70歳の理髪師
先日、床屋で髪を切ってもらっている最中、珍しく主人と会話が弾んだ。適当に相槌をうちながら、ひと月ほど前のニュースを思い出していた。
京都のタクシー会社が「サイレンスタクシー」の試験運行を始めたという。「サイレンスタクシー」は乗客に対して、行き先を聞くなど最低限の対応をする以外、乗務員からの声掛けを控えるというもの。床屋で主人と会話するシチュエーションが「サイレンスタクシー」と似ている。「サイレンス床屋」、語呂が悪いので「サイレンスバーバー」の需要もあるのではないか?そう思った。主人との会話が煩わしかった訳ではない。
行きつけの床屋は決めていない。15分ほどで散髪とひげ剃りが完了するチェーン店を利用している。3軒から4軒を、その時の気分で使い分けている。そもそも散髪にこういった店を選ぶ理由は、低価格・短時間・気をつかわなくていいからというものだと思う。しかし、最近は「普通の理容店に行く」という選択肢がなくなっている。町から理容店が消えつつある。
自分はその主人を「アキラ」と呼んでいた。もちろん直接、そう呼んだことはない。遠目から見た風貌が、俳優・歌手の小林旭に似ていること、これまで何度も散髪してもらったが、常に彼は無口だったからだ。主人は70歳になったと言っていた。美容師のなり手はあっても理容師のなり手は少ないという。確かにそうかもしれない。テレビなどで「カリスマ美容師」は取り上げられるが、「カリスマ理容師」は見聞きしない。「寿命が延びて、60歳は早いかもしれないが、65歳で定年というのは、なるほど良くできた制度だ」とも言っていた。体力も気力も限界だと。全国で書店や酒屋が無くなったように、やがて町の理容店もなくなるように思う。理容師・理髪師という技術者が不足している。
70歳の理髪師は時々、髪を切る刃先が震える。しかし、仕上がりは悪くない。ひげ剃りの手順は若手と交代する。ここまで冗舌に話す人柄であったのかと戸惑いつつ、彼との会話を楽しんだ。体力も気力も限界だと言う彼の言葉に、退き際を考えているのだなと感じた。「アキラ」に切ってもらうのは、あと何回か、いや、今日が最後かもしれないと思った。その思いを一段と強くしたのは、店を出る際、「店舗移転」の貼り紙があったからだ。
「サイレンスタクシー」の試験運行はどんな結果になるだろう。「サイレンスバーバー」の需要はあると思うが、試みる店はあるだろうか。街から書店や酒屋が消え、床屋も減少していく。遠い将来にはタクシーも無くなるかもしれない。自動運転の車には、人口知能との会話をON・OFFするスイッチがついているはずだ。
« 40歳を過ぎてできた親友 | トップページ | 81歳の父 »
「西向きの窓辺」カテゴリの記事
- 雪の重さを知る者は(2022.11.18)
- 彼は「戦後レジーム」を抜け出せなかった(2022.08.13)
- 内橋克人氏の訃報(2021.09.01)
- 良心の踏み絵(2021.07.03)