船後、室蘭まで車を走らせた。夕陽に間に合った。一般的には地球岬と呼ばれる。チキウはアイヌ語の「断崖」に由来するという。

 3.白鳥大橋  室蘭・祝津公園から白鳥大橋を臨む。薄暮の空が美しい。橋の灯りと共にJX日鉱日石エネルギー 室蘭製油所の灯りが山と海を微かに照らす。

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2017年5月 4日 (木)

踊り場

Dsc_0733 踊り場という言葉は、外国語の和訳ではないという。踊り場は、階段の途中にある小さなスペース。転落防止や小休止のため、階段の方向転換にも使われる。やがて、「経済が踊り場を脱却する」などのように経済用語としても使われるようになった。景気が上昇する局面で使用し、景気の下降局面では用いないという。

 踊り場は位置と状況と時間を示す。小休止する場所、小休止する時間。方向を転換する場所、方向を転換する時間。覚えておくと「激励の言葉」に使えそうだ。

2017年5月 3日 (水)

科学者は戦争で何をしたか

Dsc_0735 憲法記念日。2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏(1940.2.7-)の著書「科学者は戦争で何をしたか」(集英社新書 2015年8月発刊)の紹介文を抜粋して引用する。

 益川氏が自身の戦争体験と反戦活動を振り返りながら、戦時中、科学者が大量に動員された歴史を振り返り、現在の日本が再び同じ道をたどろうとしていることに警鐘を鳴らす。「科学の進歩は何の批判もなく歓迎されてきたが、本来、科学は中性であり、使う人間によって平和にも軍事にも利用可能となる。そのことを科学者はもちろん市民も認識しなければならない」と説く。解釈改憲で戦争する国へと進む政治状況に危機感を抱く益川氏が、理論物理学者ならではの本質を見抜く洞察力と、人類の歴史を踏まえた長期的視野で、戦争をなくすための方策を提言する。

 益川氏を含め、「戦争体験がある人」は、戦争はもちろんのこと、戦争に続く道・戦争につながる道を否定する。一方、正義の戦争をする準備が必要と主張する人は「戦争体験がない人」ばかりだ。核開発を進める北朝鮮や生物兵器を使用したとされるシリア、その他のテロリスト集団も、戦争をする準備をしている。そして、彼らもまた、「自分たちは正義だ」と言っている。

2017年5月 2日 (火)

民法改正と憲法

Dsc_0736 1896年(明治29年)の制定以来初めて、民法の債権法(契約等に関するルール)が改定される。金銭貸借や売買等の契約ルールを時代に合わせたものに改定し、一般市民にもわかりやすく明文化する狙いがあるという。

 現行法では業種ごとに異なる消滅時効の期間(未払金返還請求期間)を原則5年に統一する。契約時に取り決めがない場合に適用される法定利率を年率5%の固定金利から年率3%の変動金利にする。企業が一般消費者等と定型的な取引をする際に使う約款について、契約としての拘束力が認められる。企業が融資を受ける際の第三者保証人は、公証人によって保証人の保証意思確認を必須とする。アパートの敷金の定義や内容を明確化する等の改定が含まれている。自分が学生の頃(25年以上前)に「実勢にそぐわない面がある」と講義を受けていた記憶があるが、およそ120年に渡って現行民法の契約ルール(または判例)に従ってきた。

 明日は憲法記念日。憲法のマイナーチェンジ(憲法改定)を迫る声がある。1896年の民法制定から51年後の1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法は施行された。「戦争をしない」というルールに、70年従ったくらいでルール変更を迫るのはどうなんだろう。時の為政者だけでなく、国も国民も社会も、この「もうこれではダメだ」と感じるのに100年、改定に10年。そのくらいのものだと思う。ちょこちょこと憲法を変える国は信頼されないのではないか。

 憲法は国民のもの。国民を守るもの。平和憲法が国民に不利益を与えているとは到底思えない。

2017年5月 1日 (月)

慈眼寺(小千谷市)

Dsc_0692 船岡公園を市街地側に下りて来た所に慈眼寺がある。1868年5月2日(旧暦。新暦6月21日)に「小千谷談判」が行われた寺。

 戊辰戦争の際、長岡藩は西軍(薩摩藩と長州藩を中心とする新政府軍)・東軍(薩摩と長州を中心とする新政府を認めない旧幕府軍)、いずれの勢力にも属さない(尊王でも佐幕でもない)中立派だったとされる。事実、長岡藩は奥羽列藩同盟への参加を断っている。長岡藩家老・河井継之助は新政府軍の岩村精一郎と慈眼寺で会談。中立の立場を守り、戦争を避けようと、西軍と東軍(中心であった会津藩)との調停の仲介を図ろうとした。しかし、岩村は河井の申し出を一蹴、嘆願書さえも受け取らず、会談は短時間で終了したといわれる。この後、長岡藩は奥羽越列藩同盟に参加し、越後諸藩もこれに続いて同盟に加わった。戊辰戦争における最大の激戦とされる北越戦争へと突入した。近代日本史の一幕。

 船岡山慈眼寺 小千谷市平成2-3-35 

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